第38話そうして彼は悠然と微笑んだ③

 瞬間、清の瞳に剣呑な影が落ちた。それでも俺は、かまわず言葉を続ける。


「彼女が――栃内さんが死んだのは、あの夜、俺が充希さんを一人で行かせたからだ。俺が彼女の意思に気が付いていれば、俺が、彼女の心を"救って"いれば、未然に防げた。俺の失態だ。特異機動隊の隊員として、それ相応の処分が下るのは覚悟して――」


「だからテメエはいけ好かねえ」


「なっ」


 睨む双眸はまるで、かたきでも見つけたかのような。


「テメエは"ただの"隊員だって、何度言えばわかんだ?」


「そんなの、わかって――」


「わかってねえ。あの夜、あの部屋に"招いていい"と、許可を出したのは誰だ?」


「それは、八釼さんだけど……」


「だから、だ」


 え、と疑問を発した俺に、清は無意識なのか背筋を伸ばして、


「八釼サンが、何も調べずに連れて行くわけねえだろ」


「……まさか――っ」


 充希にねだられ、八釼さんに電話をかけた、あの夜がフラシュバックする。

 そうだ。あの時確かに、八釼さんは何かを確認していた。何か。すなわち――。


「巧人ならば僕が言わずともわかっているだろうが、バーベナと落ち合ったあの夜、部屋にはまだ花瓶も時計も"そのまま"だったよ」


 追い打ちをかけるような充希の言葉に、憶測が真実へと変わる。


「――八釼さんは、知ってたのか。栃内さんが"死"を望んで、充希さんを――"ヴァンパイアキラー"を呼んだって」


「つっても、あの"毒りんご"は想定外だったみてーだけどな。わかったんなら、クソみてーな被害妄想に酔ってんじゃねえぞ。仕事しやがれ」


 じゃあな、と残して、清が扉から帰っていく。

 八釼サンの決定は、すなわち上の意思。つまり、この国は許したのだ。

 "ヴァンパイアキラー"が、己の牙をうとむ"吸血鬼"を、その血をもって"救済"することを――。

 スモークガラスに映る影が見えなくなる。俺は微かな予感に、問いかけた。


「充希さんは、知っていたんですか?」


「直接的な種明かしはされていないな。つまり僕としても今の今まで、確実な正答は持ち得なかった」


「あの時、わざわざ上に電話をさせたのって……このためですか」


「あれは予防さ。一種の賭けでもあったけれどね。言ったろう? 騙し討ちのような形になってしまったと。今回、巧人は何も知らずに"巻き込まれた"だけだ。それを"うっかり"他者の思惑しわくによって、当事者にされては困る」


「……つまり、すべて充希さんの思惑おもわく通りってことですか」


「すべてではないさ。だが願いを叶えるには、入念な準備が必要だからね。今回は幸運の女神に好かれた。ありがたい限りだな」


「…………」


 なんだろうか。この、腑に落ちない感じ。

 色々と思うところはあるものの、深く考えれば考えれるほど充希の"思惑通り"のような気がして、俺は思考を放棄することにした。


 今は事実だけを飲み込もう。

 俺の目の前には、紛れもなく俺の意志で契りを結んだ黒き"ヴァンパイアキラー"が。そして俺のベルト裏には、彼の血で造られたあかき"マリア"が収められている。

 どちらも俺と、彼だけが知る、最強にして最悪の"兵器"だ。


「それよりも巧人。さきほど彼へ最善の贈り物を選ぶにあたって、おしくも王座から転げ落ちた哀れなバームクーヘンがここに二つあるのだが、ここは彼らが悔しさから塩辛くなってしまう前に、"救済"してあげるべきだと思わないかい?」


「……わかりました、お皿だします。コーヒーは淹れ直しますか?」


「さすがは僕の親愛なるパルトネル。キミの心こもったコーヒーを配管にくれてやるには惜しすぎる。まってくれ、今すぐこのカップを空にしてみせよう」


 瞬時にソファー前のローテーブルへ移動した充希は、マグカップに残るコーヒーを一気に飲み干した。

 俺はその間にカウンターへと戻り、戸棚から皿と新しいマグカップを取り出す。

 好みを聞くのは、ずいぶん前にやめた。適当に選んだ黒いカプセルをコーヒーサーバーにセットする。


「ああ、そうだ巧人」


 空のマグカップを手に、充希がカウンター席に腰掛けた。

 俺は受け取ったカップをシンクに置きつつ、「なんですか?」と視線を遣る。


「急ぎではないのだけどね。可能ならば、近々"カツ丼"を食べにいけるかな。……もう、"願掛け"は必要なくなってしまったからね」


「――っ」


 思わず手が止まる。が、俺は努めて静かに、深く息を吐き出した。

 コーヒーサーバーの抽出音。ふわふわと踊る白い湯気に、ふと、彼女は無事にご両親と会えたのだろうか、なんて。

 彼女も一緒にいければよかったですね、と。喉までせり上がっていた感傷の言葉を飲み込んで、俺は「近くの店、調べておきます」と告げた。


 スマホには、あの病院から駅へと向かう道中に建つ店の情報が数店残っているが、どれももう無用の付箋だ。

 抽出が終わる。俺は出来上がったマグカップを、充希の眼前にそっと置いた。


「カツ丼があれば、どんな質問でも答えてもらえますかね」


「どうだろうね。カツ丼の自供能力については試してみなければわからないが、僕に限っての話であれば、カツ丼がなくとも巧人の質問には何でも答えるよ」


「…………」


 皿の上で小袋を開き、バームクーヘンを乗せる。デザートフォークを乗せて、俺は充希のマグカップの横に置いた。

 自分もぶんも同様に。充希は短く礼を告げると、早速とバームクーヘンを口へと運んだ。途端に頬を綻ばせ、「実にコーヒーと良く合うな」とご機嫌顔だ。


(……スーパーで適当に買ったやつなんだけどな)


「……充希さんって、世界各国が奪い合う、あの"ヴァンパイアキラー"なんですよね?」


「そうだな。僕の知る限りでは、それは僕のことだろう」


 うん。おそらく、というか確実に、そのバームクーヘンは世界の超VIPに出すような代物ではない。

 けれども充希は世辞を抜きに美味そうにしているし、青年の面影が残るその容姿が相まって、"ヴァンパイアキラー"の名がどうにも不釣り合いに見えてしまう。

 冷めたコーヒーを喉に通して、月に似た薄黄のそれを一口ぶん、フォークで切り取る。


「……そういえば」


 呟いた俺に、充希が軽く視線を上げた。

 俺はただなんとなく、ふと過った疑問を口にした。


「"ヴァンパイアキラー"って、充希さんが自分で言い出したんですか?」


「そうだな。僕が自分で名乗り、今もそう名乗っている」


「どうして"ヴァンパイアハンター"ではなく、"ヴァンパイアキラー"なんです?」


 途端、充希が小さく噴き出した。昼下がりの喫茶店で、くだらない冗談を耳にしたようにクツクツと笑う。


「いやだなあ、巧人」


 とろりと緩んだ紫の瞳。


「巧人も言ってたように、"吸血鬼かれら"は化け物じゃない。ウイルスに侵された感染者――つまり、"ヒト"だ」


 充希がマグカップを置く。彼は舞台に立つコメディアンのごとく、どこかおどけた調子で両腕を広げた。


「僕は"ヴァンパイアキラー"。血を求めた哀れな"感染者ヴァンパイア"を殺す、"殺人鬼キラー"だ」


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ヴァンパイアキラーは吸血鬼しか愛さない~偽りの相談屋は救血に惑う~ 千早 朔 @saku_chihaya

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