22歳の誕生日

夕空心月

第1話

気づいたらもう、桜は散ってしまったらしい。

前を向いて歩くことが苦手な私は、足下に散らばった幾つもの春の残骸を見て、そのことを知った。

遠い昔、小学校の校庭で感じたのと同じ匂いのする風が、薄汚れた淡い桃色をした桜の花びらを、ふっと舞い上がらせた。





少し前から、今年の誕生日は何をして過ごそうかと考えていた。

実家には帰れないし、友達には会えないし、恋人はいない。

今までどんなことをしてきただろうかと考えた。幼い頃は、商店街にある小さなケーキ屋さんでケーキを買ってもらっていた。友達にパーティーを開いてもらったことも、恋人と一緒にお酒を飲んだこともある。お気に入りの栞も時計も詩集も、いつかの誕生日にもらったプレゼント。

今年は、一人だ。途方もなく一人だ。こんなに一人ぼっちなのは初めてだ。


ふっ、と。


心地よい孤独の中で、小説を書こう、と思った。


自分を主人公にした小説なんて、恥ずかしくて見せられたものじゃないけれど。私は村上春樹の主人公みたいに、レコードを聴きながらウイスキーを飲んだりしないし、江國香織の主人公みたいに美しく不倫したりしない。せいぜいほろ酔いを飲みながら太宰を読むとか、稚い不倫小説を書いてみるとか、それくらいのことしか出来ない。

けれど、誕生日に、誰にもなんにもねだらない代わりに、これくらい許してもらったっていいじゃないかと言い聞かせた。


本当は、大きなレコード盤は少しだけ欲しいと思っている。置く場所はないけれど。





こんなはずじゃなかったな、と思うことが沢山ある。


22なんて、永遠に届かない数字だと思っていたし、その先にちゃんと人生が続いているなんて思えなかった。14歳になった時、私はプリキュアになれなかった。16歳で道明寺司と恋に落ちることもなければ、20歳で美しい怪盗として夜の街を駆け回ることも出来なかった。何者にもなれないまま、気づくと途方もないくらい遠くに感じていた22という数字が、目の前で困ったように微笑みながら、私を待っていた。


死にたい、と思ったことなんて数え切れないくらいある。


でも結局、いつも死に損なって来た。世界を救う勇気も御曹司と恋をする勇気も泥棒を働く勇気もない私に、自殺なんて出来るわけがなかった。


たまたま死ななかっただけ、のような気がする。生き延びてしまっただけのような気も。けれど、必死に生きようとしてきた気もする。


ただ、一切は過ぎていく。恥の多い、長くもない人生の中で、それだけは分かった。





遠くに行きたい、と思うことがある。でもどんなに遠く、日本の裏側まで行ったとしても、飛行機で二日もあればまた、同じ場所に戻ってきてしまう。どんなに頑張っても、人間は太陽系の外にすら出ることが出来ない。もっと、もっと、遠くへ行きたいのに。


幼い頃は、世界の果てに行ってみたいと思っていた。海が途切れて滝のように流れ落ちている場所は、とても美しい透明な水飛沫が飛び散っているはずだと思った。でも、生憎世界は丸くて、どこにも逃げられないようになっているらしい。私のいる場所は世界の中心にも、世界の片隅にもなり得るらしい。





本当なら今頃、春の東京を歩いているはずだった。

新宿の雑踏に紛れて、存在が背景になる感覚に身を任せたかった。斜陽の時刻に三鷹へ行って、玉川上水沿いを散歩したかった。一人でバーに入って、恥じらうことなくセックスオンザビーチを注文したかった。


何にも出来なかった代わりに私は、恋をして結婚して離婚してキスをして人を殺して人を裁いて人を信じて人を愛して自殺した。

本の中で。広くもない部屋の中で。全部、一人で。





 22年も生きていれば、分かってくる。人生はどうも苦手だということが。

ただでさえ苦手なのに、奴は容赦なく私に振りかけてくる。

不幸とか不条理とか理不尽とか虚無感とか苦悩とか絶望とか。


いいよ。


かかってこいよ、全部小説にしてやるよ。


なんて、言えたらかっこいいのになと思う。かっこつけて言ってみても、どうせ三日後には、恥ずかしくて死にたくなって泣いてるんだろうなと思う。


まあ、いいや。既に恥ずかしくて死にたくなってきた。





22歳の誕生日の朝、目が覚めると、LINEに「お誕生日おめでとう」のメッセージが入っていた。嬉しかった。そばにはいないはずなのに、今すぐには会えない人たちばかりなのに、存在を近くに感じた。


私は人生と同様、現代というものもどうも苦手で、SNSなんてない時代に生まれたかったとか、LINEじゃなくて固定電話で友達や恋人と話す時代を生きたかったとか、思いを和歌にしたためて送る時代に生まれたかったとか思うことがある。けれど今日の朝は、現代のことがちょっと好きになった。単純な奴だ。


私は孤独に浸りたがりな所がある。長編小説を書いている時はずっと一人だし、夜は一人で映画を観たり本を読んだりしたくなる。けれどその孤独を心地よく感じられるのは、周りにいてくれる人たちが、私を“本当の”孤独にはしないでいてくれるからだと思う。


この文章は、21歳最後の日に書き始めて、書き終えたのは22歳の誕生日だ。けれど、どこが21歳の私で、どこが22歳の私かなんて、わからないと思う。22歳になった瞬間に、今までただの綴り方だったものが、芥川先生もびっくりするくらいのとてつもない文才に富んだ文章に変わるわけはないのだから。そうだったら嬉しいのだけれど。





一年後、この文章を読んで、あまりの拙さに破り捨てたくなるかもしれない。

その時は、桜吹雪と一緒に、盛大に撒き散らしてやろうと思っている。

案外、綺麗かもしれない。


22歳になったというのに、右のほっぺに大きなニキビが出来てしまった。誰からのプレゼントだろうと思い、一人、鏡の前で、苦笑した。




この物語は、***です。


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