For you or For me

七川夜秋

For you or For me

 明日の天気はなんだろう。

 最近はよくぼーっとしている時間が多いからだろうか。そんなどうでもいいことを考えていることが多くなっている気がする。

 新学期が始まり、今年から受験生になった。特に意識はしていないが来年のこの時期にはこの校舎にいないと思うとなんだか不思議な気分だ。

「おーい、ミッキー。帰るぞ」

「その呼び方やめろって」

 声をかけてきたのは直人なおとだ。

 ミッキーというのは僕の名前が光希みつきなのでそこからとってきたらしい。

 荷物をリュックに詰め込み席を立つ。

 外に出ると何かが視界をゆっくりと横切っていった。

 桜の花びらだ。

 手に取ろうとしたがゆらゆらとした不規則な動きを俺は捉えることはできなかった。

「もう三年か……」

 直人が自分の背の数倍はあろうかという幹のしっかりとした桜の木を見上げながらつぶやいた。


 高峰たかみね高等学校

 それがこの学校の正式名称だ。

 よく〝峰高みねこう〟と略されることが多い。

 この峰高はその名の通り山の峰にそびえ立っている。

 と言えたらかっこいいのだが、残念ながら実際はそうではない。

 昔は山頂に建っていたらしいが校舎の老朽化と登校するだけで一日分の運動量を超えるという生徒からの切実な悲鳴を受けて、建て替えのときに登校が楽な駅から歩ける距離に建てたらしい。

 都内などの人口密集地ともなると駅に近いところだとかなり土地代が高くなると聞いたことがあるがここは田舎なのでそんな心配はないようだ。

 偏差値はそこまで高くない。

 そういった理由もありわざわざこんな田舎に都会から時間をかけて通学する人もおらず、ほとんどが地元の中学からのエスカレーター式のような感じだ。

 だから高校の入学式でもあまり進学したという自覚はない。

 そんな中でも少数ながら他の中学から来た人もいるようだ。

 入学式のときに緊張していたのはその人達くらいのものだろう。

 今ではすっかり溶け込んでいる。

 そんな中でも一際目立っている人もいた。

 〝山辺美玖やまべみく

 彼女の名前を知らない人はこの学校にはいないだろう。

 彼女の容姿は美しいの一言に尽きる。

 目鼻が整っていて透き通った唇、長く艶やかな髪。

 体型は僕から見れば少し細すぎるような気がするがスラっとしていて、そのせいか胸もより大きく見える。

 足が描く曲線美もとてもきれいだ。

 そのため入学式どころか今でも注目を集めている。

 特に男子からの視線は熱い。

 そんな人と三年連続で同じ教室にいられるのは奇跡だと思う。

 しかも親友の直人も一緒だ。

 できれば来年も同じクラスになりたいものだ。

「……ぉぃ、おいって」

「え?」

「え?じゃねえよ。お前は左の道だろ」

 言われてみるとたしかにここは直人と方向が異なる十字路だった。

 ぼーっとしていたせいか、いつもは左に曲がる道を直人に倣って右に曲がってしまっていた。

「お前、大丈夫か?帰り道全く話さないし」

 どうやら下校中ずっと、回想モードに突入してたらしい。

「あっ、ごめん。少しぼーっとしてたみたい」

「気をつけろよ。じゃ、また明日な」

 そう言うと直人はヒラリと自転車に跨り少し錆ついているのか、ギィギィという音を残して去っていった。


 それからあっという間に数週間が経った。

 ぼーっとしてたら時間が過ぎていたという感じだ。

 三年生になって勉強も難しくなって周囲から聞こえてくる会話も進路に関わるものが増えてきた気がする。

 進路かぁ、俺もそろそろ考えないとなぁ。

 などといつも通りぼんやりと考えていた。


「なあ、将来のこととか考えてる?」

 その日の帰り道、俺の自転車の後ろに付いている直人に尋ねた。

「んー、将来かぁ。確かに考え始める時期だよなぁ」

 渡ろうとしていた信号が点滅していたが無理せずに待つことにした。

 直人は少し腕を組み黙っていた。

 そして信号を渡り始めたときに口を開いた。

「俺さ、少し前から考えてたんだけどさ東京出て就職しようと思う」

「え?」

 直人がそんなことを言うとは思わなかったので少し驚いた。

「家にいるのが退屈になってさ。一人暮らしなんてのもいいかなってさ」

 直人は淡々と喋っていた。

 けれどもその言葉の裏には何かが隠れているような気もした。

 でもそれを確かめるほど、自分の感覚に自信が無かったので話を続ける。

「そっか、詳しいことはわかんないけど大変そうだな」

「まあ、なんとかするよ。それよりミッキーの方はどうなんだ?」

「まだ詳しくは決めてないけど、とりあえずは大学に行くかな」

 大学に行ったほうが就職に有利と聞いていたので大学に進学をするとは決めていたが特にどこの大学に行きたいといったことは全く考えていなかった。

「なんか信じられねぇよなぁ。来年には今とは全然違った環境にいるだなんてさ」


 家の鍵を開けて荷物を置き風呂を沸かす。

 風呂が沸くまでの間、帰り道で話していたことを反芻する。

 先程は他人事のように考えていたがこれは他人事ではすまない問題だ。

 制服のポケットからスマホを取り出し、ネットで進路の決め方を検索する。

 どのサイトにも興味のある職業から決めるだとか、自分の得意なことを仕事にするなどと書いてあった。

 だが、俺にはやってみたい職業も無ければ長所と呼べるものもない。

 俺は特別なことは望まない。

 普通に大学を卒業し普通の会社に就職して機会があれば結婚できたらいいなと思う。

 まあ、近くてそこそこのレベルの大学にでも行けばいいか。

 浴室から風呂が沸いたことを知らせる音楽が流れてきた。

 浴室に向かう途中、ふと普通ってなんだろうという疑問が生まれた。

 だがそれは浴槽から立ち上る湯気と共に消えていった。


「えー、それでは体育祭実行委員会を決めようと思います。」

 ホームルームの時間にうちのクラスの担任の前田が言った。

 前田はベテランというほど年季は入ってなさそうだが、そこまで若手というわけでもない。

 中堅といったところだろうか。

 俺は体育祭という学校行事があまり好きではなかった。

 もともと運動は得意ではない。

 それを無理やりやらされ、しかも大勢の前で醜態をさらさなければならない。

 小学校の頃の運動会は割と楽しんでいたはずなのにいつから楽しめなくなっていったのだろう。

「実行委員会に誰か立候補する人はいませんか」

 いつもは少しうるさいくらいの教室だがこのときは静かだった。

 去年などはクラスに目立ちたがりなのかは知らないが、こういう目立つ仕事を進んでやるやつがいたが今年は違うらしい。

「何だ、誰もやるやつがいないのか。今日はこのあとにも決めなければならないことがたくさんあるから手早く決めたい。よってくじ引きで決める。異存はないな?」

 この先生のこのちょっと強引なとこ嫌なんだよなぁ。

 もっと話し合いにするとか学級委員にお願いするとか他に方法はなかったのかよ、と心の中でツッコミをいれる。

 まあくじ引きとはいってもクラスの人数は36人、選ばれるのは2人なので確率としてはそこまで高くはない。

 大丈夫。多分、当たることはないだろう。


 数分後。

 なんでだよおおおおお!

 俺は数分前に前田先生に向けていたツッコミの勢いを今度は自分に向けることになってしまった。

 そう、俺は当たりを引いてしまったのだ。

「いやぁ、俺は当たらなくてよかったぜ」

 少し離れたところから聞こえてきた。

 今までは俺も向こう側にいたはずなのになんで今回は違うんだよ。

 しかもこっち側に立ってみるとあんな少しの小言でも腹がたってくる。

「まさかお前が当たるとはなあ」

 無事にハズレを引いた直人が楽しそうに話しかけてきた。

「頼むから代わってくれ」

 俺の心からの願いだった。

 よく人に物を頼むときに使われる一生のお願いというやつを使おうか迷うほどだった。

「は?嫌だよ」

「ですよねぇ」

 即効で断られた。

「でもよかったじゃねえか。お前みたいな日陰者があんなクラスの人気者と関われる機会なんてもうこの先無いかもしれないぞ。」

 直人がにやにやとした笑いを浮かべながら言った。

「人気者?何の話だ?」

「実行委員会のもう一人だよ。山辺だってさ」

 マジか。

「まあ、頑張れよ」


 その日の放課後から実行委員会はあった。

 指定された教室に行くと山辺は先にいた。

 一応、同じ実行委員会になったんだし、挨拶だけでもしとくか。

「あのー、同じクラスの高島です。俺も実行委員になったんでよろしく」

 恐る恐る、でも落ち着いて話しかけると

「あ!高島くん!たしか3年間一緒のクラスだよね。よろしく」

 俺はクラスで影が薄いがさすがに認知はされていたようだ。

 クラスの人気者が俺のことなんて知ってるかもわからなかったから結構緊張したけど知ってもらえててよかったと胸をなでおろす。

 今日の実行委員会は思っていたよりも短く、委員長、副委員長、書記を決めてグループラインを作ったところで終わった。

「ねえ、高島くん。せっかくだからライン交換しない?」

 実行委員会が終わった直後、今度は山辺のほうから話しかけてきた。

「へ?」

 あまりに突然のことだったので変な声が出てしまった。

「だから、ライン交換しよ」

「あ、うん、俺でよかったら」

 少ししどろもどろになっている気はするが一応返事はできた。

「ありがと」

 そして俺は初めて女子とライン交換をした。


 日が経つにつれて体育祭の内容もかなり決まってきたがやはり俺は体育祭を克服することはできそうになかった。

 まあ、でも実行委員会には入ってよかったと思う。

 なぜなら実行委員会の仕事のおかげで出場しなくてもよい競技があるからだ。

「実行委員会のほうはどうだ?」

 直人が尋ねた。

「なんとかやってるよ。放課後に時間とられるのは嫌だけどそこまで作業も大変じゃないし」

「そうか、じゃあ山辺のほうはどうだ?」

「ちょくちょくラインしてるくらい」

「お、マジで。どんな話してるの?」

「別に。体育祭の話だよ」

「へえー」

 相変わらず直人はにやにやしてこちらを見てくる。

 別に何にもないんだけどな。

 

 そして体育祭当日。

 今年も体育祭はいつも通り開会式から始まる。

「えー、本日はお日柄もよく絶好の体育祭日和です。」

 校長のいつもの長話が始まった。

 空を見上げてみると確かにそこのは雲一つない青空が広がっていた。

 これが9月とかだったらもう今頃汗が止まらなくなっているっころだが、まだ5月なのでそこまで熱くはない。

 俺は今日も予備日も雨が降って中止になってくれればなと思っていた。

 そうなると実行委員の人たちは少しかわいそうだが。

 少し憂鬱な気分になりながらも校長の話を耐えた。


 体育祭は順調に午前の部を終えた。

 午前は俺は仕事をしていたため競技には出ていないがそれでも結構疲れた。

 教室に戻って持ってきた弁当を開ける。

「ミッキー、お疲れ」

 弁当を持って現れたのは直人だ。

「ああ、疲れたよ」

 溜息をつきながら言ってみる。

「ほんとに疲れてそうだな。大丈夫か?」

 こういうとこは直人の良いところだと思う。

「午後は出場する競技が2つもあるから倒れるかもな」

 冗談交じりに返事をする。

 午後はクラス対抗で綱引きと全員リレーがあり、クラス全員が参加しないといけない。

「ほどほどにな」

 そんな話をしながら昼食をとった。


「ミッキー、そろそろ行くぞ」

 これから午後の部が始まる。

「ごめん、水筒忘れたみたいだから先に行ってて」

「おう、サボるんじゃねえぞ」

「サボらねえよ」

 とは言ったもののなるべく外にいる時間を減らしたかったためゆっくり移動する。

 ついでにトイレにもよっておくか。

 そんなこんなで教室をでるのが少し遅くなってしまった。

 外に出るとなにやら少し騒がしかった。

 直人を見つけて話しかける。

「何かあったの?」

「大したことねえよ。ただ山辺がちょっとミスっただけだ」

 山辺の方を見るといつもの元気そうな表情ななくシュンとした表情をしていた。


「はぁー。疲れた。」

 午後の部も俺にとっては何事もなく終わった。

 だが、山辺には何があったのだろうか。

 あの後、直人と話す機会が無かったので具体的に何が起きたのはわからない。

 同じ実行委員として心配にはなるけれど自分から何があったかを聞くような勇気は俺にはないのでそっとしておこうと思った矢先だった。

 ラインの通知音が鳴る。

 見ると、山辺からだった。

「ごめん、高島くんちょっと話聞いてもらっていい?」

 内容は今日の体育祭のことだろうとあたりをつけ返信する。

「いいよ。もしかして体育祭でのこと?」

「そう、私の担当の競技の集計で1クラス分のポイントをなくしちゃって。とりあえず、先生にも相談して一応のポイントはつけたんだけど責任感じちゃって」

 思ったよりも大事ではなかった。

 いや、俺にとっては大事ではなかったが彼女にとっては大事なのだろう。

「そっか。山辺は優しいんだな」

「え?」

「俺だったら一応のポイントがつくんだったらそれでもういいやってなるからさ。そんなに気にしないかな。だからそんな細かいところまで気をまわせる山辺を俺は優しいと思うよ」

 俺は慰めの言葉が思いつかなかったのでとっさにを言った。

 直人はこういうときに気が利くのできっとこんな感じのことを言うだろうという言葉を。

「そっか。ありがとう。高島くんのおかげで少し立ち直れたかも」

 俺はこんな他人を演じているような自分が少し嫌になった。


 それからはあっという間に時間は過ぎた。

 季節は夏になり期末テストを終えるともう夏休みだった。

 期末テストで赤点があった人やレベルが高い大学を目指している人は学校で補修を受けたり塾で講習を受けたりしているようだが、どちらも俺には関係が無いことだった。

 だから夏休みは宿題をして夏休み明けにある模試の勉強をした以外はほとんど勉強はしていない。

 残りの時間はゲームや直人と遊ぶ時間に充てていた。

 直人は遊びに誘うと毎回付き合ってくれたが、それ以外の時間は就職先を探したり勉強したりしているようだった。

 図書館は冷房が効いていて集中できるらしい。

 なんで就職するのに勉強をするのかと聞いてみると気がまぎれるかららしい。

 もっと詳しいことを聞くべきなのか、俺にはわからなかった。


 夏休みが明け、9月になった。

 10月には文化祭がある。

 前田が文化祭実行委員を決めると聞いた時にはまたくじ引きをしてまた実行委員になってしまったらどうしようと心配していたがそれは杞憂だった。

 立候補者がいたからだ。

 てっきり俺は今回も立候補はいないだろうと考えていたので意外だった。

 さらに驚いたのが立候補をした人だ。

 一人は体育祭実行委員をやっていた山辺だ。

 あとから聞いた話によると体育祭のリベンジで今度は失敗しないようにするらしい。

 最近ではラインでもよく話をするが教室などでも話すようになっていた。

 そしてもう一人は直人だった。

 その日の帰り道。

「なあ、なんで実行委員に立候補したんだ?」

 とストレートに聞いてみた。

「高校生のうちに高校生らしいことをしとこうと思ってさ。あとはまあ、ミッキーがやっててそこまで大変そうじゃなかったからかな」

 直人は淡々と理由を話した。

「そっか。高校生でいられるのもあと数か月しかないもんな」

「そうそう。だからいろいろチャレンジしないとな」

 そう言って直人はニッと笑った。


 2月になった。

 本当に時間が経つのが早い。

 時間が経つのが早いのは楽しいと感じているからというけれど俺は楽しんでいるんだろうか。

 だが以前に比べて変わったことも2つある。

 1つ目は最近になって気が付いたのだが

        ”俺は山辺美玖のことが気になっている”

 最初のうちはなんとも思ってなかったがラインで会話をしていくうちにだんだんと彼女のことを考えるようになっていった。

 俺が違和感に気づいたのは授業中のふとした瞬間にも彼女のことを見てしまっていたことからだった。

 さすがに考えすぎだとは思ったがあまりにも気になるのでネットで調べてみるとこれはいわゆる恋というものらしかった。

 今までは恋なんてまがい物だと思っていたがこうなってしまっては

信じるしかなくなったようだ。

 2つ目は直人が山辺のことを好きかもしれないということだ。

 これはまだ確証はないのだが、直人が今までに比べて山辺に関わりにいっていることが多い気がする。

 直人は最近こそ自分から行動しているが昔はあまりそういったことがなかったので鈍い俺でもさすがに感づいた。

 となると俺と直人は恋敵ということになる。

 もしそうなったら、俺は手を引こうと思ってる。

 俺よりも直人の方が優しいからそっちのほうがお似合いだと思う。


 それから数日たった帰り道でのこと

「ミッキーは告白とかしないの?」

 唐突だった。

「え?何?どしたの急に?」

 直人にもいつかは聞こうかと考えていたことを直人から聞いてくるとは思わなかった。

「とぼけんなよ。山辺のこと気になってんだろ」

 なんでコイツは俺が思ってることがわかるんだよ。

 エスパーか。

 と心の中でツッコミを入れてから返事をする。

「そっちこそどうなんだよ。山辺に気があるのは直人のほうだろ」

「は?何言ってんだよ。そんなことねぇよ」

 動揺しているのかいつもより言葉が荒々しかった。

 ああ、そういうことか。

 やっと今になってわかった。

 俺もこんな風に態度に出てたんだな。

「らしくねぇな。嘘つくなんて。最近の直人の行動見てればわかるよ」

 直人は答えないのでそのまま続ける。

「お前このまま東京に行っていいのか?ここに未練を残したままで」

 直人の肩が小さく震えた。

「いいわけねぇに決まってんだろ。でもなお前も山辺が好きなんだろ!だったら俺にはお前を裏切ることはできねぇ。だから好きならさっさと告白してこい。俺が東京に行く前に。そっちのほうが未練はねぇよ」

 泣きそうなでも強がっているような顔で俺の瞳を真っすぐ射抜いた。

 やっぱり直人は優しいな。

 だから、

 だからこそ直人に後悔なんてさせたくなかった。

「だから、何度も言ってるだろ。俺は別に山辺のことなんて気になってないって」

「でも、お前なぁ」

 直人の言葉に被せるようにして言う。

「しつこいよ。俺が気になってないって言ったら気になってないんだよ」

 俺はなるべく普段通りに言ったつもりだ。

 けれども直人にはバレてるかもな。

 だから俺が最後の一押しをする。

「俺はいつでもお前を応援してる。今日は山辺は用事があって帰るのが遅くなるっていってたからまだいるはずだ。だから今から山辺のとこに行ってこい。俺が思いっきり背中を押してやる」

 直人の顔を見ると覚悟は決まったようだった。

「いいのか、お前はそれで」

「ああ、俺はこれでいい」

「そうか。じゃあ思いっきり背中たたいてくれ」

「ああ」

 そう言って俺は直人の背中を今までにないくらいの力をこめてぶったたいた。

「痛ッ」

 短い悲鳴とともに直人は駆けだしていった。

 悲鳴とともに小さくごめんとも聞こえた。

 直人が見えなくなるまで見送ってから呟いた。

「いい訳ねえだろ」

 直人の背中を押したのは直人に後悔してほしかっただけじゃない。

 俺に勝ち目がないのはわかってた。

 俺とラインをするときも直人の話が増えていたし教室で話す回数もいつの間にか俺のほうが少なくなっていた。

 下を向いているとアスファルトのところどころが黒く染まっていった。

 その雨のが俺の心までを穿うがった。

「俺はぁ山辺が好きだああああぁぁぁぁぁ!ほんとは譲りたくなんてなかった!

でもしょうがないじゃないか!どうせ勝ち目なんてなかったんだから!」

 俺の叫びは次第に強くなっていく雨音にかき消されていった。

 ひとしきり心の内を全て吐き出せるまで叫んだあと俺は約1年前の新学期に見た桜の木へ向かった。

 桜の時期にはまだ早く1年前のきれいな景色からは見え方が全く違った。

 桜の木の下で雨宿りをする。

 まだ葉がついていないのであまり効果はないが少し落ち着いた気がする。

 そして俺は自分の直人のためにした行動が正しかったのかどうか雨が降り止むまで考えることにした。

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