第37話そうして彼は悠然と微笑んだ②

「……ありがとな」


 小さく礼を告げた俺に、清はカップの淵を持つようにして、コーヒーをごくりと飲みこむ。


「にしても、わざわざ清が取りにくるなんて、珍しいな?」


 通常、報告書のやり取りはドローンに任せている。こうして直接誰かがくるのは、極めて珍しい。


「……自分はいけねーからって、江宮のヤツがうっせえうっせえ」


「ああ……この首のこと、心配させちゃったからな。江宮にも大丈夫だって伝えておいてくれるか?」


「んなことわかってんだよ。つーか、いくらアイツがうるせえからって、それだけで俺サマが来るわけねえだろ」


 と、清はカップをソーサーに戻し、


「アイツ、死んだぞ」


「アイツ……? それって誰の――」


 刹那、俺の脳裏に彼が浮かんだ。


「まさか、アイツって……俺と充希さんを襲ってきた、あの彼か」


「ったりめーだろ。他に誰がいんだよ」


「っ、どうして」


 清はチョコレートの包みをピッと口で破って、


「しらねえ。なにも残さねえで、急に死にやがった」


 苛立ちの混じる歯が、口内でがりりとチョコレートを噛み潰す。


「急にってことは……脳梗塞とかか?」


「ちげえ。アイツ、ガチでしばらく"あの状態"で、取り調べるにも会話すら成立しなくてクッソ面倒だったくせに、五日目くらいから急にまともになりやがった。演技じゃねえ。精神鑑定でも白だ。疑いなく、正気に戻りやがったんだ」


「…………」


 おかしい。俺は不可解だと眉を寄せる。

 これまで何度か"ああした状態"におちいった容疑者を見てきた。その中でもあの青年は、芯の中心部まで粉々に打ち砕かれているように思えたし、それこそ"再構築"には時間を要するだろうと長期戦を予感していた。

 それが、たった五日で?

 清はチョコレートを咀嚼しながら頬杖をつく。


「五日目を境に、気味悪いくれー素直になんでも話しやがった。ほぼ別人だな、ありゃ。手ごたえもクソもねえ。拘置所でも真面目で穏やかで、飯も全部食うようになった」


 清が言葉を切った刹那、ソファーから注がれる、伺うような視線とかち合った。

 席を外さなくてもいいのかい? そう問いたげな充希に、俺は問題ないと頷く。

 清も気付いていたのだろう。が、特に触れることなく言葉を続けた。


「自殺だ。テメエで、舌を噛み切りやがった」


「――え?」


「須崎のこともテメエが起こした事件のことも、こっちが聞いてねえ身の上話まで洗いざらい吐き出して、夕食も綺麗に食い終わった後だ。歌を、うたってたらしい。看守が気づいた。今日はずいぶんと機嫌がいいみたいだななんてボンヤリしてたら、やられたみてえだ」


「――っ」


 あの青年がうたう、歌。

 それはきっと、須崎に捧げていたに違いない。

 安らかな眠りを祈る鎮魂歌だったのか、これからの出立を告げる、呼びかけの歌だったのか。

 それとも、自身が"未練"になれなかった、贖罪しょくざいだったのか――。


「――おやおや、それは」


 声を発したのは、充希だ。清が顔だけで肩越しに振り返る。


「なんとも残念で、痛ましい。どうか彼の眠りに、さち多からんことを」


 憐れんだ面持ちで祈る充希に、清はすうと双眸を細めて、


「……これも、アナタの狙い通りなんじゃないですか」


「まさか。僕には彼の死を望む理由がないし、ましてや死へと誘導した過去もない。……僕もだが、また巧人を逆恨みして襲ってこられても困るからね。少しばかりきつい"仕置き"をしたが、それだけだ。心から哀悼の意を捧げるよ」


「……そうですか」


 清の目が再び、俺に向く。


「テメエは……って、聞くまでもねえな」


「え?」


「アイツは"自殺"だ。……意味、わかってんな」


 どこかとがめるような眼に、俺は「……ああ」と頷く。

 清は、気付いているからだ。俺の胸中でたゆたう自責の念を。


 ――彼の死を許したのは、俺だ。


 "壊されて"しまった彼を本気で哀れに思うのなら、清が連れて行った後にもアプローチする方法はいくらでもあった。

 それこそ、キミに落ち度はない。須崎の死は全て俺の責任だと言ってやれば、彼は復讐心をかてに"生"にしがみついただろう。


 だが、しなかった。俺は切り捨てたのだ、彼を。

 けれどもこうして俺が自身に罪の証を刻むことを、清は昔から、嫌悪している。


 全ての"罪"を救えるつもりか、思い上がってんじゃねえ。

 ――テメエは"神"じゃねえだろう、と。


「……今回の"吸血"事件は、関係者全員死亡で終いか。報告書、けっこう頑張って書いたんだけどな」


「今回はいつもとがちげーだろ。調書だって細けえ。ただでさえめんどくせえのに……。おい、他になんか食えるモンねえのかよ」


「他? ああー……バームクーヘンでよければ、小袋のやつが上のデスクにあるけど」


「僕がいこう!」


 ソファーから華麗に飛び降りた充希は、二階へと続く階段へと駆け寄り、


「なあに心配ない。僕はそれこそ毎日この場を訪れているし、過ごす時間も巧人と同等だ。おまけに日々の観察により巧人のデスクは熟知しているし、先ほども告げた通り甘味には目がない。つまりキミの疲労を癒すバームクーヘンを見極めるには、僕がいっとう向いている。安心して任せたまえ!」


 意気揚々と階段を駆け上がっていく充希の背に、「転ばないように気を付けてくださいよー」と注意を飛ばすと、「問題ない!」と返ってくる。

 ドタバタと響く足音を聞きながら、


「……いつもなのか?」


「まあ、これくらいならマシな方かな。実害ないし」


「……帰る」


「あれ? バームクーヘンはいいのか?」


「戻って来たアイツの相手をするのがめんどくせえ」


 残ったコーヒーを一気にあおった清が席を立つ。刹那、


「――おい」


 伸びてきた掌が、俺の胸元を掴んで引き寄せた。


「……アイツにあまり、近づき過ぎんじゃねーぞ」


「……え?」


「帰る」


 パッと手を離した清が、ポケットに指先をつっこんで扉へと歩いてゆく。


「――まっ、清!」


「んだよ」


「えと……」


 どういう意味だ。そう尋ねたかったが、訊いたところで清はきっと教えてくれないだろう。


「――決めた! これがいい! さあ待たせたなアルタイルのきみ。この選びに選びぬいた至極のバームクーヘンが、キミと僕とを結ぶ運命のさかずきに――おや、お取込み中だったかな?」


 こてりと小首を傾げる充希に、清が「帰ります」と短く告げる。


「なんと……僕としたことが慎重に慎重を期したがために、時間をかけすぎてしまったかな。せめてもの詫びだ、共にカップを傾けることは叶わなかったが、僕の愛の証としてこのバームクーヘンだけでも連れて行ってあげてくれ」


「……はあ」


 気だるげな返事にも関わらず、充希は「そうか! 受け取ってくれるか!」と目を輝かせて嬉し気に駆け下りてきた。

 面倒くさそうにしながらも、小袋を受け取る清。

 その光景を直立不動で眺めていた俺は、固まっていた唇を無理やり動かした。


「……他に、俺に言うべきことはないか?」


「あ?」


「……俺の処分は、どうなる」

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