CHAIN_105 回顧する

 その日は家族にとって幸せな最高の一日になるはずだった。もうすぐだと楽しみにしていた少年が目の当たりにしたのは辛い現実だった。


 その部屋で泣き喚く母の姿とそれを悲痛な顔で落ち着ける父の姿。今でも目に焼き付いて離れない鮮烈な光景。


 その場所から逃げだした少年は茫然自失のままとにかく走った。前なんて一寸先も見えていない。


 でも大丈夫。道を走っているのは二十二世紀の科学が生みだした絶対に人を傷つけない完全自動運転の車。だから……。


 少年が気づいた時にはもう遅かった。制御プログラムに異常をきたした一台の車が歩道に乗り上げて突進してきた。


 何が起こっているかも分からずに硬直する少年。横から急に大きな影が現れて、視界が乱回転し、ぼんやりとした意識で体を起こすと、大きな血溜まりの中にいた。


 すぐそばに元々は人だった何かが倒れていて、少年が両手を上げると真っ赤に染まっていた。生唾を飲み込んだ時にした鉄の味はきっと未来永劫忘れることはないだろう。


 ふと人の気配がして少年が振り向くと、のちに親友となる別の少年が立ち尽くしていた。


 §§§


「ツナグ。大丈夫……?」

「ちょっと思い出してた」

「あの日のこと?」

「そう。やっぱり今でもよく覚えてる」


 ツナグは静かに目を開いた。


「あれはツナグのせいじゃないよ。不具合を起こした車のせいで……」

「でも俺を庇って亡くなった人がいるんだ」

「それでもツナグのせいじゃないし、一生をかけてまでしょい込む必要はないんじゃないかな。亡くなった人もそんなふうに抱え込んだまま生きてほしくて助けたわけじゃないと思うし……。ごめん、知ったような口を利いて」

「……いや、別にいいよ」優しい言葉をかけられてツナグはうつむく。


 この日から始まった。誰かの悲しそうな顔や辛そうな顔を見るたびに連動してフラッシュバックする鮮烈なシーンの数々が。


 血溜まりの中にいる自分の姿。真っ赤に染まった両手。飲み込んだ鉄の味の生唾。かつて人だったものの面影。


 そこから逃げようとすると悪夢が追いかけてくる。そして語りかけてくるのだ。


 お前は犠牲のもとに救われた。なのになぜお前は身を挺して救わない。


 呪いのような深層心理の囁きを真に受けて、ツナグは困っている誰かを見るたびに身を挺して助けるようになった。


 決してスーパーヒーローのように前向きじゃない、後ろ向きな動機で。


「……帰ろうか」

「うん。帰ろう」


 気分を紛らわすためか足は自然と河川敷のほうを向いた。バリアフリーのスロープから柔らかい地面に乗り上げて進んでいく。


 その先で痴話喧嘩のような声が聞こえてきた。ふっと視線を上げてみると、言い合いをしながらこちらへ向かってくるヒサメとユリカの姿があった。


「いったいあの場所で何があったんだ」

「いったいあの場所で何があったんですか」


 交差点での出来事をまるで遠くから見ていたかのように語りかけてくる二人。もう隠そうともしないことにツナグは思わず苦笑した。


「あなたたちに話すようなことじゃないわ。ほら、帰った帰った」


 驚く様子もなくアイサはしっしっと手で払った。二人の扱いも慣れたもの。


「けれどあんなに悲しそうな顔をしていたら気になるではありませんか……」


 憂い顔でツナグを見つめるユリカ。


 二人が野次馬根性でやってきたわけじゃないことはアイサにもツナグにも分かっていた。


「でもそんなに軽い話じゃないの。でしょ?」

「……まあ、人に話すようなことじゃないかな」


 ツナグがそう答えると、二人は気持ちを察して引き下がった。


「さあ、どいたどいた」


 アイサが道を開けるように手を振るうと、ユリカはツナグに寄り添って囁いた。


「――なら、今夜はそのお心を少しでも癒せるよう精一杯ご奉仕させていただきますね」

「はあ? ちょっとどういうことよ!」


 それを聞いていたアイサは眉間にしわを寄せてユリカに迫った。


「今夜はツナグさんのご自宅にお邪魔させていただくことになっているので」

「バッカじゃない! そんなの誰が許可したのよっ!」

「誰も何もツナグさんのお母様ですが」


 予想外の答えにアイサはきょとんとした。


「えっ……? ちょ、ちょっと待って。ツナグのお母さんが本当にそんなこと言ったの?」

「はい。事前にお電話を差し上げて、ちゃんとアポイントメントを取りましたわ」

「…………」口をポカンと開けたままツナグを見やるアイサ。

「……いや、こっちを見られても。俺も知らないし」


 ツナグは困り顔で母にメッセージを送ってみる。するとすぐに返信が来た。


「貸してっ」


 アイサはツナグの携帯端末を取り上げて、画面に表示されているメッセージを一足先に確認した。


 それが言うには確かに今夜ユリカを自宅へ招待しているとのこと。


「……はあ……ありがと」


 アイサはため息をついて端末を返した。すこぶる機嫌が悪い。


「ま、まあ、そういうことならそれで」


 普段からちょくちょく知人・友人を自宅へ招いている社交的な母。なので息子がそんなに驚くことはなかった。


「ツナグさん。楽しい夜にしましょう」

「そ、そうだね。せっかくだし楽しくなれば」


 ぎゅっと握られたその手に痛みが走ったが、ツナグは我慢してわずかに顔をしかめるだけで済ませた。


「あのさ、私も行くから」


 その隣でアイサが低い声を出した。ツナグとユリカの双方を睨みつけながら。


 一触即発の雰囲気。それを崩すように横からヒサメがクールに言葉を挟んできた。


「お取り込み中のところ悪いけど、僕はこれで失礼するよ」

「ああ、そうか」


 今日はあっさりとしていてしつこくない彼を不思議に感じたツナグ。しかしこのクールな状態が普通なのだと思い出した。


「だけどその前に言っておきたいことがある。今回の事件で僕はまだまだ無力だと痛感させられた。あの化け物を前に何もできなかった」


 ヒサメの言葉に反応してユリカもしゅんとする。


「倒れたあとのことは何も覚えていないが、君が倒してくれたんだろう。だからそんなふうに。申し訳なさと感謝でいっぱいだ」

「……いや、俺もあの時のことはよく覚えてないんだ」

「たとえそうだったとしても、きっと君に違いない。不思議とそう確信している。僕たちが駆けつけた時も君の目はまるで輝きを失っていなかった。……そんな君に、僕はますます憧れた。近づきたいと、超えたいと思った」


 凍っていた語気が徐々に熱を帯びていく。


「互いに本選で勝ち上がっていけば、いずれ僕と君はぶつかるだろう。その時は……勝たせてもらう! 不屈の君を乗り越えて、何者をも寄せつけない最強のデントプレイヤーになる! 以上だ。失礼する」


 ヒサメはそう高らかに宣言してから立ち去った。その場に思いの余熱だけが残される。


「……ほんと、呆れるくらいのデントバカだな」


 やっぱり熱い男だったと安心して元気をもらったツナグ。その顔に生気がよみがえっていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る