第13話 連戦
支えたコルトを引きずるように街道を北上する。避難民は王都方面へ誘導されたのだろう、周囲には人影はない。月明かりが照らす街道を、二人はただ黙ったまま、可能な限りのスピードで進む。振り返ればきっとまだ、夜空を赤く染める炎が見えるだろう。見てしまえば辛くなることがわかっているから、ただ前だけを見つめ続ける。月が中天を越え、やがて森の陰に姿を隠しても、二人は立ち止まらずに歩き続けた。
街道は左に大きくカーブし、両側に森が迫ってくる。薄暗い足元に注意を払いつつ、慎重に歩みを進める。どれくらい過ぎただろうか。タンゴに寄りかかるように歩くコルトの体力も心配だ。少し休憩を取るべきだろうか。そう考えていると突然、コルトの足が止まった。
怪訝そうに見つめるタンゴを目で制する。その表情が徐々に険しくなる。血の気が引いて見えるのは、おぼろげな星明かりのせいばかりではないだろう。それから、低く抑えた声で、宣告する。
「左から敵襲。たぶん狙われてる」
言われて耳を澄ます。左手の森から小さく、枝が折れる音が聞こえる。やがてその音は大きくなり、はっきりと耳に届き始めた。小さな枝の音だけではない。ミシミシと巨木が軋む音や地響き、そして――信じたくはないが、巨大な質量が地面をこする音も聞こえた。先ほど散々耳にした、巨蛇の進行する音だ。かつては存在さえも疑われていたという神話級の怪物。そんな大物が日に四度も目の前に現れることは、あきらかに異常事態だ。だが今はそんな理由を追求している余裕はない。
「魔法陣描くから時間を稼いで。チャンスは一度きり。失敗したら二人とも死ぬわ」
「やってみる」
やがて木々の上に伸びる巨大な影も見え始めた。間違いない、再びのニーズヘッグだ。だがよく見ると、その体に数本の矢が突き立っている。おそらく新手ではなく、先ほど宿場町に現れた個体だろう。ガラムたちから逃れ、あるいは退け、こちらを追ってきたのだ。
コルトは魔法で灯りを作り出し、懐から一冊の本を取り出すと手早く中程のページを開く。そして街道右手、森との境目の地面に、本を見ながら魔法陣を書き始め――しかしすぐにその手が止まる。
「ダメだ、小物もいる! 時間稼げない!」
はじめて聞く悲鳴のような声だ。急いで左手を見ると、木々の間に無数の小さな影が行き交っている。巨蛇だけでなく、ゴブリンたちもやって来たのだ。殺到するゴブリンたちを制する力は、タンゴにはない。
「逃げるよ、こっち!」
コルトはタンゴを手招きし、右手の森に向かう。その足取りは見るからに弱々しい。森に入ったところで、すぐに追いつかれることだろう。だが他になにも思いつかない。最早ここまでなのか。
森のなかから最初の矢が飛来し、街道に当たって硬い音を立てた。その矢を皮切りに、次々と矢が飛ぶ。続いて一匹のゴブリンが森から飛び出し、キィキィと耳障りな声を発する。森のなかから呼応するように無数の声が返る。メキメキと木々をなぎ倒す音は、もはや轟音だ。
タンゴはコルトを引きずり、一本の巨木の後ろに逃げこむ。決断するしかない。ひと息でも長くここを守り、一匹でも多くゴブリンを倒す。そして少しでも、コルトが逃げる時間を稼ぐのだ。
「逃げるんだ。できるだけ遠くへ」
コルトに告げ、返事を聞く間もなく木の陰から飛び出す。目の前にはまさに、絶望としか言えない光景が広がっていた。森の前に散開するゴブリンは五十匹はいるだろう。その後ろには、見上げるようなニーズヘッグの巨体。どうあがいても、最早助かる道はなさそうだ。
だがやるしかない。剣を抜き正眼に構え、大きく息を吐く。ゴブリンたちが矢をつがえ、一斉に放つ。巨蛇は一度伸び上がるように鎌首を上げると、そのままこちらに振り下ろす。放物線を描く矢と、こちらに迫り来る鎌首がやけにゆっくりと感じられた。
その時。
街道に一陣の風が吹いた。吹き飛ばされるような突風は無数の矢の軌道をあらぬ方向に捻じ曲げる。その行く先を一瞬目で追い、すぐに元の場所に視線を戻すと、目の前にひとりの男が立っていた。
いや星明かりの下の後ろ姿では確かではない。だが、おそらく男だろう。ゆったりとしたローブを纏い、すっぽりとフードを被っているが、背が高くがっしりとした体格であることは窺える。その唐突な登場に一瞬意識を奪われる。だが、振り下ろされる蛇の頭は止まらない。
「危ないっ!」
だが悲鳴に近いタンゴの声を気にかけることもなく、男は無造作とも思える仕草で上に手を掲げる。その手を中心とした空中に、一瞬だけ真紅色の魔法陣が浮かび上がる。半径で男の身長ほどもある巨大な陣だ。そして――
振り下ろされた蛇の鎌首が爆ぜて、消滅した。
直後に耳をつんざく爆発音。それから粉々になった蛇の肉と体液が豪雨のように降り注ぐが、男とタンゴの周りだけは傘のような結界がその侵入を防ぐ。次いで男は右手を地面と水平に振った。それだけで、ゴブリンたちの上半身と下半身が両断された。五十匹はいたゴブリンたちのすべて。一匹残らず、すべてだ。
男が振り返る。男は収穫祭の夜に使う、木彫の仮面を被っていた。フードの下の白い仮面が星明かりの下で亡霊のように浮かび上がって見えた。
「前からも来る。そちらへ逃げろ」
男は言った。仮面のせいだろうか、何かを含んだようなくぐもった声だ。
「あ、あの……」
礼なのか、質問なのか。自分が何を言おうとしているかすらもわからず、だがタンゴは反射的に声をかける。しかし男はタンゴの声など聞こえていないかのように、黙って街道を歩き始めた。いや歩いているように見えるが恐ろしいスピードだ。男の後ろ姿は小さくなり、すぐに夜闇に溶けていった。
巨木の後ろに戻ると、コルトが木にもたれかかるように立っていた。先ほどよりつらそうなところを見ると、きっとまた無理に魔法を使おうとしたのだろう。
「大丈夫か? 今さ……」
「うん、見てた」
「誰だろう、あれ」
「わからない。すごかったね」
危機が去って安心したのだろうか、いつもの柔らかい表情に戻っている。
「でもまだ魔物いるみたいだった」
「うん、こっち逃げろって言ってたね」
二人は同時に進むべき森を見つめる。未だ真っ暗な森は不安を誘うが、あの男が言うからにはこちらの方が安心なのだろう。
コルトに肩を貸し、森のなかを進みはじめる。コルトによれば森をまっすぐ東に進むと数日で低山地帯に入り、そこから尾根に沿って北上し川を越えれば自由都市クレンドルという街に着くらしい。所要期間は障害を加味せずに十五日ほど。クレンドルに着いたら体制を整え、街道を辿って当初の目的であった宗教都市ダリスを目指す。少々予定は変わってしまったが、仕方ない。
森を抜ける旅はおそらく困難を伴うが、タンゴの修業という意味でなら予定通りだ。二人は寄り添いながら、まだ暗い森を進む。遠く狼の遠吠えが、不気味に響く。
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