第20話 嵐が運ぶもの

「……街へ……?」

 訝しげに問う少年に、男は眉根を寄せて首肯する。

「……ああ……。お前にも、参加して貰いたい」

 その、苦痛を堪える様な表情に、アルは短く問うた。

「本当に、いいのか?」

 自分が参加することが、ではない。その質問の真意理解した男は、


苦しげに呟いた。

「……ああ。これは村の総意だ。……いつまでも村に籠もってしまって


は、生きてはいけるが生活は出来ない」

 アルはじっと男の顔を見つめた。その真っ直ぐな視線に耐えきれなか


ったのか、男はふいと視線を反らす。

「……確かに、皆いい顔はしなかった。――だが、アルが共に行くなら


……という意見があったのも事実だ」

 僅かな逡巡の後、ひたとアル見据える。

「……俺たちは、生きている――いつまでも……過去に捕らわれ、未来


を捨てる訳にはいかないんだ……」

 その言葉に、どきりとする。まるで自分に言われているかのようで―


「……分かった」

 今度はアルが視線を反らす。その真っ直ぐな視線を受け止める事が出


来なかった。

「――じゃあ……」

「お前が団長だ。只の団員である俺は、お前に従う義務がある」

 再び顔を上げたアルの瞳には、一切の迷いもなかった。

「分かった……っ!出発は明朝――夜明け前だ」

 そう言うと、踵を返し去ってゆく。他の団員に指示を出す姿を視界に


収め、アルの唇は自嘲の形を描く。


 ――何処かで、冷静な自分が嘲笑する。

 未だ山にすら入れぬのに、街になど行ける筈がない。

 アルゴ村の様な小さな村は、村で採れた山菜や薬草、野菜などを街に


売りに行く。でなければ、お金が入らないからだ。

 賊やならず者対策として、各自個別に行動するのではなく、大勢で隊


商を組むことで、自衛も兼ねる。

 そして前回、街へ向かう途中で、山賊に出くわしたのだ。

 無事に戻って来たのは、パノともう1人の少女だけ。後は無残な姿に


なり果てての帰還か、帰ることすら出来なかった者ばかり。

 忌まわしい思い出は消えた訳ではない。平和に見えても、今もじくじ


くと村人の心を浸食し続けている。

 賊が根城として居座っていた山にさえ入れぬ臆病ものが、傷口の塞が


らぬまま、街になど下りられる筈もなく。「アルさえいれば大丈夫」な


どと呑気に笑う。

 ――なんて、愚かしいのだろう。

 ――だが、本当に愚かしいのは……

 そっと空を見上げる。生温い風が、まるで纏わりつくかのように頬を


撫でまわす。

「……嵐が、来るな……」

 ぽつりと呟くと、男のもとへと足早に近付く。

「荷物は、少なめにしておけ。出発も、少し早める」

「……理由は……?」

「……嵐が、来る。身軽にして、早めに街へ着いた方がいい。嵐を待っ


た後では、大荷物を持っては下れない。」

「分かった」

 これではどちらが団長か分からない。しかし男は文句ひとつ言わず、


伝令に走る。

 再び空を仰いだアルは、ぽつりと呟いた。

「嵐が……来る……」

 それは現在の天候か、荒れ狂う己の心か。


 ――只、胸騒ぎが止まらない。


 何かが、来る。

 嵐に乗じて。

 始まりと終わりを兼ねた 何かが――


 アルはそっと目を伏せると、踵を返した。



  ※ ※ ※


「……まぁだ膨れているの?」

 ぷうと頬を膨らませ、恨めしげに窓の外を睨めつけるパノを見て、く


すくすと優しく微笑む。

「……だって……。」

 その子供のような反応に、夫人は優しく肩を抱く。

「ほんの少しの間じゃない」

 あやすように言われ、パノは膨れて反論した。

「……だって……っ!……だって……本当なら、私も研修でついていけ


る筈だったのに……」

 その言葉を聞いて、夫人は声を荒げた。

「止めて頂戴!!」

 普段は温厚な夫人の怒声に、パノの肩がびくりと震える。

「馬鹿な事は言わないで頂戴。前回、貴女がどんな目にあったのか……


忘れた訳ではないでしょう?!」

 ――忘れる訳がない。恐ろしい目にあったのは、他でもない自分。

「……あの時……ピトがどれ程泣いたか……私達が……どれ程心配して


いたか……」

 震える声で絞り出すように言われれば、言い返す事も出来ない。弟の


名を出されてしまえば尚更だ。

 村長夫妻には、感謝している。事故で親を亡くした自分達を、随分と


気にかけてくれていた。自分が賊に捕まりピトが1人になってしまった


時も、彼等は弟を引き取ってくれた。

 パノが村へ帰還した時、泣きじゃくりながら抱きついてきたピト。そ


して、瞳に涙を浮かべながら抱きしめてくれた夫妻の温もりは、今でも


鮮明に思い出せる。

『無事で……本当に良かった……』

 温かいぬくもりと、呼吸もままならない程強く抱きしめられた腕の強


さ――そして、震えながら呟かれた言葉に、パノの瞳からは、忘れてい


た涙が零れ落ちた。

 どれ程心配をかけていたか――どれ程……大切に思われていたか。

 パノの胸に、確りと刻まれた瞬間だった。

 ――だからこそ、夫人の前でいつまでもむくれて、彼女に心労をかけ


てしまう事だけは避けなければならなかった。

「ごめん……なさい……」

 ぽつりと呟かれた言葉に、夫人は我に返った。

「……いいえ……こちらこそ……大声を出してしまって、ごめんなさい


ね……」

 でも、わかってね。その言葉に、素直に頷くしかない。

 陰鬱な雰囲気を変えるように、夫人はパンと手を叩いた。

「さ、糖蜜漬けをつくって、アルに1番に食べて貰うんでしょう?」

 その言葉に、ぱっとパノの瞳が輝いた。

「――うん!!」

 とたんに生き生きとし始めたパノの様子に、思わず苦笑を洩らす。

 ――あんなに生き生きとしたパノの様子は初めて見た。

 両親を失ってからは1人で弟を育て、遊ぶ暇なく働き、年頃の娘のよ


うに着飾る事もなく随分と苦労をしていた。しかし、周りに心配をかけ


ないように、いつも笑顔を絶やさなかったパノ。だが、その笑顔は何処


か無理をしているようで、見ていて苦しい思いをしたものだが。

 しかし、アルがこの村に来てから、パノは本当に楽しそうだった。

 夫は、アルは直ぐに出て行くだろうと言っていたが、何故そんな不吉


な事を言うのか分からない。パノもアルもいい子だ。この村に腰を据え


て、そしてパノと一緒になってくれればいいと願っている。

 幸せな未来を思い浮かべながら、夫人は台所へと足を向けた。


 カタカタと音を立て、窓が震えている。その音を聞きながら、1つ溜


息を洩らす。これから数日アルに会えないのだと思うと、何だかつまら


なく思ってしまう。

 本当なら、研修の為に自分も商隊に同行することになっていた。実際


、前回も前々回もついていったのだ。

しかし今回は、皆に反対された。前回、賊に捕らわれてしまったからだ


。特に村長夫妻は断固として赦してくれなかった。自分が村に戻った後


、再び弟と2人で暮らすことさえも反対されていたのだ。――もう我儘


は赦されないだろう。

 再び溜息を洩らす。

 徐々に風が強くなっていく。カタカタと震えていた窓は、いつの間に


か、外れてしまうのでは、と心配してしまう程に大きく揺れ始めている


 嵐がくる、と言ったアルの言は正しかったのだ。

「アル……大丈夫かな……」

 何が「大丈夫」なのか、自分でもわからない。嵐に不安になっている


のだと言い聞かせても、何故か釈然としないものがある。嵐ではない、


もっと違う何かが訪れようとしている気がしてならない。

 喩え何があっても、アルならば大丈夫だと思う反面、何故か妙な胸騒


ぎがして、パノの心を容赦なくかき乱す。

「大丈夫……だよね……アル……」

 ぽつりと零れ落ちた言葉は暴風にかき消され、形になることはなかっ


た。



 そして、嵐が来る。


 数年に1度と言われた大きな嵐が。


 粗暴な風に運ばれてくるのは果たして――

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緋き死神と亡国の英雄 水瀬紫音 @shi-0n

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