CANWHO

罰点荒巛

第壹次 この狂乱するクンフー









太陽と海がひとつになる。

日没の海の色はVHSにふきすさぶノイズの青。


椰子がそびえる砂浜は屍体だらけだった。


とはいっても、ガスで膨張した水死体が座礁した鯨よろしく沖一面に打ち上げられている、という景色を想像してもらっては困る。

すっくと背筋を伸ばしたいくつもの人体が、波に濡れた浜辺の砂を踏みしめながら歩いているのだから。


波がさざめいている。


マイアミから歩いてきた人々は、みな死んでいた。

行列は金魚の糞みたくひょろ長く伸びるフロリダ半島の先端、果てはキーウェストまで続いてゆくだろう。

行儀がいい買い物客、あるいは渋滞した高速道路めいて並ぶ誰も彼もが同じ格好をしているのは、彼らが感染症診療キャンプでひと仕事を終えた後だから。

ピンクやブルーで薄い色の防菌樹脂。


波がさざめいている。


度重なる変異ウイルスの蔓延が、世界中で毎年一定数の死者を出すことはささいな日常の一部になっていた。

遺伝子改造されたウイルスをばら撒くテロ集団の仕業。

どこどこの国がどこどこの国にふっかけた生物戦争。

といろいろと囁かれたりはするが、そういった真実デマは世界のあらゆるところでつくられて、ネットのあちこちに転がっている。これはいまに始まったことじゃなくて、FacebookやTwitterと言ったメディアが情報戦の様相を呈し始めた頃からすでにだ。生きるためにはトラフィックを稼ぐしかない人々がアメリカには大勢いる。インチキと出鱈目に落書きされたWikipedia。誰もが自由に書き込める歴史は修正に修正を重ね、「今」に帰って来られなくなった。過去も、真実も、いとも簡単に撹乱される。

そして、人の死にまつわる事実も書き換えられることとなる。


波がさざめいている。


屍者、歩く死体、労働用生体ボット。

それぞれの名称がつけられているが、ここではDEDDYと呼ばれていた。

人口が目減りしていく一方で、彼らの稼働数はその労働力の穴を埋めるまでになった。地獄の池に手を伸ばし、はたらける死者を引きずり上げることは人手が足りない医療機関では常に行なわれている。


数年前のDEDDYたちは少なからず歩いてはいるんだけれど、今にも地面に倒れ伏しそうな彼らのぎこちなさは昔のPCゲームのようだった。

『QWOP』を覚えているだろうか。手足にキーを割り当てられた陸上選手を操作してゴールを目指すという、やってるだけで気が滅入りそうなゲーム。歩くことすらできない彼は一体どうしてオリンピックに出場しようと思ったのだろう。

左腕と左足が同時に出て、胴体があらぬ方向に傾いたかと思うと、逆再生みたいに急に元の姿勢へ戻る。身体はその動作を繰り返しながら、わずかに前へと進んでいく、といった「シリー・ウォーク」はほんの少し前までの彼らに抱かれていたイメージだ。

それから数年後、このDEDDYが整列するマイアミビーチは人間は死後も運用可能な労働機械であるというほかでもない証明だった。


実を言うと、彼らはビーチをひとりでに行進してきたわけではない。


これは国民の公衆衛生と安全な国民生活を守るための輸送任務である。

とビーチ越しに浮かぶ上司のホロは説明の最後につけ加えた。

ホログラムという言葉が立体映像という意味ではない以上、映像に映る立体が位相を記録する必要はないし、むしろ業務連絡であれば情報量が少ない方が理にかなっている。ようは、余計な実在感テレプレゼンスだった。

小規模な共同体が次々と独立を果たしているとはいえ、政府にとって国家事業というお題目はまだまだ健在で、DEDDYの輸送にも直接関わってくる始末だ。


私がこうして死者遠征の首尾を見届ける理由は、私が米国沿岸警備隊United States Coast Guard の隊員で、私がその一部門である海洋保安部隊MSSTに特設されたCanWhoユニットのメンバーということになっているからだ。

沿岸警備隊はもとよりは麻薬の密輸入を取り締まったり、領海内の警備任務を任されている準軍事組織であるのだが、ここ数年の犯罪率の低下とともに管轄区域縮小していった。このマイアミを取り仕切る第七管区も例外ではなく、わずかではあるがその値は低下の一途をたどっている。


二ヶ月前に、私はこの部隊に配属された。

朝食をベニエとコーヒーで済ませているうちに、慣れない警察的業務も、ストレスにさらされる職場の環境も「沿岸警備用」のCanWhoが落とし込んでしまう。

ソフトウェアが私の精神と身体を、仕事上必要な枠の中に当て嵌めてしまう。

CanWhoは私たちの脳を目的に応じて最適化する。

その効果は可逆的だから、肌に貼り付けた義膚ダームを剥がせばCanWhoユーザーはー元の生活に戻ることができる。

とりわけ私たち特殊部隊に支給される軍用CanWhoは一般に市販されているタイプと違い、より高度な神経模倣をリアルタイムに結線できる仕様になっていて、もし武装した敵と交戦する羽目になったら、一時的ではあるけど私の身体―呼吸、筋運動、五感、平衡感覚、ホルモン分泌による情動のコントロールに至るまで―は法執行に基づいた無力化する戦闘メソッドに支配されることとなる。

そのため、私たち警備職向けユーザーの一般家庭よりもシステムの堅牢さが求められるため、民間委託されたエンジニアデバッグチームが控えている。

CanWhoコンサルタントはほほえみのまま言う。CanWhoの調子はどうです、システムに不具合はありませんか。

また何かご不明な点があれば、当社のカスタマーセンターへお申し付けください。いつでも取扱説明マニュアルAIがご返答いたします。




そんなわけで、わたしはひとりでに歩いてきた死者たちの行列を眺めていた。

目線のはるか遠くで圧縮され、太陽に染まる海岸線。曳きずられた踵が残した砂の轍。自然界に完全なる直線は存在しない、この岸辺がそうであるように。


ビープ音が鳴った。

「大変です、蜥蜴reptile。あの葬列プロセッションから、DEDDYがはぐれた。数は7体、国道一号線に向かって移動してるっ」

この知らせを聞いた、デイヴィスとわたしは悪態をつきながら車両に乗り込んだ。

個人認証を開け、デイヴィスが虫かごからサイボーグ蜻蛉を放つ。

「これが、最新鋭の送屍術…」

「音響装置で全DEDDYらの動作を制御するとかいう話でしたけど、こりゃ失敗かな」

ホログラブと接続された車内オーディオから呆れ声がする。こっちにヘリを向かわせるらしい。

私たちはこれから封鎖されるであろう、2390マイルの直線に乗った。




国道一号線は最南端キーウェストから、マイアミ、ワシントンD.C.、ニューヨーク、ボストンを過ぎてメイン州まで結び、カナダとの国境沿いフォート・ケートまで続いている。


対向車がいないからか、とばしていても自分たちが移動しているのか止まっているのかどうかわからなくなってくる。

水平に静止した時間があった。

このまま永遠に続きそうなパースペクティブの酩酊。

デイヴィスは言った。

いま、ぼくたちがやつら追いかけることをやめてしまったら、どうなるんでしょうかね。いつまでたってもやつらに追いつけないのだとしたら、ぼくたちはぼくたち自身のことも忘れていくんでしょうかね。

アキレスはとっくの昔に亀のことなんて忘れているもかもしれませんよ。



しかし喜べデイヴィス、腱ごと蘇った遊歩するアキレスたちはたしかに存在した。

しばらくして、上空に偵察させていたサイボーグ蜻蛉がボンネット周りに帰ってきたのだ。びーんという振動する翅音とともに、小さな頭脳に記録した画像ファイルと位置情報を無線でよこす。ズーミングのせいで死者の一隊は低解像度で描画された。

7人のDEDDY達は何処へ行けばいいのかわからず彷徨っているというより、進むべき経路を頭の中とその身体中に叩き込まれているように迷いがなかった。

現場の蜻蛉経由で、同時にマップに彼らの現在座標に赤いマーカーがピン留めされる。

「おかしいですよ」

「おかしいのは最初からだ。やつらをゴールにつかせちゃダメだ」

「んなことわかってますよ。妙なのは人数です、蜥蜴」

「ったく、7人の何が不吉なんだ…デイヴィス」

「1人、かけてるんだ」


頭上が凹んだ。

巨大な牛肉をまな板に叩きつけたかのような音で。


ルーフに垂直落下した何かが私たちの眼前へ躍り出た。

人間パンジャンドラム。あり得ない動きで曲芸を見せつけた、その身体はまだ熱を帯びたコンクリートに素足で着地する。

CanWhoの手綱がわたしにブレーキを踏ませ、車のスピードを殺すのは一瞬のことだった。

ライトが路面に引かれた中心線をリンチの『ロスト・ハイウェイ』のように照らしだす。直線。直線。直線の断片。


スポーツウェアを着た男か女かも判別できない矮躯が腰を落とし、胸正面で両腕がなめらかに構えはじめる。生者と寸分違わぬ挙動を死体野郎DEDDYだとしても、あの動き方は人体が耐えられるぎりぎりの範囲だろう。


「あれは、CanWhoだ」

本来、死体が持っている不気味さ。

その不気味さはDEDDYにしては筋肉がやたらつき過ぎているからかもしれない。平均的なやせっぽちスキニーなのだ。重量負荷を無視したステロイド注入するか、特注のアシスト人工筋肉を搭載するしかない。

おいおい、最近のDEDDYは大道芸も覚えるのか。


連続してバックフリップしながら近づいてくる、やつは爆装していた。

腹に空いたがらんどうをたっぷりの酵素発火式爆薬で満たして。

その事実に気づいた時にはもう、運動エネルギーを込めた凶暴なロンダードが私たちのもとにやってきていた。










死者の行列が、いまどこに向かっているのか私にはわからない。

太陽は海に飲み込まれた。誰かが言った、永遠を見つけたと。



波がさざめいている。



肉の焦げる匂いと共に煙が昇り、スポットに照らすヘリの光線にあてられた。



蛇のように立ち込めた煙が夜風にさらわれると、灼けたコンクリートにへばりついたデイヴィスが残っていた。




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CANWHO 罰点荒巛 @Sakikake7171

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