第6話 エピローグ それは里を護り続ける葉桜

「てりゃあああああ!!」


 葉太が空中高く跳び上がり、太刀を振りかぶった。避けてかわす暇はもうない。桜子は足元の妖刀を拾いあげて、反射的に構えを取った。葉太は桜子のその一瞬の様子を目に留め、強く、持てる限り強く、念じた。


 (抜け、桜子! 妖刀を抜くのだ! 俺を倒せ! 今こそが、抜く時なのだ!)


 その時、老桜の花が乱れ舞う月明りの宵空に、きっぱりと断じる声が、それでもどこか柔らかく二人の耳にまた、届いた。


――― 抜きなさい、桜子。それが、妖刀使いに生まれた、そなたの運命さだめ。母と同じ間違いを繰り返してはなりませぬ。


 桜子は、何かに突き動かされるごとく、ゆるりと妖刀を抜いた。

 そして、身を翻しながら妖刀を振るう。かつて母上がやっているのを、見よう見真似で覚えたその形。自分一人ではなんの威力も出せなかった、不思議な、舞のような技。

 今、妖刀を持ちながら、妖刀に導かれて、桜子は舞う。


 妖刀に気が集まり、やがて葉の混じる桜吹雪が、乱れ舞うようになった。いつしか葉桜吹雪く一つの太い波動にまとまり、葉太を襲った。


 (そうだ。それでよいのだ、桜子。赤目の里の安寧は、お前が、妖刀とお前のその幻術で、守っていくのだ)


――― そうです。それでよいのです、桜子。赤目の里の安寧は、そなたが、妖刀とそなたのその幻術 『秘技葉桜烈乱はざくられつらんの舞』で、守っていくのです。葉太も、母も、里の皆も、それを待ち望んでいるのです。


 葉桜吹雪く太い波動が、旋風の音を立てて、葉太の身体を直撃し、貫いた。


「ぐわああああ」


 葉太の身体は老桜の丘の果てまで吹き飛び、どさりと地に墜ちた。


 ◇


 葉太の元に駆け寄った桜子。

 苦し気なうめき声で葉太は語りかけた。


「…… 桜子、見事であった。…… 見事な、幻術であった。 …… これから、決して妖刀を抜くのを、ためらうで …… ないぞ」

「大師範!!」

「 …… お前の …… 腕には、…… 里の泰平が …… かかっている。…… それを忘れてはならんぞ。俺を …… 倒せた幻術で …… 倒せぬものは …… ない。 …… 楽しみだ。お前の …… 働きが。 …… なあ、楓子よ。うっ」   

「葉太殿ーーーっ!!」


 ◇


 しばらくの後、丘の老桜の枝に葉が芽吹くころ、葉太の葬儀が執り行われた。

 先代の墓標の傍らには新しい墓標。

 弔いにはしきたりのとおり、桜子と五兵衛とそして社の神主だけが参列した。


 野辺の送りも終わり、桜子は墓標に手を合わせた。いつの間にか老桜の丘には緑が茂り、初夏を告げる若葉も目に眩しい。流れる線香の煙を揺らせて桜子は立ち上がり、五兵衛に語り掛ける。


「五兵衛殿は …… 見ておられたのですね。わたくしめと大師範の手合いを」

「…… 妖刀使いの代替わりに立ち会うは、里守さとのかみたるそれがしの役割にございますから」


 長数珠で手を合わせていた五兵衛は、網代笠の奥から淡々と応える。


「葉太殿は …… わたくしめの放った幻術をかわすことも避けることもできたはず。なぜ正面から受けられたのでしょう」

「妖刀の意志、にございましょう。妖刀使いの幻術は、継ぐ者が継がれる者を倒して初めて完成となり申す。葉太殿はそれを存じておられた」

「さようですか。…… 手合いのさなか、母上の声が聞こえました。妖刀を抜くように、母上と同じ間違いを繰り返さぬように、と」

「お見事な幻術、母君、楓子殿が舞い降りたように見え申した」


 桜子と五兵衛は並んで歩みを進める。散り残る桜花が名残惜しむようにひとひら舞い去っていった。


「して、桜子殿、これからいかにお呼びいたしましょうか。大師範でも頭領でも、随意にお決めくだされ」

「おやめください。名負けするではありませんか。今までどおり、桜子で十分にございます」

「分かり申した。桜子殿とお呼びいたそう。桜子殿の幻術は、楓子殿の幻術と似ておるが異なりますな。楓子殿の幻術は散りゆく桜花の舞、桜子殿の幻術は萌え立つ若葉の舞」

「見よう見真似で覚えた母上の幻術、細かな違いが出たのでしょう」


 丘の上から赤目の里が見渡せる。里のそこかしこに新緑が弾んでいる。

 桜子は目を細めながら、そののどかな山村を静かに心に刻んでいた。


「守りましょう。この里の平穏と、安寧と、泰平を。それがわたくしめの運命さだめ。亡き母上と、亡き師が、共に願い、わたくしめに託したことですから」


 桜子は吹き抜ける若芽の風に髪をなびかせながら、決意の色を瞳の奥に密やかににじませ、力のこもる声で言った。


「そのためであれば、わたくしめは、いつでも妖刀を抜いて戦います」



 時は流れ、時代は移り、幾度目かの改元があったある年。

 赤目の老桜は変わらず花を盛大に付けていた。


 その桜花の季節も終わろうとしてたある晩春の頃、幼少の女の子が母親と老桜のそばを通りかかった。

 道路は舗装され、さほど交通量は多くはないが自動車も往来するようになった。老桜の丘にはいくつもの住宅が建ち、かつての広々とした野原はもうなくなっている。

 母親は老桜の元の古びた祠で幼い少女を呼び止める。


「こら、しほちゃん、飛び出したら危ないでしょ! あ、ちゃんと葉桜様にお参りしていきなさい」

「あ、忘れてた! ねえ、お母さん、なんで葉桜様にお参りしなくちゃならないの? お参りしたらなんかいいことあるの?」

「しほちゃん、そんなこと言ったらいけません。葉桜様はみんなの幸せを叶えてくれるのよ。だからちゃんとお参りしなさい。ほら。ぱんぱんして。みんなが平和に生きられますように、って」

「はーい。葉桜様、しほちゃんちに悪い病気が来ませんように」

「まったく、そんな自分のとこの分だけ祈ったらだめでしょうに」


 母親と幼い少女は立ち止まり、並んで祠に手を合わせる。それが終わると、鼻歌を歌いながら手を繋いで家に帰っていった。


 赤目の里は、ある時代の妖刀使いの放つ幻術に、何度も窮地を救われてきた。

 いつのころからか、人々はその妖刀使いの幻術の技の名から、妖刀そのものを『妖刀葉桜』と呼ぶようになっていった。老桜の元には祠が建てられ、里の人々がそれを『葉桜様』と祭って感謝の意を表すようになってから、もう長い年月が過ぎている。


 そして、いつの時代も、誰かが古びた妖刀を手に、人知れず里の平穏を護っている。

 赤目の里の人々は、今も、それを信じて疑わない。



 <了>

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葉桜の君に ゆうすけ @Hasahina214

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