CHAIN_106 知りたいなあって

 自宅に到着するや否や女の戦いが始まった。和室で母に取り入ろうとするアイサとユリカを尻目にキッチンでは今日の料理当番の父が黙々と晩ご飯の準備を進めていた。


 いつもなら手伝うところだが、今のツナグには荷が重いのでただただリビングのソファで王様のようにくつろいでいる。


「おいっ」


 ツナグは目の前をぼうっとした顔で浮遊しているリンに小さく声をかける。ここのところ口数が少なくなっているので少し心配していた。


「んっ? なあに?」

「大丈夫か、お前。最近おかしいぞ」

「ああ、心配しないで。その、ほら、考え事ってやつよ」


 人工知能も考え事をするのかと突っ込みたくなったが、ツナグはグッと堪えて問いを投げかけた。


「やっぱりあいつらのことが気になるのか?」

「うん。マインドイーターはともかくシェラックとかいう人型は私にそっくりじゃない?」


 言われてみれば確かにそうだとツナグは思った。人のように振る舞いながらも機械的に考えるそれは人工知能に近しい。


 自らを『逆説パラドックス』と名乗る謎に包まれた存在。リンだけでなくツナグ自身も気になっていた。


「なに? また独り言?」


 通りかかった母に小言を言われてツナグは煩わしそうに息を吐いた。彼女はキッチンのほうへ向かい、そのあとを小判鮫のようについていくアイサとユリカ。


「お父様。お手伝いしましょうか?」

「あ、またそうやってすぐにっ! 私も手伝います」


 キッチンで第二ラウンドが始まった。巻き込まれた父は困った顔で簡単な仕事を彼女たちに振り分けた。


 §§§


 今日の晩ご飯は和食だった。父が好きな雑穀米のご飯に野菜たっぷりの汁物。おかずは魚の煮付け。支度が整って全員が食卓についた。


「……ふう。なんかほっとする」


 味気のない病院食を食べていたツナグにとっては落ち着く味。


 そもそも多くの人々が調理したものと遜色ないインスタント食品や冷凍食品・凍結乾燥食品で食事を済ませるこのご時世に自炊する家庭は珍しかった。


 ファストフードのレストランも無人化・完全自動化されてロボットが作りロボットが提供する方式になっていた。


「……私は普段作っていただいたものを食べるだけなので、この感覚は新鮮です」

「……私も普段はサプリやインスタントだから、なんだか懐かしいかも」


 ユリカとアイサはその美味しさよりも久しい人の温もりに感激していた。


「お口に合ったかな」


 父がそう言うまでもなく、みんなは穏やかな笑みを浮かべていた。


 食事を終えて風呂場へ向かったツナグ。これまではどうにか体を拭くだけでごまかしていたが、さすがにむず痒くなってきたので無理にでもシャワーを浴びるつもりでいた。


 当然自分の足で立ち上がり手を動かすとまだ酷く痛む。


「こういう時、私じゃ手伝えないのよね」

「まあ、それはしょうがないだろ。いたたっ……」


 ツナグはバスチェアに座ってできるだけゆっくりと動くことで痛みを最小限に抑える。


「まさかシャワーを浴びるだけでこんなに苦労するとは……」

「せめて痛まなければ助けられるんだけど」

「そうなのか?」

「共振形態を利用して体の動きを補助するの。もしツナグの手足がほとんど動かなくなったとしても私のサポートである程度思い通りに動かすことができるはずよ」

「へえ、すごいじゃん」

「でしょでしょ!」


 リンが無邪気に胸を張る裏でツナグはふと思った。本来の使い方はきっとそういう方向性なんだろうな、と。


 人工知能の指輪に託した優しい祖父の望み。その断片を垣間見ることができた気がしてツナグの中に込み上げてくるものがあった。


 浴室の中で未だシャワーも浴びずに一人しみじみしていると、それをぶち壊すかのように突如として扉が開かれた。


「ツナグさん。お体が不自由かと思いましたので入浴の介助に来ました」


 裸身のユリカが中に入ってくる。


「ちょ、ちょっとあんた! 何考えてんのよっ!」


 アイサがそれを止めに入るが、彼女に気に留める様子はない。


「ま、お、おい、ちょ、ちょっと」


 予想していなかった展開にツナグは取り乱す。なにぶんとっさに動けないので結局どうすることもできないままユリカを迎え入れた。


「ま、待ちなさいよっ! はっ、裸で入るなんておかしいでしょ!」

「ですが浴室では服を脱ぐのが決まりでしょう?」


 中に入ることすら躊躇するアイサに振り返って返事をするユリカ。そのあっけらかんとした態度を見てアイサは何も言えなくなり引き下がった。


「……それでは、まずはお体のほうを綺麗にしましょうか」


 ユリカは近くにあったボディタオルを手に取り、お湯を出してからそれを濡らした。


 鏡に映る美術彫刻のような裸体。その全てを目の当たりにしてツナグの中に湧き上がってくるものがあったが、あまりの美しさと尋常ではない緊張から物理的には何のアクションも起こらなかった。


「こういうの恥ずかしいって言うんでしょ? 概念としては分かるんだけど、いまいち理解できないわ」


 この状況で一番冷静なリンはどうしたものかと違う意味で頭を悩ませていた。


「あっ……」

「そのっ……」


 不意に目が合ってしまう。ツナグがそのままじっと見つめていると、さすがのユリカも恥ずかしそうに頬を赤らめた。


 若い男女が気まずい空気に呑まれた時、ガタンと浴室の扉が勢いよく開いた。


「やってやろうじゃないのっ」


 アイサが覚悟を決めて全裸で乱入してきた。だがしかしツナグと目が合った途端すぐに覆い隠した。


「あっ、あんたの思い通りにはさせないからっ」


 羞恥心を食いしばって抑えながらずかずかと近づくアイサ。


「面白くなってきたじゃないのっ。興味深い感情のデータが取れそうだわっ!」


 その様子を見てリンは楽しげに辺りを飛び回った。


 異様な状況に頭が混乱してきてツナグはもう恥も外聞も無くなった。だからいっそのこと開き直って漢らしく構え、曝け出すことにした。


 それからのことは夢うつつで、ツナグが唯一はっきり覚えているのは、小さなマシュマロと大きなマシュマロに挟まれて危うく窒息しそうになったということだった。


 §§§


「――はあ、疲れたー」


 ツナグはすっきりした顔でベッドに寝転がった。良い意味でフラッシュバックする鮮烈なシーンの数々に心が充電される。


 あのあと二人は家に帰っていった。泊まるつもりでヒートアップしていたが、母が息子の容態を考えてストップをかけてくれたのだ。


 男子としてはもったいない気持ちがもちろんあったものの未だに痛むこの体のことを考えると母に感謝せざるを得ない気分のツナグだった。


「ふふふっ、いいデータが取れたわっ!」

「そりゃ良かったな」


 リンは満面の笑みで収集したデータの解析をおこなっていた。


「ねえ、ツナグ」

「なんだよ?」

「ツナグって私のことどう思ってる?」


 唐突のそれも人間じみた質問にツナグは思わずドキッとした。


「どうしてそんなこと聞くんだよ」

「うーん。ツナグを酷く傷つけたあの子と私が本当に似たような存在だったら、やっぱり嫌われちゃうのかなあって」

「はあ……。ほんと、お前ってやつは……人間かよ」


 あまりに馬鹿馬鹿しく人間臭い心配にツナグは大きなため息をついた。


「人間みたいに感じ取ることができないから、私に対して実際はどんな感情を抱いているのか知りたいなあって」


 その真剣な顔を見たら茶化す気持ちはなくなってツナグは真面目に答えることにした。


「……そうだな。正直に話すと、初めて会った時はお前のことうっとうしいと思ってた。早くいなくなれって。すぐにでもおさらばして一人に戻りたかったよ」

「……ツナグ」

「けど、その日から毎日が少しずつ楽しくなってきた。欠けていた部分が埋まっていくような、空っぽだった人生が満たされていくような、そんな気持ちになった。だから今は、素直にありがとうって思ってる。その……まあ……だからさ、これからもよろしくな」


 照れて頭をかきながらツナグは本音を伝えた。


「……体がハングアップしてエラーを出したのに悪い影響がない。これが嬉しいって感情なのかな」

「……リン」

「まだよく分からない。けれど今の言葉は私のメモリーにしっかりと記録したから、これで何度でも検証できるわ」


 すると頭の中で音声記録が再生され始めた。自分の発した恥ずかしい台詞を辱めのように聞かされるツナグ。


「……おいィ?」

「ああ、すごくいいわっ。いい感じよっ!」


 何度も繰り返しては一言一句を反芻してうっとりしているリン。


「お、おいっ! 今すぐやめろっ!」

「もうっ! 検証中だから邪魔しないでっ!」

「検証もくそもあるかっ! 今すぐにそのデータを消せっ!」


 ツナグはただでさえ痛む手を動かしてリンを捕まえようとするが、彼女はするりするりと抜けだして妖精のように飛び回る。


「こ、このやろうッ! いだっ、いだだだだだ……!」


 無理をしたことで体に激痛が走る。青年は震える手で彼女に向かって手を伸ばす。


「けっ、消してくれ……! 頼むから……!」

「どうして? こんなに素敵なものなのにっ!」


 未完成の人工知能は素晴らしい贈り物をもらったとでも言わんばかり。その音声記録を大事そうに抱えて、とびきりの笑顔を見せた。


 やはり人間と人工知能はまだまだ上手く噛み合わない。けれどいつの日か……。


 こうして夜は更けていく。いずれ目を覚ます朝に向かって。


 当たり前のそれは、きっと明けぬ夜が来ないことをみんなが『知っている』から。

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