Dが眠る季節

Mondyon Nohant 紋屋ノアン

   

 冬の風景の中でDは眠っている。

 Dは体を丸め、寒さからまもる様に二人の子供を抱いている。

 ひとりは僕。もうひとりは駿人はやとだ。

「ほかの子供たちは何処にいるの?」

 僕はDにく。しかしDは眠り続け、僕に応じる気配けはいはない。

「Dが抱いている子供は、もう二人だけよ」

 と、僕の夢の外で僕の妻が言う。


 眠る前に話があると言われ、僕は駿人を書斎しょさいに入れた。

「駿人、今いくつだっけ?」

 なかなか話を切り出そうとしない駿人に、僕は先手せんてを打って質問した。

「十歳だよ。ダダ、ぼくの歳を忘れたの? 明日から十一歳だけどね」

 駿人は、首をかしげながら答えた。

 駿人は僕を「ダダ」と呼ぶ。

「ダダ」は山形辺やまがたあたりりの方言で、「父ちゃん」といった意味で使うらしい。でも我が家と山形にはほとんどつながりがないし、駿人が言葉を口にし始めた頃、僕はその方言を知らなかった。実は、米国流に「ダディ」と呼ばせようとして失敗したのだ。「ママ」や「ジジ」や「ババ」の様に二音の繰り返しで身内を呼ぶべきだと考えたのか、単に「ダディ」が発音しづらかったのかはわからない。駿人は何度教えても僕を「ダダ」と呼んだ。ただ、「だぁだ」と発音するときの駿人の笑顔がたまらなく可愛かったので、僕は「まあ、ダダでもいいか」、と「ダディ」へのこだわりを捨てた。

 山形出身の知人から父親の呼称こしょうが「ダダ」なら母親のそれは「ガガ」でなくてはいけないと助言を受けたが、異形いぎょうで有名な米国の歌手を連想した妻が嫌がるので我が家では普通に「ママ」を採用している。

「へえ、奇遇きぐうだな。ダダも十歳という歳を経験したことがあるよ。たった一年だけだったけどな」

「当たり前だろ。十歳が二年あったら、十一歳を飛び越して十二歳になっちゃうじゃないか」

 駿人はあきれ顔をした。

「ずっと十歳のままだったらいいのにって、駿人は思ったんじゃないか?」

 僕がくと、駿人は、さぐるような目で僕の顔を見た。

「ぼくが何を話したいのか、ダダはわかっているんだね?」

 僕はうなずき、駿人を書斎のソファーに座らせた。


 首都近郊しゅときんこうる町に僕と僕の家族は住んでいる。

内陸ないりく工業都市」と地理書では説明されていて大きな工場が幾つもあるが、意外と静かな町だ。

 戦前、この町には陸軍の研究施設や訓練施設が数多くあった。

 僕の父は、軍人だった祖父と専業主婦だった祖母とともにこの町の軍営ぐんえい住宅で暮らしていた。

 戦争が終った三年後、父が十一歳の時、一家は祖父の故郷に移り住んだ。

 父は大学進学のため一度都会に出たが、結局田舎に帰り、そこで仕事を得て所帯しょたいをもった。

 父が家族を連れ彼にとっては生まれ故郷のこの町に再び戻ってきたのは、僕が十歳の時だ。

 春三月の中旬だった。

 父がわざわざ転職してまでこの町に戻ってきた理由は、この町への強い郷愁とその郷愁の基となっている或る体験であったと思う。ただ父は、その体験を誰にも、息子の僕にさえ話していない。


 この町に越して来る以前から父と僕には早朝散歩の習慣があった。十五分ほどの短い散歩だ。

 散歩の間、父と僕はほとんど話さなかった。

 たまに僕が咳をしたりすると、

「お前、風邪ひいたんじゃないか?」

 父は、心配そうな口調で訊いてくる。

「大丈夫だよ」

 僕がそう答えて会話は終る。その後、家に帰るまで親子は何も話さない。でも二人は誰が見ても、散歩を楽しむ仲の良い親子にしか見えなかっただろう。同じような歩き方をし、しかも笑顔で歩いていたからだ。

 僕は父を真似まねて、大きく手を振りながら歩いた。

 風を起こしていたのだ。

「中国で蝶が羽搏はばたくとアメリカで嵐が起きる。蝶の羽がつくった小さな風が、遠く離れた地で大嵐おおあらしを起こすかもしれない。だから、何日も先の天気は予測できないんだ」

 テレビで天気予報官がしていた薀蓄うんちく話を父が補足ほそくしてくれたことがある。

「お前が起こす風はどんな嵐になるんだろうな」

「バタフライ効果」を説明し終えた父は、僕を見て首を傾げた。

 早朝の停留ていりゅうする空気の中で、僕は自分が起こす小さな風の未来に思いをせていた。

 僕が歩みをおぼえた頃から続くこの散歩は小雨こさめ程度の天気なら決行された。もちろん、この町に引っ越して来た後も続いた。

 新居の近所に県の工業試験場があった。広大な敷地をもつ研究施設で、戦前は陸軍が兵器開発に使っていたという。

 父が新しい散歩道に選んだのはこの施設の裏通りだった。

 幅が六メートル、北に向かって二百メートルほど真っ直ぐにのびた一車線の舗装道路で、西側には高さ約十メートルの工業試験場の塀が続き、東側には在日米軍が管理する空地が広がっていた。

 空地は野球場の四、五倍程度の広さで、整地はされておらず、申し訳程度にめぐらせた有刺鉄線ゆうしてっせんの所々に「KEEP OUTキープアウト」と英文で書かれた小さな看板がぶら下っていた。

 住人達は、試験場と空地にはさまれたこの通りを「海岸通り」と呼んでいた。

 戦前、東側の土地に大量の海砂うみずなを敷いて海岸に見立みたて、軍が上陸艇じょうりくていのテストを行っていた。それが、海から遠く離れたこの町にある「海岸通り」の由来ゆらいである。

 海岸通りの人通りは日中でもまばらだった。この道を未明みめいの散歩に利用していたのは父と僕の二人だけだったと思う。

 月が替わって二日目の朝だった。僕は先に起きて散歩に出る準備を済ませ、父を待った。

「先に行ってくれ」

 後で追いつくから…と父は着替えながら言った。

 早暁そうぎょう五時半、僕は一人で家を出た。

 できるだけゆっくり歩いたが、直ぐに海岸通りに入ってしまった。振り返ってもだ父の姿は見えない。

 通りの研究所側に続く植えられて間もない並木の桜が、申し訳程度に花を咲かせていた。

 海岸通りに入って二十秒ほど歩いた時だ。

 突風が僕の背を押した。

 風は僕を追い越し、道路沿どうろぞいの桜の木を次々と揺らしながら路を通り抜けた。

 世界の底をさらっていくような激しい風だった。

 桜の花びらが枝を離れ、風景の奥へと去って行く。

 僕は立ち止まった。

 風がもう一度、重く、ゆっくりと吹いた。

 風の速さにあわせ、北に向かって、まるでドミノを倒すように空き地の風景が変わって行く。

 風の音があらくなった。

「海?」

 強い雨をふくむ風は波と似た響きをもつ。でも聴こえたのは本当の波の音だ。僕は、そう感じた。雨は降っていなかったし、しおの香りがしたからだ。

 空き地の向こうに見えていた工場の群れが宙にけるように消え、かわりにまるみをおびた水平線が見えた。

 無数の波頭なみがしらが陽の光を散らしている。

 僕は目の前に出現した海をぼんやりと眺めた。

 三十メートルくらい沖合おきあいの海面に、こちらに矢先を向けたV字の波紋はもんが現れた。波紋は尾を引きながら近づいて来た。

「やあ」

 水しぶきがあがった。

 海面から僕の背の二倍もある大きな顔を出し、Dは僕に挨拶をした。

「やあ」

 体に浴びた水しぶきを払いながら僕も挨拶を返した。

「私が見えるんだね、お前も」

 お前も、とDは言った。

「お前は勇気のある子供だ。私を見て泣かなかった子供は、お前が初めてだよ」

「僕には勇気なんか無いよ。僕は、こわいと思うまでちょっと時間がかかるんだ」

 僕には勇気も度胸もなかった。単ににぶかっただけだ。

 通知表には毎回、「いつも落ち着いていて物事に動じないのは良いのですが…」とか「質問の答えが直ぐに返ってこないことが多く…」といった、つまり僕の反応が鈍いことへの担任の懸念けねんが書かれていた。

 心を動かす何かが起こっても、その時点ではこわがりも驚きもしない。他の子供が泣き止む頃になって、やっと「びっくりした」とつぶやく。僕はそんな鈍間のろま鈍感どんかんな子供だった。

「お前は、面白い子供だ」

 Dが笑った。と言っても、Dの笑顔が見えたわけではない。口を閉じたまま話すDに気づいたのもしばらくしてからだ。それが不思議だと思ったのは、さらに何日か後だった。

「どこから来たの?」

「私は、この海にんでいる。遠い昔からだ」

 遠い昔って、きっと何千万年も前のことだろう、と僕は考えた。

 何千万年も前この一帯は海だったと、市の資料館に展示されたアンモナイトの化石を見ながら父は教えてくれた。

「僕は、この近くに住んでいる。ちょっと前からだよ」

 僕はDに、つい最近田舎から引っ越して来たと話し、自分の名前をげた。

「私には名前がない。しかしお前たちが私の種族につけた名前は知っている」

 Dはそれを教えてくれたが、発音がむずかし過ぎて僕には憶えられなかった。頭の発音が「ディ」の様だったので、ローマ字をおぼえたてだった僕は勝手に「D」と命名めいめいした。

 海岸通りの道沿みちぞいにゆっくりと移動するDと並んで僕は歩いた。

 Dが浅瀬あさせを歩いているのか、それとも波打ちぎわで泳いでいるのかは判らなかった。

 転校してきたばかりの小学校は始業式前で、未だ一人の友達もいないこと、そして、父と二人で海岸通りを散歩し始めたことを僕はDに話した。

「それなら、これから毎日、私はお前の散歩につき合おう」

 そう言ってDは僕の顔をのぞきこんだ。

「いいよ。でも、きっと父さんは吃驚びっくりするだろうな」

 父が一緒なら空地は海に変わらないだろうしDも姿を見せないだろう。僕はそう思った。

「お前の親は、お前を独りで散歩に出すだろう。今日と同じように」

 Dは、父が僕を先に家から出したことを知っていた。

「なぜ?」

「そういうキマリなのだ」

 Dは言って、顔をもとに戻した。

「私のことは誰にも話してはいけない。お前の父親にも話してはいけない。私のことを誰かに教えたら、私はもうお前と会えなくなる。そしてお前は私を忘れてしまう」

 Dは再び僕の顔を覗きこんだ。

「僕のことは誰に話してもいいよ。誰に話してもDは僕と会えるし、Dは僕を忘れないと思う」

 Dは「お前は、愉快ゆかいな子供だ」と笑った。

 海岸通りのはしまで来るとDは消え、海はもとの荒地に戻った。

 僕は振り返った。海岸通りの南端なんたんに父の姿が見えた。

 次の日から毎日、父は「あとで追いつくから」と、僕を先に散歩に行かせた。

 父とDはきっと知り合いなんだろう。でも、父と僕がDのことを話してはいけない。そういうキマリなんだ。僕は自分に言いきかせた。


 春休みが終り、学校が始まった。

 小学校の校舎は鉄筋コンクリート二階建てだった。

「校舎が建ったのは八年前だから、この小学校は君より二歳年下だ」

 と、転校の手続きで訪れた僕に校長先生は言った。

 校門を入って直ぐの所に立つ若いクスノキが青葉を茂らせていた。

 田舎町から来た僕など簡単には受け入れてもらえないだろうと心配していたが、友達は直ぐにできた。

「教室がわからないの?」

 担任の先生とはぐれてしまい教室がわからずにうろうろしていた僕に声をかけてくれたのは、坊っちゃん刈りの少年だった。僕より少し背が高い。

「同じクラスだね」

 彼は始業式で紹介された僕の顔と名前を憶えていた。

 少年は辰夫たつおと名のり、みんなにはたっちゃんと呼ばれていると自己紹介した。

 頭が良さそう、というのが辰ちゃんの第一印象だった。実際辰ちゃんは高校卒業まで、体育を除く全科目の成績が学年で一番だった。大学も主席で卒業している。

 頭が良くてハンサムなのに冷淡れいたん振舞ふるまいが全くない。誰に対しても親切で、困っている人を見ると放っておけない。大きくなったら辰夫君のお嫁さんになりたいと公言こうげんする女の子が何人もいた。

 辰ちゃんと僕の席は隣同士だった。僕は辰ちゃんに自己紹介し、ひと月前まで住んでいた田舎の話をした。

「辰っちゃん、こいつ誰?」

 坊主刈ぼうずがりの少年が僕と辰ちゃんの話に割り込んだ。体ががっしりしていて背も高いが、やさしそうで、ガキ大将っぽくはなかった。

「へえ、転校生か。俺、竜一りゅういちっていうんだ。りゅうちゃんって呼んでくれ」

 竜ちゃんはスポーツ万能で、体育の成績だけは学年で一番だった。高校時代には柔道の選手としてインターハイに出場している。正義感が強く、弱い者いじめを見ると必ず止めに入った。よく喧嘩になったが、相手が何人であろうと必ず勝った。喧嘩の後には、相手と直ぐ仲直りした。竜ちゃんは仲直りも巧かった。

 父は辰年たつどしに生まれた僕のために、辰っちゃんや竜ちゃんのようなドラゴン系の名前を用意していたが、同じ年に生まれた近所の男の子たちの名がみな辰也たつやとか龍介りゅうすけといった名前で、ダブってしまう可能性があったのと、僕が龍のイメージからかけ離れたやさしそうな顔立ちだった(と両親は僕に言ったが、きっと弱っちくて情けない顔立ちだったんだと思う)ために、あっさりとドラゴン系の名前をあきらめたのだという。

 僕の名前が辰年由来たつどしゆらいだったら三人グループに「ドラゴンチーム」みたいなカッコい名前をつけたのに、と竜ちゃんはくやしがった。

 秀才の辰っちゃん、スポーツ万能の竜ちゃん、勉強も運動も中途半端な僕というタイプの異なる三人をみんなは普通に「仲良しトリオ」と呼んだ。

 秀才の辰ちゃんがいるから「三バカトリオ」にはならないし、強いのは竜ちゃん一人だけなので「○○三人衆」みたいな勇ましい名前もつけられない。冗談を言っても一人だけ遅れて笑うような奴がいるから「お笑い三人組」とも呼べない、というのがみんなの見解だった。

 友達ができたことを両親とDは喜んでくれた。

「友達ができたよ。たった二人だけどね」

 うれしそうに僕が言う。

「仲間は数じゃない。その子たちは、きっと一生の友達になる」

 Dも僕の両親と同じことを言った。


 いくらのろまな僕でも、五分もあれば海岸通りを歩ききってしまう。

 僕がDと過ごすこの五分間は、何千万年の時を過ごしてきたDにとっては瞬間とも言えないほどの短い時間だろう。でも僕にとっては、永遠分の価値をもつ大切な時間だった。  

 ただ、そんな貴重な時間を使って僕がDとわした会話は、ほとんどが世間話せけんばなし程度のものだ。

「あの魚のかたちをした道具は何だ?」

 長いくびをのばし遠くに視線をったDは僕にいた。

「知らないの? 鯉のぼりだよ」

 僕の何百万倍もの時間をごしているくせにDは案外あんがい世情せじょううとかった。

 僕は、子供の成長を祝う行事とその象徴について説明した。

「風の声を聴くためにお前たちが作った道具かと思った。お前たちは面白いことを考える」

 Dは愉快ゆかいそうに笑った。

 

 広い川の両岸にロープを渡し何百りゅうという鯉のぼりを泳がせる。 

 今では全国的に知られているその行事は僕が生まれた頃にこの町が始めたものだ。

 僕は辰ちゃんと竜ちゃんに誘われ、自転車に乗って鯉のぼり見物に行った。

「鯉のぼり、何かしゃべってるみたいだね」

 鯉のぼりの口が風を受けて振動するので、まるで言葉を話しているように見える。

「あいつ、笑ってるぜ」

 竜ちゃんが一匹を指差ゆびさした。ほとんどが市民から寄付された使い古しの鯉のぼりで、中には多少くたびれた奴もいる。竜ちゃんが指差ゆびさした一匹は眼の金箔きんぱくの下半分ががれていたため笑っているように見えたのだ。

「なんか楽しそうだね、鯉のぼりたち」

 辰ちゃんは鯉のぼりを見渡みわたした。

 無数の鯉のぼりが風に話しかけ、風と語っていた。風の言葉を知らない僕にも鯉のぼりの想いや風の心がほんの少し解った気がした。


「今日、海と陸が大きく揺れる。ここも揺れるだろう。気をつけるんだ」

 端午たんご節句せっくの何日か後だった。海岸通りを歩ききったところで、Dはいましめる様に言った。

「地震?」

 Dは小さくうなずき、消えた。

 僕は、僕に追いついた父に、地震があるかもしれないとげた。父は散歩を中止して家に帰ると、高所こうしょに置いたものを全て下ろし、ゆかに並べた。

 母は首を傾げながら父を手伝った。

 朝礼の前に僕がした地震の話を、辰ちゃんと竜ちゃんは笑って聴いていた。

 校舎が大きく揺れたのは一時間目の授業開始直後だった。担任の指示で児童たちは皆、机の下にもぐった。

「地震が来るって、よくわかったね」

 辰ちゃんは机の下で僕の顔をまじまじと見た。

「すげえ。ノストラダムスみたいだ」

 竜ちゃんも吃驚顔びっくりがおで僕を見た。ノストラダムスは当時話題になっていた昔の予言者だ。

 この地震で、震源地付近では三十人が亡くなった。

 地震が来ることをDから聞いて知っていたのに、僕はそれをたった四人にしか伝えられなかった。しかも信じてくれたのは父一人だけだ。知らなければよかった、と僕は少し悲しくなった。

 この後、年内に大きな地震は起っていない。Dが地震を予知したのはこの時一回限りだ。


 Dとはよく、天気の話をした。

「雨は嫌いだ。体が濡れて気持ちが悪いよ」

 透明なビニール傘越しにDを見て僕が言う。

空が光る。

「私は雨が嫌いじゃない」

 遠くで雷が鳴る。

「Dは海にんでいるからだよ」

 首をすくませて僕が言う。

 この年、なかなか梅雨つゆは明けなかった。それどころか、

「強い風が吹く。明日から三日の間だ」

 大型の台風が上陸するだろうと天気予報もげていた。

「お前は家に居て、風の声を聴くのだ」

 僕は「うん」とだけ応えた。

 嵐は、七夕たなばたの日をはさんで三日間続いた。

 僕はDに言われた通り家に居て、風の「声」を聴いていた。

「おーい、おーい」と誰かを呼ぶ声のようにきこえる。泣いているようにもきこえる。怒った声のようにもきこえた。

 何かとても悲しいことがあって、寂しくて、風は誰かを呼んでいる。でも誰も来てくれなくて泣き続ける。僕が聴いたのは、そんな風の声だ。

 台風の被害は甚大じんだいで、全国で百四十五人が亡くなった。

「Dは地震や台風をとめられないの?」

 何千万年もの時を過ごしてきたDには気象をコントロールする魔法の様な力があるのではないかと僕は期待した。

「私には知ることしか出来ない」

 Dは申し訳なさそうな顔をした。

 台風が去っても雨は止むことなく、梅雨は七月下旬まで続いた。

「明日からは、晴れるだろう」

 雨は当分の間続くという予報が出ていたが、Dの言った通り翌日に梅雨はあけた。

「今朝は星が沢山見える」

 梅雨明けの浅い色の空を見上げ、Dは言った。

「こんな明るい朝に星なんか見えないよ」と、僕が空を見渡すと、

「そのうちお前にも見えるようになる」

 Dは笑った。

 Dの言葉を思い出し、時々、明るい空に星を探してみる。しかし何年経なんねんたっても僕に見える星は明けの明星くらいだ。


「オール三だった」

 転校先で最初にもらった通知表の中身は生まれ故郷の学校から貰ったものと全く同じだった。

「五が一番いいんだ。三は普通なんだよ」

「普通じゃいけないのか?」

 悄気しょげている僕を見て、Dは首を傾げた。

「だって、成績はい方がいいよ。みんながめてくれるし、成績が好ければ、大人になって偉くなれる」

「私には解らない。だが、お前がそう考えるのなら、その方が好いんだろう」

 Dは、首を傾げたまま鼻で笑う。

 成績が好いとか偉くなるとか、Dにとっては何の価値もないことのようだった。ただ、

逆上さかあがりができるようになった」

 と、僕が自慢げに言った時は、逆上がりがどのようなわざなのかを僕に説明させた後、

「お前は立派だ。いくら頑張がんばっても私には逆上がりはできない」

 と、大げさに喜んでくれた。僕は逆上がりをするDの姿を想像し、小さく笑った。


 夏休みに入ると、僕は父に勧められ一冊の本を読み始めた。

 話題になっていた本だ。父は書店に予約を入れ六月下旬の発売日から一週間も待って、やっとその本を手に入れた。

「小学生には難し過ぎるかもしれないな」

 夏休みの初日、父は首を傾げながら『カモメのジョナサン』を僕に渡した。

 父が言った通り、読解力の低い僕には所々に挿入されたカモメの写真を眺めるくらいが精いっぱいだった。群れから追放されてまで飛行技術を追求する主人公の修行しゅぎょう物語だと父がストーリーを説明してくれたおかげで、作者リチャード・バックが描く精神世界にほんの少し想いをせることができた。文章の中に頻繁ひんぱんに現れる「飛ぶ」という文字だけが強く印象に残った。

 運動はまるで駄目な僕だったが、鉄棒だけは誰にも負けなかった。 


 Dは、天候がそれほどひどくなければ毎日会おうと言った。しかし、僕の都合で会えない日も何日かあった。

「お祖父じいちゃんのお墓参りに行くんだ」

 盂蘭盆うらぼんの帰省だ。

「おじいちゃんのお墓?」

 Dは首を傾げた。

「去年、死んじゃった」

 Dも思い出している。僕にはそう見えた。

「大好きなおじいちゃんだった」

 僕は暗い声で言ったらしい。

「悲しいのか?」

 Dは前を向いたまま僕にき、僕はうなずいた。

 祖父が亡くなった時、僕は直ぐには泣かなかった。

 共稼ともかせぎの両親の代わりに家にいて幼い僕の面倒をみてくれたのは、軍人恩給ぐんじんおんきゅうと年金を受給じゅきゅうしながら翻訳の仕事をしていた祖父だった。

 元陸軍軍人だといっても誰も信じてくれなかっただろう。笠智衆りゅうちしゅうそっくりの優しい面立おもだちをした好々爺こうこうやで、隠居いんきょ仲間とのつきあいより僕と遊ぶことを優先してくれた。

 幼心おさなごころにも死の意味は解っていたと思う。鈍感な僕でもさすがに悲しかったが、祖父が亡くなってしばらくの間は泣くのをこらえていた。祖父と約束したからだ。

「もう一緒に遊べなくなる。でも、泣くんじゃない。いいかい? どんなに辛いときも笑って生きるんだ」

 祖父は、臨終りんじゅうとこで僕にそう言った。

 僕が堪えきれず祖父との約束を破って大泣きに泣いたのは、葬式から十日もってからだった。僕は納戸なやに隠れ、独りで泣いた。

「人がいつまで生きるのか私にはわからない」

 Dは僕に視線を向けず前を向いたまま話し続けた。

「だが、決してほろびないものがある。お前たちがたましいと呼んでいるものは亡びもしないし消えもしない。私を見ればわかるだろう。『生きる』も『死ぬ』も、お前たちがつくった言葉に過ぎない」

 Dは、くびを伸ばして桜の木をゆすった。葉が一枚、道に落ちた。

「その木の葉を拾ってみろ。その葉の表が『生きる』なら、裏が『死ぬ』だ。表が『死ぬ』なら裏が『生きる』だ。一枚の木の葉に変わりはない」

 僕は桜の葉を拾ってそれを何回も裏返して見たが、Dが何を言いたいのか全く解らなかった。

「だから、悲しまなくていい」

 でもそう言った時、Dは少し悲しそうに見えた。

 僕はDの顔を見た。Dは僕と視線を合わせなかった。

 Dは僕の祖父とも知り合いだったのかもしれない。


 暑気しょきを逃すために高窓たかまど搬入口はんにゅうぐちを開けはなした体育館で二学期の始業式が行われた。

 校長先生の退屈なスピーチが終わると、彼のめくばせを受けて二人の少女がステージに登った。

 ひとりは、明るい色のTシャツにジーンズ姿で髪をポニーテールに結んだ背の高い少女だった。彼女はステージに登ると笑顔で皆を見渡みわたした。

 もうひとりは、暗い色の地味じみなワンピースを着たおさげ髪の女の子で、皆に見られて恥ずかしいのか始終しじゅう下を向いていた。

「今日から皆さんと一緒に勉強することになったエミリーさんと……」

 校長の紹介が終わらないうちに、背の高い少女は「ハーイ、アイムエミリ」と大きな声で言って手を振った。

「外人?」

 列の後ろからささやき声が聴こえた。

 校長が咳払せきばらいをして、二人目を紹介した。おさげ髪の子は下を向いたまま小さく頭を下げただけだった。

 エミリーは僕たちのクラスに、おさげ髪の子は隣のクラスに入った。

 席替えが行われた。

 窓際の最前列に座っていた僕が辰ちゃんの直ぐ後ろに移動し、エミリーは僕の代わりに辰ちゃんの隣に座った。

「辰夫君、エミリーさんの面倒をみてほしいの。あなた、英語が話せるでしょ?」

 担任の先生は手を合わせ、エミリーの世話を辰ちゃんに頼んだ。

 辰ちゃんは三歳の頃から英語を習っている。辰ちゃんの英語の先生はキャンプで働く米軍将校の奥さんだった。彼女は辰ちゃんの英語を、ほとんどネイティブだと言っていた。

 辰ちゃんはエミリーの世話を笑顔で引受けた。困り顔をした先生に頼まれて、優しい辰ちゃんが断るわけがない。

 エミリーは英語交じりのたどたどしい日本語で自己紹介をした。英語の部分は辰ちゃんが通訳した。

 父はアメリカ人、母は日本人だ。この町で生まれたが、三歳の時、両親に連れられてアメリカに渡り七年間を向こうで過ごした。米軍将校の父親が再び極東きょくとう勤務となり、家族はこの町に戻って来た。日本の学校への通学は母親が希望した…

 エミリーは自己紹介の最後に「歌イマス。リスン・プリーズ」と言った。辰ちゃんが拍手をし、皆も続けて拍手をした。

 エミリーが歌いだすと、教室の中は静まり返った。

 誰も音をたてなかったという意味ではない。さっきまで窓の外から聴こえていた街の音も聴こえない。世の中からエミリーの歌声以外の音という音が全て消えた。

「きれい」と、誰かがささやくように言った。なんて綺麗きれいな歌声なんだろうと僕も思った。

「もう一度、歌ってくれない?」

エミリーが歌い終えると、担任の先生が小さな声で言った。

 カーペンターズが歌う『イエスタデー・ワンス・モア』が日本で流行ったのは翌年だった。今でもこの曲を耳にすると、カレン・カーペンターの歌声にこの時のエミリーの歌声が重なる。

 エミリーは髪も瞳も黒く、顔だちも一寸見ちょっとみなら日本人の少女と変わらない。ただ、幾分大げさな所作しょさや表情のつくり方は、テレビや映画で見るアメリカ人のそれだった。

 挨拶は「ハーイ!」、「美味しい」は「ヤミー!」、驚いた時は「ワォ!」だ。

 目を大きく開け相手の瞳の奥を見ながらはっきりと話した。

 困ったのはエミリーが男女かまわずハグすることだった。親切にされたりすると「アイラブユー」と言いながら相手に抱きつく。気配けはいさっした男子は直ぐ逃げるが、のろまな僕はよく餌食えじきにされた。頬にキスされたこともある。

 身長が百六十五センチもあり、竜ちゃんは学校一番のノッポの座をエミリーに明け渡した。

 日本語が不自由だったので、エミリーは通訳を引き受けた辰ちゃんのそばから離れなかった。結局、辰ちゃんの仲間だった竜ちゃんや僕と一緒に居ることが多くなり、仲良しトリオのメンバーとなってしまった。もちろん、四人組だからトリオではない。

 四人はフェローズと呼ばれた。エミリーが僕らをフェローと呼んでいたからだ。

 英語の「フェロー」は、「男友達」を意味するらしい。でも、エミリーは全く気にせず、自分も僕らのフェローだと明言めいげんしていた。

「仲良し」も、グループを形容する言葉の候補からはずされた。竜ちゃんとエミリーが喧嘩ばかりしていたからである。

 エミリーは皆の名前を敬称けいしょう無しで呼んだ。

「リュウイチなんて呼び捨てにするな。竜ちゃんって呼べよ」

 ちゃんづけで呼び合うことが友情のあかしだと思っている竜ちゃんが一寸ちょっと怒って言う。

「ホワイ? ヨーネイミィズリュウイチ、イズンティート」

 敬称をつけないで呼ぶ方がフレンドリーだとエミリーは主張する。

「アメリカじゃ、友達を呼ぶときミスとかミスターをつけないらしいよ」

 辰ちゃんの説明に竜ちゃんはしぶしぶ納得し、エミリーにだけは皆を敬称無しで呼ぶことを許した。

「エミリー、お前って、バタ臭いよな」

「バタクサイ?」

 辰ちゃんが通訳する。

「ワタシ、バターの匂いなんかしないよ。リュウイチこそソイペースト臭いよ」

「ソイペイスト? 何だそれ? 日本語で言え」

 味噌みそのこと、と辰ちゃんが小声こごえで通訳する。

 あきれ顔の僕と辰ちゃんをよそに、二人は顔を合わせれば何時いつも口喧嘩をしていた。

 美人で明るいエミリーはたちまち学校中の人気者になった。明るいだけではない。竜ちゃん以上に正義感が強い。

 弱い者いじめの報告を受けると、大きな足音をたてながら現場に急行する。正義感に燃えるエミリーのものすご迫力はくりょくに、いじめっ子は戦わずして退散たいさんした。もし格闘になっても、エミリーは負けなかっただろう。エミリーは空手の使い手だったからだ。

 弱きを助け強きをくじくヒロイン、エミリーを、女子だけでなく男子も頼りにし始めた。

 竜ちゃんはあまり愉快ではなかっただろう。

 エミリーは自分よりも背が高く、もしかしたら自分より強いかもしれない。今まで竜ちゃんが独りで引き受けていた正義の味方という役割をエミリーも担当し始めた。

 何の遠慮も無く自分の親友である辰ちゃんや僕と親しげに話すエミリーは、竜ちゃんの目には図々ずうずうしい奴とうつっていたのかもしれない。


「Dには仲間がいるの?」

 Dは空を見上げた。記憶を探るとき人はよく天に顔を向ける。Dも同じだ。

「私と同じ姿をした仲間か」

「うん」

図書室で見た図鑑にはDに似た巨大生物が幾つかっていたが、姿や大きさがDと完全に一致するものは一つもなかった。

「一緒に遊んだ仲間はいた」

「何をして遊んだの?」

「いつも並んで泳いでいた。海に潜って魚を追いかけたこともある」

 Dの仲間が競泳したら、さぞかし海は荒れただろう。

「同じ姿の仲間は今はもう一頭もいない。私の種族は遠い昔に滅んだ」

 Dは溜息をついた。

「同じ種族じゃなくてもDと僕は仲間だよ。姿も大きさも違うけどDと僕は仲間同士だ」

 Dは頸を大きく曲げて僕の顔を覗き込んだ。

「そうだ。お前と私は仲間だ」

 Dは僕の目を見ながら嬉しそうに言った。

 Dの大きな瞳の中で小さな僕が笑っていた。


 僕が半年前まで住んでいた田舎町では「遠足」とは文字通り、遠くまで足を使って行くことだった。でも、この町の小学校ではバスに乗って遠足に行くという。

「歩いて行ったら日が暮れちゃうぜ。歩いて行けるような所に行くんだったら、遠足じゃなくて近足きんそくじゃん」

 バスに乗って行くと聞いて首を傾げた僕に竜ちゃんは言った。

 市の東側に住宅や工場が密集していて、四十二万人市民のほとんどが其処そこに住んでいた。西には幾重いくえにもつらなる山々が見えたが、その山地さんちに入るには市の外れに広がる農地や林地りんちを越え隣の郡まで行く必要があった。竜ちゃんの言った通り、歩いたら往くだけで日が暮れてしまう。中心街から五、六キロの距離に山や谷があるような田舎町とは違うのだろう。

「でも、遠足じゃなくて遠バスじゃん」

 僕はこの町の言葉でひとちて笑った。

 貸し切りバスに一時間も揺られ、僕らは大きなみずうみに着いた。

 湖といっても人造湖じんぞうこだ。

 川をき止めて造ったダム湖で、戦時下せんじかの電力を供給する水力発電用ダムとして造成工事ぞうせいこうじを始めたが、完成したのは戦争が終わった二年後だった。

 二十年前に、この湖で遊覧船ゆうらんせんが沈没し遠足に来ていた二十二人の中学生が亡くなるという痛ましい事故があった…メガホンを持った観光組合の職員が、バスを降りて集合した小学生たちに説明した。

 湖にスワンボートが浮かんでいた。笑顔のカップルがペダルを足で踏みまわし、湖面に小さな波を立てている。戦争や水難すいなん事故を想わせるような風景は何処どこにもなかった。

「リュックを持って来るのがあたりまえじゃん。遠足なんだぞ」

 ダム施設の見学に行く道で、呆れ顔をした竜ちゃんが言った。

「ピクニックにはバスケットじゃんか」

 エミリーが片手にさげげていたピクニックバスケットはかなり大きく重そうだった。四人家族用らしい。

「僕が持ってあげるよ」

 辰ちゃんが歩きづらそうにしているエミリーに手を差し出した。

「俺が持つよ、辰ちゃん。そんな荷物、力もちの俺ならお茶の子さいさいだ」

 竜ちゃんは引ったくるようにエミリーのバスケットを手にとり、フェローズの先頭にたって歩いて行く。自分のせいで辰ちゃんに迷惑がかかると思ったのだろう。

 エミリーはあきれ顔で溜息をつき「サンキュウ」と、ぶっきらぼうに言った。

「こんどから、遠足の時はリュック背負って来いよな」

 竜ちゃんもエミリーの顔を見ずに言った。

 見学から戻った僕らは水辺から五十メートルくらい離れた芝地に昼食用地を確保した。

「日本の弁当は、お握りにきまってるんだ」

「ピクニックにはサンドイッチよ。世界のジョーシキじゃん」

 竜ちゃんとエミリーの言い争いは続いていたが、辰ちゃんと僕は二人を無視して四人分のシートを敷いた。

「あれ?」

 自分のリュックの中をのぞいた竜ちゃんが、顔をしかめた。

「弁当、持ってくるの忘れた」

 竜ちゃんは泣きそうな顔をした。

 辰ちゃんも僕も、そんな竜ちゃんを見たのは初めてだった。

「せっかく母ちゃんが作ってくれたのに」

 給食の無い日に竜ちゃんがもって来るお弁当は、皆がのぞきに来るほど手のんだものだった。高級な食材を使っているわけではないが、作るために多くの時間をかけているだろうことは小学生の僕らが見てもわかった。

 お母さんが心をこめて作ってくれたお弁当を竜ちゃんは忘れてきたのだ。彼が自分を責めて泣きそうになるのも無理はない。

 竜ちゃんは下を向き、力なく座り込んだ。

「リュウイチのママが作ってくれたお弁当より美味うまくねえかもしれないけど、食えよ。私がクックしたんだぜ」

 エミリーが竜ちゃんにサンドイッチを差し出した。

 エミリーの日本語が時々乱暴なのは、いつも竜ちゃんと口喧嘩をしているせいだ。エミリーは日本語のほとんどを竜ちゃんとの口喧嘩で憶えているといってもよかった。

「お前の弁当なんかもらえるもんか。第一、お前の分が足りなくなるじゃん。お前、大飯喰らいだし」

「オオメシグライ? 何それ? 四人分つくってきたんだ。私ひとりで、こんないっぱい食えるわけないじゃん」

 エミリーはバスケットの中身を皆に見せた。ラップに巻いたサンドイッチとかフルーツを入れたタッパーウェアがぎっしり詰まっている。重いはずだ。

「エミリー、辰ちゃんと僕ももらっていい?」

 僕は辰ちゃんに目をりながらエミリーにいた。

「オフコース」

「竜ちゃんももちろん、もらって食べるよな」

 辰ちゃんがそう言うと、竜ちゃんはしぶしぶうなずき「いただきます」と小さく言って、敵から贈られた塩に手をつけた。

 エミリーお手製のサンドイッチは素晴らしく美味しかった。すきっ腹でその美味しいサンドイッチを一口食べた竜ちゃんは、うっかり、「美味うまい。俺、こんな美味いサンドイッチ食ったの生まれて初めてだ」と言ってしまい、「しまった」という顔をした。辰ちゃんと僕は吹き出しそうになった。

「エミリー、どうしたの?」

 エミリーは僕らから二十メートルくらい離れた所に独りで座っている女の子に眼をっていた。

 下を向き無言で食べている。秋の始業式の時にエミリーと一緒にステージに上がり、皆に紹介されたおさげ髪の転校生だった。

 彼女が食べていたのはあんパンだった。

「あの子、何て名前だっけ?」

 その女の子の名前を僕らは憶えていなかった。

「私、あの子を連れてくる」

 エミリーは立ち上がり、おさげ髪の女の子の所に向かった。

「ハーイ、私のフェローたちがあなたを連れて来いってうるさいのよ」

 エミリーの大きな声が聴こえた。

「俺たち誰も、そんなこと言ってねえよ」

 僕ら三人は顔を見合わせた。

 エミリーは躊躇ちゅうちょしている女の子の腕をつかむと無理矢理立たせ、フェローズのコロニーに連れてきた。

 僕は急いで一人分のシートを追加した。エミリーがそこに彼女を座らせようとした時、

「I like being alone. (独りが好きなの)」

 と、彼女が英語で言ったので僕らは驚いた。

「OK. Be along with us.(じゃあ、私たちと一緒に居なさい)」

 エミリーがそう言うと彼女は笑顔になり、大人しく座った。

 アロゥン《独り》とアローング《一緒》の駄洒落だ、と後で辰ちゃんが教えてくれたが、竜ちゃんと僕がこの英会話を理解したのは中学生になってからだ。

 彼女は「まり」と名のった。

「名前の漢字を教えてくれよ」

 と、いたのは竜ちゃんだった。漢字が苦手なエミリーを話題の外に置こうとするちょっとした意地悪である。

「漢字じゃなくて平仮名ひらがなで『まり』って書くの」

 竜ちゃんの思惑おもわくは外れた。

 生まれたとき親がつけた名前は漢字二文字だったが、彼女の父親が届け出に行った際、人名には使えない漢字だといわれた。父親は仕方なく出生届に平仮名で「まり」と書いた。学校の出席簿も「まり」となっている。でも、自分は親が最初につけてくれた漢字の名前が気に入っていて普段は漢字を使っている、と彼女はシートの上に指で「茉莉」と書いた。

 エミリーはもちろん、竜ちゃんも僕も初めて見る漢字だった。

「ジャスミンって意味だよね」

 辰ちゃんがそう言うと、茉莉ちゃんは一寸ちょっと驚いた後、とても嬉しそうにうなずいた。

 僕らが自己紹介しようとすると、茉莉ちゃんは、「みんなの名前は知ってるよ。有名だもの」と、小さく笑った。

「お弁当を忘れたの」と、茉莉ちゃんは恥ずかしそうに言った。僕らは茉莉ちゃんが隠れる様にあんパンを食べている姿を見ていたが、何も言わなかった。何か事情があって親にお弁当を作ってもらえず、仕方なく菓子パンを買って来たのだろう。僕はそう推理した。

「俺も弁当忘れて、エミリーにもらったんだ。茉莉ちゃんも遠慮するな。すごく美味いぜ」

 竜ちゃんが勝手にエミリーのバスケットからサンドイッチを取り出し茉莉ちゃんに渡した。

「ありがとう」

 茉莉ちゃんは竜ちゃんとエミリーに礼を言って、サンドイッチを美味しそうに食べた。

 フェローズのメンバーは五人になった。


 Dが棲む海岸通りの空き地は小さな村ひとつ分くらいの広さしかない。しかし、早暁そうぎょうDと一緒に現れる海は、果てしなくどこまでも続いている様に見えた。

「あの水平線の向こうには何があるの?」

「お前たちが世界と呼ぶものだ。目をつむればお前にも見える」

 僕は目を瞑ってみた。

「何も見えないよ」

「そのうち見えるようになる」

 僕が首を傾げるとDは笑った。

「Dは遠くに行くことがあるの?」

「私は、この星の何処どこにでも行く。ただ、陸地には上がらない」

 大きな川や湖にも行くと、Dは言った。

「何をしに行くの?」

「思い出しに行く」

「何を?」

「忘れてしまったことを」

 旅の目的は二つある。思い出をつくることと、それを思い出すこと…最近目にした旅行案内のキャッチフレーズだ。旅の本質をついていると僕は思う。

 地球上には怪獣出現伝説をもつ海域かいいき湖沼こしょうがいくつもある。その伝説のほとんどにDが関係している。そんな気がした。


 家から車で五十分ほどのところに標高六百メートルの山がある。

 古くから保護されてきた森林が豊かな自然をはぐくんでいて、僕が三歳の頃、一帯は国定公園に指定された。首都近郊にあるその地は四季を通じて多くの行楽客でにぎわう。

 九月下旬の日曜日、父は買ったばかりのカローラに母と僕をのせ、その山までドライブした。

 ふもとの駐車場に車をめ、家族は山頂さんちょう付近まで続く線路長せんろちょう一キロメートルのケーブルカーに乗った。

「あの辺りに私が生まれた家があったのよ」

 ケーブルカーの窓から外を見ていた母が、山麓さんろくに広がる町の一角いっかくを指さした。

 母の生家せいかは、空襲で焼けた。

 生家が空襲にあった時、母は疎開そかいしていたので無事だったが、帰る家を失った一家は戦争が終わった後も疎開先にとどまった。母はそこで成人し父と知り合い一緒になった。

「私の友達で空襲で亡くなった子は一人もいないけど、今はもう誰もあの近所には住んでいないわ」

 母が指さした一角には比較的新しい造りの家々が建ち並び、鮮やかに塗られた屋根の色を競っていた。

 ケーブルカーの降車駅こうしゃえきから山頂さんちょうまでは歩いて二十分ほどだ。杉林すぎばやしを抜けて山頂へと続く石畳の路はここを本山ほんざんとする大きな寺院の参道さんどうでもある。いたる所に安置あんちされた仏像が、やさしい眼差まなざしで登山者たちを見守っている。

 この山には天狗てんぐむといわれている。修験者しゅげんじゃ姿の鼻高天狗はなだかてんぐ烏天狗からすてんぐの立像が至る所に立っている。

 門に飾られた大きな天狗の面がいかつい顔で虚空こくうにらんでいた。

「わしら天狗は、このお山と此処ここに来るお前さんたちをまもっておるんじゃ」

 土産屋の主人が売り物の天狗の面を顔にあてその長い鼻を僕の目の前に突き出した。

 途中、本堂ほんどう参拝さんぱいし、僕らは山頂さんちょうに向かった。

 風も無く雲も無い。山頂の展望公園からは冠雪かんせつした富士山がはっきりと見えた。

「我が家はあの辺りだ」

 父が指さした先に僕は海岸通りの空地を見つけた。

 僕が毎朝海岸通りから眺めていたのは無限の広がりをもつ海だった。でも、この時見えたDの棲処すみか一寸ちょっと広い程度の空地あきちに過ぎなかった。

 僕は目を瞑った。すると目の前にいつもの海が現れた。でも水平線は目の高さにあって、その向こうに広がる世界はやはり見えない。

 僕は目を開け、海岸通りに向かって手を振った。

「おやっ?」

 父が公園の端にあるベンチに向かって歩き始めた。父と同い年くらいの男性がベンチから腰を上げ父の名を呼んだ。

 男性の隣には登山帽をかぶった女の子がいて父とその男性に交互に目をっていた。

 登山帽の女の子は茉莉まりちゃんだった。

 茉莉ちゃんは僕に気づき、戸惑とまどうような笑顔を見せた。

「茉莉、友達か?」

 男性が茉莉ちゃんにいた。

「うん、同じ小学校」

 父と母は茉莉ちゃんと僕をベンチに残し、その男性と休憩所の四阿あずまやに向かった。

 男性は父が戦時中に通っていた国民学校の同級生らしい。

「私のお父さんなの」

 と、茉莉ちゃんは恥ずかしそうに言った。

苗字みようじは違うけどね」

 苗字が違う理由を僕は訊かなかったが、茉莉ちゃんは話題に困ったのか、「誰にも言わないでね」と前置きし彼女の家庭の複雑な事情を話し始めた。

……両親は何年か前に離婚し、父親は自分の知らない女性と再婚した。自分には母親の違う幼い弟がいるが、彼の顔を見たことは一度もない。父親とは半年に一度くらいしか会わない。実の母親は離婚後、自分を連れて地方に移り住み看護婦として働いていた……

「私のお母さんは、七月の台風で亡くなったの」

 茉莉ちゃんのお母さんが亡くなっていたことをフェローズのみんなは知っていたが、茉莉ちゃんに気づかって誰も話題にしなかった。

 独りぼっちになった茉莉ちゃんは、母方のお祖父さんにひきとられ、今の小学校に転校した。

 茉莉ちゃんは下を向いたまま話した。僕も下を向いたまま彼女の話を聴いていた。

「お祖父ちゃんは、英語の先生をしているの」

 茉莉ちゃんのお祖父さんは週に三日、近くの英会話学校で教えていた。僕の祖父と同様、軍人恩給と年金の受給者だった。茉莉ちゃんのお祖父さんのことも僕らは少しだけ知っていた。

「私、人をたすける仕事をしたいの。お祖母さんやお母さんみたいに」

……母方の祖母も看護婦だった。終戦直前の空襲で、救護活動中に亡くなっている。母親が亡くなったのも災害救助のスタッフとして働いていた時だ。母親は赤十字社から表彰され、葬儀には知事や市長が参列さんれつした……茉莉ちゃんは淡々たんたんと語り続けた。

「私もナースになりたい。ナースになって病気や災害や戦争で苦しんでいる世界中の子供たちをたすけたい」

 普段は無口で大人しい茉莉ちゃんが高揚こうようして話す姿を見て、僕はちょっと驚いた。

「将来の夢は何? 何になりたい?」

 茉莉ちゃんにきかれて、僕は答えにきゅうした。

 茉莉ちゃんは将来へのしっかりとした目標をもっている。茉莉ちゃんだけではない。辰ちゃんは医師、竜ちゃんは警察官、エミリーは歌手、と将来の夢を明言めいげんしていた。

「将来の夢?」

 四阿あずまやのベンチに座る父に目をった僕は、咄嗟とっさに思いついたことをそのまま口にした。

「きっと成れるよ。私が保証する」

 この時よく考えもせずその場凌ばしのぎで口にした夢が、僕の人生を大きく動かすことになる。

「私、もうひとつ夢があるんだ」

 茉莉ちゃんはもうひとつの夢を語った。

「誰にも言わないでね。恥ずかしいから」

 僕は、絶対に他言たごんしないと約束した。

 

「向こうの山の上で手を振るお前を見た」

「僕にはDが見えなかったよ」

「お前に私が見えるのは朝の短い間だけだ」

 そういうキマリなのだ、とDは続けた。

「私はお前に向かってくびを振った。私には手を振る挨拶が出来ない」

 Dが海面の上に前鰭まえひれか前脚を出して振る姿を想像し、僕は笑ってしまった。

「僕は昨日、将来、何になるかを決めたんだ」

「将来?」

「そうだよ。誰でも大人になったら何かの仕事をして働かなくちゃいけないだろう?」

「昔、大人になったらヘイタイになってクニのためにハタラクんだと言っていた子供がいた。ヘイタイもクニもハタラクも、私にはよく解らない、教えてくれと言うと、その子は首を傾げた。本当にヘイタイになりたいのかといても首を傾げるだけだった。男の子は皆、大人になったらヘイタイになるから、と言っただけだ」

 祖父のことかもしれない。祖父は十三歳の時、陸軍幼年学校に入学している。

「お前も、ヘイタイになるのか?」

 兵隊にはならないと僕は答え、Dに自分がこうと望んだ職業の説明をした。

「おもしろそうなシゴトだ」

 私もやってみたい、とDは笑った。

「でも、成れると思う?」

 きっとDは励ましてくれるだろう。僕は期待した。しかし、

「私にはお前の未来を知ることはできない。私は見守るだけだ」

 Dは僕の将来を保証してくれなかった。

「だが、これから先、お前が守り続けなければいけないキマリがある」

 Dは僕の顔をのぞき込み、

「何があっても自分を捨てずに生きていく。それがお前たちが決して忘れてはいけない一番大切なキマリだ」

 と、続けた。

 以前、父が沈んだ顔をしていたことがあった。僕が心配して顔を覗き込むと、

「どんな人生もそれほど悪いものじゃない。思い通りにならないこともたまにはあるけどな」

 やさしい眼差しを僕に向け、父はさとす様に言った。父はその言葉を自分自身に言い聞かせている、と僕は思った。

「映画のシナリオを書いて、映画会社に送ったんだって」

 母が、こっそりと教えてくれた。

 不採用だったという。

「お父さんは映画監督に成りたいのよ」

 父は映画の仕事に憧れて上京し、大学で映画制作を専攻した。大学を卒業すると助監督として映画会社に就職した。しかし、入社して一年後に会社が倒産してしまった。父は一旦田舎に帰り、地方新聞社の報道カメラマンになった。

 田舎の新聞社を辞め県内にあるテレビ局で営業の職を得てこの町に越して来た時、父はもう三十七歳になっていた。い歳だ。夢を捨て人生に区切りをつけても誰も文句は言わなかっただろう。それに父は、家庭をかえりみずに夢を追うような男ではなかった。チャンスがあったとしても、自分がそのチャンスに飛びつくことによって少しでも家族に迷惑がかかるようなら、父はその好機こうきを避けたはずだ。でも父は、夢だけは静かにち続けた。父は八十歳を待たずに他界したが、遺品のワープロには世に出なかったシナリオが二百本近く保存されていた。

 映画監督になるという父の夢は一生かなわなかった。でも父は、いのない人生を送りきったと僕は思う。

 何があっても人生にイエスと言う……父はそんな男だった。


 雲一つない真っ青な空のことを父は「ピーカン」といった。煙草のピース缶の色に由来する映画用語だ。運動会の日、空はピーカンだった。

 朝の散歩の後、父は小学校のグランドに行き実施本部テントの隣にフェローズとその家族用の大きなブルーシートを敷いた。

 開会式の前からつどい始めたフェローズの家族は、最初の競技が始まる頃には七人になった。辰ちゃんのお母さんと竜ちゃんのお母さん、僕の両親と茉莉ちゃんのお祖父さん、そしてエミリーの両親である。辰ちゃんのお父さんは国立病院の救急医療センターに勤める医師で、運動会のシーズンには休みがとれない。竜ちゃんのお父さんは県警の刑事だ。この日は非番ひばんではなかった。

 米軍キャンプがあるので白人も黒人も普通に街を歩いている。だが、娘の運動会を観に来たエミリーのお父さんは会場中の人々の視線を一身に集めていた。背が高くハンサムでハリウッドの映画スターを彷彿ほうふつさせるような風貌ふうぼうだったからだ。開会式終了直後に到着し、僕の父、そして茉莉ちゃんのお祖父さんと握手を交わしていた。

 グランドを挟んで保護者席の反対側にあった応援席からも彼らの表情は確認できた。三人は、まるで旧くからの知り合いの様に談笑していた。父親は日本語を話せないとエミリーは言っていた。とすれば、三人は英語で話している。茉莉ちゃんのお祖父さんは英会話教室の先生なので何の不思議もない。でも、英語を話す父の姿は意外だった。父は、頭一つ背高の白人と対峙たいじして少しもおくすることなく堂々とした姿勢で話していた。

 午前の競技種目が終ると、子供たちはお弁当を用意して待つ保護者のもとにかけつけた。  

 フェローズのシートは十二人の大所帯となった。

「君のお祖父さんは私の父のフェローだった」

 エミリーのお父さんが僕に握手を求めた。彼の英語は父が訳してくれた。

「世の中は狭いな」

 父は溜息をついた。

 僕のファミリーネームに聞き覚えがあったので、もしかしたらと思っていた。今日、僕の祖父のファーストネームを知り驚いている。   

エミリーのお父さんはそう言って、

「五年前に他界した父の遺品の中に、君のお祖父さんからの手紙が何通もあった」

 と、続けた。

 僕の祖父は陸軍の情報将校だった。終戦の年にはこの町に在った軍の通信学校で教官をしていたが、戦争が終わると直ぐ、軍の施設を進駐軍へ移管いかんする仕事にいた。

 当時、施設移管業務の米軍側担当者だったのがエミリーのお祖父さんだった。二人は気が合ったらしい。エミリーのお祖父さんは僕の祖父の人柄を気に入って友達付き合いをするようになった、とエミリーのお父さんは言った。二年後、エミリーのお祖父さんは帰国し、戦後処理の任務を終えた祖父もその翌年、この町を去っている。

「My dad had the watch that was engraved 'U.S.ARMY'. It was your father's one, wasn't it? (私の父は「アメリカ陸軍」と刻印された時計を持っていた。あれは貴方の父上の時計ですね)」

 父の英語を今度は茉莉ちゃんのお祖父さんが僕に通訳してくれた。

 祖父は古い手巻き式の腕時計を愛用していた。その時計の裏に刻印された「U.S.ARMY」の意味を祖父から教えてもらったことがある。

 なぜ日本の軍人だった祖父が敵だった米軍の時計をもっているのかと僕がきくと、

「とりかえっこしたんだ。親友とな」

 祖父はそう言って、掌にせた古びた時計を感慨かんがい深げに見ていた。

 エミリーのお祖父さんが帰国する日、二人は互いの腕時計を交換したのだ。

「さて、次は私だ」

 会話が途絶とだえたタイミングを見計みはからった様に、茉莉ちゃんのお祖父さんが僕に右手を差し出した。

「私も君のお祖父さんを存じ上げている。君にも君のお父さんにも面影おもかげがあって、ひょっとして、と思ったんだが、さっき君のお父さんに確認したら、やはりそうだった」

 僕の祖父は士官学校の先輩だった、と茉莉ちゃんのお祖父さんは言った。

「優しい人だった。面倒見めんどうみがよくて、どんな相談にものってくれたよ」

 茉莉ちゃんのお祖父さんは終戦の二年前に中ソ国境に近い任地にんちおもむいた。戦後ソ連軍の捕虜になりシベリアに四年間抑留よくりゅうされていた。彼が復員ふくいんした時、僕の祖父はすでにこの町を去っていた。一人娘、つまり茉莉ちゃんのお母さんをのこして看護婦だった奥さんが亡くなっていたことを知ったのも日本に戻った時だった。

「世の中は狭いな」

 父がもう一度言った。

 僕以外のフェローズとその母親たちは、お弁当を囲んで賑やかに談笑していた。

「茉莉さん、あなたのお母さんのお名前、私、知っているわ」

 辰ちゃんのお母さんの声が聴こえた。辰ちゃんのお母さんも看護婦だ。茉莉ちゃんと意気投合していた。

「へえ、これもエミリーちゃんが作ったんだ。後でレシピ、教えてね」

 竜ちゃんのお母さんが大きな声で言った。

 竜ちゃんのお母さん、僕の母、そしてエミリー母娘は料理の話題で盛り上がっていた。 

 すっかり打ち解けて話している喧嘩友達のエミリーと自分の母親とを横目で見ながら、竜ちゃんは「美味い、美味い」と様々な料理を口に運んでいた。そんな竜ちゃんの居心地いごこち悪そうな様子を見て辰ちゃんは笑いをこらえていた。

 祖父の話題に時間をとられ、僕は大して食べないまま応援席に戻った。でも、五十メートル走に出た僕がビリッけつだった理由は空腹だったからではない。十分に食べていても結果は同じだっただろう。因みに、辰ちゃんもビリだった。

 エミリーと竜ちゃんのおかげでクラス対抗リレーはダントツで一位だった。

 茉莉ちゃんは隣のクラスのアンカーを走り彼女のクラスを二位に導いた。茉莉ちゃんの四人抜きがなかったら、隣のクラスは最下位だっただろう。普段はおしとやかな茉莉ちゃんの意外な俊足しゅんそくに僕らは驚いた。

 応援席に戻る茉莉ちゃんを隣のクラスの子供たちは盛大な拍手で迎えた。


 ゴーッという、空をつんざくような音がした。

 Dが空を見上げ、鳴り止まない雷鳴のようなその音の音源に目をった。

「あの飛行機は、昔見た飛行機よりも速く飛んでいる。嫌な音だな」

「ジェット機だよ」

 機体に書いてある文字がハッキリと読めるほどの低空を米軍の戦闘機が二機、並んで飛んでいた。この町から四十キロほど北に米軍の飛行場がある。そこに向かう軍用機だ。

 前の年の冬、アメリカの大統領が長い間続いたアジアでの戦争を終えると宣言し、それ以来この町の空は比較的静かになった、と辰ちゃんが教えてくれた。

「夜遅く、遠くの空が真っ紅に染まったことがある。向こうの空だ」

 Dはくびを伸ばして北の空を見た。

「燃える雨が降っていた。その光で群れをなして飛ぶ飛行機が見えた。燃える雨を降らせていたのはその飛行機たちだ」

 焼夷弾しょういだんのことだろう。

「空襲っていうんだ。飛行機から爆弾を落として家や工場を燃やす。人も大勢死ぬ」

 三十年前の隣市りんしの空襲のことは、学校で習っていた。一万四千の家が燃え、四百四十五人が犠牲となった。この空襲で、僕の母の生家せいか焼失しょうしつし茉莉ちゃんのお祖母さんは殉職じゅんしょくした。

「何故そんなことをする」

「戦争だよ。国と国が戦うんだ。沢山の人が死ぬ」

「同じ種族同士で殺し合うのか。お前たちは愚かだ」

 Dは叱り飛ばすように言った。


「竜一君のお父さん、今でもまだギター弾いてる?」

 授業を終えた音楽の先生が、竜ちゃんに声をかけた。

「仕事が忙しくて、ギター弾いている時間なんか無いみたいだ。俺、父ちゃんのギターもらっちゃったし」

「えっ、竜一君、お父さんのギブソンもらったの? あのギター、三十万円もするのよ」

 音楽の先生と竜ちゃんのお父さんは知り合いで、竜ちゃんのお父さんはギターを弾くらしい……とそばで話を聴いていた僕は推理した。

 竜ちゃんの家からギターの曲が聴こえることがあった。レコードをかけているのだろうと僕は思っていた。

 竜ちゃんのお父さんがギターを弾くなんて意外だった。

 声の大きい陽気な人で、子供たちの前ではいつも笑っている。でも、体が大きく強そうで、笑っていない時の顔はもの凄く怖いんじゃないかと思う。県警捜査一課の刑事で殺人事件とか強盗事件とかテレビのニュースに出るような事件を幾つも解決したのだ、と竜ちゃんは自慢していたが、それは本当だ。竜ちゃんの家の居間には、警察庁や県警からの表彰状が何枚も飾られていた。

「大学の時、仲間が集まって軽音楽のサークルをつくったの」

 と、音楽の先生は懐かしそうに言った。当時、音楽の先生は教育学部、竜ちゃんのお父さんは法学部の学生だったという。

「ウディ・ガスリーとかピート・シガーとかって、君たち知らないわよね」

 どんな曲を演奏していたのかと僕が訊くと音楽の先生はそう答え、ある曲の何小節かをピアノで弾いた。聞き覚えのある曲だった。

「"Where have all the flowers gone?"ね!」

 エミリーがピアノのそばに来て言った。邦題ほうだいは『花は何処へ行った』だ。

 竜ちゃんがギターを弾くことを、しかも天才的な奏者そうしゃであることを僕らが初めて知ったのは、次の週の音楽の時間だった。

 お父さんの話をしたその日、音楽の先生は竜ちゃんのお父さんに久しぶりの電話をした。そして「俺よりも上手うまいかもしれない」と、彼の息子への評価を聞いたのだ。

 音楽の先生は次回の授業にギターを持参じさんした。

「お父さんより上手なんて、すごい才能だわ。竜一君のお父さんはレコード会社からスカウトされたことがあるのよ」

 僕と辰ちゃんは顔を見合わせた。竜ちゃんとギター……どう考えても結びつかなかった。 

 竜ちゃんの演奏を聴くまで授業を始めないとまで言われ、竜ちゃんは渋々演奏を承諾しょうだくした。

 音楽の先生は気に入っている曲は何かと竜ちゃんにき、それが当時流行っていたカントリーの曲だったので、エミリーをヴォーカルに指名した。

 椅子に座った竜ちゃんはギターのチューニングをし、かたわらに立つエミリーに目で合図した。

 六本の弦が、無数の雨だれを受けた細い枝の様に小さく振え始め、ギターがひとりでに鳴り出した……

 竜ちゃんの体は微動だにしない。指だけが別の生き物のように、ネックと弦の上で優雅に踊っている。

 人の心の内側には心地好い響きに共鳴する空間がある。竜ちゃんのギターが生み出す無数の振動は、この上なく美しい色彩と形象の波紋をその空間に描きだしていた。

 スリー・フィンガー・ピッキングを土台にした奏法そうほうだ、と後で音楽の先生が教えてくれた。

 ひとつの楽器がかなでているとは想えないその無数の響きにのせ、エミリーは限りなく澄んだ声で『テイクミーホーム・カントリーロード』を歌い上げた。

 演奏が終わっても、誰も拍手をしなかった。

 子供たちはポカンと口を開け、ほうけた顔で竜ちゃんとエミリーを眺めていた。 

 音楽室の外廊下から一人分の拍手が聴こえ、皆、気が付いたように拍手を始めた。最初に拍手したのは、たまたま廊下にいた校長先生だった。

竜一りゅういち君、本当にお父さんより上手いわ」

 音楽の先生は溜息ためいきをついた。

 竜ちゃんの顔は真っ赤だった。恥ずかしかったのだ。

 やさしくギターを抱え、静かな眼差しでそれを弾く竜ちゃんは別人のようだった。

 体育系の武骨ぶこつさを志向しこうし強くたくましい自身のイメージを作り上げてきた竜ちゃんは、優雅に楽器を奏でる自分の姿なんか人に見せたくはなかったのだろう。

 文化祭で演奏したらどうかという先生の誘いを、竜ちゃんはもちろん断った。しかし先生は諦めなかった。

 彼女は、竜ちゃんのお父さんに相談した。

 周りからひとりづつオとす……と、県警捜査一課の名刑事は、複数犯を個別に尋問じんもんついには主犯に犯行を自白させるという捜査手法を彼女に教えた。

 先生は竜ちゃん以外のフェローズのメンバーを一人ずつ口説くどき始めた。

「エミリーさん、あなたの歌をみんなに聴かせてあげて。いいでしょ?」

 人前で歌うことが大好きなエミリーが、最初にオちた。

 頼まれたら嫌と言えない辰ちゃんをオとすのも簡単だったと思う。一昨年おととし昨年きょねんと、入学式や卒業式、発表会のピアノ伴奏をひとりで引き受けていた辰ちゃんが次に落ちた。辰ちゃんは三歳の時からピアノを習っていて、楽譜さえあれば大概たいがいの曲は演奏できる。

「エミリーさんが茉莉まりさんと英語の歌をデュエットしたいって言ってるわ。茉莉さんも勇気を出さなきゃ。才能があるのに何時までも引っ込み思案じあんのままじゃもったいないわよ」

 廊下の隅で茉莉ちゃんが口説かれていた。

 自分の引っ込み思案に悩んでいた茉莉ちゃんも、ほぼ強引に落された。茉莉ちゃんは隣のクラスで音楽の成績が一番だった。

「マネージャーをやってくれない?」

 僕が加われば仲間外れは竜ちゃんひとりだけになる。僕をメンバーに加える理由はそれだけだ。ただ、音痴おんちな僕が参加すると演奏の質が下がる。音楽の先生は悩んだ末、僕をマネージャーとして起用きようするという苦肉くにくの策を思いついたのだろう。

 自分以外のフェローズの文化祭出演が発表されると、竜ちゃんは「ちくしょー」と言いながら自ら音楽室に「出頭」した。

 毎日放課後、音楽室に残って練習し、およそ三週間でフェローズは英語の曲、三曲をマスターした。


 ガーランドチェーンやポンポンで飾り付けられた体育館のステージ上にフェローズの五人はいた。 

 音楽や演劇の発表はクラス単位で、という文化祭の規則があったが、音楽の先生を顧問につけたフェローズ五人組はカントリーミュージックのファンだという校長先生から特別に許可をもらったのだ。

 竜ちゃんがギター、辰ちゃんはピアノ、エミリーと茉莉ちゃんがヴォーカルを担当した。

マネージャーだった僕も、皆と一緒に演奏者としてステージ上にいた。

 僕はリコーダーとハープを引き受けた。ハープといっても竪琴たてごとではない。吹き穴が十しかないハーモニカである。フォーク歌手が首にかけたフォルダーにとりつけてギターを弾きながら鳴らす奴だ。

「これの練習をしなさい」

 三週間前、マネージャーをするだけと安心しきっていた僕に、音楽の先生はその小さな楽器を見せた。

「今回は三曲演奏するから、三本使うの」

 これは一曲目用、これは二曲目用……と、先生は三本のハープを机に並べた。曲のキーによって別々に調律されているのだという。

「バンプ奏法って云うの。こんな風に、適当に吹くのよ」

 音楽の先生はハープの一本を手に取り、ボブディランのレコードをかけると、曲に合わせてそれを鳴らしてみせた。

 ガバっと口にくわえ、リズムに乗ってブカブカ鳴らせばいいのだと言って、先生は一本を僕に渡した。

 先生に言われた通りガバっと銜えて吹くと和音しか鳴らない。単音を出すのは難しいが、和音だけを鳴らすには便利で、それらしく聴こえる。

「これなら、音楽がまるで駄目な君にも弾けるでしょ?」と、先生は言わなかったが、この楽器なら音楽の成績がギリギリ3の僕にも弾けるような気がした。

「ハーモニカなんて安物の楽器じゃないかと馬鹿にしているかもしれないけど……」

 ハープは高価な楽器を買えない貧しい子供たちが音楽を楽しむための道具だった。ブルースとかフォークとかカントリーといったアメリカ大衆音楽の根底こんていにはハープがる。草笛くさぶえを吹いたことがあるだろう。草の葉が鳴った時、心が動いたはずだ。ハープは人々の音楽への素朴そぼくな想いにつながる草笛のような楽器なのだ……

 先生はテンホールハーモニカの物語を熱く語った。

 音楽の先生は演奏曲を編曲する際、僕の担当箇所かしょ極力きょくりょく減らし、文化祭までの三週間、放課後はほとんど僕につきっきりで、演奏の質の低下防止に努めた。

 僕の両親も協力してくれた。

父は、古いフォークギターを納戸なやから出し、僕のハープに合わせて弾いた。コードを押さえかき鳴らすだけの決して巧いとは言えないギターだったが、僕には有難かった。

 幼稚園教諭きょうゆの資格をもつ母も音楽には詳しくて、文化祭で演奏する曲の楽譜を見ながら、僕の練習につきあってくれた。

 僕は、曲を三曲に限定し、ハープとリコーダーの練習を三週間必死で続けた。


 スピーカーからフェローズの五人を紹介するアナウンスが流れた。

 客席の最前列に、エミリーの両親、辰ちゃんのお母さん、竜ちゃんのお母さん、茉莉ちゃんのお祖父さん、そして僕の両親が座っていた。

 エミリーの両親以外は、みな不安気な顔をしている。エミリーのお父さんがサムアップしながらウィンクすると、エミリーは手を振った。

 竜ちゃんのお父さんはコートを着たまま体育館後ろの出入り口付近に立っていた。仕事の合間に息子の演奏を聴きに来たのだろう。僕は刑事ドラマの張り込みシーンを連想した。

 ピアノの音に合わせ竜ちゃんがギターのチューニングをした。

「最初の曲はカーペンターズの『シング』です」

 エミリーが曲を紹介すると、体育館に集まったおよそそ四百人の観客は拍手をしたが、それほど盛大な拍手ではない。小学生の、それも俄作にわかづくりのバンドだ。大して期待していなかったのだろう。

 体育系を自認する竜ちゃんは一応、度胸どきょうの男である。緊張はしていない。人前で歌うのが大好きなエミリーも緊張とは無縁だ。辰ちゃんはピアノ伴奏者として場数を踏んでいるから何時ものようにクールだった。ただひとり、茉莉ちゃんだけが緊張していた。茉莉ちゃんひとりだけ、つまり、音楽の先生が一番心配していた僕は、なぜか全く緊張していなかった。

 発表会当日の朝、僕はリコーダーとハープをもって散歩に出た。Dに聴いて欲しかったのだ。

「その風の声は、愉快な色をしている」

 僕が吹くリコーダーを聴いたDは目を瞑ったまま気持ちよさそうに上を向いた。

 リコーダーから持ち替えたハープを鳴らした時、Dは少し驚いたように目を開け、リコーダーと比べればはるかに多彩色たさいしきとがった音を出すその楽器を一瞥いちべつしたが、再び空に顔を向けた。

にぎやかな声だな。世界中の風の色が交っているようだ」

 Dが僕の演奏をめてくれたのか、それともその不出来ふできを遠まわしに伝え、僕を慰めてくれたのかは判らなかった。

「僕ってやっぱり下手へただよね?」

 三曲目の間奏をハープで演奏した後、僕はDにきいた。

「風の声に上手うま下手へたはない。お前が気持ちよく風をおこせば、聴く者も気持ちよくその風の声を聴くだろう」

 Dはそう応え、ハミングをした。

 Dの声を僕は耳で聴いてはいなかった。Dの声は「音」つまり空気の振動、ではない。Dの声は直接心の中に響くのだ。僕はDの声の大きさや高さや音色を現実の響きとして確かに感じていたが、Dの声を真似たり、誰かの声に似ている…といった具合にそれを分析することはできなかった。Dの声は「心地好ここちよさ」として僕の記憶に残っているだけだ。魂をそっとでてくれる。そんな心地好さである。

 Dが僕の心に響かせたハミングに僕は驚いた。Dがハミングしたのが、その日演奏する予定だった三曲目のメロディラインだったからだ。僕がDに聴かせたのは間奏のコードラインだけだった。

「なつかしい風の声だ」

 数小節をハミングした後、Dはつぶやいた。

 

『シング』の前奏は僕の、単調で素朴だが懐かしさがある(と、音楽の先生が極めて好意的に形容してくれた)リコーダーから始まった。

 僕のリコーダーに辰ちゃんのピアノ、そして、竜ちゃんのギターが重なる。エミリーと茉莉ちゃんが歌いだす。

 僕は客席に座った人たちの顔を見た。大人も子供も口を半開きにし、信じられないといった顔をしている。パチパチと不思議そうな瞬きをしている人もいた。

「合図をしたら、一緒に歌って下さい」と、演奏開始前にエミリーは言った。でも、ラッラッラ・ララッラ……というスキャットの時、エミリーと茉莉ちゃんがジェスチャーでうながしても、誰も歌おうとしなかった。

 楽しいことを思い出している……間奏に入る頃には、人々はそんな表情になっていた。

 目をつむって聴いている人も多かった。

 竜ちゃんのギターや辰ちゃんのピアノがつむぎだす光の糸をエミリーと茉莉ちゃんのハーモニーがやさしい色に染め空気に織り込んでいく。

 人々は目を閉じて、風の声が織りなす色彩の不思議にひたっていた。

 演奏が終わっても、誰も拍手をしない。四週間前の音楽室と同じだった。誰かが気づいた様に手を叩き、やがて万雷ばんらいの拍手が会場の空気をあっした。

「次の曲は校長先生のリクエストです。ジョーン・デンバーの『テイクミーホーム・カントリーロード』」

 元気な声で二曲目を紹介したのは茉莉ちゃんだった。茉莉ちゃんはすっかりリラックスしている。

 文化祭のステージに立ち一曲歌っただけで、茉莉ちゃんは完全に吹っ切れた。さっきまでの内向的でおしとやかな茉莉ちゃんは、もう何処かへ行ってしまった。

 二曲目の前奏はハープのソロだ。

 なつかしさを演出するのだ。だから巧く吹く必要はない。草笛のように鳴らすだけでいい……と、音楽の先生は助言してくれた。

 父に教わって、草笛を吹いたことがあった。音階さえも吹けなかったが、草の葉がわずかに振え音が出ただけで僕は嬉しかった。草笛の音は鳴らすとすぐ、草の匂いだけを残し風に流されて消え去った。ハープを鳴らしながら僕が思い出したのはその草の匂いだ。

 前奏が終わると大きな拍手が二、三秒間、体育館に響いた。拍手をもらった僕は驚いた。

 音楽は情感をもたらす契機けいきであって、上手うま下手へたは二の次なのかもしれない。僕が下手なハープで奏でたのは、人々を郷愁に誘う風の声だったのだと思う。

 音楽の先生は編曲の際、竜ちゃんのギターソロを聴かせようと、この曲の間奏を極端に長くした。

 ギターだけの間奏が終わると割れんばかりの拍手が起こった。予想通りだった。舞台袖で音楽の先生が掌をこちらに向け、拍手が鳴りやむまで間を空けるよう指示を出した。

 英語の歌詞を僕は一行も訳せなかったし、ウエストバージニアがどこに在るのかも知らなかった。しかし、写真でさえ見たことのないその地の風景を僕ははっきりと思い浮かべることが出来た。

 僕の故郷は山々に囲まれた盆地に在り、街はずれには大きな川が流れている。その風景は、木々よりも古く、山々よりも若く、そよ風の様に育った命の風景だ。 *1

 ジョン・デンバーが歌った風景は人それぞれの心の内に在るふるさとの風景なのだろう。

 Country roads, take me home to the place I belong.… *2

 エミリーと茉莉ちゃんはエピローグをアカペラで歌った。

 三曲目は、僕らが生まれる四年前に世に出た曲だった。竜ちゃんと辰ちゃんに敬意を表して選曲したのだと、音楽の先生は言った。

「『燃えよドラゴン』の方が普段の竜ちゃんのイメージにはぴったりだけどね。エミリーも空手の達人だし」

 と、辰ちゃんは笑っていた。

『燃えよドラゴン』は前の年に公開されたブルース・リー主演の映画だった。カンフー映画なので、その主題曲はいさまし過ぎるし、ヴォーカルは「アチョーッ」という気合いのみである。文化祭で演奏したら、笑いはとれるかもしれない。

 ピーター・ポール・アンド・マリーのレコードを父が押入れから探し出して来て再生すると、食事の支度したくをしていた母はレコードに合わせて歌い始めた。

 ジャッキーペーパーという名の少年がパフという名の竜と仲良しになる。魔法の世界を旅して一緒に遊ぶが、やがて成長した少年はパフのもとに来なくなり、パフは独り寂しく暮らす……母がその歌のストーリーを教えてくれた。

 少年は戦争に行って死んだのだという勝手な解釈をして反戦歌として歌った人もいたらしい。

「私は違うと思う。この歌は子供が成長して夢や純粋さを失う哀しさを歌っているだけよ。反戦歌じゃないわ」

 と、母は言った。

『パフ』を演奏している時、僕にはDのハミングが聴こえていた。

 僕は大人になってもDとの散歩をやめない。僕はジャッキーペーパー少年とは違うのだ。Dと僕のつきあいが何時までも続くなら、僕は成長なんかしなくてもいい…… 

 三曲全ての演奏が終わった。人々は皆、立ち上がって拍手をした。拍手は僕らがステージを降りた後も鳴りやまなかった。

「俺、二度とやらねえから」

演奏が終わってステージから降りると、真っ赤な顔をした竜ちゃんは小さい声で言って溜息をついた。 

「ハープ、素敵だったわ」

 音楽の先生は誰よりも先に僕をめてくれた。ただ、これ以降も、僕の音楽の成績は3のままだった。


 この町に住む人達は誰も冬支度ふゆじたくをしない。いつまでも続くあきれるほど長い秋を、いつもと変わらずせわしなく過ごしている。

 僕が九歳まで育った町は、この町から直線距離で二百キロほど真北にある。その地の晩秋ばんしゅうは一年のうちで一番忙しく騒がしい。しかし次の季節への準備が終わったとたん、町も村も時間がとまった様に音を失う。

 九歳までの僕がいだいていた冬の印象は、寒さでも冷たさでもなく「静けさ」だった。

 真っ白く、しかし暗く沈んだ風景の中を何も話さず足音もさせず人が体を丸めながら歩いて行く。おさない僕が北国の田舎ですごごした冬は、とまった時間の底深くに沈んだ無音の季節だ。

 初めて迎える都会の十二月に僕はなかなか馴染なじめなかった。

 風景は秋のままなのに街を抜ける北風は魂をこおらすほどに冷たい。かと思うと、民家の庭先に植えられた温州蜜柑うんしゅうみかんの木が実をつけていたりする。僕にとってこの町の十二月は、矛盾に満ちた不思議な十二月だった。

 僕が生まれた田舎町の方が気温は低いのに、この町の空気の方が数倍も冷たく感じる。ただ何故かDと散歩する朝にだけは、寒さも冷たさも感じなかった。

「Dがんでいる海の水は冷たくないの?」

「私の海は温かくも冷たくもない。ほらっ」

 Dが首をブルッと振るわせて僕に水しぶきを浴びせた。

 Dは時々、そんな風に僕に水を浴びせたが、僕の服や体が濡れることはなかった。僕が浴びた無数の水滴は、僕がその冷たさや温かさを感じた途端とたん、わずかな湿しめり気も残さず一瞬にして消えてしまうのだ。

 Dの海の水は温かかった。Dが言う通り、その水は温かくも冷たくもないのだろう。夏にびた時は冷たかった。冬に浴びたから温かく感じたのだと思う。

 僕は冬の故郷で感じたぬくもりを思い出した。おんぶされている時母の背から伝わってきた温もり、そして、僕のこぶしを両手で包みこみ、そこに口をつけて吹き込む父の息の温かさだ。


 米軍キャンプの施設が国と市に返還され、十二月中旬に返還式が行われた。施設内のアッセンブリーホールを借りて米軍将校とその家族約百人がクリスマスパーティを開いたのは、返還式の十日後である。クリスマス前最後の日曜日だった。

 そのパーティーにフェローズは招待された。演奏を頼まれたのだ。

 文化祭のステージで演奏した三曲の他にクリスマスソング一曲、辰ちゃんのピアノソロ三曲を披露ひろうした。辰ちゃんのピアノソロは当初とうしょの予定にはなかった。竜ちゃんとエミリーはダンスの伴奏ばんそうもしている。

 エミリー以外の四人は午後三時にパーティー会場に到着した。エミリーはパーティーのホスト役だった彼女の両親とともに既に会場に来ていた。

 ケイタリング業者が外に停めたトラックから下ごしらえが終わった料理や調理器具を運び込み、立食りっしょくパーティーの準備をしていた。

 ステージの横に立つモミの木の高さはおよそ四メートルで、イルミネーション用の豆電球が無数に吊るされていた。

「アメリカのクリスマスツリーって、本格的だよね」

 モミの木を見上げながら僕が言うと、

「ふん、隣町の七夕飾りの方が、こんなツリーよりでかいし綺麗だぜ」

 市の北部で八月に行われる七夕まつりは県内では有名な行事で、商店街をいろど笹飾ささかざりは確かに壮大そうだいはなやかだ。ただ、クリスマスと七夕祭りでは土俵どひょうが違う。竜ちゃんの無意味な対抗心に、僕は少しあきれた。

 エミリーと彼女のお父さんが僕らを見つけ、急ぎ足で近づいてきた。

「アクシデントだ。頼んでいたジャズバンドが来れなくなった」

 お父さんの英語を娘のエミリーが通訳する。

 契約していたのは、ピアノ、テナーサックス、ベースにボーカルを加えた小編成のバンドで、メンバーは県南端にある米海軍基地を中心に活動していたアメリカ人たちだった。パーティーのBGMとダンス伴奏を担当する予定だった。今日の昼、食中毒で全員が倒れた。命に別状べつじょうはないものの、メンバー全員が少なくとも二日間は入院しなければならないという。BGMとダンス音楽はレコードで間に合わせるつもりだが、オープニングセレモニーの演奏はフェローズに頼みたい、とエミリーのお父さんは頭を下げた。

 楽譜があれば何とかなると言って、辰ちゃんと竜ちゃんは演奏を引き受けた。エミリーはもちろん、茉莉ちゃんもオープニングセレモニーで使う曲の歌詞を知っていた。

 辰ちゃんがステージに目を向け、首を傾げた。

 丁度、ピアノが運び込まれたところだった。西部劇の酒場に置いてある様な古めかしい小型のアップライトピアノだ。辰ちゃんは急ぎ足でステージに向かった。

 辰ちゃんは運送会社の人やピアノの調律師と話していたが、しばらくすると僕らを呼んだ。

「今日、ピアノ無しでやってくれない?」

 ピアノは辰ちゃんが通うピアノ教室から借りた。丁度、先生が演奏旅行中で教室が休みだったからだ。だが、会場に届けられたピアノは辰ちゃんが借りようとしたものではなかった。

 ピアノ教室にはグランドピアノ一台とアップライトピアノ二台が置いてある。アップライトピアノは一台が最新の日本製、もう一台は五十年も前にアメリカで作られた小型のものだ。辰ちゃんが借りようとしたのは日本製のアップライトピアノだったが会場に届いたのはアメリカ製のそれだった。ピアノ教室のお手伝いさんが勘違いをして、ピアノの先生がよく外に持ち出す古いアップライトピアノを運送業者にたくしたらしい。

「あのピアノ、調律が普通と違うんだ」

 と辰ちゃんはまなそうに言った。

 辰ちゃんと竜ちゃんは急いで楽譜にチェックを入れ、ピアノ抜きで演奏できるように曲の構成を変えた。


「レディーゼンジェンヌルメン」

 と、司会者が呼びかけると、会場は静まり返った。

「メリークリスマス」

 司会者が低い声でゆっくりと言う。クリスマスツリーのイルミネーションが点灯され、竜ちゃんのギブソンが澄んだ音を響かせた。

 僕には馴染なじみのない曲だったが、アメリカでは定番のクリスマスソングらしい。

 エミリーと茉莉ちゃんが声をおさえて少し遠慮気味に歌い始めると、一緒に歌う声が会場の其処此処そこここから聴こえて来、やがて、『ハヴ・ユアセルフ・ア・メリー・リトル・クリスマス』の大合唱になった。目をうるませて歌っている人もいた。

…さあ、心を輝かせて。もう、あなたのトラブルは消えてなくなる……という歌詞を僕は後で知ったが、長い間続いたアジアでのトラブルが去りつつあることを、この時、人々は実感していたのだろう。

 次の出番を待つ間、僕たちは楽屋で、辰ちゃんが急遽きゅうきょ書き換えた楽譜を見ながらピアノ抜きのリハーサルを繰り返した。

「ユアターン《君たちの出番だ》」

 エミリーのお父さんが、僕らを迎えに来た。

 辰ちゃんは申し訳なさそうな顔をして僕らを送り出した。

 どのパーティ会場も恐らく同じようなものだろう。司会者が僕らを紹介しても、食べたり飲んだりしながらのお喋りが中断する様子はなかった。数えるほどの人たちが申し訳程度の拍手を僕らにくれただけだ。ところが、演奏が始まってしばらくすると、会場の騒がしさは嘘のようにおさまった。人々は手に持っていた皿やグラスをテーブルの上に置き、感嘆の視線を僕らに向けた。信じられないといった風に首を横に振っている人もいた。

 三曲全ての演奏が終わった。文化祭の時と同様、拍手は鳴りやまなかった。ステージに上った初老の白人が両手を上げてストップの合図をし、ようやく拍手はおさまった。彼が英語で何か話すと、会場の人々は「イエスサー、ジェネラル」と一斉いっせいこたえた。

「ウェストバージニア生まれの私は、私のお気に入りの曲をアンコールしなさいと皆さんに命令する」

 エミリーが将軍のスピーチを日本語に訳してくれた。四人は司会者のめくばせを受けて、『テイクミーホーム・カントリーロード』をもう一度演奏した。

 出番が終わった僕たちはゲスト達に交じってパーティーを楽しんだ。ゲストの中には日本語の得意な人も大勢いて、英語が駄目な僕と竜ちゃんも飲食専門ゲストにならずに済んだ。アンコールを命令した将軍も日本語で僕らに語りかけてきた。

「ブルーリッジマウンテンズとシェナンドウリヴァーはウェストバージニア州にはない。これはトップシークレットだ。誰にも言ってはいけない」

 将軍は僕らに顔を近づけて悪戯いたずらっぽくささやいた。

 ステージに登り、使われなかったピアノを興味深げに眺めている初老の黒人がいた。

 辰ちゃんは彼に近づき話しかけた。しばらくしてピアノの前に座った辰ちゃんは、ピアノを弾きはじめた。会場が騒がしく、離れた所にいた僕にはピアノの音は聴こえなかった。

 ステージ近くにいた十人ほどの人たちが動きをとめて辰ちゃんとピアノを見ている。初老の黒人はピアノに腕をのせ目を閉じて辰ちゃんの演奏を聴いている様子だったが、やがてマイクの前に立ち、舞台袖に居た司会者にマイクオンの指示を出した。

「レディーザンジェンタメン、リスン、プリーズ」

 彼は少し砕けた口調で短いスピーチをし、「OK?」と訊いた。

「OK、メイジャー」

 少し首を傾げながら人々は応えた。

「私はピアノの前に座っている少年にきいた。君はニューオリンズ生まれだろうと。違う、と彼はこたえた。彼は嘘つきだ。皆さん、この天才少年の演奏を聴いてくれ。そうすれば、彼が私と同じニューオリンズ生まれだとわかるはずだ」

 エミリーが少佐のスピーチを通訳してくれた。

 辰ちゃんがピアノを弾き始めると、会場中のテーブルの上は再び、食べかけの料理が載った皿と飲みかけのお酒が入ったグラスでいっぱいになった。

『ブルーベリーヒル』はスローテンポな名曲だが、辰ちゃんはこの曲をピアノが火をくかと思うくらいの曲弾きで弾いた。音符の数が多すぎて五線紙が何枚あっても足りず、楽譜を見ている暇もないため、楽譜の読めるピアニストにはこの弾き方はできないというジョークもあるという。

 人々は口をあんぐりと開け、焦点の合っていない目で辰ちゃんを見つめていた。

 彼らが一曲目が終わったことに気づき恐ろしくタイミングを外した拍手をしたのは、二曲目の演奏が始まってしばらくしてからである。僕が我に返って二曲目が『スワニー川』だと気づいたのは、もっと後だった。

 辰ちゃんが『ウォーキン・トゥ・ニューオリンズ』を弾き始める頃には、人々は皆ステージの周りに集まり、会場の後部三分の二は無人になっていた。

 辰ちゃんのピアノの先生は、芸大を出た後渡米しニューオリンズの酒場で十五年間も修行した人で、ホンキートンクミュージックの世界では有名なピアニストだった。帰国して開いたのは普通のピアノ教室だったので、辰ちゃんの両親は何の疑いもなく息子をそこに通わせた。他の生徒と同じ様にメトードローズやバイエルから始めた辰ちゃんだったが、ピアノの先生は辰ちゃんの才能を見抜いたらしい。自分の専門、つまりホンキートンクピアノを、辰ちゃんの親には内緒で教えたのだ。後で辰ちゃんから聞いた話である。

 竜ちゃんとエミリーはダンスの伴奏も引き受けた。

 歌う機会があるかもしれないからと、エミリーは当時流行っていた曲やクリスマスソングの楽譜を持参していた。エミリーが歌った曲のなかで僕に聞き覚えがあったのは『ホワイトクリスマス』と『アイ・ソウ・マミー・キッシング・サンタクロース』、それにエミリーが転校してきた時に歌った『イエスタデー・ワンス・モア』だけだった。竜ちゃんはほとんどの曲の楽譜を初見しょけんで、しかも見事なアレンジを加えて演奏した。

 一昨年ダニエル・ブーンがヒットさせた『ビューティフルサンデー』と、この年ABBAアバがリリースしたばかりの『ウォタールー』の二曲を歌う時、エミリーは茉莉ちゃんをステージにひっぱり上げた。当時の日本では全く知られていなかったこの二曲を、エミリーと茉莉ちゃんは放課後の空き時間に一緒に歌っていたらしい。

 ステップを踏みながらABBAの曲をノリノリで歌う茉莉ちゃんは別人の様だった。

 パーティーの終盤しゅうばん、フェローズのみんなは握手攻めにあった。

 不思議だったのは、僕と握手する人の数が一番多かったことだ。

「君のハープに感動したよ」とか、「泣けるハープだった」と言いながら数え切れないほど多くの人が僕と握手をしてくれた。一番下手だった僕を気遣きづかってくれたのかもしれない。でも僕は嬉しくて素直に喜んだ。

 別室で帰り支度をしていた時、エミリーのお父さんがやってきて、僕の名前を呼んだ。

「This is the keepsake from my dad and your grandfather.《私の親父、そして君のお祖父さんの形見だ》」

 彼は、文字盤に五点星のマークが描かれた古い日本製の時計を僕に見せた。

 プレゼントボックスをいくつもかかえて外に出た僕らを、満天の星が迎えてくれた。

「俺、こんな綺麗な夜空、見たことない」

 竜ちゃんが言うと、流れ星がひとつ長い尾をひいて消えた。

 アッセンブリーホール入口の前で、カローラに乗った父が四人を待っていた。


 冬の朝が明けるのは遅い。暗いなかを懐中電灯も持たずに海岸通りまで歩けたのは、九ヶ月間毎日のように歩いた道だったからだろう。ただ、道が暗いのは海岸通りまでだった。 

 海岸通りの明るさが秋の始め頃から変わっていないことに僕が気付いたのは、十二月の初旬だ。

「明けましておめでとう」

 僕がお辞儀をすると、Dも頸を縦に振ってお辞儀をし、「おめでとう」と言った。Dのくびが風を切るビューンという音がした。

「おまえたちのキマリが私にはよく解らない。この星のキマリとずれている」

 昼の長さが最も短くなる日がある。どうせなら、その日を一年の区切りにすればいいのに、とDは言った。たしかにこよみと天文には少しズレがある。僕もそう思った。

 Dの海の水平線辺りがわずかに明るんでいた。

 早暁そうぎょうの海岸通りに来れば何時でもDに会える。僕はそう思っていた。Dと僕のつきあいはいつまでも続く。そう信じていた。

「もうすぐお別れだ。私は眠らなければならない。私が眠らないと、この星は時をつなぐことができない」

「えっ?」

 僕はDの言葉の意味が解らず、首を傾げた。

「お前の誕生日は、もうすぐだね?」

「そうだよ。僕は一月生まれなんだ。もうすぐ十一歳になる」

「それなら、お前の誕生日まで私は起きていよう。お前の誕生日が来たら、私は眠る。そして、お前と私はもう会えなくなる」

「春になったら、また一緒に散歩できるんでしょ?」

 Dは首を横にふった。

 Dは十歳の僕としか会うことができない。十一歳になった僕とは会えないのだ。

「そういうキマリなんだね」

 僕は心の中でそう言った。Dがうなずいた。

 季節はいつの間にか移り変わる。「春」も「夏」も「秋」も、そして冬も、間断まだんなく移りゆく風景に人が便宜上べんぎじょうつけた名前であって、いつからいつまでが秋で、いつからいつまでが冬だといった区切りは本当はないのだろう。人も同じだ。誕生日になると急に背が十センチ伸びるなんてことはない。背は知らないうちに伸び、子供は知らないうちに大人になる。暦はキマリなのだ。郷愁きょうしゅうち新たな人生を始めるためのキマリなのだと思う。

 僕の誕生日の前日まで、Dと僕の散歩は続いた。いつもと同じように世間話のような軽い話をしながら、いつもと同じ速さで海岸通りを歩いた。

 最後の日でさえ、ただの日課にっかのように散歩は普通に始まり普通に終わって、Dと僕は別れの言葉さえわしていない。

 僕の誕生日の天気は、予報では快晴だった。でも前日、父はカローラのタイヤにチェーンを巻いていた。

 僕の十一歳の誕生日、早暁そうぎょうから電車はとまり、町のあちこちで車の持ち主たちがタイヤチェーンと格闘していた。

 町の空は雪雲ゆきぐもの上で一日、静かに休んだ。

 誕生日が過ぎた後も、僕は毎朝早く起き海岸通りに出かけた。海は二度と出現しなかったし、Dも姿を見せなかった。でも、Dと会えなくなった日から数日間、僕は泣いていない。鈍感な僕は、一週間も過ぎてからようやくDとの別れを思い出し、涙を流した。


 フェローズの五人は同じ中学、同じ高校へと進んだ。中学進学のとき、担任の先生は辰ちゃんに進学校として有名な私立の中高一貫校を勧めたが、彼は僕らと一緒に地元の市立中学に行くことを希望した。エミリーも、未だリュウイチとのケンカのケリがついていないと言って、アメリカンスクールへの転校を拒否した。高校入学の時も同じだった。辰ちゃんもエミリーも茉莉ちゃんも、竜ちゃんと僕に合せて比較的入学しやすい地元の公立高校へ進学してくれた。

 フェローズとのつき合いは今でも続いている。

 辰ちゃんは国立大学の医学部を首席で卒業し、医師になった。現在、僕の主治医である。国や県の災害医療センターから依頼を受け被災地におもむく。看護師の奥さんとともに国内外の様々な災害現場に向かう。

 警察官志望だった竜ちゃんは、大学の法学部にスポーツ推薦で入学した。しかし大学を卒業しても警察官にはならなかった。大学二年の時、突然猛勉強をし始め、二年後、司法試験に合格した。現在、地検の部長検事である。幸いなことに、僕は竜ちゃんの仕事のお世話になったことはない。

 エミリーは高校を出るとアメリカに一旦いったん帰国しニューヨーク州に在る有名な音楽大学に入学した。在学中に複数のレコード会社からスカウトされたが彼女はそれを全て断り、「どこに居ても歌うことは出来るわ」と言って、大学を卒業すると直ぐこの町に戻った。現在、市内の女子大で音楽と英語を教えている。竜ちゃんとは共稼ともかせぎ夫婦だ。

 喧嘩友達だった竜ちゃんとエミリーが結婚すると聞いても、僕たちは驚かなかった。二人が大学時代、皆には内緒で文通していたことを辰ちゃんも茉莉ちゃんも僕も知っていた。学年末の休暇で日本に戻ったエミリーを皆で訪ねた時、竜ちゃんが法学部に在籍しているときいたエミリーのお父さんは「君は法律家に成るのか。凄いな」と言った。竜ちゃんが司法試験の受験勉強を始めたのはその直後だ。恋人の父親に自分を認めて欲しかったのだ。

 僕らが予想していた通り、エミリーは大きなチャンスを惜しげもなく捨て、この町に戻った。竜ちゃんとエミリーの一人息子は今年二十六歳。米国のロースクールを出て国際弁護士をしている。

 茉莉ちゃんは、僕にだけ打ち明けてくれた夢を二つとも実現させた。一つは、ナースになって病気や災害や戦争で苦しむ世界中の子供たちを救うこと。茉莉ちゃんは看護師になり医師の夫と共に世界中をかけまわっている。

 茉莉ちゃんがもう一つの夢を叶えたのは竜ちゃんとエミリーが結婚した一年後である。茉莉ちゃんは希み通り、辰ちゃんのお嫁さんになった。夫妻には今年医学部を卒業する予定の娘がいる。

 十歳の秋、茉莉ちゃんからの質問の答えにきゅうした僕の頭に浮かんだのは、父の夢だった。

 僕は父と同じ大学に入学して映画制作を学び、卒業後フリーの助監督になった。順風満帆じゅんぷうまんぱんとは言えないがとりあえず夢の航海へと僕は出帆しゅっぱんした。ところが、その三年後、僕が乗った夢の船は座礁ざしょうする。

 父が寝たきりになったのだ。脳梗塞のうこうそくだった。父の看護をするために母は働きに出ることが出来ず、家計を支える役が僕にまわって来た。不定期な雇用、不規則な労働時間、不安定な収入を夢で補填ほてんしきれなくなり、僕は一旦、映画の世界を去った。

「父親の病気は渡りに舟だったのではないか。お前は自分の才能に見切りをつけ楽な道に逃げた」

 知合いの中には、そう言う者もいた。

 僕は見切りをつけるほどの微量の才能さえ持っていなかった。僕が持っていたのは捨てないと自分自身に誓ったのぞみだけだ。そして僕はまだ、希みを捨てていない。

「映画監督に成れなかったんじゃないわ。まだ成っていないだけよ」

 茉莉ちゃんは、そう言ってくれる。

 僕は専門学校で映像技術を教える教師になった。父は二年ほどで快復かいふくしたが、僕は映画の世界には戻らず、教師を続けた。そして十二年前、二十歳年下の教え子と遅い結婚をした。 

 結婚して二年目に駿人が生まれた。


 僕は去年の春、後で追いつくから先に散歩に出るようにと言って、駿人に早暁そうぎょうの海岸通りを独り歩きさせた。大木たいぼくの桜は満開で、花を見ながら散歩する人たちが毎日少なからずいたが、未明みめいの海岸通りを歩いていた者は駿人ひとりだけだったと思う。

「誰にも話さないと約束したんだ。ダダにも話せない。でもぼくって記憶力が弱いから、誰かに話しておかないと、きっと忘れてしまう。忘れたくないことが沢山あるんだよ。誰かが憶えていてくれれば、ぼくが忘れても教えてもらえるでしょ?」

 駿人は泣き声になっている。

「大丈夫だ。駿人は十歳の時の出来事を何時までも忘れない。ほとんどの人は、十歳の時の事なんかすっかり忘れてしまう。でも駿人とダダは忘れない。きっとお祖父じいさんもそうだった」

 Dの姿もDの声もDが教えてくれたことも、駿人は絶対に忘れない。僕がそうだったように。

「明日から子供部屋で独りで寝るよ。それから、明日からダダをお父さんと呼ぶ」

 駿人は書斎のソファーで寝てしまった。

 僕は駿人の寝息を聴きながら、窓の外を見ていた。

 明日の駿人の誕生日、天気予報では快晴だった。でも僕は今日、通勤用の車にスタッドレスタイヤをかせた。

 明日、この町の空は雪雲ゆきぐもの上で静かに休むだろう。

 僕らの時をつなぐために。

                                   了


*1 John Denver,Bill Danoff,Taffy Nivert ,1971 "Take Me Home, Country Roads"より

筆者訳

*2 "Take Me Home, Country Roads"より

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