寡の忘れ形見

彼岸花ひがんばな?」

死者の日彼岸にしか咲かない赤い奴だ。しかも頭が東洋のリボン付き額縁」

「多分それ遺影だねぇ」


 普段使わない散歩道で、妙な榾木ほだぎに会った。そんな報告を男が伴侶兼苗花の土イェラから受けたのは、週三で繰り返される夜伽のしとね。お互い幾度も啼かせ鳴かされた後の、気怠くも満ち足りた時の最中である。

 事は未だ終わりを見せず、養い主の上にイェラは馬乗りになったまま。男のも受け入れたままで、今思い出したとでも言わんばかりの軽薄な口調で告げたイェラのことを、男はどう思っただろうか。いつものように軽く流すわけでもなく、負の感情を誤魔化すときの甘ったるい愛撫をするわけでもなく、ただ僅かに緊張した空気を纏わせながら考えはじめる。

 何を言うわけでもなく、何かを誰かにさせるわけでもない。真意の読めない沈黙が漂い、しかしそれを不安がるイェラではなかった。男と共にいた期間など二年程度のものだが、何を考えているかは薄々分かるようになってきている。

 ――すなわち、苗床の立場に甘んじる己にも関わる、特大の厄介ごとの先触れだ。

 一体全体何事か。腰骨の痺れるような感覚を堪え、ゆっくりと腰を落としながら改めて尋ねたならば、男は悩ましげな吐息と共に問いを投げかけてきた。


「その遺影さんに、何かされたかい」

「は。俺がそんな、辛気臭い榾木に何かされるような奴だと?」

「まぁまぁそう言わずにさぁ。いやねぇ、二か月くらい前かな? 火葬場の管理人オーナーが、失踪しちゃったって。どうも、奥さんが亡くなってからふさぎ込んでたらしいんだけどねぇ……その管理人が確か、遺影の頭の人じゃなかったかな」

「ふぅん……って、あっ」


 気のないイェラの返事をどう捉えたか、手持ち無沙汰だった男の手が、恥ずかし気もなく晒された胸板に触れる。今の立場を得る前から散々弄り倒され、やたらと敏感になってしまったを軽く弾かれた途端、イェラの喉から予期せずして甘い声が零れた。

 苗花は宿主の血肉を養分とするが、宿主が性的に興奮してもそれを糧にして伸びる。それを知ってか知らずか、男は手が空くとこのようにして弄んでくるのだ。お陰で、およそ人体の中の性感帯だとか呼ばれている部位はすっかり開発されてしまい、指でこね回されなどした日には腰砕けの腑抜けになってしまう。

 今回も例に漏れず、イェラは力なく男を睨みつけるばかり。


「お前っ、真面目な話、してるときに……ぁあっ」

「いやぁ、ベッドの上でする話ピロートークに真面目も何もないでしょ。それに、万一のことがあっても君は自力で何とか出来そうだしねぇ」

「万一って、そいつ、ぅあっ! あっ、っ」


 言葉を遮るように、腰を掴んで突き上げる。自分とは違うペースで奥に捻じ込まれ、思わず嬌声を上げて仰け反る白い肢体を見上げながら、男はいささか無遠慮にイェラを揺さぶった。その度に色鮮やかな花園からとりどりの花弁が舞い落ち、むせ返るほどの艶と夜来香イェライシャンの香りが汗と共に弾ける。

 彼に不安や恐れは似合わない。その目一杯に咲き誇る幾多の花の如く、大胆で不遜な姿を見せつけていれば良いのだ。そんな身勝手な願いを込めて虐め倒せば、花芯かしんは凄絶な色香を撒き散らしながら頂に昇りつめ――


「――こンのックソ野郎!」

「ぶべっ!」


 男の首から上、蔓草紋様の鉢金から下がる布に、思いっきり張り手を飛ばした。

 ばちぃんっ、と布を引っ叩いたにも関わらず威勢の良い炸裂音が一つ。腰を掴んでいた手を思わず離せば、素早く奥を突いていたが中から引き抜かれる。その刺激でまた昇りかけたものの、それを上回る羞恥で何とか堪え、イェラは両手で思いっきり男の布頭を横に引っ張った。

 所謂異形の頭というのは、一見普通の布や陶器のように見えても物性は全く異なる。何しろその上には人間のように感覚が乗り、何処にあるかは知らぬが目鼻の区別があり、何より乱雑に扱っても余程のことが無ければ損壊しない。破壊されるほどダメージを負うのは危険と言う事でもあるが、ともあれ男の頭として垂れ下がる布は、屈強なイェラに全力で引っ張られても裂けることはなかった。

 とは言え、頭にも感覚はあるのだ。


「いててて、いていててててて! 待って待って、ギブギブギブ」

「ンの野郎榾木だと思って好き放題弄り回しやがって、お前のせいでこちとら薄いシャツ着られねェんだぞ。突っ込んでる時に触ンじゃねェ変態」

「いやぁ、だって弄ってる時の君って可愛……あいたたたた無理無理無理破れる破れる」


 まさしく問答無用。本当に破れてしまうギリギリの所まで引き伸ばし、遂に観念して手首を叩く男をじっとりと見下ろして、イェラはようやく両手を離した。

 これで男が人間であれば、半泣きになりながら頬を労わるところだろうが、生憎と異形のものだ。握り締められてしわしわになった布を叩いて伸ばしながら、男はさしたる痛痒も感じていないとでも言いたげに、飄々として肩を軽く竦めた。

 一方のイェラはと言えば、もう満足してしまったのかそれとも拗ねてしまったのか。さっさと男の上から降り、床に脱ぎ散らかしていた服を拾い上げて着ようとしている所。男も今が頃合いとバスローブを拾い上げ、贅肉の代わりに筋肉がつき始めた身体の上に軽く羽織る。

 男の声が、何処か浮ついた色をにじませながら床に転がり落ちた。


「その遺影さん、手当たり次第に花を植えようとしてくるって噂だから、気を付けるんだよ」

「分かった」

「君に花を植えていいのは僕だけだからねぇ」

「……ド変態」


 イェラの返答はあくまでも冷淡に投げ返され、男との夜伽はそれきり続くことは無かった。



 日は緩く過ぎ去り、イェラも男も謎の遺影などすっかり忘れ去った頃。

 たまには身体を動かせと運動好きの伴侶にせっつかれ、致し方なしとばかり邸外へと足を伸ばした男は今、伴侶と連れ立って薄暗がりに沈む裏路地を歩いていた。

 何も物好きで斯様な道を行く訳ではない。男は曲がりなりにも幾多の不動産と資産を持つ身であり、それなりに面が割れているのだ。表通りなど引ったくりや強盗が恐ろしくて歩けたものではなく、それは盛大に目立つ格好をしている伴侶イェラについても例外ではなかった。

 取り立てて会話することもなく、ひび割れたアスファルトの端をのろのろと歩む。寂れた路地に点ける街灯はなし、懐中電灯を忘れた二人に道を照らす手段などもなく、三人分の足音だけが妙に大きい。


「……ん?」


 ――そう、だ。

 その異様さにイェラが気付くより早く、そのものはゆらりと男へ飛び掛かった。


「えっ」

「止まるな馬鹿ッ!」


 その者の手が男に掛かる刹那、罵声と共にイェラが割って入る。いつの間に臨戦態勢を整えたのか、強く握られた拳が男へ掴みかかろうとしたかの者の手首を叩き落とし、その内に握り締められていたもの――世にも色鮮やかな、季節外れの紅い彼岸花――を、乾いてひび割れたアスファルトの上へとばら撒かせた。

 慌てたようにその者が花へ飛びつこうとするものの、それをむざむざ見逃す甘さはなし。分厚いブーツの底で線香花火にも似た花を踏みにじり、空いた両手が襲撃者の胸ぐらを掴み上げる。およそ一般人より頭一つ分背の高いイェラに掛かれば、中背の男は爪先立ちになって辛うじて身体を支えることしか許されない。

 自身の腕で完全に動きを止め、最早動くこともままならぬ。その状態に追い込んで初めて、イェラは足音の主をまじまじと観察した。

 中肉中背、特徴の乏しい喪服を纏い、手には儀礼用の白手袋。黒いスーツの彼方此方から、手にもしていた彼岸花を伸ばし、首の断面からさえも飛び散る血痕の如く紅い花を咲かせた――東洋のリボン付き写真立て、もとい、遺影の異形。

 見間違えようもなく、その男は過日この路地裏で見かけた苗床であった。


「野良榾木が人の飼い主に手ェ出すたァいい度胸だ」

「…………」


 凄めども返答はなし。ぶらりと手を両脇に垂らし、諦めの空気を孕んで立ち竦む遺影に、イェラは如何なる色を見ただろうか。胸倉を掴む手を片方離し、男の肩口から乱雑に伸びる彼岸花へと、ゆっくりと空いた片手を掛ける。

 瑞々しい茎を数本纏めて握りこみ、引き抜いてやろうと力を入れた、刹那。


「触るなっ!」

「おっと」


 先ほどまでの亡霊じみた態度は何だったのか、鋭い拒絶と共に振り払われた。

 咄嗟に両手を離せば、男の手がイェラの肩を突き飛ばす。しかし、苗花に血肉を吸い取られ、衰弱した苗床の力で動かせるほど彼は虚弱ではない。屈強な苗床が動かなかった分の反作用をもろに受け、後ろにたたらを踏みながら数歩分距離を取ろうと足掻く男を、イェラは微動だにせず油断すらせずに睨みつけた。

 出会った異形にいきなり襲い掛かって彼岸花を植えようとしてきた挙句、自分に喰らいつく苗花を抜かせまいとするなど尋常な苗床のする挙動ではない。イェラや伴侶かいぬしが養っているもう一人の苗床のように、最初から苗花やそれを植えられた己を魅せることを目的としている者ならまだしも、目の前の遺影は品評会へ出すに格好が不謹慎すぎる。

 ならば、元々彼は苗床としての用途を想定されていないただの異形で、苗花は後から植えられたということになるのだろうが――


「ゔ、げぇ……っ! ごほ、げほっ! が、ぇぁ……ッ」

「いや、まあ、だろうな。訳も分からず自分で植えたってか」


 唐突に膝をつき、彼岸花で溢れ返った首から赤黒い血を吐き始めた遺影を前に、イェラは妙にしみじみとして腰に手を当てた。

 苗花は、時に人の悪意すら感じるほどの脅威を苗床に対して振りまく。人の意識を奪い取り感染を広げさせようとするのは当たり前、時には麻薬物質を放出して快楽に溺れさせ、挙句の果てには毒を吐いて異形を蝕むものすらある。

 そして、そう言った苗床に対して異常や不利益をもたらす苗花とは、元の植物も同じように毒や麻薬成分を持つもの。或いは、人の手によって改造されたものだ。

 原種の彼岸花とて、見た目は綺麗だが立派な毒草だ。安易にめば止まらない嘔吐と下痢に人間をも苦しめられ、量が多ければ死にすら至る。そのような代物を、見ただけで三十本も身体に食わせていれば。どうなるかなど、火を見るよりも明らかだった。

 体勢を立て直すことも出来ず、アスファルトに這い蹲って吐血を繰り返す異形の男。その無様を見下ろすイェラの視線に含まれているのは、侮蔑か、或いは共感の類であろうか。


「あが……がは、は……っ! は、かは……ごほ、ッ」

「ほれ」


 何とか血を吐ききり、よろよろと立ち上がりかけた遺影の男に、イェラは手を差し出した。

 男が示した逡巡は僅か。乱暴に振り払い、一人で立ち上がろうとして失敗し、自分が咲かせた大輪の椿の上に倒れ込む。そこに続けて差し伸べられた手を、遂にこの無口な苗床は拒否することが出来なかった。

 半ば縋り付くように体重をかけ、立ち上がる。遺影が向けてきたのは、何故助けたのかとでも言いたげな、非難と困惑の入り混じった視線。それを、イェラは特に動揺することもなく受け止めて、あまつさえ真正面から見返した。

 ――品評会への出場と、あわよくば入賞を目当てにする飼主が、苗床に対して彼岸花ばかりを植え付けるということはまずしない。何の処置もなしに毒草を蔓延させることは規定違反であるし、何より品評会向けの花として彼岸花が取り扱われることはないのだ。

 ならば、男は誰の手にもよらず、自分の手でこの惨状を作り出してしまったのだろう。

 その理由が何か、薄々気付いてはいる。


「件の失踪した火葬屋かい。俺も死んだらあんたの世話になると思ってたが」

「…………」

「え~、僕君が死んだらお抱えの納棺師に――ふげぇっ」


 何やら空気の読めない伴侶が隣でほざいているが、それは張り手の一撃で黙らせる。

 遺影男は黙り込んだまま。それが何を意味しているのかは、しかし興味がない。


「血吐いてまで彼岸花に固執してる辺り、何かあったんだろうとは思うがよ。俺はそんなもんに興味がねェ。だから、俺の散歩道で行き倒れたり野垂れ死にしたりするのは止めろ。死体が出たら散歩が出来なくなっちまうだろ」

「……一輪だけでも。頼む」


 人の話を聞いているのかいないのか。スーツの内ポケットから、まだ根付いていない彼岸花を取り出してきた男に、イェラはひょいと肩を竦めるばかり。

 写真の入っていない、からの遺影をじっとり眺めていた視線を逸らし、今度は空気を読んで大人しくしていた伴侶へと向ける。以心伝心、飼主はイェラの意図を正確に汲んで、仕立ての良いシャツに包まれた手をぬっと伸ばした。

 間違っても、苗花の白い根には触れぬように。鮮やかに咲き誇る赤い花弁の下辺りをつまみ、発作の余韻に震える手から、静かに彼岸花をすり取る。そして、そのまま流れるようにイェラの肩口、定期剪定を終えた空きスペースに埋め込んだ。何気なく植え付けているように見えるが、そこは品評会の常連者。他に多くの花が咲き誇る中で、埋もれず主張しすぎない絶妙な位置に花が落ち着けられる。

 しかしながら、本当に受け取ってくれるなどとは思っていなかったのか。手の内から花が消え、呆気に取られて立ち竦む遺影頭の異形。その様は何処か滑稽で、そして妙に人間臭いもののように、イェラには映った。


「次の品評会まで預かっといてやるよ。それまでにちゃんと死ね」

「難しい」

「じゃあ二度と姿を現すな。あんまフラフラされるとこの物好きが拾っちまう」

「いや流石に、四十路の遺影さんを飼うのは……いや、案外いけるかな」

「毒草飼いの榾木なんぞ面倒見られるか」


 やはりこの好事家に発言の機会を譲るべきではない。ぎゅっと頭を纏めて引っ掴み、引っ張って黙らせる。痛い痛い破れると悲鳴を上げる男には構わず、尚もシッシとばかり手を振る、自分と同じ苗床を見つめて――遺影は、ただ悲しそうに俯いた。


「苗花を宿した者が、誰かと添い遂げるなど」

「はッ、くだらねェ。俺が死ねばこいつは俺を飾り物にするだけだ」

「そうか。……品評会は、見に行く」

「辛気臭い榾木に品評されたかねェよ」


 あくまでも邪険なイェラに、最早遺影が興味を示すことはなく。

 ふらふらと夕闇に消えていく喪服の後ろ姿を、異形どもは黙したまま見送った。



 男が意を決したように声を上げたのは、改めて二人が帰途についてから、少しの後。


「……ねぇ、イェラ」

「あ?」

「僕、君が死んだら、ちゃんと荼毘に附すからね」


 先程の、遺影の言葉を引きずっているのだろうか。

 苗花に寄生された異形は、往々にして死後にすら見世物にされる。肉体には保存剤が打ち込まれ、花は色を遺したまま乾燥されて、オブジェとして転用されるのだ。死後の肉体など所詮はただの物体に過ぎないのだから、イェラとしては死後の身体がどのように加工されようとも――イェラの体でやる者はいないだろうが、それこそ食用に卸しても――構わないのだが。

 それでも、この忌まわしい花の軛から、死んでからくらいは逃れたい。

 そう思う節が、ないわけではない。


「今日のお前、一段と気持ち悪いな」

「えっ酷くないっ!? 僕伴侶は大事にしますよぉ!?」

「大事にする奴が一晩中シャツも着られんほど乳首を開発するか? あ?」

「いやっそれはだって君のリアクションが――いたたたたたギブギブギブギブ」


 本音と笑みは腹の底、伴侶へぶつけるのは照れ隠し混じりの悪態一つ。

 二人分の足音を尻目に、忘れ形見を花開かせた男寡やもめは、独り暗き夜に沈む。

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イェライシャンの花床 月白鳥 @geppakutyou

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