喪服はヒーロースーツで
二石臼杵
偲ビンジャーズ
「
「ああ、すまないね。助かるよ。……ほう。素敵だ。やっぱり昔取った杵柄ってやつかな」
「私が美大卒ってこと? 昔って言うほど昔じゃないでしょ。それに鮮美も一緒に美大行ってたじゃない」
「いや、私にはこんないいマスクは作れないよ。被り心地もいいし、本当にありがとう」
「いいって。それよりそのマスク、なんで海老のデザインにしてくれって注文したの?」
「? 美味しいじゃん、海老」
「え、そんだけ?」
「あー、あとほら、海老で鯛を釣るっていうだろう? 悪人という鯛を釣ってやるって意味もあるのさ」
「今考えたでしょ、それ」
「……ええと、ロブスター……そう、
「どんどん後付けでぼろが出てるよ。まあ、いいけど。……でも、それで素顔を隠すってことは、やっぱりヒーロー、やるんだ」
「こんなご時世、悪人は見逃せないからねえ。でもこれさえ被っていればなんだか心強いよ」
「そう……あんまり無茶なこととか、危ないことはやめてね?」
「…………」
「黙らないで。約束して」
「ああ、わかった。約束する」
「よろしい。ところで、ヒーローとしての名前はもう決めてるの?」
「もちろん。徹夜で考えたとも」
「へえ。その自信作聞かせてよ」
「ふふん、聞いて驚くがいい。これからの私のもう一つの名前、それは――――バベルマスクさ」
「……変な名前」
この世界には、ちょっと変わった力を持って生まれてくる人たちがいる。その力を人助けに使う人はヒーローと、悪事に利用する人は怪人と呼ばれる。
私は前者だった。今宵も月のよく映える摩天楼の麓で、人知れず怪人と命のやり取りをしている。
「ぐああああっ!」
暗闇の中、狼の毛皮と爪を生やした男が衝撃で吹き飛び、背後のビルに叩き付けられた。ガラスの破片が舞い散り、ビルの窓に私の姿が映り込む。
先ほど狼男を殴った拳を握り締め、私は正面のガラスに反射された自分の姿を見た。
海老をモチーフにした仮面を被り、黒いスーツに身を包んだ私の姿がそこにあった。
スーツの下で出るところが出て強調されているのが窮屈で嫌になるが、しょうがない。
そう、私はバベルマスク。正義のヒーローなのだから。
「ばかな、バベルマスク、貴様は死んだはずじゃあ……!?」
狼男がよろめきながら立ち上がり、私を睨みつける。
「残念ながら、私は不死身なのだよ!」
びしぃっと指を立てて言い放つ私。ええと、次は――
「お前が積み上げた罪の塔、このバベルマスクがへし折ったゃる!」
……噛んでしまった。決め台詞なのに。こんなことなら無理して言わなきゃよかった。だが、決め台詞は言わなきゃならないのだ。それがヒーロー。これがバベルマスク。
「なんて?」
聞き返す狼男に私は照れ隠しで渾身のキックを見舞った。
「問答無用!」
「ひでえ!?」
再び吹っ飛び、ビルに激突する狼男。ガラスに走った亀裂が広がる。一瞬だけ弁償という文字が頭をよぎったけど、壊したのは私じゃなくて狼男だからセーフだ。
「お前が積み上げた罪の塔、このバベルマスクがへし折ってやる!」
決まった。今度こそ。テイク2だけど。
さて、本題に入ろう。私はビルの窓にめり込んでいる狼男に歩み寄り、引っぺがした。歩く度にじゃりじゃりと足の裏でガラスの砕ける感触が伝わる。
「ところで質問なんだけど狼さん、私を殺したのはあんたかな?」
「……? 何、言ってやがる。お前ぴんぴんしてるじゃねえか」
「ああ、なら質問を変えるね。私を殺そうとしたのはあんたで合ってる?」
「は? このウルフェイス様がとどめを刺し忘れるなんてミスするかよ。てめえとは今夜が初対面だばーか」
相手の怪人ネームはウルフェイスというらしかった。ちょっとかっこいいのがやだな。
「じゃあ、私を殺したって言っていた怪人と会ったことはある?」
「なんなんだお前さっきから。だが、心当たりなら一つあるぜ」
そう言ってウルフェイスは地面に両手をつき、姿勢を低くする。
「俺がこれからてめえを殺してやるよ!」
それから勢いよく飛びかかってきた!
直後に、横から光とエンジン音が高速で近づいてきた。その正体が一台のタクシーだとわかったときには、ウルフェイスは容赦なく鋼鉄の塊に弾き飛ばされていた。
ヘッドライトの光が闇を裂き、私とウルフェイスを照らし、夜の景色を切り取っていく。
宵闇の中、狼男を轢いた車のエンジン音だけが木霊する。
「えぇ~~、と……?」
なんだこれ。
ぴくりとも動かないウルフェイス。おそらく息はないだろう。敵ながら哀れな。
そのうち、ばん、とタクシーのドアが開けられて、運転席から一人の男が出てきた。
全身にコードやパイプを走らせたアーマーを着込んでいて、顔も鋼鉄のフルフェイスマスクで見えないけど、たぶん男だ。男はカーペットみたいに地面に突っ伏したウルフェイスを一瞥する。
「お客さ~ん、だめですよ、夜に路地裏で暴れちゃあ」
自分は車で突っ込んでおいて、無茶苦茶なことを言う。
それからフルアーマー男はこっちを向いて肩をすくめる。
「悪事と飲酒運転だけは、しないさせない許さない! カムドライバーただいま参上! いやあ、危なかったね、お嬢さ……」
しかし、その言葉が途切れる。
なんだと思っていると、突然物騒な運転手に肩を掴まれた。
「バベル! バベルマスクじゃないか! お前っ、生きてたのか!? なんで!?」
前後にゆっさゆっさと揺さぶられる。海老のマスクの中で私の頭と視界がぐわんぐわんと振り回された。
「あんた、誰っ、ですかっ?」
途切れ途切れの私の問いかけを聞いて、男はぴたっと動きを止めた。助かった。でもまだ目はぐるぐる回っている。
男は自分の頭の鋼鉄のマスクに手をかけ、横にがちゃっと開ける。車のドアのようにマスクが展開し、面長で優しい目つきの青年の顔が露わになった。茶色い前髪がCの字を描くように額でカールしている。
ていうか、そのマスク横開きなんだ。別にいいけどさ、うん。
「そうか、ヒーローとしての姿を見せるのは初めてだったな。俺だよ。カムドライバー、
タクシードライバーこと床下さんは名乗った。ヒーロー名はカムドライバーというらしい。その目は困惑に歪んでいる。
彼の名前には聞き覚えがあった。珍しい苗字だったから印象に残っている。
「ああ、えーと、久しぶり、侑くん」
「なんだやっぱり覚えてるじゃないか、からかうなよ
ほっとして顔を綻ばせ、私をヒーロー名のバベルマスクではなく本名で呼ぶ床下さん。さっき怪人ひとり轢いたとは思いもよらぬ、人懐っこい笑みだった。
「いくら別れたとはいえ、二年で忘れられちゃあさすがに傷つくとこだったよ」
すっかり一口サイズに砕けた口調で床下さんは安堵の息を漏らした。けど、沈黙を続ける私を見て、次第にその眉がひそめられていく。
「鮮美が死んだって噂が出回ってたから、これでも心配してたんだぞ。電話しても出ないし。大丈夫だったか? いったい何があったんだ?」
「……別に。厄介な怪人がいて、そいつに苦戦しただけだよ。それなりに深手を負って回復するまで活動できなかったから、死んだってデマが広まったんじゃないかな?」
「そうだったのか。なんにせよ、無事でいてくれてよかったよ」
ヘッドライトの背に受け、床下さんは手を差し伸べた。私はその手を見つめ、それから逆光で真っ黒になっている彼の全身をじっと眺めた。果たして、信用して、いいのだろうか。
「……どうした? 鮮美」
ざり、とガラスの破片を踏みしめて一歩こちらに近寄る床下さんに対し、私は思わず一歩後ずさった。
その様子がさすがに不審に思えたのだろう。床下さんの声に警戒の色が滲む。
「きみ、本当に鮮美か? 声はそのままだけど」
ぴん、と緊張の糸が私とカムドライバーの間に張って、両者を隔てる。
「ちょっとそのマスク、外してみてくれないか。俺は鮮美の正体を知ってるし、問題ないだろ?」
疑念は言葉となってまっすぐに私を射抜いた。もう、この海老のマスクを着けたままでは通じないだろう。
「わかった」
私は一瞬、床下さんから顔を背け、ヘッドライトの光から頭だけ抜け出し、それから再び生身の顔を光の中に晒した。
私の顔を見た床下さんは――
「なんだ、やっぱり鮮美じゃないか。もったいぶるなよ」
そう言って、安堵の息を吐き出した。かくいう私も内心、ほっと胸を撫で下ろしている。
そこで気を抜いたのが、いけなかったのかもしれない。
ばつんと胸の辺りから音がして、気づけば胸に押し込んで詰めていたクッション材がずり落ちてしまった。
ガラスの破片の上に音もなくふんわりと落ちるクッション材。一気に私の胸はスリーカップほどサイズダウンした。
「鮮美、きみっ!?」
床下さんは目を見開く。しまった。
「
義乳て。そうきたか。それならそれで押し通そうと決めた矢先に彼は頭を振る。
「いや、昔触った鮮美の胸の感触は本物だった! 間違いない!」
えらいこと言われてしまった。そうだよね、元カレなら肉体関係を持っていてもなんら不自然ではないよね。生々しいけど、ヒーローだってやるときゃやるのだ。
「きみは、鮮美じゃないな!?」
胸で判断するのもそれはそれでどうなんだ。鮮美泣いちゃうぞ。
さて、どう言ったものかと悩んでいたとき。
「そうだ。そいつは鮮美ではない」
空から渋い声が降ってきた。
ずだぁん! と着地する黒い影。アスファルトの地面が大きく陥没して、ガラスの破片が地面から降り注ぐ雪のように宙に浮き上がり、舞い踊る。運の悪いことに、ウルフェイスはちょうど飛来した影の下敷きになってクレーターの底へと沈んでいた。報いにしてはオーバーすぎる気もするけど、それが怪人の性だと諦めておくれ。
立ち上がった人影は、全身黒づくめの大男だった。ウェーブのかかった長い黒髪がなびき、顎にはワイルドな髭が並んでいる。目つきは鋭く、私を見据えていた。
「鮮美は間違いなく死んだのだ。だから俺様がここにいる」
新しい登場人物が増えてしまった。
「な、なんだお前は!?」
驚き身構える床下さんを、大男はじろりと睨んだ。
「俺様はブラム。今はアークマイティと名乗っている。かつて鮮美と、契りを交わした者だ」
契りて。
鮮美の元カレ、二人目のご登場である。
今この場にいるのは元カレ一号と元カレ二号、それに鮮美を名乗る私。
あれ? これ軽く修羅場なのでは?
「鮮美が死んだって、どういうことだ?」
元カレ一号、床下さんが食ってかかる。元カレ二号のブラムさんは不機嫌そうに顔をしかめた。
「言葉の通りだ。鮮美はすでに死んでいる。俺様は鮮美と契約したのだ。バベルマスクが死んだら、俺様が代わりにヒーローとして活動し、彼女が救えなかった人々を救うと」
「契約?」
私はそこが引っかかった。ブラムさんはじろりと私に視線を寄越す。
「俺様は、鮮美が召喚した悪魔だ。あいつめ、よりにもよって悪魔である俺様にヒーローになれとは、とことん食えないやつだ」
「悪魔……」
口の中でその言葉を繰り返す。ヒーローも怪人もいるのだ。今更悪魔だっていても驚かない。
「じゃ、じゃあこの
床下さんが私を指差した。偽乳言うな。
「知らん。だが、鮮美が死んだのは確実だ。こいつは鮮美本人ではない。俺様からも問おう。貴様は……何者だ?」
床下さんとブラムさんの視線が私を捉える。二人の目には疑惑の光が宿っていた。
下手なその場しのぎの言い逃れはできそうにないな。
ふぅー、と小さく息を吐く。そして私は、自分の顔を手のひらで覆い、それから変身を解除した。
「なっ!」
「! ほう」
顔を隠していた手を外し、私はようやく素顔を見せる。私の顔は先ほどまでの鮮美のものではなく、別人になっていた。
鮮美のようにさらさらの長い亜麻色の髪ではなく、くすんだ栗色のぼさぼさ頭。鮮美と違って額は広く、鼻筋もきれいに通っていない。鮮美は目力の強い吊り目だったが今の私は垂れ目だ。そして、特徴的な二つの泣きぼくろも、跡形もなく消えていた。
「私は、
唖然とする床下さんに代わって、ブラムさんが口を開いた。
「解せんな。なぜ鮮美に成りすましていた? どうせばれるだろうに」
私はきっ、とブラムさんの目を見つめ返し、自分の意思を告げる。
「鮮美を殺したやつを、見つけるために」
そのために私はバベルマスクを演じていたんだ。鮮美を殺した犯人をおびき寄せる、ただそれだけのために。
バベルマスクが生きていると知れば、犯人は絶対に向こうからやってくるはずだから。
「復讐するために自分を囮にしているのか!? 危険すぎる!」
すぐさま床下さんに注意された。
「ヒーローのふりをすると決めたときから、危険は承知の上です。でも、これは私がやりたいからやってるんですよ」
「だからってきみが危ない橋を渡らなくてもいいじゃないか! それは俺たちみたいなプロのヒーローの仕事だ!」
「それじゃあ私の気が済みません! 仇も討てなくて何が友だちですか!」
「友だちってそういうもんじゃないだろう!」
「私たちの間ではそういうもんなんですー!」
床下さんと私の価値観は食い違い、言い争いも堂々巡りだ。終わりは見えない。
「だが女、」
そこで、それまで無言だったブラムさんが口を挟んだ。
「奇しくもその目的は果たされるぞ。鮮美を殺した者は、すぐ近くにいる」
「えっ」
思わぬ言葉に私と床下さんの言い合いは止み、二人同時にブラムさんを見る。
今、なんて?
「それは本当なのか!?」
床下さんがブラムさんに詰め寄った。ブラムさんは頷く。
「事実だ。俺様の能力の一つ、
この中に、いる。
鮮美を殺したやつが。
もしそれが本当なら、誰かが嘘をついていることになる。
床下さんとブラムさん、私の視線が二人の間で何往復もする。
どっちだ。どっちが私の大事な友だちを奪ったんだ。
「待て待て、俺を疑ってるのか!? こいつの言っていることが正しいかどうかもわからないんだぞ!? こいつは悪魔らしいからな!」
「ふん、悪魔ということは信じるのだな。自分に都合のいいことだけは」
床下さんに指差されたブラムさんが鼻を鳴らす。
夜の帳の下りた中、いつしかヒーローたちの間に不和のひびが入っていた。夜風と空気がなお冷たく感じる。
「二人とも落ち着いてください。情報を整理しましょう。せっかく三人寄ってるんだから知恵を出し合いましょうよ」
「そういうきみだって怪しいんだからな!?」
ついに床下さんの矛先がこっちにも向いた。そうなるかー。そうなりますよねー。
でも、折れるもんか。
「私じゃないです!」
自分がやってないと証明できる相手は、自分しかいない。誰かが自白しない限り、この問答は続くだろう。
ヒーローが仲間割れをしている。もしかしたら、これこそが犯人の狙いかもしれないが、私たちの頭は冷えず、むしろ疑心はヒートアップしていくばかりだ。
「なんで鮮美を殺したんですか! 痴情のもつれなの!?」
「だぁから俺じゃないって! つき合ってたって言っても昔の話だ! お互い後腐れなく別れている!」
「俺様でもないぞ。悪魔は契約主を殺さない」
「じゃあ誰なんですか!」
もちろん答えは出ない。自分がやったと尻尾を出すばかはいない。でも今、この場にいるはずなんだ。いったい誰が――
「! ちょっと静かにしてくれ」
そこで、床下さんが急に手で私たちを制した。
何事かと思い黙る私とブラムさんをよそに、床下さんはゆっくりと振り返る。
彼は、後ろにあるウルフェイスの死体を見ていた。
「どうしたんですか? その怪人ならもう――」
「いや、別の生体反応がある」
床下さんは腕のアーマーのハッチを開き、そこから伸びる赤い光の線をウルフェイスの死体へと向けた。
すると、
「くくっ」
私たちの誰のものでもない声がした。私と床下さんとブラムさんは、一斉に下にあるウルフェイスへと身構える。三人の目線の先には、ただの物言わぬ死体が転がっているだけだ。
でも、確かに何かがいる。ヒーローが三人もいるんだ。決して見逃したり聞き漏らしたりすことはない。
「ヒーローを名乗っておいて仲間割れするなんて、聞いて呆れるねえ」
ずるりと、ウルフェイスの死体の下から鎖の束が生えてきた。いや、違う。よく見ると、鎖が出てきているのはウルフェイスの影の中からだ。
「まったく、よくもここまでウルフェイスの体にダメージを与えてくれたもんだ。おかげで影に潜んでいられなくなったじゃないか」
何条もの鎖が先ほどブラムさんの刻んだクレーターの底から伸び、蜘蛛の脚のように穴の縁に突き刺さる。
鎖の群れに引きつられ、一つの人影がゆらりと宙に浮き、暗い穴の中から這い上がって私たちの前に姿を現す。
月明かりに照らされながら私たちを見下ろすそいつは、白い仮面を着けた男だった。
その男に腕はなく、代わりに彼を持ち上げている無数の鎖が肩口のあたりから生えている。
鎖に吊られて男がゆっくり着地をすると、金属の擦れる悲鳴に似た音を立てて鎖が螺旋状に巻き付き、束になって男の両腕の形をとった。
「まあもっとも、これ以上きみたちの醜い争いを見ていたら、どのみち笑いをこらえるのも限界だったけどね」
「お前は、誰だ」
床下さんが訊ねる。鎖男はくつくつと笑った。
「私はドアーズ。通りすがりのしがない幹部怪人だ。照れ屋なのでね、影に忍んでいないと落ち着かないのさ」
ドアーズ。こいつが――
「あんたが、鮮美を殺したんだね」
ふうむ、とドアーズは両腕の鎖を組んだ。じゃらりと重い音がする。
「きみたち、釣りは好きかい?」
私の質問に、ドアーズは見当違いの方向で答えた。
何を、言っている?
「私は大好きさ。休日はもっぱら海に出ている。だが、魚相手はいささか退屈でね。それで、ヒーローで釣りをしてみることにしたんだよ」
ヒーローで、釣り?
「それってまさか――」
「そう、バベルマスクといったかな。彼女を疑似餌にして、お仲間のヒーローたちを釣り上げてみようとしたんだよ」
私の言葉を、白い仮面の男は残酷に継いだ。
「そしたら殺したはずのバベルマスクが生きているという噂を聞いてね、これはもしやと思って部下のウルフェイスを向かわせたらなんと、ここに活きのいいのが三人もかかったというわけだ。大漁大漁」
なんにもおかしくないのに、ドアーズは笑った。夜のビル群の中に耳障りな笑い声が反響する。
「バベルマスクは私を相手に大健闘した。立派なヒーローだったよ。そして、ルアーとしても優秀だった」
それを聞いて、私の中でどす黒い感情が渦巻いた。
「違うよ、ドアーズ。あんたが釣ったんじゃない」
自分の声が冷えているのがわかる。
「私が、あんたを釣ってやったんだ」
夜の街は寒い。だけど、全身が煮えたぎりそうな今の私にはその気温が心地よかった。
鮮美、見てる?
とびっきりの鯛が釣れたよ。
「待ちなよ、つばるちゃん」
隣から声がした。床下さんが私の肩に手を添える。
「俺も乗せてくれよ。なんせ俺の怒りのメーターは、とっくに吹っ切れてる」
彼は開きっぱなしだった顔の扉をばたんと閉めた。
「俺様はとくに恨みはないのだがな。ヒーローをやっている以上、悪人は見過ごせない」
そう話すブラムさんの声は、言葉の内容とは裏腹に怒気で燃え盛っていた。
「じゃあ、みんなでいきますか」
ざっ、と私たち三人は横に並ぶ。
「カムドライブ!」
床下さん、カムドライバーは叫んだ。横に停まっていたタクシーががちゃがちゃと変形し、彼の全身を包む。みるみるうちに彼は三メートルほどの鋼鉄の巨人と化した。顔のアーマーの両目部分がブゥンと光る。
「
ブラムさん、アークマイティが唱える。彼の皮膚を突き破って角と翼が生え、爪は鋭くなり、瞬く間に全身黒づくめの悪魔へと変貌を遂げた。虫歯菌の親玉みたいなフォルムだ。
「
私は両手を顔の前で交差させ、自分の頭を変身させる。手を下ろしたときには、私の頭は海老を模したマスクとなっていた。バベルマスクこと代ヶ崎鮮美は、海老が大好物だったから。
「市民は安全に、悪人は地獄へ送り届けるぜ! カムドライバー、カムヒアー!」
「地獄へのナビゲートなら任せておけ。正義の悪魔、アークマイティ、参る」
二人のヒーローの名乗りに私も負けじと続く。
「お前が積み上げた罪の塔、このバベルマスクがへし折ってやる!」
「いや、中の人が違うだろ」
「ああ。貴様ではないな」
あうっ!
カムドライバーとアークマイティに同時に耳の痛い指摘をされてしまった。身内に突き放されたよ!
「ヒーロー一人を餌にしたら三人釣れた。じゃあきみたちを新しい餌にしたらいったい何人釣れるのかなあ!?」
ドアーズの両腕の鎖がじゃらりとほどけ、一斉に伸びて四方八方から私たちに向かって飛んできた。鎖の先端に付いている刃物が暗闇に光る。
「ふっ!」
私は左に跳んで避けようとした――ところで左にいたアークマイティとぶつかってしまった。
「ぎゃふん!」
「何やってる貴様! 空いている方に避けるものだろうが! これだから戦闘慣れしていないやつは!」
アークマイティが怒るのもごもっともだ。返す言葉もない。
「どけ!」
私はアークマイティに突き飛ばされ、ビルの壁面に叩きつけられた。
そんな乱暴にしなくとも、と抗議しようと見ると、アークマイティの胸には鎖の一本が突き刺さっていた。
がふっ、と黒い血を吐き出すアークマイティ。この血は、私をかばったせいだ。私の頭の中がさあっと凍りつく。
「ブラムさん!」
「悪魔はこの程度じゃ死なん! 自分の心配だけしていろ!」
またも怒られながらも、私は迫りくる鎖の群れを精一杯躱す。かがんだ瞬間、頭のすぐ上を鎖が通り過ぎていって心臓がひゅんとした。
「つばるちゃん! きみ、頭は変身できるって言ってたけど、体の方は!?」
私と反対方向に跳んで無事だったカムドライバーが、鋼鉄の腕で鎖を弾き飛ばしながら訊いてくる。私は必死に鎖を避けながら情けない声で答えた。
「ただの一般人ですぅぅぅ!」
「まじかよちくしょう!」
まじです! 大真面目です! ごめんなさい!
直後、私の方に三本ほど鎖が伸びてくる。
躱しきれない! と思った矢先、カムドライバーが私の前に躍り出て、盾となってくれた。甲高い金属音が響き、飛び散った火花がわずかに闇を照らす。
「くくっ、さすがは寄せ集めのヒーローたちだ。連携もまるで取れちゃいない」
笑うドアーズ。悔しい。でも、何も言い返せない。
私が、足手まといになっている。たぶん、カムドライバーとアークマイティだけだったらもっと上手く戦えていたに違いない。私がいること自体が、ヒーローたちの弱点になっていた。
「ああ、そうだ。どうせきみたちをここで始末するんだ。古い餌はもう要らないな」
ふと、ドアーズは鎖の一本を懐に入れ、あるものを取り出す。
それは、血にまみれた海老型のマスクだった。
鮮美がバベルマスクとして活動していたときに着けていた、本物のマスクだ。私の頭を今覆っているのは、頭そのものを変形させて海老のマスクの形にしているだけで、実際にマスクを被っているわけじゃない。
ドアーズはその、おそらくは鮮美の血にまみれているマスクを地面に落とし、片足で粉々に踏み砕いた。
私が鮮美のために作ったマスクを。私が鮮美にあげたもう一つの顔を。
こいつは鮮美を、私の大事な友だちを、踏みにじった。
頭が文字通り、かっと熱くなる。
「うああああああっ!」
私の頭はぼこぼこと変形し、ランタンになっていた。それはまるで鮮美を弔う灯籠だった。私はカムドライバーの横に並び立つ。顔が赤熱し、強力な光を放った。
路地裏が光に照らされ、昼間のように明るくなる。落ちているガラスの破片の数までわかるほどだ。ビルの窓や地面のガラスの破片に光が乱反射し、光のドームとなった。
「なにぃっ!?」
急激に光を浴びたドアーズは目をしかめ、とっさに腕である鎖を何本かまとめて顔にかざす。
ヒーローの前でその行為がどんなに無防備か、知っているだろうに。
「お前は俺の昔の恋人を愚弄した!」
カムドライバーが、ドアーズに鉄拳を見舞う。車そのものを纏っている数トンのパンチを受け、ドアーズはたまらず吹っ飛んだ。
「俺たちはお互いにヒーローであることを隠していたが、わかっていたんだよ、鮮美は! あいつは、自分がカムドライバーの恋人であると同時に、格好の弱点でもあると気づいていたのさ! だから、わざと別れ話を切り出したんだよ!」
カムドライバーの拳がドアーズを打つ。ビルと拳の間に挟まれ、ドアーズは苦悶の息を漏らした。
「そんなことわかってたよ、俺だって! 鮮美がヒーローだと! 彼女の気持ちも正体も、見抜けるに決まってるじゃないか、好きなんだから! でも、俺も怖かった! あいつを巻き込んでしまうことが! だから別れたってのによお!」
カムドライバーは何度も怪人を殴り、衝撃に地面が震える。ビルに刻まれた亀裂はだんだん大きくなり、地面に散らばっているガラスの破片が振動していた。
「鮮美を失うぐらいなら、別れなきゃよかった」
拳を止め、そう、ぽつりとこぼすカムドライバー。彼の目のライトからは、涙のように一筋の光が漏れていた。
「そのあとだな、鮮美が俺様を召喚したのは。ふうん!」
アークマイティが胸に刺さった鎖を強引に引き抜き、ちぎった。
「寂しいから俺様を召喚したなどという、ふざけた女だった! どんなに怪人相手に苦戦しても、俺様の悪魔の力を頼ろうとしない、見ていてもどかしいやつだった!」
そのまま、鎖を掴んで引っ張る。体の一部である鎖に引っ張られ、ドアーズの体が宙を舞った。
「死ぬ前日に別れる際、最後にやっと契約をしたかと思えば、自分の代わりにヒーローになれだと! どこまでお人好しなのだあの女は!」
アークマイティは漆黒の腕の筋肉を膨張させ、力いっぱい、ドアーズをビルの壁に打ち付けた。衝撃に大気が悲鳴を上げる。
「だが、なぜだろうな。そんな鮮美のことが、悪くないと思えていたのは」
そう、しみじみとアークマイティは思いの丈を吐き出した。
「きみはどうなんだ?」
「貴様はどうだ?」
カムドライバーとアークマイティ、二人のヒーローがそれぞれドアーズの両腕を掴んで振り向き、私を見る。
私は……
「鮮美の最期を見たのは私でした。こんな風に月の明るい夜に、闇の中から伸びてきた鎖が鮮美の胸を貫いて、鮮美は連れていかれました。私は、何もできなかった……」
私は再度、頭を海老のマスクに変身させる。鮮美の、バベルマスクの顔だ。
「でも、鮮美を奪ったこの野郎に、思い知らせてやりたい! 鮮美の命の、私たちの悲しみの、重さを!」
私の顔の前に赤い光が集まり、球体になる。
鮮美は目からビームを出すのが得意だった。
そして、今の私なら。完璧に鮮美の顔に変身している私なら、同じことができる!
「鮮美、あんたの力と技、私に今貸して!」
集束した光は、真っ赤な線となって、夜の中を駆け抜けた。閃光がドアーズの体を貫く。
胴体に丸い穴を穿たれたドアーズは、ごぼりと血を口から流し、呻く。もう勝負あったと、カムドライバーとアークマイティは拘束していた両腕を離した。自由になった手で何かを求めるように、ドアーズは空中を掴もうとして空振りする。
「こんな、女一人に執着しているヒーローたちにやられるとは……」
私は頭の変身を全て解除し、正真正銘の素顔をドアーズに見せつけた。
「私はヒーローじゃない。鮮美の、ただの友だちだよ」
そう、それだけだ。どんなに姿を真似ても、鮮美みたいなヒーローにはなれなかった。
「ヒーローでもない一般人に幹部の私が負けるだとぉ!? こんな屈辱が……あってたまるかぁぁぁ!」
その言葉を言い残して、どこまでも口惜しそうにドアーズは爆散した。炎は地を舐め、凹んだ地の底に転がっていたウルフェイスの死体をも呑み込む。爆風が私の髪を荒く撫でた。
やがて炎も風も止み、路地裏に静寂が戻ってくる。気づけば、いつの間にか朝陽が差し込んできていた。
その光は、鮮美を奪った夜を晴らしてくれているようで、心地いい。
「お疲れさん」
すると、床下さんに肩を叩かれた。いつの間にか全身を覆う装甲は、タクシーへと変形して傍らに停まっている。
「朝か。強い光はどうもいまだに慣れん」
ブラムさんが悪魔の姿から人間の姿に戻って、不満を口にした。
「つばるちゃんは、これからどうすんの?」
床下さんに問われ、私は復讐をしたあとのことを何も考えていないことに気づく。
そうか、鮮美の仇、討てたんだ……。
なんだかどっと疲れが出てきた。
今の私がやりたいことは――
「とりあえず、うちに帰ってぐっすり寝たいです」
ようやく、安心して眠れそうな気がする。ここ最近は、鮮美の最期の瞬間をずっと夢に見続けていたから。
「それもそうか。じゃあ家まで送ってくよ。料金は取らないから安心して」
そう言って、床下さんはタクシーを親指で差す。私はこくりと頷いた。
「あんたも乗ってくかい?」
床下さんが訊くと、ブラムさんは「いや」と首を振った。
が、その後少し考える素振りを見せて、顎に手をやる。
「やはり、乗せてもらおう。鮮美がどんな景色を見ていたか、興味がある」
「そうかい」
私は後部座席に、ブラムさんは助手席に乗ったところで、床下さんがタクシーを発進させる。車の中で揺られながら、私は二人に声をかけた。
「床下さん、ブラムさん、ご迷惑おかけしました。それと、ありがとうございました」
「なんのなんの。俺たちのやりたいことでもあったから、お互い様ってことで」
床下さんはバックミラー越しに私に笑いかける。
ふと、ブラムさんが振り返って私の方を見た。
「ところで、つばる、といったか」
「はい」
なんだろう。多少委縮しながら返事をする。何を言われるのか、見当がつかない。
「俺様と契約する気はないか」
一瞬。頭がフリーズするが、徐々に思考を解凍して、慎重に言葉を選ぶ。
「……考えときます」
「そうか」
それっきり、ブラムさんは再び前を向いた。
悪魔の力なんて借りる機会はないだろうけど。もし、そうすることでいつか鮮美と向こうで会えるのかもしれないと思うと、少しそそられる。
「きみは、これからもヒーローを続けるのかい?」
運転席からまた声が飛んできた。
「いいえ」
床下さんの質問に私は即答する。
「これでもう、バベルマスクは引退です」
ヒーローはもうこりごりだ。私にはとても背負いきれそうにない。
「……そうか、そうだね」
朝陽に包まれ、徐々に活気だってくる街中をタクシーは進む。
私たちはやっと、明日に向かって走っていた。
喪服はヒーロースーツで 二石臼杵 @Zeck
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