スマホ・クリップ・ドーナッツ【カクヨム2020夏物語】

荒城美鉾

スマホ・クリップ・ドーナッツ

「信じられないでしょ、ほんとだよ」

 離れたところで誰かがささやく声がする。

 私の噂ではないようだった。安堵したことを誰にも見破られないよう、息をついた。

 手の平の硬い感触にぎくりとする。いつの間にか、クリップを握りこんでいた。

 手の平でクリップは、ねじきれるように曲がっていた。

 私は誰もいない校庭を見やる。特別短かった1学期の終業式が近づいている。夏空の下、校門と通りをつなぐ歩道橋が見えた。

 うちの高校はちょっと変わった作りになっている。校門は駅に近い校庭側と、バス停のある校舎側に2つあるのだが、校庭側の校門は歩道橋と直結する作りになっていた。

 周囲よりも1段高いところに学校があるため、下を通る道と歩道橋で段差を調整する必要があったのだ。駅から来る生徒は朝、必ずこの歩道橋を通って登校をすることになる。


「道上さん、まだ?」

 声に反射的に振り向く。教室内には誰もいなくなっていた。

「移動教室だよ。日直だから鍵をかけたいんだけど」

 沢田和希はそう言った。背が高くショートカットの彼女は、いつもどこかぶっきらぼうで、とっつきにくい印象があった。


 沢田さんとは1年も同じクラスだった。全員が修学旅行の積み立て手続きをしたのに、沢田さんはそれを断った。お金ないのかな、などという無遠慮な噂がささやかれる中、隣の席だった沢田さんがつぶやいたのを、私は確かに聞いた。

「だって、どうせ行けないし」


 1年経った今年。2年の学年はじめに予定されていた修学旅行は感染症の流行のため、取りやめになった。沢田さんと話したことはほとんどなかった。私は思わず聞いていた。

「修学旅行、なくなっちゃったね。1年のとき、そう言ってたでしょ?」

「――聞こえてたんだ」

「残念だったね。……なんでわかったの?」

「言ったら信じる?」

「え?」

「信じないのに、そういうこと言っちゃだめ」

 何かを言おうとした私を、沢田さんのスマホのバイブ音が遮った。スマホは禁止されてるのに。そんなこともちろん言わないけど。

 沢田さんはスマホを耳に当てると、そのまま何も言わずに通話を切った。

「ごめん。出るね」

 化学室は教室のそばの階段を下りたところにあった。

「……そっちから行かないほうがいいな」

「え、なんで?」

「根拠のない話は信じない?」

 もうあまり遠回りをしている時間はない。彼女の話に戸惑いながらも私は無意識に教室のそばの階段を下りようとした。

 次の一瞬。私は階段から足を滑らせていた。ぐるりと体が前のめりになる。手を伸ばしたところに、手すりがあった。触れるけれど、届かない。悲鳴が聞こえた。私の、喉から。

「道上さん!」

 声がし。衝撃があって、私はそのまま空間につなぎとめられた。

 見上げると、沢田さんが私の手を掴んでいた。

「あ、ありがとう…」

 私は姿勢を直した。もしかして、こうなることわかってて?

 顔を上げると、沢田さんが驚いた顔のまま、固まっていた。視線を追うと、金属製の手すりが大きく曲がっていた。私はぎょっとして手すりに近寄る。どうしよう。こんな大きなものを【曲げた】ことはなかった。しかも公共物。やばい。

「行こう」

 手をつなぐと、沢田さんは走り出した。

「大丈夫。誰にも見られてない」


「私、ああやって時々、【曲げちゃう】ことがあるの」

「【曲げちゃう】?」

 沢田さんが一緒に帰ろう、と声をかけてきた時、ああやっぱりと思った。面倒なことになってしまった、と。誰だって、あれを見たら放ってはいられないのだ。

「うん。金属のもの、クリップとか、スプーンとか、鍵とか。緊張したときなんかに、無意識に」

 私たちは、2人で通学路を歩いていた。川添いの道は駅への最短ルートではないので、比較的空いている。

「信じてくれる?」

「信じるっていうか、まぁ、見たしね」

 そう言いながら、沢田さんは大きくのびをした。

「あと――誰にも言わないで欲しいんだ」

「なんで? ってまぁ、そらそうか。わかったよ」

 そのセリフに安堵はできない。誰でも最初はそう言うから。

「信じてない顔。わかりやすいね、道上さんって」

「――中学の頃、言いふらされて、ひどい目にあったことがある」

「ひどい目って?」

「信じて打ち明けたら、皆の前でバラされたの。やってみろってつるし上げられて」

「やったの?」

 私は首を振った。

「やろうと思ってできたかわからないし。それから、ずっと1人ぼっち」

「正解だと思うよ」

 私は顔をあげた。

「見せたって、信じない」

 沢田さんはまっすぐ前を向いていた。

「見せろって言う人は、見せたって信じない」

「沢田さんは?」

「え?」

「さっき、どうしてあんなこと言ったの?」

「――信じる?」

 私が答えようとすると、再び沢田さんのスマホが震えた。沢田さんはスマホを耳に当てて、それから言った。

「――聴いてみれば?」

 差し出された手のまま、スマホを耳に当てた。

 スマホの向こうからは、ぶつぶつ、という通信音のようなものが聞こえた。

「これ、何?」

「子どものころから時々かかってくるんだ。あたしは【先耳電話】って呼んでる」

「【先耳】?」

「未来の音が聴こえるんだよ。自分の周りの、ちょっとだけ未来の音が聴こえる。5分先の音から、長いと1、2年先の音まで」

「未来の音が……」

「音だけ、ともいえるけどね。さっきはあんたの悲鳴が聴こえた。階段から落ちるんだって思った。だから止めたんだよ。信じなかったけどさ」

 私は息をのんだ。

「さ、いこっか」

「え?」

「聴こえなかった? さっきの電話。ドーナツショップでしゃべってる声だったじゃん――あたしたちが」

 私には人の声には聞こえなかった。けれど、私たちはそうして――友達になった。


「道」

 道上の道。呼ばれて私は顔を上げる。

「お疲れ、和希」

 終業式が終わり、あとはホームルームだけ。これが終われば私たちに、短い夏休みが訪れる。白く光るような夏空が、私たちを見下ろしていた。

「夏休みほぼ消滅なんて、マジで最悪」

「しょうがないよ。今年は授業のスタートが遅かったんだもん」

 感染症流行の影響で、登校が始まったのは6月に入ってからだった。

「ああ、この夏はもうどこにも行けそうにないし」

「冬休みには行けるよ、きっと」

「あたしスキーが得意なんだ。冬になったら、一緒に行こう、道」

 いいね、と言おうとしたところ、和希がはっとした。【先耳電話】がかかってきたのだ。

 和希は黙ってスマホを耳に当てる。

「何の音?」

 和希は指を唇に当てた。もどかしい。私には何にも聞こえない。和希の顔色が白くなっていくのがわかる。よくない、音なのだ。

「なんだろう……大きな事故の音だ」

「事故?」

「歩道橋が落ちたって言ってる……」

「歩道橋って……」

「――うちの校門の歩道橋だ」

 ホームルームを、抜け出して私は和希と走る。校門まで。ホームルームが終わったクラスの生徒がちらほらと出てきていた。

「これ多分、もうすぐだよ。だって下校の生徒の声がしたから」

「明日とかってことはないの?」

「成績の話をしてた。そんな話するの、今日だけでしょ?」

 とりあえず、と言って和希は校門を閉めた。そうは言っても、理由もなくここをふさぐことはできない。『ここを通らない方が良い』と言う? そんな根拠のないアドバイス、誰も信じない――私が、そうだったように。

「道、【曲げて】」

「えっ!?」

「校門を【曲げて】。誰も出られないように」

「そんな……」

 意図的にそんなことをしたことがなかった。できるかもわからない。この間の手すりだって、無意識だったのだ。しかも手すりはやはりその後――問題になった。

 生徒が集まってきた。皆の目の前で校門を【曲げて】しまったら、今度こそとんでもないことになってしまう。

 乾いた喉の奥から、声が出た。

「ほんとなの?」

「え?」

「【先耳電話】って、本当にあるの? 嘘なんじゃないの?」

「……そっか。そう思うか。」

 和希は制服のスカーフを外した。校門のかんぬきに結びつけている。

「じゃあいい。とにかくあたし一人でやる」

 ねえ、あれなにしてるの? 誰か先生を呼んできてよ、通りたいんだけど、という声が後ろからする。

「ごめんなさい! ここ今通れないの! バス停側の校門を使ってください!」

 和希が振り向いて大声をはりあげる。

 え、なんで? 急いでるんだけど。ざわめきが非難する。

 誰も迂回しない。誰も、信じない。

 信じてもらえないかもしれない怖さは……私もよく知ってる。

「……やる。できるかわからないけど」

 和希は私を見た。和希はささやく。

「できる。【曲げられる】よ。信じて。自分を。あんたを信じてるあたしを」

 何も信じられない私を、和希は信じてくれている。

 誰からも信じてもらえなかった和希を、私は信じる。

 力を、心を込める。かんぬきを握る。

 曲がって、曲がって、【曲がれ】!!

 ──めきり。

 音がして、校門がアルミ箔のように二つ折りにひしゃげた。

 できた、そうつぶやこうとした瞬間。

 衝撃と大きな音がした。

 思わず目を閉じる。開いたその先に、歩道橋はもうなかった。


 歩道橋に突っ込んだのは、近くの工事現場から出てきた工事用車両だった。積載しているショベルカーのアームを下げ忘れたため、歩道橋に衝突したらしかった。

 幸いにして、人的被害はゼロだ。校門がひしゃげてしまったのも、何らかの力がかかったものだろう、として処理された。

「ねぇ、あれ、無理しなくても、あのまま頑張ってればよかったんじゃないの?」

「さぁね」

 季節は秋になっていた。

「電話だ」

「嘘、今震えなかったよ」

「ほら、聞いてみな」

 暗い画面のスマホを差し出す和希。耳を寄せるが、もちろんなんの音もしない。

「聞こえないよ」

「嘘、あたしにはスキー旅行の相談してるあたしら2人の声が聞こえたよ」

 にっ、と和希は笑う。

「それなら……聞こえた」

「でしょ?」

 そうか。

 未来を信じるって、多分こういうこと。

 私と和希は、いつものドーナツショップへ向かうことにした。

 私達は、いつだって未来を──信じている。

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スマホ・クリップ・ドーナッツ【カクヨム2020夏物語】 荒城美鉾 @m_aragi

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