後編

 


 そんな時、祐理子は自らの口で、その真相を語った。


「……四年前に主人交通事故で亡くなって、すぐどした。知ったのは。医者は早期発見やさかい、温存療法で治せる言うてくれたけど……」


「……」


「乳房に傷をつけるのんはいやどす。抗がん剤の副作用で髪抜けるのんは、絶対にいやどす。……やったら、死んだほうがましどす……」


「……」


 祐理子の魂が叫んでいるように、崇文には聴こえた。



 ――やがて、別れの日が来た。東京での就職が内定し、下宿を引き払う前夜だった。


「……うちね、崇文はんと出会う予感がしとったんどす」


「え? ……」


「庭のあじさいの色変わったんどす。去年と……」


「……」


「うち、幸せどす。崇文はんに会えて、ほんまに幸せどす。……おおきに」


 崇文の腕枕をした祐理子が、澄んだ瞳を向けた。


「……向こうが落ち着いたら、必ず、また来るから。……ね」


「嬉しい。せやけど、崇文はんは将来のある人どす。うちのことなんか忘れて。……うち、十分幸せどしたさかい。四年近うも生きてこられたのも奇跡やけど、崇文はんに会えたのも奇跡どす。神様に感謝しいひんとね。崇文はん。……こないなうちを愛してくれて、……おおきに」


 祐理子はなみだを溜めて、優しく微笑んだ。


「……祐理子さん」


 崇文は、今にも折れてしまいそうな祐理子の華奢きゃしゃな体を力一杯抱きしめた。――



 それから二週間が過ぎた頃だった。野暮用で京都に来ていた崇文は、東京に帰る前に祐理子の家に寄った。突然行って、吃驚びっくりさせたかったのだ。



 だが、堂本の表札も書道教室の看板も無く、縁側の雨戸も閉まっていた。


 引っ越したのかな? ……まさか!


 崇文に不吉な予感がよぎった。その瞬間とき、隣の玄関が開いた。出てきたのは、買い物かごを提げた初老の女だった。


「……あのぅ」


「へぇ」


「堂本さんは?」


「……亡くなられたんどすえ、先週」


「えっ! ……」


「お気の毒になぁ。まだ四十前やったのに。……なんでも、全身にがんが転移しとったんどすって。別嬪べっぴんはんどしたのに、ほんまに気の毒やわ。……ほな」


 女は軽く会釈すると、背を向けた。崇文は凝然ぎょうぜんと立ち尽くしていた。


 ……亡くなった、先週、四十前、転移、別嬪さん、気の毒……


 女の言葉が頭の中で繰り返されていた。そして、微笑む祐理子の顔が、うなじほくろが、……月光に耀かがやなみだが、回り燈籠とうろうのようにくるくる回っては消え、消えては回っていた。


 この時ふと、祐理子が言ったある言葉を思い出した。



「庭のあじさいの色変わったんどす。去年と……」


 あの時は何も思わなかったが、よく考えると奇妙な話だ。紫陽花の色は土壌によって変化する。突然、土質が変わる訳がない。崇文の中に、不意に疑問が湧いた。


 ……もしかして、紫陽花の下に人間が埋まっているのではないだろうか。


 崇文にそう思わせたのは、祐理子の色気だった。夫を亡くしてから四年もの間、男が居なかったとは考え難い。


 崇文は、腕の中で悶える、妖艶で美しい祐理子を思い浮かべていた。三十前後にしか見えなかった祐理子は、実際は四十前だった。その若さの秘訣に、男の影があって当然だ。


 仮に、自分のように祐理子に恋した男がいたとして、その男が祐理子の“さくらんぼ大”に気づいたとして。それを醜いものだと決めつけたとして。……わらわれ、罵倒ばとうされ、挙句、逆上した祐理子が男を殺したとしたら。……そして、死体を庭に埋めた。


 崇文の妄想は誇大し、やがて殺人にまで及んでいた。根拠などない。だが、紫陽花の色の変化には科学的な根拠があるはずだ。庭を掘り起こせばそれは明らかになる。だが、警察に通報するつもりなど微塵みじんもない。祐理子を美しい悲劇のヒロインのままにしておきたかった。




「乳房に傷をつけるのんはいやどす。抗がん剤の副作用で髪抜けるのんは、絶対にいやどす。……やったら、死んだほうがましどす…… 」


 そんな祐理子の言葉が過った。祐理子は“女”に執着していた。死ぬまで“女”でいたかったに違いない。



 ぽつぽつと雨が落ちてきた。祐理子に憐憫れんびんの情を覚えた崇文は、出会った時のことを思い出し、涙した。




「よかったら、この傘使うとぉくれやす 」




 溢れる涙を、……雨は、ただのしずくにしていた。――




     頬

   し 伝

 七 ず ふ

 変 く

 化 に

   添

   ひ

   し








    完

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七変化 紫 李鳥 @shiritori

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