ある盛夏の悼み

半社会人

ある盛夏の悼み

 2020年夏。

 その日の殺人で実に10件目だった。


 哀染渉あいそめわたるはため息をつくと、

 県警本部からやってきたベテランの鑑識官に話かけた。


 「どうですか?何か分かりそうですかね?」

 「ダメだね。指紋はなし。毛髪その他DNA鑑定に使えそうなものもなし。

相当用心深いのか、運がいいのか」

 鑑識官は「ふうっ」と息をついて腰をあげると

 「まあ、例によって難しいね」


 「そうですか……」

 半ば予想していたことではあるものの哀染はやはり気落ちしてしまう。


 △県〇市。

 人口20万人ほどの中規模の市だ。

 普段は事件といっても交通事故や物盗りがせいぜいの平和な街。

 〇×警察署刑事課に務める哀染も、特に仕事のない平凡な日々を送れていた。

 大卒採用で15年目の警部補である。

 強行犯係長としての辣腕?が振るえないのは残念ではあるが、警察の存在意義は公共の安全と秩序を守る(警察法参照)なのだ。

 最初から平和なら言うことはあるまい。


 しかし、そう思えていたのはつい2ケ月前までのことだった。


 6月初旬。平和だった警察署に始めて凶報が届いた。

 市の北西部の空き家で、死体が見つかったというのだ。

 都会ならいざ知らず、こんな田舎の事件は一大事だ。

 通報を受けて臨場した交番の巡査に続いて、さっそく駆け付けた哀染は、

 死体の様子に思わず顔をそむけた。

 無論、新卒の交番時代を除いても刑事になって10数年。

 死体なら嫌というほど見慣れてきた。

 だが、死体というのは字の通り、元は人間。

 その最期は究極その人それぞれだ。

 いくら見ても慣れるということはないし、慣れてはいけないとも思う。

 久しく目にしていなかったこともあり、その衝撃は大きかった。


 やがて、鑑識官、検視官らが続々と到着する。

 刑事の仕事はなんでもそうだが、特に殺人事件は初動捜査が肝要だ。

 係長としてその場の陣頭指揮を執り、解決に邁進する。


 哀染の努力は、しかし報われなかった。

 元々、それほど大きくはない市である。

 殺人事件など数年ぶりというレベルの出来事で、捜査は難航を極めた。


 しかも、まだ事件の資料がろくに集まっていないうちに、第2の殺人が起きてしまったのだ。

 現場は市の南西部の目立たない林の中。

 鑑識の結果、同じ凶器・犯人によるものと推定された。

 今度の被害者は高齢の男性で、元〇市長だった。


 つまりはかつての市のトップが殺害されたのである。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 2番目の殺人が起きてから2週間後。

 3番目の死体が、市郊外の個人住宅で見つかった。

 今度も同じ、鋭利な刃物による刺殺だった。

 死亡したのは、〇市教育委員会の元教育長だった。


 またもや地元の名士の死だ。


 元○○という役職の持ち主であっても結局は人間であるから、

 他人から恨みを買うこともあっただろうし、中には殺される者だっているだろう。


 だが、それが立て続けとなれば話は別だ。

 市長、教育長ときて、犯人が次なる凶行を『元』重要人物に与えないとは限らない。

 もちろん、命に貴賤があるわけではないし、どのみち数週間のうちに3人も殺されるのは異常事態である。


 事態を重く見た警察は、〇×警察署に正式な特別捜査本部を立ち上げた。

 本部長を刑事部長とし、その下で〇×警察署長、刑事部管理官らが指揮を執ることになった。

 一番忙しい実質的な現場レベルでの指揮は、本部の課長補佐、警察署の課長である警部が執り行う。

 哀染の直属の上司である刑事課長がその任にあたり、哀染は本部の部長刑事と共に捜査を行うこととなった。

 捜査本部に投入された人員は刑事30名。

 決して多いとは言えないが、県警の規模からいえば十分な位置づけである。


 連日連夜、ついこの間までの平安が嘘のような忙しい毎日。

 だが、犯人はそんな警察の努力をあざ笑うかのように犯行を行った。


 4番目の死体は地元の銀行で支店長を務めた人物だった。

 その温厚な人柄で親しまれた篤人である。

 だがその最期は苦痛に顔をゆがめた悲惨なものになった。


 「絶対にこの犯人を許してはならない」

 警察署長は各事件ごとに捜査員を振り分け、地道な捜査を続けさせた。

 犯人の側も、しかし「地道」に犯行を続ける。


 5番目の被害者は、何と〇×警察署の元署長だった。

 現役を退いてそう時間が経っているわけではなく、捜査本部の中にも元署長のことを知っている者が何人もいた。

 その分犯人に対する怒りは倍増し、何がなんでも捕まえてやるという気概を見せる捜査員もいた。


 犯人はそんな彼らに冷笑を浴びせるかのように、6番目、7番目、8番目の殺人を行った。

 6番目の被害者はこれまでの傾向から言うと変わり種で、〇市出身の往年のアイドルだった。

 芸能界を引退し、〇市のNPO法人理事を務めていたという。

 7番目の被害者は〇市の重工業を一手に担っている会社の会長だった。

 実際の経営は息子である社長に任せており、近所では優しい老人として知られていた。

 8番目は市消防本部の元本部長。長年の功績から市より表彰を受けたこともある人物だった。好々爺という感じで、近所の住人から親しまれていた。


 そして先日の9番目の被害者(元農協組合長)に続き、今日見つかったのが

10番目の被害者だった。


 最初の犯行発覚から2ケ月が経った夏のことである。

 鑑識官に礼を言ってから、巡査数人に現場保存を命じると、

簡単に報告をまとめ、一度警察署に戻る。

 その足で課長の所に向かった。


 50過ぎの髪がだいぶ白くなった課長は明らかに疲労の色を見せていたが、哀染の

の姿を認めると

 「やあ、ご苦労。どうだったね?」

 「やはり同一犯のようです」

 課長は哀染が提出した報告書にさっと目を通して

 「ふむ。鋭い刃物で刺殺。遺留物なし。目撃証言も今のところなしか」

 それから眉をひそめて

 「しかし、これだけ厳戒態勢を敷いているというのに、犯人ホシはどうやって犯行を」

 「地元に熟知している者の犯行でしょう。警察の活動にも敏感に反応しているものと思われます。まずターゲットを定めて、警察の警備活動が手薄になる頃を見計らい、殺害」

 哀染は刃物で人を刺すジェスチャーをして

 「分からないのは、その動機です。何のために、いわゆる地元の名士を次々に殺しているのか」

 「推理小説なら、本当に殺したいターゲットを隠しておくのが定石なんだろうが……」

 「各事件の関係者をあらっても、特に怪しげな人物はいませんでした」

 「なら、いわゆる社会での成功者に対して妬みを持つ者の犯行か」

 「単に嫉妬でここまでの凶行を繰り返しますかね?異常ですよ」

 「異常なのは始めからわかりきっているさ」

 課長は苦笑して

 「とにかく、すまないが、頑張ってくれ」

 

 捜査本部が立ち上がっているとはいえ、まさか通常業務をおろそかにするわけにはいかない。

 〇×警察署員は疲弊しきっている。

 連日の事件によって、マスコミの報道が過熱し、人々も殺到。

 〇市は混乱のさなかにあった。


「こんな状況じゃ、落ち着いて死者を悼むことすらできないな」

 哀染は遺族の感情を思って呟いた。


 誰もがさらなる長期戦を覚悟していた。


 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 

 しかし、犯人の逮捕は唐突だった。

 偶々パトロール中だった若手巡査がまさに殺人の最中を通りかかったのだ。

 その場で確保された男は、案外おとなしく警察署に連行された。

 あれだけの凶行を短い期間に重ねていれば、あるいは捕まるのは必然だったのかもしれない。

 

 その男は語った。

 「俺は癌なんだよ。もう長くない。もって半年だろう」

 「……そのことと殺人が」

 「どう関係するかって?」

 男はせせら笑って

 「俺は孤独な人間なんだ。友人も彼女も家族も。誰も周りにいない。だから殺した」

 「……よく意味が」

 分からない。混乱する哀染に

 「人間は平等なはずだろう?憲法14条で認められてる。人間はみんな平等だって。だけど、俺が死んでどうなる?誰が俺の死を悼んでくれる?」

 「……それは」

 「誰も悼んでくれない。一方で、俺が殺した『名士』様方はどうだと思う?社会に貢献して、人から愛されて。普通なら、俺よりは長生きするだろうがみんな爺か婆だから遅かれ早かれ死ぬだろう。だが、その死は大勢に悼まれるだろう」

 なあ、と男は笑って

 「おかしいだろう?人間は平等なんだ。悼まれる価値のある人間ない人間なんて差別があってはダメなはずだ」

 「……まさか」

 

 「だから殺したんだ」

 男の目は本気だった。

 

 「一つ一つの死が断続なら、悼まれる機会は多い。だが、その死が連続したものであったなら、いちいち人は悼んでくれない」

 考えてもみろよ、なあ、と男の目は語る。

 「震災で亡くなった。感染症で亡くなった。-そんな大量の死を、全員が全員、個別に悼んではいられないだろう?そんなどこかのよく知らない老人の死より、好きな芸能人の死の方が悼まれる」

 「それは……」

 「人間は平等なはずだ」

 男は怒気を声に含めて

 「だから、普通に死ねば恐らく俺より丁重に死を悼まれる奴らを殺したんだ。一度に大量に殺せば、それは事件の一つになって、個々人の死の意味合いは薄くなる」

 男は満足気に

 「ご立派な方々の悼まれるレベルを、俺と同じ悼まれる方にまで落としたんだよ。インフレってやつだ。多ければ多いほど価値は低くなる」

 「……狂ってる」

 「そう思うか?」

 二人は互いを見つめた。

 

 哀染は語気を強めた。

 「ああ、そう思うよ」

 

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 

 起訴され、公判に向けた準備中に、男は癌で死去した。

 

 新聞でそのことを知った哀染は

 「……人間の価値って、なんなんだろうか」

 刑事を始めてこの方、真剣にそう考えた。


 男の死を悼むものは、恐らく誰もいなかった。


 ---------了ーーーーーーーーーーーー


 

 

 

 


 


 



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