第4話 2話 裏

台所で朝食の用意をしていると、この時間にしては珍しく叔父が起きてきた。


やまい、教会が動いているようだ。」


開口一番にそう告げられ、菜箸を持つ手が止まる。


「教会が?」


「あぁ。知っての通りあそこは一神教で、余所の宗教に対しえらく排他的だ。……邪龍なんて存在を許しはしないだろう。注意しろよ。」


低く呟くように言う叔父は、既に外出の支度を整えたようだった。普段、昼頃から活動を始める叔父にしては珍しい。

疑問が顔に出たのだろう。本人が教えてくれた。


「俺はちょっくら伊勢まで行ってくる。」


「伊勢?」


「神道の連中も、お前に何やら話があるんだと。呼び出しを食らったから、とりあえず俺が行って用件を聞いてくらぁ。概ね、邪龍の件だろうがな。」


「……済まない」


「何、お前は自身の左手を犠牲にして奴を封じたんだ。あのままにしてたらあそこの山は邪龍の妖気に当てられて、雪崩や噴火なんぞの災害を誘発していただろうよ。そうなりゃ付近の人里の被害は甚大なものになっていた。結果的にそれを防いだんだ、誇りこそすれ、謝ることじゃねえ。」


「……。」


そうは言われても難しい。叔父には身寄りの無い俺を引き取って、男手一つで育ててもらった恩がある。これ以上、迷惑をかけたくない。


「それじゃ行ってくるぜ。心配すんな。神道の連中はまだ話の通じる相手だ。事情を説明すれば、分かってくれるさ。」


叔父は普段と変わらない陽気な笑顔を浮かべ、出かけて行った。

少し焦げた卵焼きとウインナーを皿に移す。トースターを開けようと、無意識に伸ばした左手が目に入った。


(……しょげてばかりもいられない。)



学校へ行き、朝礼が始まった。今日は俺と並日が日直だ。うちのクラスは不文律で何故か朝礼の合図は女子、夕礼は男子と決まっている。理由は分からないが、恐らく、朝から男のむさ苦しい声を聴きたくないとか、そんなところだろう。


「ホームルームを始める。さっそくだが、今日から転校生がいる。入ってきなさい。」


……随分と中途半端な時期に転校生が来るものだ。今は6月だぞ? 普通は学期の始めに来るものだと思うのだが。

担任に促され、教室の扉が開いた。入ってきたのは金髪で碧眼の男だ。彫りが深く、肌が白い。西洋人だろうか。


「イタリアのローマから来ました、ジィウスティーツィア・クローネです。ジィスと呼んでください。どうぞヨロシク!」


な!?


「ローマ? まさかバチカンからの……」


教会の関係者だろうか? おかしな時期の転校生……、イタリアのローマからわざわざ日本に来て、ピンポイントで俺のクラスへ……。状況証拠だけでも十分怪しい。

叔父は気をつけろと言っていた。確かに奴らの宗教は、大地母神信仰を行っているものを魔女と言い放って魔女狩りを行ったり、聖地を手に入れるための戦争を頻繁に行うなど、非常に攻撃的な側面が大きい。

どんなに注意してもし過ぎることは無いだろう。


ホームルームが終わり、ジィスと名乗った転校生はクラスの女子に囲まれ質問攻めにあっている。

俺はジィスの姿を見つめる。ちょっとした動作一つ一つに洗練したものを感じる。


「ちょっと失礼するよ。」


そう言い、クラスの女子から離れ、俺の方へ歩いてきた。

……歩く際に重心がぶれない。隙が無い。戦闘訓練を受けている証拠だ。

俺の前に立ち止まり、見つめてくる。


「……なんだ?」


俺は椅子に座ったまま。咄嗟の対応が出来る状態ではない。

やつの視線がそのままでいいのか? と聞いてきているように感じる。


「何、君に興味があってね。」


これは確定だろう。こいつは教会の人間だ。


「……俺もお前に興味がある。」


何をしに来た?


「……放課後だ。」


「だな。」


……どうやらすぐにどうこうするつもりは無いようだ。俺としても助かる。学校は俺に残された数少ない平穏な日常なのだ。荒らされたくない。



放課後になった。


中二なかふた、放課後だ。」


「あぁ、少し待て、並日、済まないが日直の日誌任せていいか。」


「うん、構わないよ。ジィス君の学校案内? 」


「……まぁ、そんなところだ。」


俺達は人気のない体育館裏へ足を誇んだ。


中二なかふた、ここは何をする場所なんだ? 学校案内なんだろう?」


「とぼけるのはよせ。……お前は教会の人間だな?」


「あぁ、オレはエクソシストさ。君の左手に用事がある。」


「これに迂闊に手を出すべきじゃない。なんとか安定しているが、何が起こるかわからない。」


「それなら尚更そのままにしておけないな。……そして君のように社会から極力関わりを立っている人間は何をするかわからない。そんな人間がその強大な力を行使できる状況を見逃してお置くわけにはいかない。」


「……だったらどうする?」


俺は腰を落とし、いつでも動けるように体勢を整える。


「そう身構えるな。今はまだ何もしない。今はね。……ただ、君が邪悪な存在だと分かればすぐに対処する。それを忘れないように。」


そういうと教会から来た男はここから立ち去った。


「……学校のみんなに迷惑をかけるわけにはいかない。日常を守らなければ。」


――しばらくしても奴の気配は学校から離れなかった。俺は目的を探るため、気配がたどれるギリギリの位置で奴の同行を監視する。

奴はあちこちをウロウロとしていた。図書館、美術室、武道館、屋上……何が目的なんだ? そして今は教室にいるようだ。

教室にはもう一つ気配を感じる。これは並日?

並日の気配が弱まった! 何かが起きている! 俺は急いで教室に向かうが二人の気配は移動していく。


(くそ! 気づかれないよう距離を取っていたのがあだになったか!)


奴が向かった先は屋上だ。普段は施錠され、誰もいない場所だ。

俺が屋上へ着くと奴は待ち構えていた。


「来たか、早かったな。中二なかふた


奴の足元には並日の姿がある。意識がないようだ。


「……並日!! 並日に何をした!?」


「少し眠ってもらっただけさ。」


「用事があるのは俺だろう? 何故、並日を巻き込んだ?」


「あまり周囲と関わらないお前がこの子とだけは親しそうに会話していたからな。すでにこの子は邪悪な存在に洗脳されているかもしれない。悪魔に魅入られたものを救うのはエクソシストの仕事だ」


「……そいつは普通の人間だ。ただ、隣の席だから俺に話しかけてくれているだけだ。悪魔になんぞ……。」


中二なかふたとさっき分かれてから、何人かクラスメイトにお前のことを聞き込みをしたのさ。聞けばお前は左手を抑えて痛みにこらえるような仕草をしているそうじゃないか? その左手は完全に制御できていないのだろう? だとすれば、お前自身が気が付かないうちに邪龍が何かしていておかしくはない。この子は勿論、お前自身にもな。」


「俺……自身だと?」


「自ら左手に封じたようだが、体内に邪悪な存在がいるということは、すなわち悪魔憑きと変わらない。そんな人間は精神に変調をきたすものだ。自身が気が付かないうちにな。……すぐ楽にしてやる。なに、殺そうってわけじゃない。邪悪を払うだけだ。」


「待て! 一人でどうこうなる相手じゃない!」


「哀れな子羊よ。神を信じよ。神は全てをお救いくださる。」


そういう奴の顔は慈愛に満ちた穏やかなものだ。

奴は懐から何かを取り出した……これは聖書?


「これは福音書の古き世代の写本だ。これの力を使えば完全に払うことが出来るだろう……初めに言があった――」


奴は朗々と聖句を読み上げ始めた。





奴の聖句に反応し、邪龍の一部が封印より出てきた。それだけでも飛んでもない力があり、奴の力だけではどうにもならなかった。

結果として共闘し、どうにか再度封印しなおすことが出来た。その代償で福音書の写本とやらは完全に力を使い果たし灰になってしまったが……。


「邪龍の攻撃から身を挺してその子を守るとはな。どうやら邪悪な物に憑かれているわけじゃなさそうだ。」


邪龍の攻撃の余波が並日に及びそうになった時、俺が間にはいり、攻撃を防いだことを言っているのだろう。


「初めからそう言っているだろう?」


「悪魔憑きかもしれない人間の言葉は信じないことにしているんだ。」


奴は悪びれもせずにそう言った。


「……だが、お前の言は信用に値する。身を挺して他者を助ける行動は善なるものだ。……済まなかったな。邪龍の力を見誤っていた。」


素直に謝られると怒るに怒れないな……

この後、俺達は並日を教室の机に座らせて、あたかもそこで寝入ってしまったかのように見せかけた。

事実を伏せることに抵抗はあるが、悪魔憑きと疑われただの、邪龍だのの話を普通の女の子である並日にするわけにはいかない。


このあと、並日を起こし、家まで送っていった。

その礼として夕飯をごちそうになってしまった。


(遅くなったのも全て俺達が悪いのだけどな……)


並日の母の手料理……。

母子の団らんでの会話。当たり前の家庭の当たり前の日常。


(ずっと前は俺も、両親と妹と一緒に食卓を囲んで、こんな会話をしていたのだろうか?)


失って久しい日々、忘れてしまった日常を少し思い出すことができたような気がした。

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隣の席の中二くんがいつも何だか忙しそう…… さっちゃー @sattya

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