キツチンオシドリへようこそ

まんぼう

キッチンオシドリへそうこそ

 思い出すと子供の頃に母の作る料理で、一番好きだったのが「鯖の味噌煮」だった。勿論、その頃は幼かったから、カレーやハンバーグ等も好きだったのだが、一番のお気に入りは何故か「鯖の味噌煮」だった。周りの大人からも子供らしくないと不思議がられたのを覚えている。

 母の作る「鯖の味噌煮」には実は秘密があった。それは隠し味で、私は自分で調理をするようになっても、当初は母と同じ味が出せなかった。母の味を思い出して色々な事をしてみたが遂に同じ味は出せなかったので、随分悩んだものだった。『私って調理の才能がないのかしら』等と悩んだりもした。本来なら母に尋ねれば良いのだが、それは叶わない事だった。

 何故なら母は、私が高校一年の時に癌で亡くなったからだ。健康診断で乳癌が見つかり、手術したのだが、その時は既に肺に転移しており、当時の医学では助けようが無かったのだ。

 思春期に母親が亡くなるというのはかなりショックな出来事で、当時は悲しさよりも、呆然としてしまって、この先どうして生きて行けば良いか判らなかった。父と、四歳下の弟と三人で、これから生きていかなければならないと考えていた。

 母が亡くなって心の底から悲しみがこみ上げて来たのは随分経ってからだった。

 母の代わりに、私が炊事を始め家事全般を自然と担当する事になった。父や弟から母の得意だった「鯖の味噌煮」のリクエストを受けて、作ってみた。私としては良い出来だと思ったのだが、二人の感想は

「母さんのとは違う」

 そんな感想が返って来た。実は、私自身もそれは薄々感づいてはいたのだが、基本的に母の味に近づけなくてもいい出来だと思ったし、まさかダイレクトにそんな事を言われるとは、思ってもいなかった。

 他の献立では、そんな事は言わずに何でも喜んで食べてくれるのだが、「鯖の味噌煮」だけは「物足りない」「母さんのとは違う」と必ず文句を言われたのだった。やはり二人にとっても、母の「鯖の味噌煮」は特別だったのだろう。脂の乗った鯖が味噌の味と馴染んでいる。まるで『この鯖は味噌煮になるために生まれて来たのではないか』などと思わせる母の鯖味噌煮だった。

 負けず嫌いな私は、それから色々と工夫はした。基本的に鯖を煮るには、鯖を二枚か三枚に降ろして、そのまま半身かあるいは、半身を半分に切る。勿論この時に鯖の身を綺麗に洗って掃除しておく。血合いも綺麗にしておく。皮の方に隠し包丁を入れた方が良いかも知れない。世間で良くあるレシピではこの鯖の切り身に湯を掛けたり、くぐらせたりして「霜降り」状態にする。これで鯖の臭みが消えるのだが、私が見た母のやり方では「霜降り」をしていなかった。鍋に味噌を入れて、味醂、酒を入れる、スライスした生姜も入れて水を入れて火に掛ける。味噌を良く溶かして、沸いてきたら、静かに鯖の切り身を皮目を上にして入れる。再び沸騰してきたら、火を小さくして落し蓋をして十分程煮込む。霜降りしたものは最初から鯖を鍋に入れて煮るのだが、母は確か

「煮る前にお湯に通すと確かに臭みは少なくなるけど、旨味も流れてしまうのよ。鯖はねえ、皮と身の間に旨味が詰まっているのよ。それを忘れちゃ駄目よ」

 そんな事を言っていた。その頃の私は、その通りに作っていたのだが、やはり母の味と同じにはならなかった。

 進路を考えた私は、大学には進学せずに、栄養士や調理師の専門学校に進んだ。両方の資格も取ったので都合三年かかってしまったが、自分の性格から大学に行くより良かったと考えた。

 学校で教えてくれた「鯖の味噌煮」の煮方は、やはり「霜降り」をするやり方だった。でも先生が、授業が終わってからの雑談で

「自分が食べるなら、そのまま煮ちゃうね。煮汁が沸いた時に入れれば結果として『霜降り』と同じになるから。旨味が逃げないからね」

 そうか、料理屋等でお金を取るには「霜降り」は重要だが、自分で楽しむなら、必ずしも重要ではないのだと悟った。これだけ判っただけも学校に来た価値はあると思った。その時の私は、よほど驚いた顔をしていたのだろう。先生に

「どうした。俺、何か衝撃的な事でも言ったか?」

 そう不思議がられてしまった。でも、少し母の味に近づけたと思った。その秘密の一端が判ったと感じたのだった。


 学校を卒業して、ある大手の会社の社員食堂に栄養士として就職した。本当は料理屋に板前の見習いとして入りたかったのだが、女子には敷居が高かった。その頃では女子を採用してくれる料理屋は殆ど無かったからだ。あっても料理学校からは入るのが難しかった。中卒で入る徒弟制度が未だ存在していた時代だった。

 そんな実情を目の当たりにして、自分としては料理の世界に居られれば、それで良いと納得した。栄養士として毎日忙しく働いて、暫く過ぎた頃だった。

 社員食堂での仕事は、献立を考え、調理の補助等をする。調理そのものは調理師さんが数人居て、その人達が作る。他にパートのおばちゃんが居て盛り付けや雑用をこなしている。

 私は、食後に食べ残し等を調べたりして献立に役立てていた。

 そんな時、献立に「鯖の味噌煮」が出ることになった。献立は私だけが作っている訳ではなく、三人の栄養士が居て、それぞれが献立を考えて合議して決めている。基本的に鯖などは、アレルギーが出る人が居るので、余り出さないのだが、社員さんから「食べたい」とリクエストがあったのだ。

今迄もたまには出していたが、その味付けは私が作った方が美味しいと密かに自負する程度の味だった。

 私の勤務している社員食堂は昼食には基本毎日四百食を拵えている。日替わりの献立の定食とそれぞれの定食の合計だ。他に麺類などのコーナーもあり、夜や合間の時間の分も合計すると、一日七百食ほどは出る結構大きな食堂なのだ。

 お昼の時間はさながら戦場と化す。当然、栄養士の私も手伝う。そんな食堂も午後一時半過ぎになると、食堂も少し暇になる。というより利用者は余り来なくなる。皆、午後の仕事に戻るからだ。たまに昼を食べ損ねた社員さんが来る程度なので、この時間に社員食堂の従業員は揃って食事をする。

 その日の私たちの昼食は当然「鯖味噌煮」だった。その献立が嫌なら他の物も自由に食べられるのだが、私は久しぶりの「鯖味噌煮」だったので、私の味とは違っていても、それを食べる事にした。

 調理師の人が鯖を盛り付ける前にもう一度温め直してくれた。礼を言ってお盆を持って席に座る。箸を割って湯気が立っている鯖をほぐして口に入れた。その瞬間、私は驚いた。鯖は好きな魚だから美味しいと感じるのは当たり前だが、本来社員食堂の鯖などは冷凍の鯖のフィーレのはずで品質も良くない。だが、この鯖はそれとは思えなかった。身がふっくらとして油が乗っていて、味噌の味に馴染んでいる。その為、濃厚で豊かな旨味が感じられた。それに、味噌も複雑な味をしていた。多分、この味噌は赤味噌だろうと推測した。それは母の作った「鯖味噌煮」の味噌の味をおもいださせた。母のと同じように、僅かに柑橘の香りもすれば、味醂の風味も感じる。食べながら私は母の事を思い出していた。そして、この味付けをした人を知りたくなった。

 食べ終わると食堂の責任者の主任に

「今日の『鯖の味噌煮』は誰が作ったのですか?」

 そう言って尋ねた。主任は私の質問に不思議そうな顔をしながらも

「ああ、先週から配属された彼だよ」

 食堂の隅で、調理の仲間と一緒に食事をしてる若い人を指差した。

 その人は調理の仲間たちと談笑しながら食事をしていた。少し背が高く、穏やかな表情をした人で、食べ終わって食器を返す時を狙って近づいた。

「あの、ちょっと良いですか?」

 いきなり声を掛けられたので、彼は驚いて一瞬身構えたが

「はい、栄養士さん何ですか? 何か問題でもありましたか?」

 そんな返事が返って来た。無理もない。この場で、栄養士の私から調理師の彼に声を掛けるという事は普通なら仕事関係の事と思う。

「いえ、違うんです。今日の『鯖の味噌煮』の味付けについてなんです」

 私の言い方が仕事モードだったのか

「味が不評でしたか?」

 そんな風に思い込んでしまったようだった。

「いえ、そうじゃないんです。個人的に訊きたい事があるのです」

 個人的な事と聴いて彼の表情が和らいだ。

「なら食器返してからで良いですか?」

「あ、どうぞ、途中で止まらせてすみません」

 私が半歩下がると彼はカウンターの棚に食器を返した。

「そこに座りましょうか」

 彼が指差した食堂のテーブルに腰掛けた。向かい合いで座ると

「で、鯖の味付けで何が訊きたいのですか?」

 彼はテーブルの真中に置かれた急須から二つの湯呑みにお茶を注ぐと片方を自分で、もう片方を私に差し出した。

「あ、ありがとうございます!」

 本当なら私が気を利かせてお茶を出さねばならない。でも私は、出されたお茶を一口飲むと少し落ち着いた。ドキドキしている自分に気がつく。そこで自分が如何に緊張していたのかが判った。

「今日の『鯖の味噌煮』なんですが、味付けに何か工夫をしましたか?」

 今から思えば少しも女子らしくない言い方だったと思う。でも、彼はそんな事を気にせずに

「ああ、あれね。気に入ったの?」

「はい、実は母が生前作ってくれた味にかなり近かったのです。私が作るのと何が違うのだろうかと思いまして」

 その通りだった。他に言い方が無かった。彼は私の質問をきちんと聴いてから

「僕の作り方は、湯通しをしないやり方でしてね。味付けした味噌味の調味液を沸かして、その中に鯖の切り身を入れて煮るやり方なんですよ。この方が臭みは消えるし、旨味も逃げませんからね」

 母が生前言っていた事と同じ事を口にした。そこまでは私も簡単に想像出来た。訊きたいのはその先なのだ。

「その味噌の味付けなんですが……」

 彼は、それを私が口にするのを判っていたようで

「特別なものは入っていませんよ。味噌、これは赤味噌を使わせて貰いました。白味噌を使う人が多いけど、今日みたいに特別に油が乗っている鯖を使う時は赤味噌の方がいいんです。味が負けませんからね。今日は俺の好きな『仙台味噌』を使いました」

 ビンゴだと思った。やはり私が食べ慣れた「仙台味噌」だったのだ。母も同じような事を言っていたと思いだした。

「味噌の他にはお酒と味醂。それに生姜と砂糖。本当は味醂を、もっと沢山入れたかったのですが、社員食堂じゃ余り予算がありませんからね」

「それだけですか? 他には……」

「ああ、隠し味で柚子を入れました。これが利くんですよ。鯖と味噌と相性が良いんです」

 やはり柚子が入っていたのだ。柑橘系だと思ったのは柚子だったのだ。だから母の味を思い出させたのだと思った。やっと長年の謎が解けた気分だった。

私は今日の「鯖味噌煮」を食べて自分が、母の味を通して面影を追っていた事に気がついた。母の味を思わせる「鯖味噌煮」を食べて、母と共に過ごした在りし日の思い出が鮮やかに蘇った。母が作ってくれた色々な料理の思い出も蘇って来て、私は当時を回想してしていた。そして判ったのは、懐かしい味の記憶は思い出の扉も開いてくれるのだと改めて実感したのだった。。

「どうかしましたか?」

 茫洋としていた私に彼が不思議そうに声を掛けてくれた。

「いえ、何でも無いのです」

 我に返って、慌てて取り繕った。私の状態が戻ったので彼は続ける。 

「他に煮る時に梅干しなんか入れる人もいますが、僕はしません。梅の酸味が鯖と相性が悪い気がするからです。『肉じゃが』などでは肉の余分な油を消してくれて良いのですがね」

 なるほど、そこまで考えて調理するのかと感心をした。彼は調子が出て来たのか

「鯖も驚いたでしょう。あの鯖は冷凍フィーレなんですが、特別の奴でしてね。この会社ってノルウエーに支店があるでしょう。そこに頼んでいたのですよ。『良い奴を送れ』って」

「だから、あんなに油が乗って身がふっくらとしていたのですね」

「そう言う事です。良い素材が手に入れば、良い仕事がしたくなります」

 そう言って笑った彼は爽やかに見えた。


 彼は私より三つ歳上で、今まで日本料理店で板前をしていたそうだ。人間関係が原因でお店を辞めたそうで、板長さんが、その腕を惜しんだそうだが、彼の決意は変わらなかった。

「仕事で苦労するのは構わないけれど、それ以外の所ではもっとフリーな気持ちでいたい」

 そんな事を言っていた。

 私が、彼に「鯖の味噌煮」の秘密を訊いた日から、仕事場でも少しずつ話をするようになった。社員食堂の調理師の間でも彼の腕はずば抜けていて、やがて私たち栄養士の献立の会議に出席して調理をする者からの助言を言って貰うようになった。

 私は、そんな彼を次第に頼もしく感じるようになった。本音を言えば、社員食堂みたいな集団給食に来る調理師は総じて、味付けや調理の仕事にこだわりを持たない人が多い。無難な仕事をする人が多いと思っていた。勿論、年配の人の中には、有名なお店で修行した人も居て、素晴らしい仕事ぶりを見せてくれた人も居たが稀だった。

 一緒に仕事をするようになって、一年以上過ぎた時だったろうか、この頃には私は彼と一緒に昼食を採る回数がかなり多くなっていた。最初は献立の相談で、食べながら色々な事を相談していたのだが、やがてそれが日課みたいになってしまって、それ以外のプライベートな事も話すようになっていた。

 そんなある日、一緒に昼食を食べていたら、彼が

「何時かは、自分の店が持ちたいんだ」

 自分の夢を語りだした。私は相槌をしながらも

「お店って、料理屋さん?」

 そう尋ねてみたら

「料理屋というより定食屋さんみたいな店かな。無論お酒も呑めるけど、メインは料理で勝負出来る店かな」

 そんな返事が返って来て、嬉しそうだった。彼に比べ私は、自分に将来の夢が無い事に気がついた。逆に彼に同じことを尋ねられてもロクな返事が出来なかったろう。それは私も女の子だから、好きな人のお嫁さんになって……という事は考えたことはあったが、それ以外でと問われると返事に困ってしまった。

「お店かぁ。そうね、そうなれたら良いね」

 彼の夢については、その時はそんな返事しか出来なかった。

 でも、それから彼を見る目が変わった。それまでも好感を持って接していたのだが、私はいつの間にか、彼の夢に自分の将来を重ね合わせて見るようになっていた。この時、私は彼に好意以上の感情を抱いている事に気がついた。

 事実、昼食は何時も一緒にするようになっていて、職場でも噂をされる関係になっていた。そんな時に彼から告白された。

 毎日のように、仕事の帰りは一緒だった。帰る方向が同じだったので、何処にも寄らずに帰る時もあったが、お茶を飲んでから帰る時もあった。

 その日も、帰りに行きつけの喫茶店に寄って、楽しい会話をしていた時だった。将来の夢を語っていた時に急に真面目な顔になり

「将来の事なんだけど、結婚を前提に交際して欲しい」

 そう告白された。この時私は、好意以上の感情を抱いてる事は意識していても、彼と交際をしてるとは思っていなくて、職場の友人の延長だと思っていた。

 だけど、彼から真面目に告白されると、いつの間にか彼の存在が自分の中で大きくなっていた事に気がついた。

「ありがとう。うれしい! でも一生の事だから少し考えさせて」

「うん。いい返事待ってるよ」

 その日は、それから彼と何を話したか殆ど覚えていない。家に帰ってからもずっと考えていた。父や弟はさぞ不審に思った事だろう。人一倍賑やかな私が黙り込んでいたのだから。

「姉ちゃんおかしいぞ」

 普段、ロクに口も利かない弟までもが心配しているし、父も

「具合悪いのか? 熱があるなら寝たほうが良い」

 そんな頓珍漢な事を言う始末だった。私はそんな二人に

「ねえ、私がこの家を出たら困る?」

 逆に尋ねて見た。そうしたら

「姉ちゃん結婚するのか! 誰かいい人出来たのか?」

 そう言って喜んだ。父も

「貰ってくれる人がいる間に嫁に行け」

 そう言ってニコニコしている。

「別にそんな訳じゃないけど、どうなの」

 もう一度尋ねて見ると二人とも、構わないとの返事だった。弟は

「姉ちゃんが居なくなれば親父と男同士二人でやって行くから大丈夫だよ。俺だって多少も家事は出来るしな」

 そう言って胸を張った。父は穏やかな表情で

「母さんが亡くなってから、お前は随分頑張った。これからは自分の幸せを考えた方が良い」

 そんな事を言ってくれた。別に特別に母の代りをした訳じゃない。料理でも掃除でも母に近づいたとは思わなかった。考えていたのは『母が生きていたら、どうしただろうか』という事だった。

 何をするにも、それが基準だった。

「誰か気になる人が出来たんだろう」

 弟が私の顔を覗き込むようにして言う。私は弟の視線を避けて

「結婚を前提に交際を申し込まれたのよ」

 そう答えた。この時、私の考えは既にかなり固まっていたが、あえて事実だけを語った。

「会社の人?」

「まあね」

「行き遅れにならないうちに行った方が良いと思うけどね」

 いつの間にか生意気な口を利くようになったと思った。その日の夕食は久しぶりに「鯖の味噌煮」にした。勿論、彼から教わった隠し味も入れた。すると食べた二人は驚きの表情を浮かべた。まず父が

「これは驚いたな。完全に母さんの味じゃないか。いつの間に出来たんだい」

 そう言って驚きの表情を浮かべる。それを耳にして弟は半信半疑で口に入れると

「あれ、そうだね。完全に母さんの味に近いね。ほんと美味しいよ」

 そう言って夢中で食べていた。私は、この味付けを教わった経緯を二人に話した。

「それって、運命的な出会いかもよ。もしかしたら母さんの導きなんじゃない」

 オカルト的な事が好きな弟らしい意見だったが、よく考えて見ると、母さんの「鯖味噌煮」が無ければ、私と彼の間には何も無かっただろう。もしかしたら口も利く事も無かったかも知れない。その意味では確かに母の導きかも知れなかった。

 仏壇の母さんにも、その日の夕食の「鯖味噌煮」を備えて報告した。

 もう答えは出ているに違い無かったが、それでも更に数日は考えた。自分が彼とこの先一生一緒に生きて行けるだろうかとか。

 でも、他にあてがある訳でも無く、誰かに求婚されている訳でもない。そうさ、このまま結婚するんじゃない。結婚を前提に交際を始めるのだ。そう考えたら気が楽になった。翌日、彼に返事をした。場所はこの前と同じ喫茶店だった。

「この前の話だけど、お受けします。よろしくお願いします」

 柄にも無くしおらしい言葉を選んだ。

「ありがとう!」

 こうして私と彼は付き合う事になった。

 その後の事はお決まりの事が続く。お互いの家族に引き合わせたり、将来設計を話し合ったり、色々なことを話し合わねばならなかった。。

 中でも結婚をした後の生活設計をどうするかで、かなり話し合った。暫くは今の職場で働き、お金を貯める。その後、店を持つ。という所までは確認した。というより、彼も私も以前から、将来は何がしかの自分の店を持ちたいと話し合っていたからだ。だから、この時点で同じ夢を抱えていたのだった。。というより彼の夢が自分の目標となったのだった。

 そして交際して一年半後に結婚した。ささやかな披露宴を開いた。彼の友達がシェフをしているレストランを借り切って行った。本当はしないつもりだったのだが、彼が

「一生に一度だから」

 と言うので、挙げたのだ。本音を言えばやはり、ウエデイングドレスを着るのは嬉しかった。自分もやはり人の子だと思った。

 披露宴では友達が大勢来てくれて嬉しかった。口々に彼の事を見て

「素敵な人ね」

 そんなお世辞を言ってくれた。でも本当はとても嬉しかった。自分が選んだ人を認めて貰った気がした。


 自分たちの店を持つのは当初の予定よりも遅れた。それは資金が思うように貯まらないと言う事もあったが、自分たちの希望に沿う物件を見つける事が中々出来なかったのだ。

 立地が良い所は費用が掛かるし、安い所は場所が悪かった。それやこれやで月日が経ってしまった。でもその分、せっせと貯金をしたのだった。

 そして、更に遅れる事態が発生した。私たちの間に子供が出来たのだ。結婚して家庭を持ったのだから二人の間に子供が出来るのは当たり前なのだった。そんな事もあの時は失念していた。そんな自分を大間抜けだと思った。

 妊娠した事を報告すると、私の父も、彼の両親も大変に喜んでくれた。私にとっては特に父の笑顔を見たのは久しぶりな気がしたので人一倍嬉しかった。

 月日が満ちて長男が生まれ、私は母になった。この喜びは言葉では表せない感情だと思った。親から貰ったこの生命(いのち)が次の世代に繋がって行く……この喜びを感じられるのは女の特権だと感じた。そして周りの人が全て祝福してくれた。

 この頃、私は仕事を辞めており専業主婦となっていて、毎日の家事と子育てで、あっという間に月日が過ぎて行った。

 そんな日々を過ごしていたが、チャンスは意外な所からやって来た。住んでいる部屋の近所にあるパン屋さんが閉店すると言う。美味しいので、良く買いに行っていた店だった。夫婦二人でやっていたのだが、二人とも高齢になって店を続けるのが辛くなって来たので、引退して故郷に帰ると言う事だった。

 何時も買いに行っているお店だから店の間取りは判っていた。彼がやりたがっていた定食屋さんには、残念だが少し店が狭かった。調理場も余り広くは無いので店舗の方を広くする事は難しそうだった。居抜きなら格安で譲ってくれると言う事だった。

 私は夫に相談した。

「ねえ、あのパン屋さんなんだけど、居抜きなら銀行から余り融資を受けなくても何とかなるのじゃないかしら」

 夫も考えていたらしい。こんなチャンスは早々に無いからだ。

「でも定食屋をやるのは無理かな。店の方が少し狭いよね」

 やはり夫も私と同じ考えだった。そこで私は以前から考えていた案を口にした。

「ねえ、惣菜屋さんはどうかしら?」

「惣菜屋?」

 夫はピンと来なかった感じだった。

「あそこは商店街の一番外れだけど、住宅街からだと一番近い場所にあるから、惣菜屋さんなら打ってつけの場所だと思うの。色々なお惣菜を作れば売れると思うし、駅からの帰りに寄って貰えそうじゃない」

 私の提案に夫は少し考えて

「定食屋は無理だとしても、あそこなら他に何が出来るかだな」

 そんな事を言っている。

「だから、本格的なおかずを売る惣菜屋さんなら打ってつけだと思うの。あなたの作る料理はどれも本当に美味しい。あれを簡単に自分の家で食べられるなら絶対に売れるはずなのよ」

 結婚して、いいや最初に「鯖味噌煮」を教わった時から、私はこの人の料理の才能を信じていた。料理以外の事には疎く、だらしない所もあるけど、この人の料理の味は人を幸せにする。人は美味しいものを食べた時が一番幸せなんだと言うのが私の信条でもある。

「大丈夫! 貴方が作って私が売れば、絶対に成功する!」

 私の余りの剣幕に幼稚園児の息子が驚いて口をあんぐりと開けている。その表情が夫にそっくりだった。

 それでも夫は惣菜屋には消極的だった。毎日のように机に向かって店の間取りを紙に書いて考えていた。どうしても定食屋を開きたいという思いだった。だが、その考えが一変する出来事があった。

仕事場の昼食で、パートのおばちゃんに言われたらしい

「ここでお昼に美味しいものを食べちゃうと、家で夕飯を作るのが嫌になっちゃうのよね。だって、こんなに美味しく出来ないもの」

 そんな事を言われて驚いた夫は、おばちゃんに尋ねたそうだ

「もし、この味が街の惣菜屋で買えるなら仕事帰りに買いますか?」

 夫の意外な質問におばちゃんの答えは

「当たり前じゃない。値段も考えるけど、この味が仕事帰りに簡単に買えるなら毎日寄って行くわよ」

 夫としてみれば全く予想外の言葉だったのだろう。おばちゃんの返事で夫は決断してくれた。その日家に帰るなり、この出来事を私に話してくれて

「惣菜屋、やろう!」

 遂に決意をしてくれた。


 それからが大変だった。地元の信用金庫との交渉。でもこれは夫の人脈に随分助けられた。何故なら、夫の友人や先輩にはオーナーシェフが結構居る。その方から金融機関との交渉のやり方を伝受して貰った。皆、開店に際して苦労した人ばかりだからだ。その他にも色々なアドバイスを戴いた。本当にありがたかった。

 店舗と土地の譲渡契約。これは地元の不動産屋さんに間に入って貰った。不動産屋さんが言うにはやはり格安なんだそうだ。何もかもが全く初めての事だったが本当に多くの人に助けて貰った。この縁はとてもお金では買えないと思った。

 お店の土地は十八坪ほどで、そう広くは無い。二階建てで、下が店舗と調理場。それにトイレと小さな風呂場と三畳ほどの部屋がある。ここは店を見渡せるようになっており、営業時間内は調理場か店に居ない時はここに居る事になるのだろう。二階は六畳が二間と物置に使える小部屋があり、その他には物干しがある。

 運転資金を残して貯金の殆どをはたき、信用金庫から借金をして開店にこぎつけた。居抜きとは言え、調理場は少し変えさせて貰った。フライヤーや冷蔵庫、ガス台は新しくした。新しいと言っても、新古品で、最近は飲食不況で開店しても三月と持たない店が多いそうだ。そんな殆ど使われずに閉店となった店から格安で買い取って整備して販売する会社があるのだ。夫はそれを知っていて、自分が開店する時はそこから揃えようと決めていたみたいだった。

「新品より遥かに安いからそこで買おう」

 私にそんな事を言って、中古と言う事で心配する私に

「大丈夫。業務用はそんなに簡単に壊れやしないから。それに短いけど保証もあるから」

 そう言って私を安心させてくれた。

 元がパン屋さんなのでオーブンは元から大きいのが入っていた。これはありがたく使わせて貰った。

「惣菜屋には分不相応だけどな」

 夫もそんな事を言って笑っていたが、夫が言うには

「これだけ本格的なストーブがあるならメニューにも幅が出るよ。グラタンやピザ、それに君の好きな鯖だって色々な料理が作れる。それにこれだけ大きいと一度に色々な料理も作れるしな」

 ストーブというのは我々料理をする者がオーブンの事をそう呼ぶのだ。ストーブを見る夫の目は輝いていた。

 前のパン屋さんの時と店の外見を大きく違えたのは、店の庇(ひさし)になるテントを真っ赤な色のものに変えたのだ。真っ赤な地にストライプが入っている。

 これは遠くからでも目立つようにと思っての事だった。事実、商店街の一番外れだったが、駅を出て歩き始めると遠くに目についた。

 開店の準備を着々とこなす。浅草のかっぱ橋で調理道具を買い込んだ。仕入れの為に中古の軽のキャブバンを買った。思えば初めてのマイカーだった。ウチのバンは人も荷物も乗せられる素敵な車だ。

 開店を知らせるチラシをネットで作って発注する。本来なら印刷されて来たものを新聞の折込等に頼むのだろうけど、折込の金額が思ったより高かったので、節約の為に自分たちで近所をポスティングするしかないと思っていたら、弟と父、それに夫の友人や兄弟が手伝ってくれた。これは本当に有難かった。

 店の名前を『キッチンおしどり』とした。正直言うと「オシドリ」なんて名乗るのは少し恥ずかしかった。でも夫がこの名前が良いというので譲歩したのだ。

「ねえ、『オシドリ』なんて何か恥ずかしくない?」

 私は素直な気持ちを言った。本当は「あなたのお惣菜の店」が良いと思っていたのだ。でも夫は

「夫婦でやるんだから良いじゃないか。事実仲が良いんだからさ」

「え~でも、なんか惚気てる様で恥ずかしい」

「じゃあジャンケンで決めよう。負けたら諦めるよ。その代わり勝ったらこれにするから」

「いいわよ」

そうしてジャンケンをしたのだが、私が負けてしまったのだ。その結果、店の名前は「キッチンオシドリ」に決まった。そして色々な方の手助けを借りて、遂に開店の日を迎えた。


 その日は朝からいい天気だった。ポスティングや駅前で配りまくったチラシのおかげで開店前には少しだが行列が出来ていた。それを見て少しホッとする。実は誰も来なかったらどうしようと思っていたのだ。私と夫はそれを見てこの店が上手く行くようにと顔を見合わせた。

 開店時間になり店を開けるとお客さんが入って来た。今日から一週間は値段を割引にしてある。それに今日のお客さんで先着百名様にはランチョンマットのセットをプレゼントすることにしている。この一週間は夫の妹が、店を手伝ってくれるので本当に有り難い。

 惣菜は順調に売れて行った。予想どおりだったが、その流れが若干変わったのが夕方だった。店は通勤帰りの人もターゲットにしているので、夜の八時までは開いていようと営業時間を決めている。

 夕方になり、惣菜の残り具合をチェックしていると、聞き慣れた懐かしい声と顔が現れた。

「今日開店と聞いて仕事帰りに寄ってみたのよ。元気でやってるみたいで安心したわ」

 以前勤めていた社員食堂のパートのおばちゃん達だった。店に入るなり

「あ、『鯖の味噌煮』がある。これは買って帰らなくちゃ」

 それまで、それほど売れてはいなかった「鯖の味噌煮」だったが、それぞれが二人から三人分買って行くので、バットがたちまち空いてきた。

 面白かったのは、そんなおばちゃん達の行動を目にした他のお客さんが

「ここの『鯖の味噌煮』ってそんなに美味しいのですか?」

 そんな質問をしていた事だった。

 尋ねられたおばちゃんは得意そうに

「ここのを食べたら他のものは食べられないわよ」

 そんなおばちゃんの返事を耳にして、その人だけでは無く、他のお客さんも買って行ってくれた。そうして「鯖の味噌煮」は完売してしまった。

 それからだが、「鯖の味噌煮」はじわじわと売れ出した。買って食べてくれたお客さんが気に入って、口コミで広めてくれたらしい。最初の特売の期間が過ぎても「鯖の味噌煮」はよく売れた。今ではすっかりウチの看板の商品となっている。

 夫は毎朝早く市場に仕入れに行く。良い鯖があれば仕入れて来るが、痩せた貧相な鯖しか無いと、冷凍のフィーレを使う。これは前の会社の伝を使って、ノルウエー支社から送って貰っているのだ。実はノルウエー支社ではこの日本向けの鯖などの冷凍品を扱うのが副業になってしまったらしい。それほど品質の良いものを送ってくれるそうだ。

 私は夫を市場に送り出した後、洗濯や掃除をして朝食の準備をする。息子を起こした頃に夫が帰って来る。三人で朝御飯を食べて、息子を幼稚園のバス乗り場まで送って行く。息子が幼稚園の送迎のバスに乗って行ってしまった後は店に帰って夫と一緒に仕込みをする。この時間は私はかっての姿を取り戻す。

 そして十一時に店を開ける。開店を待ってくれている人。昼食のおかずを買いに来てくれる人。皆が私にとっては大事なお客さんだ。この人達が来てくれる限り私は夫と頑張って行く。

 何故なら母が私に残してくれた「鯖の味噌煮」は人々に幸せを呼ぶからだ。その縁を大切にするのが私の夢でもあるからだ。

 幸せを呼ぶ「キッチンオシドリ」へようこそ!


                  <了>

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