第四章
とにかく期日までに出せるものがないとマズいので、何でもいいから描きあげてみることにした。期日の一週間ほど前から、絵が描けないという焦りから川村に会うと一方的に気まずさを感じていたのだ。
期日四日前の夕方、農地の風景を、ただ流れに身を任せるように筆を走らせ無心で描いた。何かを考えるとまた途中で嫌な気分になりそうだったからだ。日が落ちたのに気がついて部屋の灯りをつけると、悪くない絵ができかかっていたから、どこかから邪魔が入らないうちに続きに取り掛かった。
ひと通り着彩を終えたとき、時計の針はまだ八時だった。一ヶ月近く思い悩んでいた絵は虚しいくらいあっさりと描き終わった。理想通りとはいかなかったけれど、ある種の手応えは感じたのでこの絵を出すことにした。ああ、どうして私はいつもこうなのだろう。こんなことなら最初から何枚か描いておけばよかったんだ。そうすればその中からマシなやつを選べたわけだし、これよりいいものができていたかも知れないじゃないか。
締切当日は、川村が画廊のために借りたスペースに直接運んだ。家から職場まで行って、同じくらいの距離をさらに行くと着いた。私はこの画廊の壁の白色を気に入った。嫌に艶っぽすぎたり、眩しかったりさえしなければ満足なのだが、この壁はどこで切り取っても一様な感じが良い。黒い木の額に入れて飾ると私の絵はよく映えた。川村が私の絵を見て言ったことを覚えている。
「誰の記憶にもあるような有りのままの風景が持つ美しさを、正確に捉えているね。ともすればみすぼらしく見えるようなアイテムを隠すことなく、それを含めた正直な景色には誰が見ても懐かしく思えるような一般性が担保されているように思うよ。これが例えば花畑みたいに整いすぎていたりすると、農地の風景としては共感できなかったりするからね。」
なぜ覚えているかというと、私の意図したことと半分合っていて、もう半分は違っていたからである。最初の一文はまさに私の掲げる目標そのもの、とはいかなくともそれに含まれる要素だ。しかし二つ目と三つ目の文は当初の目論見とは少し外れていた。「ともすればみすぼらしく見えるようなアイテム」というのはぐしゃぐしゃなブルーシートだったりひび割れたり欠けたりしたビールケースとかのことだと思うが、私はこれらも美しいと思って風景に含めたのだ。これらを一般性の担保になど使おうとはしていなかった。ただ、こういう風に思惑と違うところから魅力が生まれることの愛おしさを、私は既に記した通り存分に認めているのである。
展示は明日から始まる。
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