無色透明のトロイメライ

@nowchan

プロローグ

 …………熱い。誰かが倒れている。

 …………痛い。建物が崩れている。

 …………怖い。何かが燃えている。


「はぁ……はぁ…………」


 街はとっくに崩壊している。瓦礫の山や倒れている電柱、燃え盛る家。……そして、助けて助けて、と呻く人々。その人たちを助けようと頑張る人たち。だけど、その中には当然もう死んでる人もいる。

 寒気がする。吐き気がする。さっきから足の震えが止まらない。


 そんな地獄の中、僕は独りで歩く。


 ――――どこに向かって? 何のために?


 誰かに助けられた。だから、歩いている。でも、誰に?  …………分からない。覚えていない。

 けれど、これだけは分かる。もう何もかも失った後なのだと。

 どこかへと行きたいわけではなく、ただ機械的に無機質に歩いている。


「もう……やだ」


 そんな弱音を漏らす。


 今一度自身に問いかける。ここにいる意味はあるの? いっそ諦めた方が楽になれるかもしれないのに? かと。


「…………」


 意味なんてないだろう。もう僕には何もない。価値なんてない。ただの空っぽな人形に過ぎない。


 …………そう思っているのに。


「え?」


 燃えている瓦礫が崩れ落ちて、こっちに倒れてくる。

 もう生きてる意味なんてないって思っていたのに――――


「嫌だ…………!」


 怖い怖い怖い。死にたくない。どうして自分だけが? 何も悪くないのに。


 その感情がひたすら僕を……俺を埋め尽くす。

 そして、俺は瓦礫によって――――




▽▽▽▽▽▽▽



 ――――そこで、ハッと目が覚めた。




「……ああもう、夢かよ」


 最悪の気分だ。まだあんな昔の夢を見るのか。

 うわっ、汗もビッショリじゃないか。まぁ、いいや。どうせこれから汗を掻くんだ。まだ朝の5時。さっさと日課をこなそう。


「ひでぇ顔……」


 顔を洗うために洗面所に行き、鏡を見る。


 不幸そうな、やる気のなさそうな、幸が薄そうな、いつもの見慣れた顔がある。あの夢のせいであまり寝付けなくて隈も微妙にある。

 何てことのない、秀でた特徴があるわけでもない普通の容姿。強いて言うなら、右の頬にちょっとした、永遠に残る切り傷の痕があるくらい。

 そんな顔を洗い、お茶を飲んでからジャージに着替えて靴を履く。


「ふう」


 ドアを開けると――――冷たい風が顔に当たる。


「……まだ寒いな」


 独り言を呟く。


 そして、いつも通りの、黒江葵の日常がこうして始まる。




 自宅近くの河川敷まで移動する。ここで毎朝5km走ることが俺の日課だ。まぁ、気分によって走る距離は変わるが、最低5kmってところ。普段何もしない、何も続かない俺だが、これだけは続けている。天候が悪い日はさすがに控えるけど。


 やっぱりまだ朝は冷える。しかし、そんな空気が心地いい。

 冷えた空気を一気に吸い込む。だんだんと頭もはっきりとしてきた。


「よし」


 軽く体を伸ばしてからリズミカルに走り出す。


「はぁ、はぁ……」


 しばらく走りながら、徐々にいつものペースを見つけスピードを調節する。そうやって、少し余裕ができ、ふと物思いにふける。


 特に陸上部にも入ってない俺がこうして毎朝走ったのはいつからだったか……確か中学2年のころだったかな。

 小学生……ってか、幼稚園からか。あの時は何だか環境馴染めなくて、あまり何かに関わらずに、自分の欲を持たずに生きてきた。……いや、それは今も同じかな。今まで生きてきて、特別何かを欲しがったことなんてない。


 欲しがるなんて、烏滸がましいことしてはいけない。なぜなら、俺はもうとっくに一度死んだ命なんだから。自分の為に生きるなんて贅沢はしてはいけない。

 と、そんな考えをずっと拗らせながら生きてきた、ちっぽけで無欲な人間が俺だ。


「…………」


 6歳でこの家に拾われて、周りに迷惑をかけないように暮らしてきた。学校に行っては、帰って家でちょっと勉強したり、家にある本や図書室で借りた本を読んだりするような生活を送っていた。

 そうして中学生になって、どうせなら……と多少は体を動かそうとランニングを始めたんだったな。周りの学生は部活をやっている中、読書の他に新しい暇潰しにと。


 本当は涼しい夜中に走りたかったけど、凪にも奏さんにも止められたな。危ないから止めろって。今となっては、夜とかけっこう涼しいからそのときに走りたいんだよな。ただ、やっぱり迷惑はかけたくないから言うことは聞く。


 自分の過去の記憶を思い返していると、あることに気付く。


「そうか。あれからもう……」


 10年は経ってるんだ。


 あの――――大地震の日から。


 そう。およそ10年前、この地……天生あもう市で起きた大地震。それはあまりにも甚大な被害をもたらした。2000人以上の人が亡くなり、今も50人以上は行方不明。天生市の家屋の8割は倒壊し、火災も多数発生した。

 そして、俺も両親を…………死………………。


「うっ……」


 胃から何かこみ上げて、足が止まりかける。……くっそ、色々と思い出してきて気分が悪くなってきた。


 さっきもあんな夢見たばかりなんだ。どうも俺は大地震より前のこと思い出そうとすると調子が崩れる。止めだ、止め。…………落ち着け、もうこれは過去の出来事なんだ。今の俺には関係ない。


 そんな過去を忘れるように、振り切るように、さっきよりもスピードを上げて、また走る。


「はぁ…………」


 大きく呼吸を整える。息が白い。


 走るのはいい。最初はそんなことなかったが、もう好きなことに入る。だって嫌なことを忘れることができるから。走ってる間はいい感じに息が苦しくて、もっと息を吸おうと、足を進めようとそれだけに思考が埋まっていく感覚がある。それが気持ちいい。


 ずっと走れば、もう一生思い出さなくて済むかもしれない…………。


「………………ふぅ。疲れた」


 そんなバカみたいなことをしばらく考えていると、もう5kmを走り終えていた。深呼吸で体と気持ちを落ち着かせる。


 やっぱり走り始めた頃よりかはけっこう体力ついたな。日によっては調子は変わるけど。まぁ、俺だってもう16だ。かれこれ3,4年は走っているからな。うん、記録は伸びてて当たり前だ。


 なんて自分に言い聞かせながら家に戻ると、ドアを開けるとリビングから色々と声が聞こえる。リビングに入ると――――


「おかえり、お兄ちゃん」


 と、扉のすぐそこにいたのは妹の凪。


「あら。おかえりなさい、葵」


 台所にいるのは義理の母の奏さん。


「ただいま。ん? 陽太郎さんは?」

「あの人もう仕事で出てったわよ」

「お父さんさっさと出ていったよー」


 義理の父の陽太郎さんがもういないのに気付く。


「マジすか。早いですね。いつもならもうちょい遅く出るのに」

「今日の会議の準備が終わってないから早く行くわーって」

「大変そうですね」

「全くよー」

「お兄ちゃん、とりあえず早くシャワーに行ってよ」


 ――――俺の家族が迎えてくれた。


 妹の凪、母の奏さん。俺は養子で血は繋がってないけど、間違いなく俺の家族。で、ここにはいないけど、父の陽太郎さん。


「はいはい、分かってるって。……あれ? ああ、凪起きてたのか」

「失礼すぎない!?」

「3日に1回は寝坊する奴が何を言ってる」


 ホント、凪は朝弱いからな。


「そうよ、たまには自力で起きなさい」

「お母さんまで私の敵に…………」

「私が毎日起こしてるくせに、よくそんなセリフ言えるわね、この子は…………。お兄ちゃんを見習いなさい」

「ちょーっと待ったぁ! それはお兄ちゃんが特殊すぎるだけだと思う!」




 それは自覚してるけども。




「はいはい、まぁいいわ。葵、早くシャワー入りなさい」

「分かりましたー」

「ちょっと、聞いてよー!」


 返事をしつつ浴室に向かう。

 リビングから出る時、振り返って凪と奏さんの様子を改めて眺める。


「…………」


 変わらない日常。いつも通りの風景。

 それが何より嬉しくて、今ではもうとっくに俺の心の拠り所になっている。


 ――――それでも、永遠に変わるものなんて存在しない。時が経つにつれて、少しずつ変化するものは確かにある。


 なんて、たまに耳にすることだが、この時の俺はまだその意味を理解してなかった。




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