イェライシャンの閨房

 シーツの上に横たわる花を摘み上げる。

 花期の最盛を過ぎ、茶の染みが浮かび始めた大輪の鬼百合――しかし、その姿はかりそめの上っ面。見た目は多種多様な可憐さと美麗さを振り撒けども、本性は異形のものを喰らいつくして殖える、素性も目的も謎の植物とも呼べぬもの達だ。

 しかし、張っていた根から断たれてしまえばただの花。今男が指で弄ぶ百合の如きこの花も、最早何を喰らって生き延びることは出来ない。

 ぽい、とシーツの上に切り花を放り投げ、男は寝台の主へ声を投げた。


「今年の苗花なえばな品評会も金賞だったねぇ」


 上半身を高く持ち上げて眠れるように作られた特別製の寝台、その主こそは、かの花に喰い付かれた異形の者。鍛えられしなやかな肉を付けた裸身は人のもの、しかして頭は人ならざる形と材で築かれ、それを覆い隠さんばかりに苗花が鮮やかな花弁を伸ばしている。

 白い陶器に七宝エナメルの金彩も鮮やかな、六角柱型の花器。概ねそのように表現される頭に、零れ落ち頭を破壊するほどの花を抱えた男は、名を夜来イェラと言った。

 そんなイェラの手には両利き用の剪定鋏が握り込まれ、右肩にも広がる花園から、伸びすぎたものや色の悪いものを切り取っている。そして、切り取った端から適当に払い落とすせいで、寝台とその周囲は今や死んだ花だらけになっていた。

 自身の眠る場所を汚しつつ、しかしてイェラは興味もなさそうに、ただ黙々と園の整備に勤しみ――ある程度整え終わったところで、ぽんと男に剪定鋏を投げ渡す。


「背中」

「僕がやるの?」

「根ぇ切ったら喰い殺す」

「おお、怖い怖い」


 言葉少なに吐き捨てられ、しかし男は驚くことも慄くこともなく応じた。

 苗花の品評会――つまり、苗花に寄生された異形なえどこ養育し飼い慣らし、咲かせた花の美しさを競う、男らの如く平穏さに退屈した金持ちどもに許された狂乱の宴。イェラはその常連で、総計にして二十種百本もの苗花を抱えて尚常人より強く在る、血肉と生命力を湯水のように余らせた男であった。

 とは言え、苗花は四六時中イェラから養分を吸い取り続け、品評会中は枯らさないために栄養剤の支給こそあれど雀の涙。おまけに、品評会で優秀な賞を取りたい者からは散々痛い目に遭わされ、終わった後には言葉も出ないほどかつえ疲れ果ててしまう。既に呆れるほどの食事を腹に収めた後とは言え、口数が減るのも無理はない。

 本日二十本目の栄養剤に手を伸ばす苗床をよそに、男は剪定鋏を握りこむ。イェラは男に何を言う訳ではないが、こと苗花に関して男が出来ることは少ない。やれることをやるしかない。

 手を伸ばし、イェラの手では届かない背の方の花から、完全に寿命が尽きて枯れた桔梗を切り取る。ぱちん、と刃が閉じ合わされた拍子にまだ青々とした百合の葉が切れ、惜しげもなく晒された裸身が僅かに緊張を帯びた。

 ――苗花の浸食が強い個体は、時に神経までもが花に支配される。幾種類もの花に喰われるイェラもまた例外ではなく、葉の先端を切られただけでも痛い。太い根など切られた日には絶叫しても足りぬほど痛い思いをする羽目になる。

 だと言うのに、飼い主の剪定はお世辞にも上手いとは言えず、下手に任せようものならば丸坊主にされた挙句死ぬことにもなりかねない。故に、男は枯れて神経の通らぬ花だけを切り取るのだ。しかも、それすらまともにこなせず余計な傷を付けるのだから、苗床としては堪ったものではない。

 覚束ない手付きでまた別の花の先を切られ、イェラは堪らず毒を吐いた。


「ヘタクソ、ちったぁ上手くなったらどうなんだ。どうせ時間余らせてんだろ?」

「いやぁ……花を愛でる趣味はあっても花を育てる趣味がないんだよねぇ。美しく剪定するとか苔から育てるとか、そういうのほんと、どうでも良い」

「ふん」


 ぱちん、ぱちんと一つずつ丁寧に――今度は別の花を巻き込まないよう気を払いつつ――枯れ花を取り除き、寝台の脇のゴミ箱へと放り投げる。一方のイェラは、自分なえばなを管理する気など毛頭ないと堂々言い切られて不満げな吐息を零したものの、大人しく男が操るたどたどしい鋏を受け入れるばかり。

 しばらく二人とも無言の時が続き、中心に近い花を除こうと雪柳ゆきやなぎの蕾を掻き分けたとき、不意にイェラが声を上げた。


「なんで榾木ほだぎに籍をやったんだ」

「…………」


 榾木。苗床に夜来イェラの名が付く前、皮肉を込めて付けた名だ。

 男は馬鹿正直に――「本人が名付けたものだから」と、その意味を調べることすらしなかった――その名を戸籍に登録しようとして役人に怒られ、一転して妙に雅な名前を苗床に付けた。それを断る理由も権限もない苗床は、そうして二年ほどごく潰しをしながら、花を愛で自慢する男の趣味に付き合わされている。

 それは構わない。イェラとて死にたいわけではないのだから、衣食住を提供してくれると言うならばそれは有難く受け取っている。

 だが、そもそも何故この男は苗床に戸籍を与えようなどと思い立ったのか?

 苗花に寄生された、ないし寄生対象となる異形に人権など存在しない。苗花のために生かされている異形は名も与えられず、自由に外を出歩くことも許されず、ただ物好きのために食い潰されて死ぬ他にない。意志ある生物としての尊厳すら薄暗い世界の金づるにされ、殺してくれと嘆く囁きさえ見世物にされる運命にある。

 しかし男は、苗床に人と同じものを持たせた。そのようなものを必要とせずとも、自ずから何をも食らいつくして花開く化物を、自分の隣に置こうとした。

 それが、イェラには意味が分からなかった。


「答えろ」

「……真面目に何か育てようと思った時期も、あるんだけどねぇ」


 脅すような口調に圧された、と言う訳でもなさそうに、男はのんびりと答えた。

 ぱちん、と鋏が一度閉じられ、密生する花園の中央で押し潰された大甘菜オーニソガラムの残骸を切り取る。くしゃくしゃに折れ曲がったそれを放り捨て、他に無いかと探しながら重ねられた言葉は、何処かおどけるような響きが籠っていた。


「言葉が通じない養育物ベットって、何か育て甲斐が無いって言うか……モチベーション保つのが難しいんだよねぇ。だから意志があって人間と会話のできる苗花に手出したんだけど、やっぱりこう、苗床も途中で弱って喋らなくなるから、面倒でさぁ」

「クソ野郎」

「まあね。だから考え方を変えようと思って」


 男の手が剪定鋏を放り捨て、イェラの肩を掴む。

 一般人の腕力で好きにされるほどひ弱ではないが、拒む理由も特にはない。後ろに引かれるまま振り向けば、面白げに喉を鳴らされた。


「目線が下だから捨てても良いように思えるんだ。でも、そいつが並び立てば僕はそんなこと言えなくなる。……いいだろ、僕の伴侶だんなって目線は」


 自慢げな男に、イェラが入れたのは腰を捻りざまの張り手ビンタ。手加減なしの一撃に部屋中へ快音が鳴り響き、ふげっ、と汚い声を上げて男が倒れこむ。それを測ったように、イェラは苗花に食われながら尚身軽な身を翻した。

 男の上に馬乗り、肩を寝台に押し付け、きょとんとする男を見上げる。頭が重く見下ろすのは難しい。上体を高く上げた寝台はこのような状況でも便利だった。


「悪趣味だ、お前。死ぬほど悪趣味だ」

「それはどうも。でも、養分を体中から搾り出される生活より随分ましだと思わない? 外部からの栄養源にだってよ、僕は」

「そりゃそうかもしれないが」


 イェラの声には複雑な色が滲んでいた。

 苗花は苗床の生命力を吸って生きている。そして、苗床に命の危機や真に嫌悪する瞬間が迫るとき、次世代を遺すためにより鮮やかで美しい花を開く。そのようなことが苗花業者の間でささやかれ出した時から、苗床には例外なく激しい暴行が加えられることとなった。

 その暴行は肉体的か精神的か、はたまた性的かを問わず、イェラもまた例外ではない。視界が霞むほど血を抜かれたこともあれば、物好き達に一晩中道具で輪姦まわされたこともある。いずれも死ぬ気で枷を千切り、障害すべてを食い殺して生き延びてきたのがこの屈強な苗床だ。

 だが男は、どちらかと言えばイェラに側だった。


「生ぬるい扱いはやめろ。いっそ殺す勢いでヤれ」

「それは無理」

「何故だ」

「伴侶を虐げるのは甲斐性なしのやることだ。僕は金持ちだからねぇ、甲斐性のある男として相応しい振る舞いをしなきゃいけない」


 所謂夜伽性交渉の関係が男との間にはある。しかし、それはイェラが足りない養分を男に求めたからの話。男の好奇心から始まった週三の習慣は、今や主導権を苗床が握る事態に陥っている。

 それが、男の語るような“金持ちとして相応しい振る舞い”によるものだなどと、散々苗床として修羅場を潜ってきたイェラには思えなかった。苗床の養育主となる者は決まって歪んだ性癖の持ち主なのだ。このおっとりとした声を出す男がそれに当たらないなどと、考えてはいけない。

 何を隠しているのか。探り出そうとするように睨むイェラの頭、零れ落ちんばかりに伸びる苗花に、男は死角から手を伸ばした。

 触れるのは、伴侶を食らう苗花の中でも一際古い、木本もくほん状の苗花。その枝に群れて咲く、甘やかな蜜の如き香りを放つ色の花を、親指と人差し指で軽く摘み上げた途端、イェラは何かを堪えるように息を飲んで肩を跳ね上げた。

 そんな様子に、男はへにゃへにゃとした笑声を一つ。親指の腹で花弁を撫でさする。


夜来香イェライシャンの香りに一目惚れしたって言ったら、信じる? 君」

「馬鹿、おまっ……やめ、撫でるな……」

「後から知ったんだけどさ。原種が香りのある苗花でも、苗床に植えると香らなくなるらしい。養分が足りないんだってね。でも君はいい香りがするんだよねぇ。好きだよ」

「何だその、ヘタクソな口説き文句は、っ」


 殺気すら込めて拒絶を放ちつつ、男の手を剥がそうと手首を掴むものの、さわさわと優しく撫でられるとたちまち力が抜けて腰砕けになってしまう。幾度もの夜を重ねる内、いつの間にやらおかしな性感帯が彼の中に出来上がってしまったらしい。

 男の笑い声はますます愉快げに、部屋中に漂う甘ったるい空気と夜来香の香りを煮詰めるように、花だらけの寝台の上を転がった。


「たとえ屈強な苗床に植えて香らせても、苗床を傷めつければやっぱり香らなくなる。……ねぇイェラ? 僕は一番惚れた要素ところをもっと近くで愉しみたいんだ」

「だから、撫でるなっ……っあ、そこは――」

「やめて欲しそうには見えないけどねぇ。ほら、剪定したのにまた伸びてるし」

「――~~ッ!!」


 撫でるばかりだった指が軽く花びらを挟んだことで、イェラの我慢は限界に達したらしい。

 完全に腑抜け、だらりと垂れていた両手でやにわに男の両肩をひっ掴み、寝台に押し付ける。いつものことだ。平素の感情が読みにくい穏やかさのまま構える男をじっと睨み、荒げる息を隠そうともせず、イェラはの上にゆっくりと跨った。

 腰は落とさず、男の広い肩を支え代わりに身体を支えながら、イェラは低く唸る。


「朝まで寝かさん」

「おお、怖い怖い」


 始まりの合図などいつもこのようなもの。

 夜来香は一段と馨しく匂い立ち、金色の夜は蜜の如く過行く。

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