腫れた頬で見る夢

真花

腫れた頬で見る夢

 私が私でいるためには、殴り込みと戦わなくてはならない。だけどそれがいつ、どんな形で来るかは予測出来ない。

 食卓にテレビが点いていれば自然とその時間の王様はテレビになる。だからいつも母は「食事中は食事と、家族に集中すること」と電源を切り、兄も私も不承不承それに従っている。高校生になれば解禁されるのでは、密かな期待も虚しく、毎日は変わらない。

 その母が夕刻に家族全員を呼び出した。父、兄、私と並んだら、母は両手で拝む格好をする。

「どうしても、どうしても見たいインタビューが生中継されるの。十八年間守って来た我が家の伝統を、今夜だけ破るか、ご飯の時間をズラして欲しいの」

 私と兄は顔を見合わせる。兄は驚いたけど怒ってはいない表情。

「いいよ」

 抜け駆けして父が答えた。兄妹で揃ってギラリと父を睨み付ける。

「俺は、ね」

 父は降伏。兄はどう思っているのか分からないけど、私は内容によって決めたい。

「誰の、何のインタビューなの?」

「関赤兎せきと、純文学を書いてる人よ。新しく出来た文学賞で『安部賞』、安部公房からね、の初代受賞者が彼なの」

 名前は聞いたことはあったが、読んだことはない。母が文学っ子である影響なのか私も小説は好きでかなり乱読しているけど母には遠く及ばない量だ。そして小説好きが高じて数年前から自分でも書くようになった。まだ誰にも見せたことはないけど、私に書くのは向いているように思うし、好きだ。もう一歩納得の行く作品が出来たらネット小説に出すか、公募に応募するか、親友の睦美に見せるかしてみたい。

「俺は全然知らないよ、その人。凄いの?」

 兄は問うてはいるがどう言う答えであっても母の願いを叶える、そんな優しい顔をしている。

「小説は凄みがあるわよ。だから本人の言葉を聞きたいのよ、一番乗りで」

「ふーん。いいよ。母さんいつもご飯作ってくれるし、たまにはいいんじゃない?」

「舞子は?」

 文章を書く大先輩か。ママがお熱になるくらいだったら話を聞いておいてもいいかも。私もいつかその舞台に立つかも知れないし。

「安部賞の方向性を決める初回なのよ」

 多数決では決していても私にも納得を供しようとする気持ちが嬉しい。

「いいよ。私もちょっと興味出て来たから」

「みんなありがとう。で、見ながら食べる? ズラす?」

 兄の腹が鳴り、待てないと決着した。


 思えば食卓から見える位置にテレビがあるのは、今日と言う日を予定していたからではないだろうか。

 家族会議のまま食卓に就いて、七時ジャストになったところでテレビを点ける。花が左右に飾られていて、後ろに「第一回安部賞受賞記者会見」と掲げてある以外は素朴な作りの席が映し出された。空の椅子のまま、アナウンサーが「まもなく」と三回言ったところでシャッターを切る音と共にワイシャツ姿の男性が会見場に入って来た。

「この人?」

「多分。私も初めて見るから」

 普通の夏のサラリーマンにしか見えない。髪も整っているし、時計を付けないこと以外特徴がない。

 用意された席に彼は座り、ピシッといい姿勢を保っている。凄みのある文章だとママは言っていたけど、本人にはそれはないかも。と言うことは、私の見た目が普通でも凄い文章を書けるかも知れないってことだ。自分の考えに舞子の胸の内が僅かに浮き上がる。

「では、関赤兎先生の『第一回安部賞受賞記者会見』を始めさせて頂きます。ご本人の希望により、まず最初にスピーチ、その後に受賞作についてのお話、質疑応答と言う運びとなります。では関先生、よろしくお願いします」

 テレビに映った関赤兎にズームがかかり、画面いっぱいになる。関はマイクを右手で取り、一瞬間を開けて話し始めた。

「読者にはブタと芸術家の二種類しかいない」

 ざわめく会場、凍り付く食卓。

 え? 何? 舞子は言葉を消化し切れない。

「ブタは、与えられた作品を消費するだけの者だ。腹が減ったと食事をするように作品を次から次に読み捨ててゆく。満足するのは刹那の出来事で、もっと喰わせろといつも飢えている」

 じっと気配を伺うような関。会場のざわつきが静寂の食卓に流れ込む。

「しかし読者の大多数がブタだから、商業作品はブタ用のエサを量産して生計を立てることになる。むしろブタを相手にしなければビジネスとして成り立たない」

 誰も次のおかずを取りに行かない、テレビに釘付けになっている。パパですら固まっている。

「芸術家は、世界に対して自分を保とうとし続ける者だ。だからこれは広義の芸術家だ。その中に世界に自分を刻もうとする者も居る。芸術家はエサを求めない。自らを変化させる打撃を読書に求める。それは自分を試すことでもあり、打撃を楽しむことでもあり、勝負でもある。芸術家はビンタに渇いている」

 関が言葉を切る。ジロリと睨む。

「しかしこれを成す作品は少ない。しかも作品と読み手が、鍵と鍵穴のように上手い組み合わせにならなければビンタは空振る。だから芸術家は自分を殴ってくれる作品に出会うことが困難だ。これはビジネスに向かない。しかし、俺はこれこそが小説の存在意義だと考えている」

 関は立ち上がる。目の力が迫力がさらに増して、来る! 動けないままに私は身構える。

「お前が今読んでいるのはブタのエサか? 芸術家へのビンタか?」

 私がこの前読んだのは、楽しかった、以上、の喉越しのような小説だった。私はブタなのか。ママはじゃあ、関さんの本を読んだから芸術家なのか。それとも、読み手として消費しているなら、ブタなのか。お兄ちゃんは? パパは? 違う、私は? やっぱりブタなの? でも、影響を受けた小説はある。ずっとブタな訳じゃない。私はブタなんかじゃない。

「俺は作品で殴る。出会えば誰であっても殴る。もしそいつが芸術家なら、殴り合いになる筈だ。俺は自分の作品にそれくらいの力はあると確信している。だから、もしも俺の本を読むのなら、殴り合いの準備をしてくれ。その気がないなら読まないで欲しい。もし今、ブタであっても、やる気があるならすぐに転向は出来る。でもブタのままの奴は俺の本に触れないでくれ」

 私は、私には、彼の本を読む資格があるのだろうか。もしも今はブタだったとしても、変われるのだろうか。

「会社はブタを客寄せするために賞を作ったのだろう。だが俺は、大多数のブタに向けて喋ってはいない。少数の芸術家達よ、殴り合いの可能性に気付いて欲しい。そしてブタから転向する人にも同じことを願う。流行で読むのはブタの行為だ。自分の目とこころで読むかを決めて欲しい。クソだと思ったら叩きつけてくれ」

 私は、ブタな訳がない。でも、ブタだったとしても転向出来る。私はブタじゃなくなる。私はブタじゃなくする。殴り合おう、私は戦える。読む戦いをしよう。

「お前はブタか? 芸術家か? もし芸術家なら俺の作品でビンタを試してくれ」

 完全にテレビの前の誰か、私、に向かって関は話している。関がマイクを置くと、会場に溢れた困惑や感情を映す声の毛玉のような塊が一瞬高まって、次第に静かになった。アナウンサーの進行であっさりとした受賞作の紹介があり、質疑応答の時間になる。

「先生がおっしゃるのは、ブタなら読むなと言うことだと思います。大衆を敵に回す意図は何なんですか?」

 質問者の声に苛立ちが混じっている。彼はブタなのだろう。

「ブタと大衆は同じではないです。ブタは敵でいいと思っています。敵と言うより他人がいいですね。お互い関与しないと言う程度の。意図はブタではない誰かが、自分はこっちなんだと気付いて欲しいからです」

 私は胸がドキドキして来て、落ち着かなくて、それ以上にこの後の質問を聞いてもスピーチが汚されるだけのように思えて、半分残ったご飯と家族を残して部屋に向かう。ママの顔色が悪かった。お兄ちゃんは好戦的な顔をしていた。パパはテレビよりもビールだった。

 ベッドにボスンと飛び込む。

 ブタか、芸術家か。

 コンテンツの消費なのか、それによって自分が変化することを求めているのか、の違い。読者の像。

「ペルソナ?」

 そうか。彼は書き手として喋っているんだ。彼が作品を渡したい相手は、彼の言う芸術家、ってことだ。じゃあ、私はブタと芸術家のどっちに読んで欲しいんだ? 睦美に読ませることを想定して書いてたけど、誰かではなくどう言う人かは考えたことがなかった。私の感覚で面白いならそれでいいと思っていた。彼が言っているのは、どう言う人に何を体験させたいか、が違うと言うことだ。

「ブタのエサだとしてもたくさんのブタに消費される作品を作るか、空振りをたくさんしてもいいからビンタを打つ作品を作るか」

 どっちなんだろう。エサの方がビジネスになるって言ってたけど、ビジネスって要するにそれで食べていけるってことだよね? じゃあ、関さんは食べていけてないの? そもそも、何かを作るときにそんなこと意識したら、素敵な作品が出来ないと思う。作ってみて、エサでした。もしくはビンタでしたじゃダメなのかな。

 スマホが鳴る。睦美だ。彼女も何かを書いていることを随分前に打ち明けられたけど、私はカミングアウトしなかった。

「舞子、関赤兎の会見見た!?」

 興奮に一筋の黒いリボンが通っている。

「見た」

「私、彼の作品好きだったのに、どうしよう、ショックだよ!」

 私が受けた打撃とは確実に色味が違うと分かる。

「どうして?」

「たくさんの読者に愛される作品であることを正しくないみたいに言うんだもん」

「そんなこと言ってないと思うよ」

「言ってたよ! 分かる奴にだけ分かる作品こそが真の作品だって」

 私が冷えてゆくのが分かる。どうしてあの話でそう言う解釈になるのか理解出来ない。

「私も書き手の末席に居る者として、そんな傲慢な態度は許せない!」

 何かを創るなら、自分の作品が世界一と思うくらいでちょうどいいんじゃないのかな。普通に呼吸をしているだけなのに、ため息をついているような感覚がする。

「だから私は書く! 関赤兎が間違っていることを証明してやる!」

 耳に入って来た言葉に口角が上がる。髪の毛が逆立つ感覚。だから私達は親友なのだ。

「睦美って感じ方も考える経路も私と全然違うけど、ゴールの行動は最高だよね」

「負けないわよ! 関! ……この際だから言うけど、舞子、あなたにも負けないからね!」

「え!?」

「書いてるの知ってるよ。切磋琢磨、しよう!」

 バレてた。どうして? でもいいや。これは関赤兎のビンタなのだ。そして睦美のビンタ。決まった。これしかない。

「睦美、私は、ビンタを書きたい」

 くくっ、と睦美の笑う声。

「私達、分かりあえなそう」

「そうだね。でもそれがいい」

 不敵な気分で電話を切る。

 関赤兎のやろうとしていたことはきっと、読み手の芸術家を増やすことでも、ビンタの優位性を示すことでもなくて、ブタの批判でももちろんなくて、ビンタの書き手を増やすことでも、ない。

 もっとプリミティブな衝撃を、小説と言う枠だけを決めて、発したんだ。私は彼のビンタにだから打たれて、違う形で打たれた睦美と、お互いに新しい顔で出会い直した。

 舞子は虚空を、永遠の先まで、睨む。

 次は、私が打つ番だ。



(了)


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