解決編:リモートワークで謎解きを

 謎解きは捜査本部の会議室で行われていた。

 といっても、謎解きを聞く警察官の多くはリモートワークで、端末に数多あまたの顔が写っている。会議室に実際にいるのは石倉と志賀刑事、そして数人の後輩刑事だけだ。もちろん、社会的距離ソーシャルディスタンスは完璧である。


「石倉くん、怪盗コロナは存在しないって、どういうことだ?」

「もちろん、暗号を送り、カードを残した怪盗コロナは確かに存在します。しかし、一連の犯行は怪盗コロナがやったものではありません」

「怪盗コロナは殺人をしていないということか……」

 しかし九件の事件では確かに死体が転がっている。


「あの死体たちは何だったんだ?」

「刺殺や撲殺によって行われた殺人が一切なかったというところがミソです」

 石倉は微笑んだ。


 言われてみれば納得できる。元々、どう見ても自殺にしか見えない死体ばかりだった。

「しかし、病死は解剖じゃ誤魔化せないぞ」

「病死の死体は全部放火で死因を誤魔化したんです」

 完全に誤魔化しきれるものでもないが、黒焦げの死体からは得られる情報が少ないのは確かだ。


「毒殺は突然死した人に後から注射したものでしょう。急死の中には、農薬による中毒死と同じ所見を示すものもあります」

 石倉はミステリ作家らしい知識を披露する。


「なぜ、殺人でないものを殺人に見せかける必要が……」

「十万円のためです」

 石倉はまた鶴を折り始めた。

「十万円って、コロナウイルスの給付金のことか?」

「ええ」



。これが怪盗コロナの目的です」



「しかし、被害者の家族は確かに金がなくなったと……」

「被害者家族はグルです」

 被害者家族は怪盗コロナの甘言に唆され、死亡時期を誤魔化して得られる十万円に手を伸ばしてしまったのだと石倉は言う。そういえば、経済的に困窮していたであろう家もあったな、と志賀刑事は思った。


「給付が決まった後でも、自殺したり病死する人は大勢います。しかし、それでは給付金がもらえません。たかが十万円、されど十万円。喉から手が出るほど欲しい人はいます。たとえ死体を隠してでも」

「しかし、なぜこのような手の込んだことを? バラバラにして埋めたらいいじゃないか」

「それだと、今度は保険金が下りないでしょう? 死体はいつか発見させなきゃいけません」


 保険によっては自殺だと保険金が下りない。それに、死体発見前に保険のグレードを上げておけば、より多くの保険金が手に入る。

 怪盗コロナは十万円を、被害者家族は保険金を手に入れることができる。


「実は、コロナの給付金は、世帯主が死んだ場合以外は、給付決定後に死んでも払ってもらえます。なのに今回の事件では死んだのは世帯主以外とは限りません」

 それは、被害者家族がより高額の保険金を得るためだろうと石倉は見ている。怪盗コロナは被害者家族と契約してたった十万円を得るために、いや実はもっと被害者家族から支払われているのかもしれないが、そのために今回の事件を起こしたのだろう。


「それでも、死亡時刻を一カ月も誤魔化すなんて不可能じゃないか?」

 十万円の給付が決まってから実際に給付されるまで、一カ月の時間がある。給付が決まってすぐに死ぬわけではなくても、二週間程度は死亡時期を誤魔化さねばならない。


「カスパーの法則というものをご存じですか?」

 石倉は顔を上げた。

「死体を土の中に埋めると、腐敗速度が通常の八分の一になるという法則です」


「怪盗コロナは死体を土の中に埋めていたのか!」

「ええ。死体から土が検出されたら一瞬でバレますし、ビニールに包んで埋めたんでしょうね」


「転落死はどうやって……?」

「転落した死体にビニールを被せ、その上から土をかけて死体を埋めたんだと思います。いずれにせよ、死体を土に埋めていたのは確かです」

 被害者が転落していた場所はどちらも人通りがない。ビニールと土をかけても誰にも見つからない。


「土に埋めたくらいで、そんなにズレるものなのか」

「ズレます」


 死体を二十四日間土の中に埋めていたなら、死後三日の所見になる。誤差は二十一日。今回の事件には十分だ。


「犯行の流れはこうです。まず、人が死んだという噂を聞き、死体をこっそり土に埋める。給付日が来て、死んだはずの被害者が給付金をもらったら、最初の予告状を警察に送りつける。そして、警察が暗号を解いて現場に向かう直前に死体を掘り起こし、カードを置く」


 怪盗コロナが時間稼ぎをしようとしていた理由はこれだ。いくら腐敗速度が遅くなっても、死後三日程度の所見が生じる。つまり、被害者は怪盗コロナが殺してから死後三日以降に発見されなければならない。しかし怪盗コロナは、死後時間が経っていることそのものに目をつけさせたくなかった。あたかも、警察の落ち度で死体の発見が遅れて死後三日になったのだ、と思わせたかったのである。


「しかし、怪盗コロナの正体はいったい誰なんだ?」

 志賀刑事の上司がぼそりと呟く。

「石倉くんは、怪盗コロナの正体は分からないと言っていました」

「ある程度の予想はついてますよ」

 志賀刑事が説明するところに石倉は割り込んだ。


「第九の事件、僕が三十分で暗号を解いたのは、怪盗コロナにとって誤算だったはずです。そのせいで、死亡推定時刻と暗号を出した時間がズレてしまったんですから」

 おかげで遺体が焼け残り、死亡推定時刻を割り出せた。石倉の大手柄である。


「ですが、怪盗コロナは、死体を用意して廃屋を燃え上がらせています。つまり、犯人は警察の動きを知っていた。カスパーの法則も知っていますしね。まず間違いなく警察関係者でしょう」


「まさか、犯人はこの中に……!?」

 志賀刑事は首を振ってあたりを見渡す。後輩刑事二人、そして端末の中の大量の通話相手と目が合った。

「それは違うと思います。僕が関わっている刑事さんたちが犯人なら、そもそも僕を警察に呼んだりしません。捜査にうっすら関与している程度の警察官だと思います」

 志賀刑事はほっとした一方で、犯人が警察官と聞いて複雑な気持ちになった。


「もう一つ、犯人を絞る手がかりがあります」

 石倉は画面に向かって人差し指を立てる。

「農薬の注射方法ですね。通常、死体に農薬を注射しても農薬は全身には回りません。全身循環がありませんから。でも方法はあります。大きな血管に分けて針を刺し、点滴のように農薬を入れながら、重力で全身に回すんです」


「……そのどこが手がかりなんだ?」

「わかりませんか? 大きな血管に注入したら、確実に注射痕ができます。しかも、少量の農薬ではダメで、ある程度薄めた農薬をそれなりに入れなければいけません。プロに解剖されてもわからないほど目立たない部分を選んで注射し、かつ血管に正確に農薬を入れる技術を持つ人。そんな人、県内に何人いますかねぇ」


 志賀は頭を回転させる。一般の警察官がそんなことを知るわけがない。となると……。

「検視官か?」

「僕はその可能性を大いに考えています。警察官の中で随一、人体と死体に詳しい人ですからね。司法解剖に何度も立ち会っている警察官の可能性もありますが、注射の技術がありません。過去にそんな経歴のある警察官がいれば、話は変わってきますがねぇ」


 志賀は慌てて後輩刑事に検視官を調べるように命令を出す。

 後輩は急いで部屋を出た。ビデオ通話の画面がひとつ減る。


「あとひとつ、怪盗コロナが野次馬を警戒していた理由は何だ?」

 自分が作った暗号を解かれるのを怪盗コロナはやけに気にしていた。途中でわざわざ暗号を変更するほどに。

「死体は、警察がやってくる直前に土から出さなければいけません。死体の準備には半日か一日程度の猶予があるとはいえ、一般市民に暗号を先に解かれては、死体を運び込むのを見られる恐れがあります」


「なるほど、そうだったのか……」

「僕の推理は以上です。皆さん、怪盗コロナの逮捕、頑張ってください。それでは僕はこれで失礼しま……」

 石倉がそう言って手を挙げようとしたとき、いつの間にか姿を消していた後輩刑事が戻ってきた。


「十人目の死体の場所が書かれた暗号が送られてきました。石倉さん、手を貸していただけますか」


「あ、やべ。完全に忘れてた。今解きます」

 慌てる石倉は、暗号の解読に取り掛かる。

「すごい手際だな……」

 画面の向こうからでも石倉の凄さは伝わるらしい。志賀刑事の上司たちが感嘆する。

「最後の被害者の居場所はここです」

 ものの十五分程度で暗号を解ききった石倉は、カメラに向かってメモ帳を見せた。


「しかし、誰が現場に向かう? 捜査員の中に怪盗コロナがいるわけだろう?」

 志賀刑事の上司が呟く。

「確実に犯人ではない警察官を召喚しなければ。公安も関わることになるだろう」

「しかし、人手は明らかに足りない。……久しぶりに、我々も現場へ向かうか」

 画面の向こうのお偉方が次々とやる気を出す。


「リモートワークで現場百篇するんですか?」

 画面の向こうに向かって、石倉は冗談を言う。上下関係を叩きこまれている志賀刑事はヒヤヒヤだ。

「……まさか。ちゃんと臨場させてもらうよ」

「ちゃんとマスクするのをおすすめします」

 石倉は笑い、自らもマスクを耳にかけた。


 お前、最初はソーシャルディスタンスも忘れて自分に近寄ってきたくせに、マスクをするようになったんだな。

 ビデオ通話の画面を切りながら、志賀はこっそり感動していた。

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コロナウイルス殺人事件 本庄 照 @honjoh

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