童心ファイティング・ソード

雪椿

第1話

 茹だるような暑さ、アスファルトからの強い照り返し。ジリジリと焼かれる肌の上を汗の珠が滑り落ちていく。

 目の前に聳え立つ横須賀アリーナを俺たちは二人で見上げた。

 俺は三浦みうらそら、小学六年生。一緒にいるのは越野こしの大雅たいが。俺たちはチャンバラ道場『飛翔館』に通う同じ年の門下生だ。


「遂に来たな。空には負けないからな!」

「はぁ? 俺が優勝って決まってんの。大雅なんかお呼びじゃねーし!」

「寝ぼけてるの? 優勝するのは僕だけど?」

「それはお前だろー? さっさと横になって優勝したーなんて夢見とけば?」


 ニヤニヤと笑いながらの掛け合いは試合前のお約束。だってどっちも優勝つまり金メダルを狙ってるんだし。

 高揚感を抱えて、俺たちはアリーナに入った。


 ——俺は小さい頃から長い棒を振り回すのが好きだった。外で拾ったいい感じの木の棒とかサランラップの芯とか。

 幼稚園の時に百均でおもちゃの剣を買ってもらってからは、家の中で一人見えないナニカと戦っていた。

 小学校に上がってもそれは変わらず、家で剣を振り回して、なんならソファーからジャンプまでして、カレンダーや壁掛け時計を落としては母さんに叱られた。

 時計を落とした事は悪いとは思ってる。でも、俺は敵と戦っていたんだ。そこは分かってくれ。

 毎日がそんな感じで、ひたすら見えない敵と戦い続ける俺に、両親はぴったりのスポーツを見つけてきた。


 それがスポーツチャンバラ。略してスポチャン。子どものチャンバラごっこと小太刀護身道を融合した競技だ。

 基本のルールは至ってシンプル。7×7メートルのコート内で相手の体のどこを打ってもいいけど、自分の体のどこを打たれてもいけない。つまり、背中を狙ってもいいって事だ。

 年齢だって園児からおじいさんまで幅広い。

 面を被るけど、剣道のように決まった道着や防具はない。Tシャツ短パンでも、なんならスーツでしてもいい。

 手に握るのは竹刀ではなく、得物えものと呼ばれる空気で膨らませたエアーソフト剣。その得物も短刀、小太刀、長剣、杖、棒、長巻と種類も多い。

 剣の種類別で種目が分かれているけれど、合戦になったら得物も自由。知略謀略なんでも有りなのがまた楽しすぎるんだ。


 母さんに連れられて、生まれて初めて足を踏み入れた道場という場所。繰り広げられる熱い打ち合い。響く気合の入った声。そして、面の向こうにある楽しそうな顔。

 こんなの見て、ワクワクしない訳がないだろ!


「ヤンチャそうな顔、見ーっけ」


 夢中になって見ていた俺が面白かったのか、そう楽しそうに声をかけられた。

 脇に抱えた赤い面、自己主張の激しい派手なTシャツ、白い道着のズボン姿のその人は、飛翔館の飛騨ひだ翔太しょうた師匠。

 軽そうな見た目に反して、過去には世界チャンピオンのタイトルを獲った事がある実力者だ。

 師匠は俺に目線を合わせるようにしゃがむと、またニッと笑った。


「初めまして。俺は飛騨翔太、ここの先生だ。君の名前は?」

「みうらそら、いちねんせい」

「そら。こういう剣は好きか?」

「すき!」

「お、いい返事。じゃあ、一緒にチャンバラやるか?」

「やる!」


 小学一年生の春。見学に行ったその日に、俺は入門を決めたのだ。


 それから五年。道場ではもちろん、俺は家でも剣を振り続けた。

 礼儀を教わり、型を覚えた。

 試合相手と対峙して、臆せず攻める勇気を持った。

 負けて自分の弱点を知って、どうすれば勝てるか考えるようになった。

 先輩に綺麗に入れられた一本が、あまりにも速くて、痛くて、泣いた時だってあった。

 負けが続いて、大雅のアドバイスを聞き入れられなくて喧嘩した時もあった。

 師匠から一本が取れなくて、悔しくて苛立った数なんか数えきれない。


 それでも、家で一人おもちゃの剣を振り回していた時とは違う。


 全力で剣を振り、ぶつかり合える仲間がいる。

 スポチャンだけじゃなく、敬語や礼儀、人としての指導してくれる師匠や大人がいる。

 試合で老若男女、なんなら国籍だって飛び越えて沢山の人と出会える。


 スポチャンは家の中で暴れるだけだった俺の世界を一気に広げてくれた。

 そして、今——2020年夏。俺は全国選手権大会に挑む。


 背中に力強く羽ばたく翼と白字で大きく飛翔館と書かれた黒のTシャツ。白い道着のズボンの紐はギュッと締めて気合を入れておいた。面を被って深呼吸をする。

 ——俺は、勝つ!

 ここからは年齢も男女も関係なし。先ずは小太刀、七級八級の部。


「赤、三浦選手。白、田中選手。前へ」


 名前を呼ばれて小太刀を持ってコートの中へ入る。対戦相手の背の高さは俺と同じくらいだ。紅白の旗を持った審判が三人と沢山のギャラリーに囲まれて、いざ尋常に勝負!


「構えて」


 審判の声に従い、小太刀を持った右手を前に出す。左手は腰に添え、右足を半歩下げた。


「始め!」


 開始と共に、少し間合いを取る。剣先を相手に向けて、いつでも動けるようにステップを踏みながら右方向に動いていく。目は相手に向けたまま、決して逸らさない。

 田中がすぐに仕掛けてきた。力強く一歩を踏み出すと、面狙いで右腕を横に振ってくる。

 俺はそれを迎え撃つ。力んだ足が床との摩擦でキュッと鳴いた。腕を下から上へ振り上げて田中の小太刀を弾き返す。そのまますぐに手首のスナップを使って、狙うは田中の左肩。


「肩ー!」


 パァンと響く小太刀が当たる音。バッと上がる三本の赤の旗。元の位置に戻って剣を構えて待つ。


「肩取ります。礼!」


 迷わず上がった三本の旗。審判に認められた一本。綺麗に入った一撃に、面の下で顔がニヤつく。

 コートの外に出ると、大雅が近づいて来た。


「空、やったな! 綺麗に入ってた!」


 全力で褒めてくれる大雅。お前本当良いやつだな!


「へへ、サンキュー! 次も勝つぜ!」


 大雅とハイタッチをして、俺は二回戦に臨む。


「赤、井上選手。白、三浦選手。前へ」


 呼ばれて再びコートの中へ。今度の対戦相手は俺より体格がいい。

 ——上等! 絶対俺が勝つ!

 気合は充分に、腹に力を入れて小太刀を構える。


「構えて……始め!」

「オラァ!」


 開始早々、井上は荒々しく声と足音で威嚇してくる。ドン、と踏み鳴らされる足。ブン、と牽制するように振られる小太刀。

 それでも、俺は焦らない。こんな奴のプレッシャーなんて師匠に比べたら屁でもない。剣先を井上に向け、ステップを踏みながら隙を窺うが、中々見つからない。勿論その間も井上は威嚇を続けてくる。

 俺が攻めてこないと思ったのか、一瞬だけ井上の視線がコートの外にいった。

 ——今だ!

 その瞬間、俺は仕掛けた。キュッと足踏み締め、前に出る。けれど、右から胴を狙った一撃は僅かに届かない。井上もすぐに反応して面を狙ってくる。だが、それは焦りが反映された大振りだ。その剣先を上体を後ろに反らすことで避ける。

 ——胴がガラ空き!

 上体を戻すと同時に左上から胴に向かって小太刀を振り下ろした。


「胴ーっ!」


 パァン! と一回戦よりもいい音がなる。けれど一本じゃない。旗は審判の体の前で何度も交差し、無効を示す。そう、俺の小太刀が当たったのは井上の小太刀だ。

 ——くそっ!

 すぐに後ろに下がって距離を取った。すると、今度は井上が攻めてくる。上から面に向かってくる小太刀をすんでの所で防ぐ。小太刀同士がぶつかるパーン、と乾いた音が響いた。視界の端で揺れる無効を示す紅白の旗。

 ——重っ!

 体格のいい井上の腕力に物言わせた一撃は、小六の平均身長の俺には重い。だが、井上はすぐにまた打ち込んできた。今度は右からの面狙い。それを小太刀で打ち返して距離を取ろうとするが、俺の力が弱かった。打ち合った音が軽い。

 ——ちっ! 浅い!

 井上は弾き返された小太刀を肩で止めると、そのまま刺すように動く。正面に迫る小太刀の剣先。その横っ面を殴るように叩きつけて、バッと後ろに下がる。

 ——危ねぇ

 互いに距離を取って睨み合う。膠着状態に小太刀がぶつかり合う乾いた音もなくなった。

 じっとりと体に纏わり付く熱気、手の平や足に滲む汗、加速する心音。攻めあぐねている俺たちに、喝を入れるようにギャラリーの声援も熱くなっていく。


「あと三十秒」


 無情にも制限時間を知らせる声が聞こえる。

 ——俺は勝つ。だから、攻める!

 迷いを飛ばし、間合いを詰める。汗が滲む足でグッと踏ん張った。体を前に出し、腕を振い右から胴を狙う。だが、これは井上が横に薙いだ事で阻まれた。

 ——舐めんな!

 俺はそのまま左下に振り切る前に腕を止めて手首を返す。そして、素早く右下に打つ。

 でも、井上だって動きを止めた訳じゃない。俺の面に小太刀が迫る。


「足ぃぃぃ!」

めーん!」


 パァン、と聞こえた剣の当たる音。得物を通して伝わる感触。上げられた旗は——。


 日射しから逃れたコンクリートの上に寝転ぶ俺に、蝉の鳴き声が降り注ぐ。日陰とはいえ吹き抜ける風は生温くて、また肌の上を汗の球が滑っていく。


「なにアオハルしてんの?」

「……してないし」


 寝転ぶ俺の顔を覗き込んできた大雅は、そのまま隣に腰を下ろした。

 井上に僅差で勝った俺はコマを進めたが、結果として小太刀は三位決勝戦で敗退。異種種目の二刀は二回戦敗退した。

 大雅は得意の長剣で決勝まで進んだけど、そこで敗れた。


「悔しいね」

「大雅は俺より進んだじゃん」

「でも、負けた」

「うん……あーあ、優勝したかったなー」


 俺は寝転んだまま、大雅は座ったまま空を見上げる。白い雲と生い茂る緑が空の青に映える。

 二人でボーッと空を眺めていたら、大雅が口を開いた。


「次があるよ」

「うん」

「秋も冬も、来年の春も夏も」

「うん」

「その時の僕たちは今よりも強くなってるから」

「うん」

「次は金を獲る」


 前向きな言葉を吐く大雅に視線を移す。タイミングよく大雅も俺の方を見た。そして腕を上げ、手の平を俺に向けてくる。

 ——ああ、そうだ

 体を起こし、大雅と同じ目線で座り直した。

 ——俺たちには次がある


「当たり前だろ!」


 高い夏空の下、手の平を叩く乾いた音が未来へ響いた。


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童心ファイティング・ソード 雪椿 @YukiTubaki

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