第6話 逆転する立場……

 窓から朝の明るみが広がり、雪の顔に光のカーテンが降りてきた。


 雪はゆっくりと目を開けると深いため息を吐き、吉光の事を考えてしまう。もうこの朝日を彼は見ることも、朝日のぬくもりを感じる事はなく、真っ白なシーツに包まれたまま病室でない場所に安置されてしまっている事を……


 今日は病院へ行きたくない……


 仕事なんてしたくは無い……


 でも今の状態で休む訳にはいかない。みんなが頑張ってこの逆境に立ち向かっている事を重々わかっている。なにより、自分が初めて好きになった吉光が自分の仕事に誇りを持って自らの感染を笑って受け流していた事を……


「よしっ!」


 自分を奮い立たせて朝の準備をする。朝食はドアの前の配膳台に毎朝配られている。今日の朝食はパンと野菜ジュースとヨーグルトだった。感染防止の為全て工場生産の包装された食品しか朝はでてこない。それらを朝のニュースを見ながら食べるのが毎日の日課だ。その後は着替えをし、夜の食事のリクエストをメールする。毎日がこのメールの食事が最後の食事になるかも知れないと思いながら食事をリクエストする。今までこんなに食事の大事さを考えたことがあっただろうか?

 そんな思いに浸りながら選んだメニューはエビチリとチャーハンが入ったメニューをリクエストした。吉光が退院したら一緒に食べに行きたいと言っていた中華料理……


 今回の事で、人は本当にあっけなく亡くなってしまうことを誰よりも見てきた。コロンウィルスが変異してからはその速さは以前より顕著で、肺が白くなり始めたらあっという間に亡くなってしまう。こんなに人間は弱いものなのか……


 配膳台の下に用意されていた看護服を着て行く準備は完了だ。感染防止の為に携帯電話は専用の袋にいれ、最小限度の荷物を持って送迎バスに乗った。


 病院では相変わらず混雑して廊下にも患者が溢れていた。ナースステーションに寄る前にまず吉光の病室へ向かった。


 やはり……


 そこには吉光の札はかかっていなかった……


 駄目だったか……


「おはよう!!雪さん!!」


 いきなり声を掛けられ、後ろを振り向いてその声の主を見て驚きのあまり声が出ず、口をパクパクしてしまった。


「何を鳩が豆鉄砲撃たれたような顔してるの?」


「ひいいいいい!!南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」


「いやいや殺すなよ!!」


 そこには屈託の無い笑顔で立つ吉光がいた。


「なんで……」


「さあ? 夜中に目が冷めたら普通に戻っていたんだ。さっき先生の診断も受けたけど熱も肺炎症状も無く、ほぼ健康状態になってた。今PCR検査の結果待ちなんだ」


 雪の顔はもう涙でグシャグシャになっていた。


「グスッ ウウッ もう 駄目だと思っていた…… 二度と会うことが出来ないと思っていた……グスッ」


「雪さんが頑張れって言ってくれたから助かったんだと思う。ありがとう!!」


「もう…… 退院したら絶対中華連れて行ってくださいね!!」


「おう!!」


「行かなきゃ……」


 雪は化粧室へ駆け込み涙を拭いて整えナースステーションへ向かった。


「栗本さんなんか今日は元気良いね。何か良いことでもあった?」


 同僚が声を掛けてくる。


「ちょっとね!!」


 笑顔で応える。さあ今日も一日頑張ろう。でも油断はせずに絶対に感染しないように気を引き締めなきゃ……



 その頃、医師の白石は吉光の検査結果を見て頭を抱えていた。昨日夕方の状態からは過去の事例をみても絶対に助からない。絶対にだ!!


 でも吉光は復活した。しかもありえない速度での復活だ。夕方急変して夜中から朝方に向けて完全回復……


 これは自分の手に負えないと思い、すぐに先輩医師や細菌学の権威の医師等にこの奇跡を報告して、朝方の診断でいろいろなサンプルを採取していたサンプルも各所に送った。自分は内科ではあるがウイルスの研究家ではないので、何かあれば専門家にお願いした方が良い。出来る人が出来ることをする。これが有事の鉄則である。自分に出来ることは吉光のPCRの結果が出たら再度各所に報告して吉光の体調の変化がないかを見守るだけだ。


 吉光のPCRの結果が出たが、やはり陽性のままだった。そんなに早く陰性に変わるわけないし、あの症状はコロンウイルス以外あり得ない。報告をまとめてメールをした。何かわかればメールが来るだろう。


 翌日も吉光の体調に変わりは無く、症状も出ていないのでとりあえず軽症者施設へ移動することになった。


 吉光は雪に挨拶をするために病室へ来た看護師へ、雪に連絡を取りたいと話しかけたが、帰ってきた言葉に愕然とした。


「栗本さんは朝から発熱があり、検査の結果コロンウイルスに感染している事が判明して入院しました。もうすでに肺炎の症状が出始めていますので……」


「もしかして、あまり良くない?」


 看護師は何も言わずゆっくりとうなずいた。


「病室はどこ? 会えない? 俺は抗体持っているはずだから会っても感染しないよね?」


「ちょっと先生に確認してきますから、そのままお待ち下さい」


 しばらくして看護師が戻ってきた。


「本来は一般の方に合わせることは出来ませんが、吉光さんは救命救急士ですし感染防止に気をつけていただければ合わせても良いとの事です」


 看護師から案内された個室には酸素を吸入している雪が横たわっていた。


「なぜ?」


 看護師から、感染者が意識混濁で暴れた時に吐瀉物がかかりそこから感染したのではないかと聞かされた。


「潜伏期間は?」


「変異したコロンウィルスのCOPAN-20βは感染翌日から症状が出る場合があり、症状が進むのも桁違いに早いです」


「そんな……」


 吉光は横たわる雪の横に座って看護師に伝えた。


「このまま雪さんを見守りたい……」


「私の一存ではなんとも言えませんので、先生の許可が出るか聞いてきます」


 看護師は困ったような顔をしながらそう言い、部屋を出ていった。


「雪さん!!頑張れ!!俺は復活したから、今度は雪さんの番だよ!!」


 吉光は雪の手を握り声をかけ励まし続けた。雪は苦しそうにしながらも薄目を開けうなずいてくれたが、吉光の手をにぎる雪の手には力が無かった……





 その頃国会では、昨日の非常事態宣言に関する議論が生中継でなされていた。

 賃貸物件のオーナーからの陳情で3ヶ月も家賃カットは死活問題だという意見が、野党議員から出てきた。



「あれだけ、家賃の軽減を訴えたにもかかわらず、ほとんどのオーナーが家賃の引き下げに応じなかったので、このままいけば日本の産業の殆どが潰れてしまいます。確かに全く影響を受けていない企業や、今回の騒動が特需になっている企業もありますが、それらの企業は利益を上げて頂いた中から税金という形でしっかり返していただきます。借金のあるオーナーも借金返済が6ヶ月猶予されることは3ヶ月分後半では余裕が出来るはずです。借金のない方に関しては3ヶ月間なんとかしのいで頂きたい。そのために税金の後納等をみとめ、出来る限りの負担を減らしていきます。同じように金融機関の方からも声があがってきていますが、6ヶ月の間の資金繰りは金融庁と連携していきながらしっかり対応していきます。貸し渋り等がおきないように監視も行いますので、金融不安などは決しておこさないことをお約束してまいります」


 総理は野党の質問をバッサリ切り捨てた。全国民への配布方法については同じ党内からも質問が飛んできた。


「10万円の支給については、オンラインでマイナンバーと紐づく口座を登録して頂くとその口座へ速やかに振り込むシステムを構築中で、セキュリティの関係もあり数日お待ち下さい。とにかく若い世代の生活困窮対策が必要です。オンライン申請が出来ない方に関してはお電話で相談できる窓口を作ります。年金受給者は昨日の説明通り何もしなくても年金口座へお振込みいたします。公務員や年金受給者等給与が減らない方への支給を問題にされている方もおられますが、公務員や国会議員の方は基本的には税金で返していただく年収ラインに入っています。10万円を貰えると喜んでいる方々には申し訳ないのですが、本年度の年収が500万を超える世帯に関しては来年度以降での10万円を超える税負担をお願いすることになります。年金受給者に関しましては今回の支給を今後の年金増加予定の中に含ませていただきます」


「先程でましたマイナンバー関連に関するシステムにおいて、詐欺行為を行った方に関しては最低でも仮釈放無しの20年の刑を処するように法律の改正作業をすすめております。今回の国難に関する法律を悪用した犯罪及び脱税に関しても今まででは考えられないような罰則規定をもうけます」


「マスクやアルコールの販売で得た利益のある企業等の査察に関しては特に徹底的に行い、脱税等を許さない方向で指示しております。また個人のフリマ等での利益に関しても納めるべき税は納めていただきます。今後税収は非常に大切なものですので、全ての法人に対しての脱税の罰則規定も見直していきます」


「とにかく感染防止が急務であります。その為には国民の皆様には三密にならないような生活を送る事をお願いいたします。制限が解除後もしばらくは三密にならないように心がけてください」


 その後も細かい質問も飛ぶが、殆どの質問に対し総理側でもまだ詳細が決まっていないという答弁で終わってしまった。その日のネットによる世論調査でも概ね総理の意見に同調する意見が多く、与党の支持率も上がっていた。


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