第14話 絶望

「そういえば魔法を使ったらまた魔力集めなきゃならないの?」


 寄り添うように森を進みながら、気になっていたことを尋ねる。進路は高い崖に突き当たり、二人は崖沿いに進んでいた。コルトはいまだしんどそうに、杖をつきながらなんとか歩いている。


「一度自分の魔力にした分までは自然に回復するよ。走って息切れしたみたいなものかな」

「いまは?」

「まだ百分の一くらいかな」


 やはり回復にはそれなりに時間がかかるようだ。いままた魔物に襲われたら、今度こそ終わりだろう。


「魔物、もう来ないかな」

「わからない。でも来てもおかしくない。今日はなんか変だもの」

「変?」

「こんな連続で魔物が出るのははじめて。しかも街のなかや街道で」

「やっぱり魔王の復活が近いから?」

「うん、でもそれだけじゃない気がする。よくわからないけど……」


 それきり会話も途切れ、二人はまた無言で森を進む。先ほどから繰り返される狼の遠吠えが気になる。心なしか距離が近づいている気もする。コルトもきっと気がついているだろう。

 

 それから二刻ほど。空が白み始める頃、不安は的中した。


「……来てる。左の方」


 支えるタンゴの腕を外しながら、コルトが低く言う。


「蛇?」

「ううん、もっと小型。でも速い」


 コルトが言い終わる前に、タンゴの耳にも下草を踏む音が届く。それから低い唸り声も。

 森の暗がりから飛び出してきた最初の影は、その勢いのままこちらに飛びかかってきた。威嚇も牽制も一切なし。タンゴは咄嗟にコルトを抱えて左に飛ぶ。その間に次々と影が飛び出してきた。


森狼ワーグっ!」


 その姿は狼のようだが、向けられる敵意はその比ではない。小型だが目は赤く、大きな犬歯がのぞく口からは涎を垂らし、両耳の後部に開いた穴から紫の煙のような瘴気が吹き出している。

 素早く立ち上がり、すぐに起き上がることもできないコルトを背に剣を構える。


「連携に注意して。さっきの魔力、少しずつ腕に」


 コルトの言葉が終わらぬうちに、飛びかかってくるワーグ。足元を狙ってきた一匹を狙って剣を振り下ろすと、当たる直前にバックステップでかわされる。追撃すべく一歩踏み出す――


「横っ!」


 悲鳴のような声に踏み出しかけた足を踏ん張り、上体を引く。直後、顔の目の前を横から来た別の一体の牙が走った。それをちらりと目で追いかけ、再び足元の迫る影に気づく――ダメだ。俺にどうにかできる相手じゃない。諦めかけたタンゴに、再びコルトの声が届く。


「上っ……何あれ!」


 言われて見上げると、崖の上から巨大な塊が落下してくるのが見えた。落石か。コルトを抱えて横っ飛びに避けながら、考える。この場を打開する幸運なのか――タンゴの束の間の希望的観測は、すぐに打ち砕かれた。

 

 グシャッと数匹のワーグを踏み潰して地に降りたは、ゆっくりと二本足で立ち上がる。ゆうに人の二倍はある岩のような体躯。異様に長く、太い腕。鼻の上から急激に凹む額の下で光る小さな目。下顎から飛び出す二本の牙。側頭部から生える歪に曲がった二本の角。

 間をおかず生き残りのワーグが巨人に飛びかかる。それに対し、煩わしそうに手を振っただけで、壁に叩きつけられたワーグは、原型を留めぬ肉塊となった。


食人鬼オーガ……そんな……」


 コルトの声も、絶望に彩られていた。小さな目でこちらを睥睨する巨人。その目には憎しみも憐憫もなく、ただ捕食対象を見るような無機質な光が灯っていた。


「……ごめんね、守れなくて」


 杖で体を支えて立ち上がったコルトが、タンゴの前に出ようとする。タンゴはそれを押し戻し、剣を鞘に戻す。


「ひとつだけ、試してみる」


 のそり、とこちらに踏み出す巨人。その一歩だけで、ずしりと地が揺れる。タンゴはその恐怖を振り払い、集中する。


 思い出すのは、あの一瞬。ほんの一瞬だけ闇に浮かび上がった、あの赤い魔法陣。目を閉じて思い出す。巨大な円の中に描かれたさまざまな記号、文字とも認識できぬような複雑な古代文字。そのすべてを頭に描きながら、両手を突き出す。


 二人を叩き潰すべく振り上げた食人鬼オーガの両腕が、爆ぜた。肘から先が赤い霧となって消えた食人鬼オーガは、それでも止まらずさらに進む。一歩、二歩。そして地響きとともに膝から崩れ落ちた。恐る恐る確認すると、顔の右半分も消し飛んでいた。


「なんで……」


 目と口をまん丸く開いて驚愕するコルト。


「ふう、できたわ。やってみるもんだね」


 軽口を叩くタンゴだが、体は限界だった。今の一撃で体の中からごっそりと何かが抜けた感覚がある。目の焦点が定まらず、思考も安定しない。気を抜くとその場にへたり込んでしまいそうだった。


「なんでできるのよ!」


 気を取り直したコルトがタンゴに詰め寄る。


「さっき見たやつ、真似してみた」

「さっきって……仮面の男のこと!? あんな一瞬で、あんな複雑な陣を!? 嘘でしょ!!!」


 興奮でヒートアップするコルトだが、タンゴは返事をするのも億劫だった。膝の力が抜ける。目を閉じてしまいたくなる。


「とりあえず、休んで良い?」


 言われてコルトは、改めて周囲を見回した。とりあえず目の前の危機は去ったようだ。だが今日のことを思い返してみると、安心してはいられない。とにかくこの場を離れるべきだ。


食人鬼オーガの角だけ切って行こう。高く売れるから。あとはもちろん魔力も」


 さっきの爆発魔法が発動できたのは、ニーズヘッグから吸収した魔力のおかげだ。いまのへたりぶりから考えて、本当にぎりぎり魔力が足りたのだろう。先のことを考えると、魔力は少しでも増やしておきたい。

 コルトに促されて、食人鬼オーガの死体に触れて魔力を吸収する。その間にコルトは短剣で角を切り取ろうとしているようだ。ドクン、と強大な魔力が流れ込む。そのまま胸の中心に凝縮された魔力は、燃えるような熱を帯びて、やがて体に溶け込んだ。


「終わったよ、コルトもどうぞ」


 だがコルトは角の採取に手間取っているようだ。手伝おうと懐から”ハジムの短剣”を取り出してコルトの側にしゃがむ。その手元を目にしたコルトが目を見開く。


「何、それ?」

「ん? これ? 別れ際にハジムさんからもらったやつだよ」

「見せて」


 ひったくるように短剣を取ったコルトは、ぼんやり青く光る刀身を見つめる。それから口の中で何か小さく唱え、剣を月明かりに翳す。


「呪い……魔物…寄せ……」


 呆然と呟くコルト。その不穏な言葉に衝撃を受ける。魔物寄せの呪い。今日の狂ったような魔物の襲撃はすべてこれのせいだったのか。ニーズヘッグもゴブリンもワーグもオーガも、すべてこの短剣が呼び寄せていたのか。ならば宿場が壊滅したのも、ガラムが命がけで戦ったのも、すべてこれのせいだったのか。いや、これを持っているタンゴのせいだったのか。


「違う。あなたのせいじゃない」


 タンゴの衝撃を察知したコルトが言う。それから再び小さく何かを唱えると、短剣は薄い紫の光に包まれた。


「ここに埋めて、すぐに離れよう」


 二人で深い穴を掘って短剣を埋めると、すぐに東に向かって歩き出す。体力は限界だったが、二人ともただ黙々と歩いた。声を出すと、いろいろな思いが溢れ出しそうだった。

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剣と魔法と勇者と魔王 @dd55

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