第4話 峠のカナタ

 お弁当を食べ終わると、石楠さんは辺りを見回して表情を曇らせる。

 手元の資料と照らし合わせているのは、登ってきたのと逆側の尾根だった。


 そこはシャクナゲが生い茂るヤブ尾根。


「そっちに行きたいのか?」

「うん。でもこれを進むのは……」

 現時刻は十三時。時間ならまだ少し余裕がある。

「一時間くらいだったらヤブ漕ぎしてやるぜ」

 すると石楠さんの表情がぱっと明るくなった。

「良かった。沢人くんにお願いして」

 そうか、これだったのか。

 俺が必要だった理由は。


 それから一時間。

 俺は石楠さんのためにヤブ漕ぎに精を出す。

 最初はシャクナゲ、その後は深い笹だった。

(もう疲労で腕がバキバキだよ……)

 申し訳なさそうについてくる石楠さんは、ポツリポツリと事情を話し始めた。


「この先に峠があってね。その奥に昔、村があったの」

 ヤブ尾根の先に鞍部が見えてきた。きっとそこが峠なんだろう。

「大正時代まで金山があって、千人以上の人が住んでたんだって」

 へえ、こんな山奥にそんなところがあったんだ……。

「実はね、私のひいおじいちゃん、その村の出身なの」

 ええっ、石楠さんのルーツってこの場所だったんだ。

「昭和になって村はなくなっちゃったんだけど、まだ子供だったおじいちゃんを連れて何度も遊びに来てたんだって」

 当時はまだちゃんとした道があったんだろう。千人も住んでいた村があったんだから。

「その時、幼馴染の女の子も一緒に来ててね、おじいちゃんは恋しちゃったの。初恋だったんだって、倉田さわという人に」


 ええっ!?

 それって……。


「そう、あなたのおばあちゃん」

 確かに倉田さわは俺のばあちゃんだ。

 三年前に亡くなっちゃったけど、そういえば生まれは日光だって聞いたような気もする。

「だからね、峠で見た風景が忘れられないって、おじいちゃん。それが私との最期の会話になっちゃって……」


 最期の会話……って?


 振り返ると石楠さんは涙を拭いながら俺に告げた。

「死んじゃったの、おじいちゃん。一か月前に」

 そして一枚のスケッチのコピーを俺の前にかざす。

「このスケッチを私に託して……」


 その時。

 奇跡が起きた。

 今まで俺たちの視界を包んでいたガスが、風とともにすうっと消えたのだ。


 眼下に広がる青く小さな湖。そして遠くにそびえる白くて高い山。

 それは正にスケッチと同じ美しい風景だった。


「おじいちゃん……」

 石楠さんがそっと俺の手を握る。

「さわさんとまた一緒に見ることができたよ、この景色を」

 俺も石楠さんの手をぎゅっと握った。この景色を一生忘れないようにと。

「ここはね、カナタ峠っていうの。おじいちゃん、そう言ってた」


 二人で訪れた金田峠。

 それは俺にとって忘れられない二◯二◯年夏の冒険物語――



 おわり

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峠のカナタ つとむュー @tsutomyu

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