43話:弱くても、賢くなくとも

人が集まる所には必ず、欲望の受け皿となる仕組みがある。人間の3大欲求となれば、睡眠、食欲に性欲だ。そして、欲望を切り売りする店の人気はどれだけ安く満足感を与えられるかで決まる。


その点、このエビフライ定食はどうか。揚げたてで湯気が出てきそうなフライにソースをかけて、噛みつき引きちぎって口の中に取り込むと、自分のものだと示すように何度も噛みしめる。サクサクの食感と中のプリップリのエビのバランスが絶妙で、かけられたソースの甘みも加わればもう幸せしかない。白米も苦味が少なく、1つ1つが粒になって立っているからか、もっちりとした甘さが何ともたまらなかった。


おすすめのメニューだと進められた言葉に、嘘はなかった。セロが満足そうに頷くと、ゴサクが自慢げに語った。


「美味しい料理は競い合うからこそ磨かれる、ってね。満足でしょ、ダンナ」


ゴサクの言葉に、セロは静かに頷いた。隣のシャンとナズナは食事に夢中で、ゴサクの話など聞いてはいなかったが。


ミナミの中央部にある繁華街のとある食堂の中。トクアン兄弟を撃破してから2日後、情報収集を兼ねて街に繰り出した先に、セロ達は居た。人気店なのだろう、周囲には客の姿でいっぱいだ。外には4、5人が駄弁りながらも大人しく待っている。予想外の光景に、セロは少し驚いていた。


「もっと揉め事が多いイメージだったが。ひょっとして、まともな人間の方が多いのか?」


「ダンナ、言い方。比率っていう話なら普通の市民と罪深き者達の比率は五分五分ってところだよ。でも、ここいらで喧嘩しようって奴はまず居ないよ。物騒な組の奴らが出歩いてる可能性が高いんだから」


普通にしていれば喧嘩を売られることはないが、粋がっていると締められる。コースは軽く撫でられる初級から、あちこちをもぎ取られる特級までよりどりみどり。治安がいいのか悪いのか、呆れたようにセロはため息をついた。


「いやいやいやダンナみたいにタフでイカれた奴らばっかりじゃないですから。なんすか、毒食らって“慣れてる”って」


「……飯が不味くなるから思い出させるなよ」


忌危うくゾンビになる所だった、人の尊厳に爪を立てるかのようなアルセリアの料理忌まわしき過去。あれに比べたら麻痺毒とか無いも同じであるというのがセロの主張だった。


「それよりも、今は栄養補給だ。もっと筋肉もつけたいしな」


セロは今までの鍛錬で年不相応の筋力を手に入れている。だが、力はあって困るものではない。心素での強化は可能だが、素の肉体のコンディションも戦闘力に直結する。戦意や判断力、意志の源は身体から生じるものなのだから。


「その分、金がかかりやすがね。ま、賞金首を狩るか、ちょっかいをかけてきた奴を返り討ちにすれば貯まりますか」


「舐めた奴を打ちのめした分、俺たちの名前も売れる。そうだろ、ナズナ?」


セロの呼びかけに、ちょうど食べ終えたナズナがこくりと頷いた。


立ち上がり、会計を済ませた店を出る。先頭にはセロに、後ろはゴサクで、ナズナを守る陣形で一行は繁華街の中を進んでいった。


「打って出なかったら負ける。でも、ヤケクソになるのはもっと駄目だ」


「二度と負けないために?」


「勝つためにだ。報いは受けさせる、絶対に」


ナズナが強い言葉で宣言した。仮称・元アスラ会というチームのトップに相応しい眼光だった。街に出ることも、これからの方針のことも全てまとめたのはナズナだった。セロとシャンにとっては予想外だったが、ナズナは子供とは思えないほどの策を考えられる頭を持っていたのだ。


本人は「これでも英才教育を受けてたんたぜ」と不満顔だったが。


それでも、初対面の時のような弱々しい印象はどこに行ったのやら。彼女が何を想い、どう変わろうと決めたのか。根掘り葉掘り聞いた訳ではないが、セロはナズナの心境の変化に至った経緯を察していた。つまりは、復讐だ。


だが、相手が強大過ぎた。ナズナが最初に告げたのは、このままではジリ貧になるということ。金も数も縁も少ない自分達が善戦した所で、敗北は免れない。戦える人間はセロ一人だからだ。50人に一斉に向かってこられればセロとはいえ全てを対処するのは不可能になる。


シャンという最終防衛ラインを越え、ナズナの所にまでたどり着かれた時点で自分達の希望は潰える。そうなる前に人員を増やすべきだというナズナの主張はわかりやすく、最もな内容だった。


だから、街に出た。狙いは3つ。


――複雑な理由があったのだが、面倒くさがったシャンに「3行でまとめて」と言われたナズナは、簡単に説明を始めた。


「1つ、戦力を集めるため。アスラ会はここに在ると、生き残りに報せる」


祭り喧嘩は派手に盛大に、誘蛾灯のように集まってくることを期待して。


「2つ、ぶっ倒す相手の情報収集。これ以上群れられたら鬱陶しい」


知らなかった、は通じない。把握した上で徹底的に潰すために、街の今をこの目で見る。


「3つ目の“ケジメ”については―――思った通りにいきそうだ」


一行は立ち止まった。通りの向こうから歩いてくる集団を見て。


“忌名”という漢字を変形させたバッジを持っている、どいつもこいつも人相が最悪だ。それが、セロが初めて見るイムナ会の正規組員の印象だった。


そして、言われずとも理解した。先頭に居る、スーツを着た中性的な優男。あいつが、イムナ会のナンバーツーであり、目下のところの最大の敵であるということを。


「―――よう、おチビちゃん。残念ながらちっちゃなトンネルの開通式とは行かなかったようだが」


「ぬかせ、腐れエセホスト。掘られて成り上がったてめえと一緒にすんなオカマ野郎が」


開口一番、笑顔での言葉の叩きつけ合い。初戦はナズナの勝利のようで、優男――リュウキの顔が怒りに歪んだ。無意識に出た心素が、周囲の風景を歪ませていく。


ナズナは動じなかった。震えている手は後ろに、それでも背筋は真っ直ぐにしてリュウキの恫喝を受け止めていた。


舎弟であろう男達もにわかに殺気立つ。その中で、リュウキはポケットから取り出したタバコに火を点けた。


「……ドブネズミのようにゴミ箱を漁っていたゴミ拾いが、短期間で変わったもんだ。虎札ぁ手に入れた所で狐に転職できたつもりかよ、ガキ」


「はっ、私は今でもネズミのままだ。ただ、が相手ならネズミで十分だろ? それに女狐呼ばわりは勘弁だね。どこかの誰かに間違われる」


迷いなく、ナズナは応じた。色々と知られていることを察しながらも、それがどうしたと言わんばかりに胸を張って。リュウキは、くっくっくと掠れた声で笑った。


「く、ハハ。ああ成程――もう退くつもりはねえのか」


煙を吐き出しながら、リュウキが面白そうに笑った。バカにした様子はなかった。ただ、敵を見つけたことを嬉しそうにしていた。


騒ぎに気づいた人間が集まってきている。こういう事にめざといのは、ミナミ特有のものか。リュウキは大勢に見られている中で、関係ないとばかりに告げた。


「宣戦布告、確かに受け取った。ウチの姉御に伝えとくぜ……まあ、まともな殺し合いになると良いな」


「奇襲を仕掛けてきたアンタ達が言うセリフじゃないね。ああ、怪我をしたお仲間の加減はどうだい?」


「ああ、な」


そう告げたリュウキは、セロ達にあるものを見せた。


ナズナは分からず、訝しむ。その中でセロだけは、その拳大の鉄の塊が誰のものなのかを察していた。


「……トクアン兄弟は。あいつらは、生きていたのか」


「殺し損ねた半端野郎はてめえか。心配するな、後始末はきっちりとつけといた」


リュウキが嗤った。セロは、何も言わずその顔を見た。


ここでの殺し合いはご法度だ。もしかしなくても総スカンを食らう、ミナミの街総勢で襲われる事態になる。なのでセロは目の前の男の顔を心に刻んだ。胸中に湧き出たのは、怒り。敵であった者が何を、という自覚がセロにもあったが、腹を立てる自分と、煮えたぎる血の意志に任せて誓った。


同時に、戦技者としてのセロが観察する。男の振る舞い、様子、構え。直感的に、セロは言葉を口に出していた。


「そんなに好きなのか? ――弱いものイジメが」


「な―――っ!?」


ざわついたのはリュウキの舎弟達だった。リュウキだけは、反応しなかった。ただ、表情が変わった。それまでとは圧倒的に異なる、虚無を映したかのような無表情。遊びではない殺気が漏れ出たのを感知した瞬間、セロは完全な臨戦態勢に入った。いつでもナズナを庇える位置で、重心を落とす。


まさか、と周囲がざわめく中でセロは待ち続けた。だが、戦闘にはならなかった。リュウキが殺気を引っ込めたからだ。それでも、凍りつくような寒気を感じさせられるリュウキの、ガラス玉のような2つの目はじっとセロを捉えていた。


間もなくして、リュウキは何も告げないまま舎弟を引き連れて去っていった。


「……一応はこれで3番目の狙いである“ケジメ”―――今からお前達と抗争をする、という布告は済みましたが」


あとは繁華街の外で、必要となれば殺し合うだけになる。ゴサクの言葉に、セロは頷いた。激しい戦いになろうとも異論はない、むしろ望む所だった。


気に入らない相手の堂々上位にランクインした男に、どうして手加減をしようと思うのか。あのリュウキという男はただでは済まさないと、セロは新たな誓いを立てた。



「それじゃあ、次に……どうしたナズナ」



なに、腰が抜けた?













「恥ずかしい……」


「こっちのセリフだ。……ナズナは軽すぎるな、もっと肉をつけた方が良い」


「お前、デリカシーって言葉は知ってるか?」


「生憎と育ちが悪くてな」


ナズナを横向きの変形抱っこにしながら、セロはとあるマンションの階段を昇っていた。ナズナは、複雑そうな表情をしながらずっと文句を言い続けていた。


「ほんと冗談じゃねーよ。いきなり殺し合いが始まると思ったぞ」


「それでも逃げなかったのはナズナだろう。後ろに控えていればそう成らずには済んだというのに」


「うっさい。この役割だけは誰かに譲っちゃなんねーんだよ。筋かどうかは知らないけど、雇った余所者に後を預けるだけなんて、出来るもんか」


セロに慣れたからか、ナズナは砕けた話し方になっていた。セロはナズナの返答に対してそういうものかと頷きながら歩くと、目的地である部屋の前で立ち止まった。


尋ねるまでもない、ここだ。セロは部屋の中から感じる心素の塊を前に、どうしたものかと悩んでいた。物騒な気配、臨戦態勢であることを隠そうともしていない。そして、気配があまりにも異質だ。空っぽというのか、人間である気がしない。


治ったのか、ナズナが床に降りる。困惑した顔で、首を傾げた。


「どうしたんだ? あ、ノックなら私が――ー」


「待て!」


セロはナズナの肩を掴もうとするが、一歩遅かった。


そして、間一髪だった。何かを突き破る大きな音―――剣だ。扉の向こうからこんにちはしたその切っ先は、ナズナの顔の前数センチの所で止まっていた。へなり、とナズナの腰が再び砕ける。ため息と共に、ゴサクがあのバカと舌打ちをした。


「……誰が心配ない、裏切らない強い味方だって?」


「その分、融通が効かないという話でさぁ。おい、カスミ! 出てきゃあがれこの亡八のクソ人形がぁ!?」


吹き飛ばされた扉に、下敷きになるゴサク。


そこで、セロは見た。黒髪を切りそろえた、あまりにも整えられた容姿を持つ女を。服は洋風でヒラヒラとした―――拾ってみた雑誌には「メイド服」を書いてあったような気がする―――衣装をまとい、無表情の女は静かに全員を見回した。


シャンは早々に障壁を展開して引きこもっている。セロはため息を1つ、ナズナを庇う位置に立った。女は、変な音を立てながら腰を抜かしてへたりこむ少女を見た。


「……ナズナお嬢様。お久しぶりでございます」


「あ、ああ。そっちも大丈夫そうだな」


「稼働には影響ありません。しかし、お嬢様がこちらに来られたということは――」


「オヤジは死んだ。イムナ会に殺されたんだ……カスミ」


「……分かってはいたことです。何も心配ありません」


カスミは頷き、告げた。


「つまりは、討ち入りですね? かの愚かなイムナのクソ共を徹底的に焼き討ちしてひき肉にして大和川にばら撒くと」


「えっ。いや、違うけど」


「……どうしてですか? いかにも殺し屋なチンピラと罠担当の娼婦、賑やかしの若頭に陣頭指揮を取るナズナお嬢様。準備は万端じゃないですか、流石です」


「ち、違うって! いや、セロ、勘違いするなよ私はそんなつもりじゃなくて」


わちゃわちゃとするナズナを見て、セロは理解した。ナズナの父が抗争に参加させなかった理由を。慌てて説明をするナズナの話に頷きながらも、殺気が収まっていない。イムナ会に向けられているのだろうそれは、あまりにも鋭く尖っている。死ぬまでは決して退くことは出来ないという覚悟が透けて見えるほどに。


これは、手に余る。それでも頑張るナズナに助け舟を出そうとしたセロに、カスミは視線を向けた。


「分かりました。つまり、中核戦力がこの男だけでは不安があると」


「そ、そうなんだ。いやカスミも強いけど、二人だけで全員を潰すのは厳しいと思って」


「……ふむ。では、失礼を」


宣言の後に、踏み出す足音。ヒビの入ったコンクリートの上には女物らしい美麗な革靴。だが、突き出された拳はあまりにも似つかわしくないものだった。


――衝突音が2つ、響く。


あぜんとするナズナ達を他所に、セロは無表情のままカスミを睨み返した。


拳で逸らさなければ明らかに目を潰されていた一撃について。そして、股下への蹴り上げ。掌で受けなければ急所がひどいことになっていただろう。


どういうつもりだという視線での問いかけ。


カスミは、満足した風に頷きを返した。


「期待以上です。てっきり剣で返してくると思いましたが」


「雇い主の許可があればそうしたさ」


「狂犬の類でもない。ふむ、お嬢様は人を見る目があるようですね」


「そ、それについてはオレの手柄というか」


「おや、生きていたのですかゴミクズ役立たず


「ねえ今どっちにしても酷すぎること言わなかった?」


「マイナスにマイナスをかければプラスになる。1つ賢くなれましたね?」


無表情に拍手するカスミ。ゴサクはこのクソ人形、と呟いた。


いや、本当に大丈夫なのか。最もな疑問を抱いたまま、セロは拠点へと帰ることにした。


















「崩壊前に開発された、人工生命体アンドロイド? 知ってるよ、勇者連合の中で聞いたことがあるから。遺跡の一種として扱われてるらしいね」


「そうらしい。俺の目には、人間にしか見えなかったんだが」


夢の中、アスカは鍛錬のための体術の型を繰り返しながら聞き返した。


セロは最上位のゴブリンを、というかもうオーガにしか見えない仮想的を前に剣の型を試していた。


「何度も思うけど女タイプってどう考えてもそういう用途……というのは置いといて。あの時代でも、非合法極まる存在だね。ま、取り締まりをする治安組織が根こそぎに壊滅した今となってはそれがどうしたって話だけど」


「そんなものか」


「悪を悪と定めるには手続きが必要だったから。それで、そのカスミさんは強いの?」


「素の筋力なら厳しいが、心素で強化すればどうとでも出来る。今のアスカなら、十分勝てると思うぞ」


事実だけを告げるセロに、アスカは乾いた笑いをこぼした。恐らくは第三次世界大戦後に開発されたであろう、人間を相手に単騎もしくは数騎で無双するのを目的に開発された機械仕掛けの兵士。であろう相手に勝利を保証される自分は、どこまで強くなったのか、なってしまったのか。


アスカは軽く現実逃避をしながらも、人形を憐れんだ。気がつけば、世界は化け物だらけになっていたのだから。


「朱羅セイヤに助けられたようでな。彼には忠誠を誓っていた」


だが、抗争時にセイヤはカスミを戦線から外れさせた。その理由を、セロは分かるような気がした。あれは一度スイッチが入ると、何があろうとも目的を遂げるまで止まらない暴走列車だ。血塗れになりながら血の池を作り続けて、最後は諸共に爆散するだろう。


アスカは頷き、そうなるでしょうね、と頷いた。


「負けた場合、残るのは恨みいっぱいの敵と遺されたナズナと構成員。勝った所で抱えるのは被害甚大な子分と、厄介な兵士を暴れさせたという印象最悪かつスタボロのアスラ会。……最悪の結末よりは、と考えられる頭は持っていたのね、そのセイヤって人は」


「若頭もそう言ってた。それでも俺たちは戦いたかったと、不満そうだった」


だが、結末は目に見えている。それを許容できるようなトップが、アスラ会のような下から慕われる組織を構成できる筈がない。死なせたくないと思ったからこそ、セイヤは態と死を選んだのかもしれない。


「救いのない話だ。無情な親分だったら、仲間の死も必要だと割り切って新たなものを得られたかもしれないのに」


「でも、その方法を取るような男を親分と言いたくはない。世の中は上手く回らないね、良い人ほど損をするように出来てる」


いつも得をするのは悪党と決まっている。生き延びたければ稼ぎたければ、人の道を外れるのが道理なのだろう。アスカはその考えを肯定したくなかった。甘い弱いと罵られようと、みっともない“塊”になってまで生きる意味を見いだせなかったからだ。恐らくは、朱羅セイヤという男も。


「……人形さんが慕うほどだからね。立派な人だったんだと思うよ」


連合で聞かされた、“勇者戦争”――大空白の後、魔物に追い回されるだけの存在に落ちぶれていた人間が、自分たちの尊厳と生活圏を取り戻すために戦った、新時代における最初の大抗争。


その中に人形の姿も在った。10数人居た異世界からの帰還者の中でも、人格者の命令にしか従わなかったという記録が残っている。


「勇者戦争か……何度か、奪還戦争という単語は聞いた覚えがあるけど」


「組合にとってはそうでしょうね。勇者しか戦っていないように聞こえるから」


異変後から30年の間は、人間が餌でしかなかった時代。地元の府民や当時オオサカに居た外国人だとか関係なく、平等に蹂躙された。そこに勇者達は降り立った。心石という、人間だけにしか扱えない奇跡のような道具を土産にして。


戦えるものがかき集められ、好き勝手していた魔物を相手に始まったオオサカ全土で繰り広げられた戦争を経て、人は“かつて当たり前だったもの”を取り戻そうとした。


最終的に、人類は生きる場所を作り出すことが出来た。望む全てを取り戻すことはできなかったが。


「で、その後はお約束だね。人間同士の争いが始まった」


「……そういうものなのか?」


「何度も物語にされるぐらいの定番だね。それぐらいに当たり前のことなんだよ、自分だけが得をしたいという感情は」


それから色々あって、地元密着型の“組合”と、勇者や帰還者の縁者や血縁、抗争時に勇者に味方した者達で構成された“連合”に分かれた。


「1割ほどは異世界へと渡ったみたいだけどね」


「……苦労するのはわかっているだろうに、大勢が残ったんだな」


「気持ちは分かるよ。だってオオサカだもん。この街が嫌いとか好きだとかじゃなくて――」


アスカは言葉にしようとして、出来なかった。ただ、ハッキリと断言できる感情があった。より良い場所であることが分かっていても、賢くなれなかった人が想う悩みは、正しいかどうかで語れるものではないのだ。


故に、結束力は強い。連合は外部からの干渉をとても嫌う傾向にあった。拾われてからアスカが実感したことだ。その上で、内部での争い―――序列を極端に気にする人間が多いことも。


「そういえば、下級勇者という単語を聞いたんだが」


「あ、それ本人達の前で言っちゃ駄目。マジで殺しに来るから」


1~30位、10位ごとに分けられた階級。上級、中級、下級というのは昔に組合の誰かが名付けたもので、連合は認めていない。もちろん、当代のランカー達もだ。


「それに、下級とはいえランカーっていうのは本当に大きい意味合いを持つみたい。30位になるだけで一族か一門総出の大宴会っていうぐらいの狭き門だって」


「……そうだな。30位とはいえ、あのタケシという男は強かった」


最低も10年、積み上げられたものを感じさせる頑強な技と拳。何かを上回なければ勝てないと思わせる、力と執念。それを察せず外から見下されれば、怒らない理由はないだろう。そう呟くセロに、アスカは満足そうに頷きを返した。


「人間性がクソな奴もいるみたいだけど、だからって勝手に勝った気になるのはね。それよりも技とか長所を盗む方が有益だよ」


それ、ちょっと自分の感想とは違う。セロはそう思いつつも、前向きというか頼もしい姿に感じ入るものがあった。


「ナズナも、アスカぐらいの男らしさがあればな」


「……セロくん? 今なんていった?」


「アスカは雄々しく、凛々しいと思った」


尊敬を前面に押し出した声色で、純粋な瞳だった。乙女として怒るべきか照れるべきか迷ったアスカは、取り敢えずとローキックを放った。


5秒後、そこには脛を抱えて地面を転げ回るアスカの姿があった。


「危ないぞ、アスカ。それと予備動作が見え見えだ」


「うっさい10歳児! もう怒ったんだから」



それから二人は30分ほど戦ったが、アスカはセロから1本も取ることが出来なかった。成長したつもりだったアスカは悔しさに突っ伏し、全身で息をしながら無言のまま。セロは、その姿を見下ろしながら戦慄していた。


(危なかった。とんでもなく早くなってるな、この短期間で)


成長期なのかもしれない。これはうかうかしていられないと、セロは鍛錬を始めた。実力に劣る者が、いつまでも同じ場所にいてくれるとは限らない。それを痛感し、自分もそう在りたいと感じたからだった。


弱いことは、負けていい理由にはならない。セロがその理屈に気づいたのは今日一日、弱くても熱意を目に宿し、走ろうとしている銀髪の少女の姿を見たからだった。


何が切っ掛けなのかは分からない。だが、薄汚れていた敗北者は恐怖に震えながらも何度も立ち上がった、美しい少女になっていることだけは純然たる事実だった。



復讐者という意味では、その行く末を見届けたい。


興味を深めたセロは修行の密度を高め、その姿を見たアスカもまた文句を言いながらも付いていこうと、立ち上がって鍛錬を始めた。



そんな二人の姿を、横に控えていたゴブリンが満足そうに眺めていた。



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