第三章 発症
第19話「それでは納得できない」
午後、わたしたちが、ミーティングルームを訪れたときには、牧島夫妻と岡嶋はすでに到着しており、わたしと晴人を笑顔で迎えてくれた。
「こんにちは」
「いよいよですね」
この説明会では、本来、エウロパから帰還した宇宙飛行士の今後のスケジュールや、希望する家族には、この後研究所で宇宙飛行士と数週間共に過ごすための説明が受けられることになっていた。
「JAXAは、岡嶋宇宙飛行士の症状についてなにか説明してくれるのでしょうか」
「わかりません。とにかく、私たちからはそれを切り出さないことです」
岡嶋とそう話しているとドアが開き、三人のJAXAのスタッフたちが部屋へ入ってきた。そのうち二人はすでに知っている。
その男の姿を見た岡嶋が目を見張り、息を呑んだ。
「どうしたんですか」
「あ……いや……」
匂坂が、わたしたちに席につくよう促したため、それ以上、岡嶋に尋ねることはできなかった。
「いやだな」
「え?」
その声は晴人だった。入ってきた男を目で追っている。いやって、あの男のことだろうか。
「いやな感じだよ、あの男の人」
そういって幼い顔をしかめていた。晴人がこんな顔を見せたことはこれまでなかった。男は細い身体を黒っぽいスーツに包み、黒縁の眼鏡の奥から冷たい視線をわたしたち一人一人に投げかけている。たしかに嫌な感じがした。
説明会は淡々と進行した。匂坂が進行役となり、荒川がKANATA計画の今後の見通しについて説明するのだが、わざわざここに集まって聞くまでもない。わたしたちが知っていることばかりだった。
「いいかしら」
手を挙げて発言を求めたのは牧島夫人だった。
「さきほどから荒川さんが話してること。もう以前に匂坂さんから伺ってわたしたちは承知していることです。今日は、KANATAの宇宙飛行士――秀人や岡島さんたちが地球へ戻ってきて、どんなメディカルチェックを受け、体力回復のためのリハビリが行われるのか、いつわたしたち家族の元へ帰ってくるのか、その説明を受けられるものと考えていましたが?」
まったくそのとおり。計画の意義や概要など、いままでに何度も聞かされて覚えてしまっているくらいなのだ。いまさら荒川から説明を受けるまでもない。
わたしたちが知りたいのは、いつわたしたちの家族である宇宙飛行士たちがわたしたちのもとへ帰ってくるかということなのだ。たしかに長い旅の果てに地球へ帰還しはしたが、わたしたちのもとへ戻るまで彼らはまだ旅人のままなのだ。
「そうした説明がないのなら、ここにいる理由はないと思いますけれど」
荒川と匂坂のふたりは、牧島夫人の剣幕に答えられずまごついている。JAXAとして、答えにくい質問なことはたしかなようだ。
「牧島さん――」
JAXAの広報担当者の受け答えはしどろもどろで、牧島夫人はかさにかかって不満を並べ立てはじめた。荒川たちの説明は終始、奥歯にものの挟まったようで聞いているわたしたちのフラストレーションは溜まっていく一方だった。
ミーティングルーム内の雰囲気が険悪になってくるのが手にとるようにわかる。牧島夫人の口調はますます険を増してきた。
「JAXAは、秀人には会わせられないとおっしゃるんですか。どうして? しかし説明はしない……では、納得できません」
――おかあさん。
みじろぎした晴人が小さな声で話しかけてきた。
――トイレ。
愉快でない牧島夫人の話は長くなりそうだった。
「我慢できない? そっか」
ミーティングルームを出て、晴人をトイレに連れていったついでに考えを整理してみる。
木星の衛星、エウロパの探査ミッションを終えて6年ぶりに地球へ戻ったKANATAの
わたしたちクルーの家族は、6年ぶりに家族であるクルーたちと再会することができたのだが、昨夜、クルーのひとり岡崎宇宙飛行士が病気で倒れたという情報が入ってきた。KANATA計画にとってマイナスでしかない彼女は病気について、JAXAは説明することができるのか。
形にならないわたしの焦燥も、険のこもった牧島夫人の抗議も、JAXAに対する不信と将来への不安からきているのは明らかだった。わたしの夫、鉄太をはじめKANATAのクルーたちは家族の元へ帰ってくるのだろうかと。
「ハルくん?」
考えごとをしているあいだに、晴人の姿が見えなくなっていた。あわてて男性用のトイレをのぞいてもいない。もちろん、女性用のトイレにも。
ミーティングルームにも戻っていない。トイレ前の通路に戻ってみてもいない。目を離した隙に迷ってしまったのだ。いったいどこに。
「晴人!」
パニックに陥ったわたしは息子を探すために、JAXAの
新しい世界 藤光 @gigan_280614
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