[1-10]ウツギの過去


 本当は今すぐ診療所に戻り父の判断を仰ぎたい心境だったが、なぜか足がいうことを聞かない。なぜかと言いつつ予測はついているが。呪いのトラブルで聞き損ねていたけれど、父はウツギがアサギの『憑依』か『前世』と言っていた。

 困惑した気分で立ち尽くすアサギをロウルはしげしげと観察していたが、やがて隣に来てそっと手を取った。


「ウツギは、母様とぼくがあれからどうなったか、知ってる?」


 アサギには意味のわからない一言が、覿面てきめんの効果を表した。頑として動かなかった足に自由が戻ったのだ。戸惑うアサギをもう一度ソファに座らせて、ロウルも隣にちょこんと腰を下ろす。その様子を見ていたアティスも、向かい側へ座り直してくれた。


「ロウル、君はアサギの中にいる人格について覚えがあるんだね? 無理に聞き出すつもりではないけれど、俺としてはここの首領としても友人の父親としても、事情を知っておきたいな。……話してくれるかい?」

「うん、ぼくは大丈夫。でも、きっと気分が悪い話だと思う。だから、怒らないって約束して」


 濃い宝石の目がうかがうようにアティスを見ていた。一瞬眉を上げたアティスは、さっきまでの言動を思い出したのだろう――苦笑して頷く。


「もちろん、君に憤ったりはしないよ。アサギを怖がらせないように気持ちを抑えるとも、約束しよう」

「アティス様、あの、僕のことは大丈夫ですから」

「ううん、さっきは俺も少し大人げなかったよ。君には何の責任もなく、むしろイリを助けてよくやってくれているというのに。大丈夫、話してごらんロウル」


 優しく微笑み促すアティスの表情に、ロウルは安堵の表情を見せた。そしてぽつりぽつりと話し出す。


「アサギには少し話したけど、ぼくの父は『いにしえの風竜』、母様は魔族ジェマで、朱雀すざくの部族だったの。卯木うつぎは、父様と仲良しな遊び友達で」

「朱雀の部族……というと、君は大陸の出身ではない?」

「うん。元々は和国ジェパーグに住んでいた。父様が討たれ、ぼくも命を奪われそうになって、大陸に逃げてきたの」


 一瞬、アティスの中で感情がぜたようだ。騒ぎ立った精霊たちをしずめるように彼が深く息をつく。アサギのほうはといえば、アティスの怒りを怖いと思う余裕はなかった。自分の中にいるウツギの心がひどく乱れるのを感じたからだ。


……


 アサギの唇を動かして、ウツギが尋ねる。か細い声はロウルに届いたようで、少女は深い色の双眸をこちらに向け答えた。


「父様が最期の魔力ちからで母様とぼくを大陸に飛ばしてくれたの。ぼくは大怪我をしていたし、母様もお金や持ち物をまったく持ってなかったから、大変だったけど……親切なひともいて、なんとか生きていけた」


 自分の声が紡ぐ悔しそうな呟きを不思議な思いで聴きながら、アサギは隣の少女に目を向ける。

 ウツギとロウルの間で共有できていることも、アサギの記憶にはない。自分自身と会話するというのも奇妙な現象だが、心の内側で会話するという方法は取れないらしく、知りたければ口を挟むしかなさそうだった。


「ウツギは、ロウルやその……モミジさん、を捜すために、和国から大陸へ渡ったの?」


 川沿いの市場マーケットでロウルを見たことが、ウツギの覚醒を引き起こしたのかもしれない。少しの沈黙が流れ、アサギの口を借りたウツギが話し出す。


「俺は、ジェパーグのみかどに仕える武官だった。紅葉もみじは俺の幼馴染で、風竜のあおいとは街を遊び歩く仲だったんだ。俺が辺境の視察に行かされている間に将軍が部下を率いて葵を討伐しやがって、帰ってきた時には……全部が終わってた」


 思い掛けない悲痛な告白に、アサギは言葉を失う。もちろん口を出すつもりはなかったが。そっと隣を見れば、ロウルはひざの上に手を揃えて俯いたまま、悲しげにウツギの話を聞いているようだった。


「いくつか、質問してもいいかな?」


 沈黙が降りた場にアティスの穏やかな声が響く。スイが無言で立ち上がり、紅茶のおかわりを持ってきた。質問に答える形で、ウツギの事情が整理されてゆく。


 和国の支配体系についてアティスもアサギも知識がなく正確な名称などはわからないが、ウツギは和国にいた頃、それなりの身分を持つ武官だったらしい。帝と呼ばれる最高権威者が住まう首都の護りを担うナントカ隊のおさだったとか。

 モミジという女性はウツギの幼馴染で、こちらも良家のお嬢様だったようだ。しかし、彼女はお屋敷でおとなしくしているタイプの女性ではなく、ウツギを連れて屋敷を抜け出しては街を散策して歩くのが好きだったという。そんな二人が街で出逢ったのが、人の姿に化けた『いにしえの風竜』だった。


「いにしえの竜が完全な人の姿になれるか、翼や尻尾を残しちゃうかは、その竜自身の器用さ次第なんだよ」


 ロウルがそう補足し、自分の翼と尻尾を完全に消し去って見せたのには驚かされた。

 いにしえの風竜は元々人族が――より正確には人族の女性が好みだったらしい。魔族ジェマと変わらぬ姿をとり、街で気に入った女性に声を掛けては遊び歩く、そんなことを繰り返していたようだ。

 そのくだりになったとき、スイが何か言いたげにアティスを見ていたのにアサギは気づいたが、見なかったことにする。

 風竜はモミジを気に入って声を掛け、護衛をしていたウツギと軽く揉めた。とはいえお堅い性格でもなかったウツギと風竜はすぐに意気投合し、結果、一緒に街を遊び歩く親友になったというわけだ。やがてモミジは風竜――アオイを好きになり、家族の反対を押し切る形で一緒になったのだった。


 モミジの親やウツギの上官たちは、この異種婚姻を快く思わなかったらしい。

 人側の文化に風竜側が合わせていたにも関わらず二人は引き離され、アオイは町から追い出されることになった。しかしアオイも引き下がったりはせず、ウツギの協力を得てモミジを家からさらい、山の洞窟で一緒に暮らすことにした。

 結果、ことは大きくなって将軍家にまで届き、ついには帝による勅命が出され、風竜討伐のため軍が動くことになったのだという。


 ウツギが視察から戻ってきた時には、全てが終わったあとだった。

 討伐の証として風竜の爪と牙、眼球を持ち帰った将軍は、職人に命じそれで宝剣を造らせた。アオイの死は決定的だったが、モミジと幼竜は行方不明と伝えられた。悔やんだウツギは武官の職を辞し、二人を捜して国中を歩き回り、捜し尽くしてついに大陸へと渡ることにした。

 当時、和国と交流があったのは西大陸のゼルス王国のみ。

 ゼルス王国全土だけでも小さな島国ジェパーグより国土が大きい。広大な砂漠や深い森が広がる大陸の広やかさは、狭い和国とは比べ物にならなかった。途方に暮れ、それでも放浪を続け、樹海に迷い込んだウツギは、そこで思い掛けない存在と出会うことになる。


「俺は樹海の奥の洞窟の中で、いにしえの地竜に出逢ったんだ。そいつはずっと寝ていたとかで、風竜が殺されたことも知らなかったけどな」


 穏やかで、優しい竜だったという。いにしえの竜たちは地脈を通じて意思交換ができるらしく、かれは竜脈を通じ幼竜について知っている者がいないか調べてくれたらしい。

 地竜の巣を拠点に協力して捜し回ったものの、有力な情報は見つからず。寿命が尽きようとしていたウツギに『転生』の魔法について話してくれたのも、いにしえの地竜だった。


翡翠ひすい……地竜は、俺が記憶を保ったまま転生する方法があると、教えてくれた。いにしえの地竜のみが扱える魔法で、精霊魔法の記憶継承リーンカーネーションと違って赤子を犠牲にしなくてもいいというんで、俺はその魔法をかけてもらうことにしたんだ。生まれ変わったら必ずロウルを見つけて、今度こそ守り抜く――そう、誓って。……なのに」


 アサギの握りしめた拳が震えている。アサギは――正確にはウツギの感情がたかぶりすぎて――握った拳をダンとローテーブルに叩きつけた。じんとした痺れが伝わり、じわりと痛みが広がる。


「なんだよ、なんなんだよこの身体は! ひょろっとして筋肉もない、非力で握力もなく、女みたいに髪は長いし顔も甘っちょろ――いてぇッ!?」


 自分で自分の劣等感を挙げ連ねられて、アサギは著しく傷ついた。が、隣から頬をつねられウツギの言葉も止まる。痛いのはアサギも一緒だが、聞くに耐えない罵倒ばとうが止まって少しホッとした――とともに、体の主導権が戻ってきた。


「ありがとう、ロウル」

「ウツギはがみがみ煩いよ。どんな強くたって、ぼくのことも、母様のことも、……見つけられなかったくせに」


 ポツンと落とされた言葉に、今度はウツギがひどく傷ついたのがわかった。けれど、彼の後悔がいまに繋がっているとするなら――そんな摂理せつりが本当にあるかは知らないが――願いが叶ったとも言える。

 努力して技量を上げれば、治癒も、転移も、人探しだってできる可能性を持つのが『無属性の妖精族セイエス』だ。剣や武闘のように即物的でないが、無属性を含め精霊魔法を極めればあらゆる可能性が広がるのだから。

 アティスは優雅な仕草で考えこむように、あごに手を添えた。しばし黙考して、呟く。


「しかし、転生――同じ魂のはずなのに、どうして人格が分離しちゃったんだろうね。俺も土属性の魔法にはよく精通しているけれど、地竜による転生だから……なのかな。記憶と人格は密接に結びついてるので理解はできるが、このままだとアサギが困るね」

「俺はソッチ方面はさっぱりだけど……だからって、こんな頼りない甘ちょろヤロウにロウルを任せるつもりは――」

「ウツギは黙ってて」


 相変わらずひどい言い草だが、ロウルがきっぱり言えばアサギの口は喋るのをやめる。ウツギが彼女を大事に思っているのはアサギにも感じ取れるので、怒りの気持ちはない。しかし、魔法を学んでいるアサギでもどうすればいいかはさっぱりだ。

 そうだねぇ、と呟いて、アティスが腕を組む。地区の女性たちが一瞬で卒倒しかねない魅惑的な微笑みをその美貌に浮かべ、片目を瞑って言った――、唯一の女性であるロウルにはまったく刺さらなかったが。


「俺に考えがあるのだけど、試してみてもいいかな? 俺も魔法工学の技術者だからね、何とかできるかもしれないよ」




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滅びうたう呪竜は監獄になく 羽鳥(眞城白歌) @Hatori

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