はるのうたげ

日野

はるのうたげ

 明後日提出の課題を終え、ベッドに潜り込む頃には日付が変わっていた。

 今日は一限から三限まで大学で講義を受けたあと、閉店までバイトに入っており、ただでさえ朝に弱い大林は起きてから丸一日脳と身体を働かせてくたくただった。ベッドに入るとすぐに眠気がやってきて、スマホをいじりながら意識を手放しかけたところで、ポコン、と通知音が鳴ってそれを邪魔した。こんな時間に誰だと重い瞼を持ち上げ、おぼつかない操作でなんとかメッセージを開くと、見慣れた相手からの連絡だった。


『明日お花見しませんか』


 明日っていうのは、つまり、さっき日付が変わったから、日付的に明日ってことなのか、それとも寝て起きてっていう意味の明日なのか、どっちだ……と考えているうちに大林はまんまと眠りに落ちた。




「だぁーーーりん」

 教務室の外にある提出ボックスに課題を入れ、今日の任務はやり終えたと一息ついていると、春の日差しのような朗らかで間の抜けた声が後ろから聞こえた。

 俺のことをこんなふざけた呼び方をするやつは、ひとりしか思い当たらない。こう呼ばれて振り返るのは癪だが、このまま放置したほうが痛い目を見るのは重々承知しているので、諦めて振り向けば、やはり、昨日のメッセージの相手だった。

「来てるんなら教えてよ」

「今来たんだよ」

 眉を顰めるのを隠さなかったが、特に効果はなかった。

「今日は午後ないんだよね?」

「うん」

「よーしじゃあお昼がてら行こう、お花見~」

 屈託のない人懐こい笑顔で花村が言う。花村は高校からの同級生で、学部こそ異なるが大学も同じだ。先ほどの妙な呼び方も高校時代につけられたもので、もとはと言えば俺のせいでもあり……まあその話は今回は置いておく。昔は散々一緒にいた気がするが、今は共通の科目が被っているときに横に座るくらいだ。とはいえ、こうしてなんとなしに声を掛けたり掛けられたりしているので、会う頻度で言えばやはり高いのかもしれない。昨日きたメッセージには返信しそびれていたが、肯定ということで話は進んでいたらしい。

「行くって言ってもどこも混んでるだろ」

「C棟の屋上からね、裏山の桜が見えるんだって」

 穴場~、と今にも歌い出しそうな様子でご機嫌だ。俺は人混みが好きではないし、そもそも花見に興味があるわけでもないので、こんなにも楽しそうにしていると純粋に感心する。桜を見て、飯を食って、それだけなのに、よく楽しめるものだ。

「…そういえば飯は?」

「買う買う」

「コンビニ?」

「そ~」

 大学の付近にはコンビニの他に、個人経営やらチェーン店やらのちゃんとした飲食店がいくつかあるが、俺たちが集まるときは大抵コンビニで適当なものを買ってどちらかの家に行くことが多い。単純に金がないのもあるが、気軽なほうが落ち着くからだ。

「そうだ、これ」

 俺は持ってきた紙袋を見せると、花村は中身を覗き見て口角を上げた。ただでさえ元からへにゃへにゃな顔が余計にへにゃへにゃしている。

「ねえ~~~だぁ~~~~~~~~」

「ダーリンはやめろ」

「うふ」

 肩を竦めて了承のポーズらしい。花村はさっきより一層ご機嫌になったようで、紙袋を俺から奪い両手で抱きしめるように抱えたので、手を差し出せば、持ちたいからいーよ、と返却を断られた。

「あ、お酒はなしね。バイト入ってんだ」

 花村は二限があったので、本日は授業とバイトの合間の花見。もっと落ち着いた日にやればいいのに、とは思ったが言わなかった。コンビニで適当にいくつか見繕い、C棟へと向かう。


 うちの大学は、敷地の中にいくつかの棟が立っていて、基本的には五、六階建ての教育棟が講義などで使われている。C棟は多目的ホールの入った二階建ての古い建物で、面積は広いが背が低く、裏山に面して陰っていることから、屋上の条件としては確かにあまり良い印象がない。普段は良しとされない立地が、今の時期なら絶好の穴場というわけだ。

 屋上の扉を開けると、裏山の桜が視界に広がった。素朴な印象ではあるが、簡単な花見には十分だろう。春の風が一瞬強く吹き、散らされた花びらが屋上をまだらに染めてゆく。

 そして――風の勢いに巻き上げられる弾んだ人々の声がした。

「……穴場だって?」

「学科の先輩が言ってたんだよ…」

 隣から、あれぇ、と心当たりなしといった気の抜けた声が聞こえた。先輩からの情報ということは、うちの学生の大半が知っていてもおかしくはない。まあその割には人数が少ないので、穴場といえば穴場だろう。

 裏山から伸びてきた桜の枝葉が見上げられる位置に、いくつかの集団がシートを広げて宴会を始めている。一方で対面にある備え付けのベンチは、桜の恩恵を受けられないからか人気は少なかった。

「花村じゃあん」

 もうすっかり出来上がっている集団の中から声が掛かった。以前に俺も何度か見かけたことのある花村と同じ学科の女子だ。花村は軽く返事をして、俺のほうをちらりと見た。ここでもいい? という確認だろう。正直どこでもよかったので、適当に頷いて一番近くの空いているベンチへ腰掛けた。桜は遠いが、見えないわけではないし、問題ないだろう。花村は隣に座り、俺との間に紙袋を置くと、桜を見遣った。

「この辺でも全然いいね。桜よく見えるし」

 こういうときに、余計なことを言わないのが、花村の美徳だなと思う。

 花村はもともと人と賑やかにやるのも好きだし、混ざろうと思えば向こうの集団に入っても構わないだろう。それこそもっと人の多い名所の公園やなんかに行っても。それでも今日、最初から人の少ない場所を提案してくれようとしたのは、俺がそういうのを苦手だと知っているからだ。花村はそういうことをわざわざ言わないし、俺からも特には言わない。本人も差して気にしていなさそうなので、なんというか、花村だなあと思う。

 ひとまず今日は、備え付けのぼろいベンチで男二人、昼飯を食べながら遠目に花を楽しむ、そういう日になった。花村はとにかく、その場にあるものを楽しむのが得意な奴なのだ。

「持ってきてくれたの出していい?」

「いいよ」

「へへ~っ」

 いつも明るいが、それを差し置いてもやっぱり今日はとりわけ楽しそうだ。花村は紙袋に入れていたものをひとつずつ取り出して並べていく。

「余りもの、そんなに嬉しいか?」

 そう尋ねると、花村はきょとんと目を丸めてから、けらけらと笑った。

「嬉しいけどさぁー! そうじゃないでしょお」

「………」

「大林が案外ノリノリだから、俺は嬉しいのよ」

 調子に乗っている花村の頭を軽く小突くと、イテッと抗議の声が上がった。抗議したいのはこっちのほうだ。別に、ノリノリでは、ない。

 今日は授業もなかったし、バイトもなくて、暇だったから、早めに終わった課題を提出しにきて、そして先日バイト先でもらった賄いが余っていたから、ないよりはいいだろうと持ってきたのだ。お前が花見をするなんて言うから。きっと少しでも賑やかなほうがいいと思ったんだ。

 だけどまあ、そう見えたって言うんなら、俺には反論できる手立てはない。


 なんだか居心地が悪くて、往生際悪くじっと睨んでみたが、花村は俺の持ってきたタッパーに夢中で気付く様子はなかった。やっぱり賄いが嬉しいんじゃないか?

 俯いている花村の髪の隙間に、降ってきた桜の花びらが留まっているのに気付いて取ってやると、ようやく顔をあげた。驚いたような、困ったような、喜んでいるような、形容し難い表情をして。

「……なんだよ」

「え、や、ダーリンったら、珍しくかわいい顔してるから」

 さっきの三倍くらいの力で殴った。ぎゃはは、と痛いのか痛くないのかよく分からない笑い声を出したが、機嫌は良さそうだ。

 もう取り繕うまいと諦めて、並べられたタッパーを開けていく。きんぴら。野菜炒め。コロッケ。ひとつ開けるたび、花村が目を輝かせる。花見と関係あるかというと微妙なラインナップだが、俺も花村も美味い飯に文句はない。

「やっぱお弁当屋さんってさいこ~だね」

「お前がいいなら良かった」

 コンビニで買ってきたおにぎりや飲み物も並べて、俺たちの宴の準備は整った。

 それでは、両手を合わせて。


「いただきます」





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