花と追慕

鴉乃雪人

花と追慕

 青臭い、田舎の匂い。辺り一面がぼうぼうに生えた雑草と名も知らぬ花。幼い頃はそれらが大嫌いだったけれど、今となっては胸の内に染み入るような懐かしさを覚える。

 祖母が勤めていた教会が取り壊されると聞いて、私は二十年ぶりにこの辺鄙な田舎町に訪れた。祖母はプロテスタントの牧師で、私が小学生の頃この教会に赴任し、数年後病に倒れ、亡くなった。私は年に数回家族に連れられ祖母がステンドグラスの前で説教を行う姿を見ていたが、幼い私には難しい話ばかりで退屈していた。そんなときふと窓から礼拝堂の外に目をやると、お粗末な花壇に植えられた大小さまざま、色とりどりの花々が柔らかな陽の光にさらされ、そよ風に揺れているのが見える。笑うように揺れる花々が微笑ましいような、少し意地悪なような。祖母の優しい声が響く礼拝堂の中で、そののどかな光景を眺めているうちに大抵私は穏やかな微睡みへと沈み込んでしまい、その都度隣に座る母が静かに私を起こすのだった。

 二十年ぶりの教会は、元から古臭い建物だったためかさほど印象は変わらない。多少金属の錆や塗装の剥げが目立つ程度で、今にもその生命を絶たれようとしているという実感は沸かなかった。縦長の二階建てで、クリーム色の壁に三角屋根、その上に十字架が誇らしげに立っている。外から直接二階へ入れる外付けの階段は二十年前から錆が酷く使用禁止になっていた。一回は事務室や談話室や厨房で、二階はすべて礼拝堂に充てられていたが、いつ訪れても長椅子に人はまばらに座っていた。昔からそんなのだったから、さらに過疎化と高齢化が進んだ結果、教会に通う人も教会を守れる人も、ついぞいなくなってしまったのだという。取り壊されるのは教会だけではなく、この辺り一体が大きな工場に代わるらしい。私がこの話を知ったのは教会とは全く無関係の友人からで、それもどこだかの田舎町にどこそこの企業の工場ができるというだけの情報だった。思い当たって調べてみた結果、この教会も無くなってしまう事を知った訳である。

 伸びた雑草の中を進み、教会に入る。鍵は掛かっていなかった。室内は埃っぽかったが、いやに整頓されている──というより物が少なく、私は祖母が厨房で入れてくれた紅茶や、談話室で食べたパウンドケーキを思い出したりして寂しくなった。子供向けの聖書の絵本もよく読んだ。目から本当に鱗がぼろぼろ落ちてくる男の話が好きで何度も読み返した。あれは何という人だったろうか──埃っぽい陰鬱な空気の中から心なしか祖母の匂いを感じてしまうのは錯覚か、それとも祖母の匂いはこの教会自体と結び付けられて私の記憶にしまわれているのか。祖母との最後の思い出は、亡くなる直前の病床で私の頭を撫でてくれた事だったが、考えてみれば私は祖母の事を良く知らない。本当に今更だが、礼拝での説教くらいもう少し真面目に聴いていれば良かったかもしれない。そんなことを考えつつ、二階に上る。

 ぎしぎしと心配になるくらいの音を立てて階段を上った先に、紫や緑や青の光が差し込んでいた。ステンドグラスは未だ健在で、野花の冠をつけたイエスが両手を広げて微笑む姿が夕陽と綺麗に重なり、鮮やかな光の筋が老いた礼拝堂を彩っていた。色とりどりの光の煌めきは、私が足を進めるたび微細に変化して、イエスの御姿は一層神々しく、そして美しく私の目に映った。こんなにも美しい場所を私は既に知っていたのか。その感慨と同時に、この光景がすぐに崩れ去ってしまう現実を突きつけられる。ならば──ならばせめて私の中に、かの救世主の姿を永生のものとして、幼き日の思い出とともに焼き付けようではないか。失われゆくものに私が差し伸べられる手は、それくらいだ。

──いや、そもそもキリストとは元来そういう存在なのだろう。

 妙に感傷的な思考になっていることに気付いて、自嘲気味に笑ってみる。もう引き返すことにして階段まで向かい、最後に一度だけ振り返ってステンドグラスに目をやる。毅然と、しかし穏やかに牧師として言葉を語る祖母の姿、まばらに座る人々、父と母、そして窓の外の花壇に目をやる幼い私がステンドグラスの光に引きずられるようにぼんやりと浮かんで、消えた。

 帰路に就く前に、花壇のあった場所で雑草の中に埋もれるように生えていた小さな紫の花を見つけた。形が良いものを二三摘み取って、そっと夕陽にかざすと、あの頃と同じそよ風が吹いて、小さく花を揺らした。私が手を離すと、花はやわらかい光の中へ溶けていくのだった。

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