第19話 過ぎ行く刻

 詰め所の入口に、紫紺を身に纏っていない2人連れが立っていた。何やら話していたようだが、アルに気付くと、手を上げ笑みを浮かべる。アルの唇が僅かに弧を描いた。


「よお、アル坊。相も変わらず仏頂面だねぇ……」

「お元気でしたか?アルさん。」

 軽薄な笑みを浮かべる青年と、無垢な笑顔を向ける少年。最早見慣れた2人連れに、アルは短く応えた。

「ああ」

 その簡潔な言葉に、青年は呆れた様に呟く。

「……ホントに愛想の欠片もない少年だねぇ……」

「もうっ!!リュートさん!!」

 軽薄な青年に、窘める少年。その見慣れたやり取りに、アルは僅かに苦笑を洩らす。

 しかし、あまり表情の変わらぬアルの変化に気付く者はなく、次の言葉にかき消されてしまった。

「――もう、終わったのか?」

「……ああ。全員引き上げ――俺達で、最後だよ」

「そうか。――悪かったな。手伝わなくて」

「何言ってんだよ。その前の仕事を1人で片付けちまったクセに。――それに、あれは有志を募っただけで、強制参加じゃないんだ。気にするこたないさ」

「別に大したことはしてない。」

「したんだよ!かなり大した事を!!」

 青年の言葉に、少年はこくこくと頷く。全く、分かってないねぇ。青年の言葉は風に攫われ消えていった。



  ※ ※ ※


 あの日、賊退治という依頼が入った時の事は、青年――リュートの中で忘れられない出来事となってしまった。

 ――否、リュートだけではない、その場にいた全ての人間にとって、墓に入るまで忘れられない記憶となったことだろう。

 本来なら18名で片付ける仕事を、アルはたった1人で片付けてしまったのだ。出番のなかった傭兵たちは、呆然としながら協会からの沙汰を待った。

 そして取り敢えず全員に依頼料が支払われる事となったのだが、誰1人として受け取らなった。

 ――当然だ。何もしていないのだから。

 少しでも傭兵としての矜持を持っている者ならば、決して受け取らない。ましてや、今回集った人間は全て、選び抜かれた屈強の戦士達。おこぼれにあずかる様な不様な真似は出来なかった。


 殆どの男たちが呆然と立ち去る中、残った者達もいた。リュートやルファも、その中に含まれていた。

 「賊退治」は終わったものの、山には惨劇の爪跡が深々と残されている。おびただしい死体の山、捕らえられた賊、集められた盗品の数々。

 それらを早急に片付けなければならないのだ。

 死体を始末し、賊を尋問し、盗品の持ち主を探さなければならない。所謂、後片付けである。

 残った数名は、それに自発的に参加した。

 リュートは協会との連絡に、ルファはあちこちに飛ばされ、現地での作業はあまりなかったが、他の者は後片付けに没頭した。

 傭兵だとか、人より優れた者であるとか、そんな矜持は一切なく、只の農夫のように黙々と働く男達。その姿からは、酒場で見た威勢の良さは欠片も見えなかった。


 後片付けには、1月の時間を要した。

 その後彼等には、「後片付け」という依頼料が支払われた。彼等はそれを受け取る事に躊躇していたようだが、今回彼等はちゃんと働いたのだ。当然の対価だと言われ、受け取ることにした。

 そして彼等は早々に立ち去り、最後の2人――リュートとルファは、辞去の挨拶にとアルの元へ訪れたのだ。


 ――そう。アルは後片付けに参加しなかった。そのまま立ち去ることも、しなかった。


 ――彼は、アルゴ村に居を構えたのだ。



  ※ ※ ※


「……全く。誰かさんが散らかしまくってくれたお陰で、随分と片付けに時間がかかっちまったい」

「……悪かったな」

「あ。何だよその心の籠もってない謝罪は。そりゃあもう酷いもんだったんだぜ?辺りは血みどろ。死体はバラバラだし、残った連中も歩けない奴が多いから荷台に積んで――」

 リュートが大仰に手を開いた瞬間、軽やかな足音と共に、弾んだ声が聞こえてきた。

「――アルーーー!!」

 振り向くと、16、7歳位の少女が駆け寄って来るところだった。

 ぜいぜいと肩で息をし、顔を上げた瞬間、僅かに身体をこわばらせる。

「やあ、パノ嬢。アル坊に用事かい?」

「え……ええ……」

「どーぞどーぞ。俺らの事は空気だと思って……な、坊や」

 そう言うと、ルファの首に腕を回す。ぐえっと呻き声を洩らすルファを無視して、くるりと身体の向きを変え、僅かに距離を取る」

「どうした、パノ」

 はぁ、と小さく応え、リュート達に胡乱気な視線を向けていたが、アルの呼びかけにぱっと瞳を輝かせる。

「あのねっ!!……今日、泊まり……?」

 勢いよく話しかけるが、ちらりとリュートたちに視線をやると、僅かに声を顰めた。

「否、今日は通常業務だが」

「じ……じゃあ、今晩見せたいものがあるの。少しだけ、いいかな?」

 伺うように見上げると、アルが小さく頷く。

「別に構わない」

「――本当!?よかったぁ!!」

 ぱんと手を叩くと、喜色満面の笑みを浮かべる。

「じゃあ、後でね!!」

 くるりと身体を回転させると、そのまま来た道を戻り始めた。途中でリュート達に頭を下げ、一気に駆け抜ける。

 そして1度振り返ると、ぶんぶんと大きく手を振り、再び駆け出した。

「パノ嬢はいつも元気だねぇ……」

 感心したような声に振り向くと、リュートが微笑ましそうに彼女の去った方向を見ていた。

「リュートさん!!いい加減放して下さい!!」

 じたばたと暴れ、拘束されたままだったルファが自由の身となる。

 失敬、と悪びれなく謝罪を口にすると、リュートはにたにたと笑いながら、肘でアルを小突く。

「なんだいなんだい青少年。無関心な振りをして、随分と青春を謳歌しているじゃないか」

うりうりとアルを小突きまわすが、当の本人は心当たりがないのか、きょとんとしていた。

「……何の事だ?」

「……否……何のことって、パノ嬢の事に決まっているじゃないか」

 照れ隠し等ではなく、本当に何の事だかわかっていない様子のアルに、思わず面食らう。

「……パノがどうかしたのか?」

「……否、だから……気付いてないのか……?」

「だから、何がだ?」

 リュートとルファは思わず目を見交わした。

 パノの好意はあからさまで、その手の事に鋭いリュートだけではなく、ルファまでもが気付いているのだ。

 しかし、あれだけ分かりやすいにも拘わらず、アルは全く気付いていないようだ。

「にっぶいねぇ……」

「……ですね」

 流石のルファも呆れていた。

「……?だから、何の事だ?」

 リュートだけならいざ知らず、ルファまでもが気付いているのに、自分だけが分かっていない。ルは記憶を探り、不審な点を思い出す。

 見当はずれな思索を始めたアルに、2人は呆れた眼差しを向けた。



しばし雑談を楽しんでいた3人だったが、そうそう話題が降ってくる訳でもなく。

 リュートは、引き際を見誤る輩ではない。名残を惜しむ気持ちもあるが、潔く辞去の言を紡いだ。

「じゃあ、俺らは退散するとするよ」

「ああ。……お前達はこの後どうするつもりだ?」

 アルの言葉に思わず目を見開く。

 まさか、彼の口からそのような言葉が出て来るとは思わなかった。 リュートの見立てでは、彼は誰にも等しく興味を抱かぬ人であった筈だ。よもや自分を気にする言葉が発せられるとは。

 目を丸くしていたリュートだったが、直ぐに軽薄の仮面を付けなおし、矢張りへらへらと応えるのだった。

「俺はこれから本部に行って、色々報告をしなきゃいけないんだよねぇ。その後はまた面倒な仕事を押し付けられるんじゃないかなぁ」

 もてる男はつらいねぇ。額に手をやり、そう嘯く。苦笑していたルファは、アルの視線を感じると、真摯な瞳で見据えた。

「――僕は、近くの支部で依頼を受けようとおもいます。……そして、もっともっと能力を磨いて……剣も、ちゃんと扱えるようになりたいです」

 それはルファの、偽らざる本心であった。

「……僕は多分、驕っていたのだと思います」

 暗くなる表情。リュートは少しばかり真面目に賛同を示した。

「まあ確かに。剣は使えるに越したことはないし、坊やの宝は結構持ち腐れてるよ」

 ルファはその言葉に苦笑を洩らす。するとアルがぽつりと呟いた。

「――そうだな。瞬歩は本来、戦闘に於いて最もその効力を発揮するものだ。一瞬で相手の背後をとり、倒す」

「そのとおり。君は能力を使いこなせてはいないよ。そんで坊やの場合は、もともと足が速いからねぇ。10歩に1歩瞬歩を使えば、結構な時間や距離が稼げるが……」

 今まではそれで誤魔化せたんだろう。そう言われ、ルファは羞恥で頬を朱に染める。


 ――確かに、そうだった。自分は今まで、その優れた能力の上に胡坐をかいていただけなのだ。

 精進することもせず、只現状に甘んじていた。

 それでは駄目だと、今回の事で痛感した。


 ――強く なりたい。

 足手まといにならないように。


 ――疾く なりたい。

 自分に自信が持てるように。


 ――もっともっと己を磨きたい。

 彼の――アルの目の前に、堂々と立てるように。


 それが現在の、ルファの願い。

 ルファの顔つきを見て、リュートは内心苦笑する。


 ――随分と、影響力のある男だ。

 ちらりとアルに視線を滑らせる。

 人を惹き付ける力とは、両刃の剣なのだ。同じ男であれば、大体が敵愾心を持つか憧れるかのどちらかである。ルファは後者であった様だが――因みにガディルは間違いなく前者であろう。

 しかしそれが異性であれば、恋愛感情などに変換されたりするものである。パノがいい例だ。

 ――只恋情を抱く程度ならまだ可愛い。問題は、刃傷沙汰にならないか、だ。

 あまり交流はないが、それでもわかる。パノはいい娘だ。だからこそ、アルを巡って娘達が争い、パノに何かあったらと思うとやり切れない。

 ――そう、ならないで欲しいと思うのだが、残念ながら、こればかりはどうしようもない。アルの人を惹き付ける力は尋常じゃなく、そしてアルはその事に気付いてはいない。

 自分なら、上手く立ち回る事が出来るのだが――

 苦笑を洩らす。そんなの、今自分が考えても仕方のないことだ。なるようにしか、ならないのだから。


「……ま、頑張れよ」

 ルファに向かって激励の言葉をかける。しかし、それはアルに向けての言葉でもあった。

 次に来た時、一体どうなっている事やら――

 楽しみだねぇ。リュートは心の中で、こっそりと呟いた。


「――で、君はどうするんだい?」

 アルは視線をリュートに固定する。アルの背は決して低くはないが、リュートの方が高い為、やや見上げなければならない。

「未だこの村に居るつもりかい?」

 一拍の後、アルは小さく呟いた。

「――ああ」

 その応えに、矢張りね、と肩を竦める。

「別に、ずっとという訳じゃない。パノの気が済むまでだ」

 その言葉に、リュートは苦笑を洩らす。

 じゃあ、当分この村を出られないね。心の中で呟いた。


 パノの気が済むまで。そんな日が、訪れるのだろうか?

 パノの熱を帯びた瞳を思い出すと、笑みを堪える事が出来ない。

 ――下手をすれば、一生出して貰えないかもねぇ。リュートは僅かに口の端を上げる。

(知らぬは本人ばかりなり……ってね)

 もう少し見ていたい気もするが、それは次の楽しみに取って置こう。

「――じゃ、俺はそろそろお暇するよ。ま、近くまで来ることがあれば、ご機嫌を伺いにでも寄らせてもらうさ」

「ああ」

 名残を惜しみながらも、辞去の言を紡ぐ。

『一緒に行こう』

 そんな言葉は出て来なかった。

 確かに、彼に惹かれている自覚はある。しかしそれは、「共に在りたい」と願うものではなく、只の「観察対象」なのだ。

 特に、アルゴ村に留まってからの変化は顕著だった。日に日に刺々しさがなくなっていったのだ。

 最初に会った時の、抜き身の刃の様な危険な雰囲気はなく――まあ、これから戦闘をするという人間に殺気立つなと言う方が無理な話ではあるが――それを抜きにしても、アルは随分と丸くなったと思う。

 それはパノのおかげなのか、長閑な村の雰囲気に晒されたからなのかは分からぬが。

 そして、それに反比例するように虚無に彩られてゆく瞳。

 まるで、彼から抜け落ちた刺が虚無へと姿を変え、瞳に移動したかのように。

 しかしそれも当然だと思う。彼の居場所は、此処にはないのだから――

 其処に己の居場所を見い出せなければ、精神の均衡が崩れ、心が病んでいく。

 ――アルの ように。

 近いうちに、彼はこの村を出るだろう。リュートは確信していた。

「……ま、こんな仕事をしてりゃ嫌でもまた会うさね」

「――そうだな……」

 リュートはふとパノの顔を思い浮かべた。

 人は誰しも居場所を求めるものだ。居場所を求め、彷徨い、足掻き、そして、つくる。

 ――家族という 居場所を。

 それは、人であったり場所であったりと人によって様々であるが、大体の者の行き着く先が「家族」である。親の作り上げたそれに組み込まれるのではなく、己の居場所を作り上げる。だからこそ妻帯を持つのだが――

 アルがその様なものを求めているとは思えない。彼は、動乱の星のもとに生まれた人間だ。決して、退屈にとり殺されてしまうような人間ではない。

 彼に過酷な運命が襲いかかる時、傍にいるのがパノでは駄目なのだ。

 彼女は「平和」そのもので――故に、彼を巡る騒乱に巻き込まれてしまった時、屹度彼女は耐えられない。

 彼女は本当に良い娘だ。だからこそ、彼女には幸せになって欲しいと――なるべきだと思う。

 その為には――彼女が幸せになる為には、アルは障害物にしかならないのだ。

 傷は浅い方がいい。パノの為にも早々にこの村を出た方がいいと思うのだが……。

(ま、余計なお世話、ってやつかな……)

 苦笑すると、手を挙げ身を翻す。

「またな。アル坊」

「あっ……あのっ!失礼します。アルさん……っ!待って下さいよ!!リュートさん!!」

 慌ててアルに頭を下げると、先を行くリュートを追いかけた。

 アルは、その背中を見つめた――何所か、苦しげに。


 その姿が小さくなり、やがて見えなくなった後も。


 不審に思った同僚に声をかけられるまで、ずっと――

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