Scene:1 エルフ

 都会の隅の、裏通りにひっそりと建つカフェ『ロンド』。

 こじんまりとしたアンティークな内装とコーヒー、そして手作りクッキーが売りの、都会の喧騒に疲れた人々に穏やかな時間を提供する場所として日々営業している。


 今日は木曜日、夕方ごろ。

 マスターである僕はカウンターの向こうで一人食器を拭いていた。個人経営であるこのカフェには僕以外の従業員はいない。人を雇えるほどのお金がないというのもあるが、カウンター席に四人、テーブル席に六人程度の小さなカフェなので一人で賄えるというのもある。現に今も、客はテーブル席でゆったりとコーヒーを啜る常連のおばあさん一人だけだ。


 外で烏の鳴く声がする。壁掛けの時計に目を向けると短針が丁度六を指すところだった。最近は陽が落ちるのも随分遅くなって、まだ近所の公園ではしゃぐ子供たちの声が聞こえている。


 そろそろ、かな。


「ねぇ、マスターさん。何かそわそわしていないかしら?」 

「えっ……分かりますか。少し恥ずかしいですね」

「それは分かるわよぉ。そんなにドアの外を気にしてちゃあねぇ」


 席に深く腰掛け上品にカップを持ち上げる様はまさに貴婦人といった様子だ。しかし今こちらに向いている目は、少年のようないたずらっぽい目をしている。このおばあさんとは開店当時からの付き合い故にこちらのことは大抵見透かされてしまうのだ。


「この後友人が来る予定なんです。初めてここに呼ぶので緊張しちゃって」

「ふーん、友人ねぇ……」

「友人です」


 そんな他愛のないやり取りをしていると、入り口のベルがチリンとなった。

 ドアの方に目をやると、金色の光の粒子を纏った人型が入ってくるのが見えた。いや、正確には光を纏っているのではなく、の持つ長い金髪が陽光に照らされて煌めいているのだが。それでも彼女が光に包まれているように見えるのはその美貌にもよるのだろう。


 整った目鼻立ちにシミ皺一つないきめ細やかな純白の肌。アーモンド型の、碧色の双眸には穏やかな自然を思わせる深みがある。唇は色白な肌に映える鮮やかな紅に輝いていて不思議な色香を放っている。あの唇で形作られる微笑みに今まで何人もの男どもが虜になってきたのであろうか。


 人間離れした美貌、と評論家は評すだろう。

 それもその筈、


 彼女の姿を見た人は真っ先に目が行くであろう、横に細く長く伸びた耳。

 この特徴を持ち、類稀なる美貌を持つ種族───そう、彼女はエルフ。隣の世界からやって来た、新たな隣人の一人である。


 彼女は不似合いなスーツに身を包み、パンプスをツカツカと鳴らしながらこちらに歩み寄りカウンター席にどっかと腰かけた。そのまま腕を組みカウンターに突っ伏してしまった。


「ちょ、ちょっとリズさん起きてくださいよ」

「んぅ……やだぁ……」


 瞬間、おばあさんの瞳が光を放った(ように見えた)。

 今までのゆったりとした雰囲気はどこへやら、カップの半分近く残っているコーヒーを一息で飲み干したかと思うと傍らのコートとハンドバッグを素早く手に取り立ち上がって、


「そういえばペットのポチの様子をみないといけないからそろそろ帰るわね。代金はまた明日払うからツケといて頂戴。そうだわもうこの後にお客も来ないだろうし入口のサインも『CLOSED』に変えておくわね。それじゃあまた明日。美味しかったわ」


 そう一方的に言い放ったかというとそのまま風のように去って行った。ドアを抜ける際にこちらに見せた『あなたも隅に置けないわね』と言いたげな顔はなんだったのだろうか。


 僕は一つ溜息を吐いて、とりあえず目の前で伏せたままの女性───リズさんに声を掛けることにした。


「あのー、リズさん?大丈夫ですか?」

「……ぶじゃない」

「え?」

「全然大丈夫じゃない……っ!」


そう言って顔を上げたリズさんの瞳は潤んでおり、頬は紅潮している。口から漏れる息も荒くとても苦しそうだが、それがまたいやに扇情的なのだ。


 普段と違う様子に戸惑うが、何かあったのかと尋ねてみる。

 すると彼女はこちらを鋭く睨みつけ叫んだ。


「なんなのよもう!ずっと鼻もズルズルするし目は痒いし苦しいし!」

「あぁ、花粉症……」


 さて、先ほど僕は彼女の美貌を褒め称えたのだが、それは平時の彼女のことである。今の彼女はその美しい容貌の 都会の隅の、裏通りにひっそりと建つカフェ『ロンド』。

 こじんまりとしたアンティークな内装とコーヒー、そして手作りクッキーが売りの、都会の喧騒に疲れた人々に穏やかな時間を提供する場所として日々営業している。


 今日は木曜日、夕方ごろ。

 マスターである僕はカウンターの向こうで一人食器を拭いていた。個人経営であるこのカフェには僕以外の従業員はいない。人を雇えるほどのお金がないというのもあるが、カウンター席に四人、テーブル席に六人程度の小さなカフェなので一人で賄えるというのもある。現に今も、客はテーブル席でゆったりとコーヒーを啜る常連のおばあさん一人だけだ。


 外で烏の鳴く声がする。壁掛けの時計に目を向けると短針が丁度六を指すところだった。最近は陽が落ちるのも随分遅くなって、まだ近所の公園ではしゃぐ子供たちの声が聞こえている。


 そろそろ、かな。


「ねぇ、マスターさん。何かそわそわしていないかしら?」 

「えっ……分かりますか。少し恥ずかしいですね」

「それは分かるわよぉ。そんなにドアの外を気にしてちゃあねぇ」


 席に深く腰掛け上品にカップを持ち上げる様はまさに貴婦人といった様子だ。しかし今こちらに向いている目は、少年のようないたずらっぽい目をしている。このおばあさんとは開店当時からの付き合い故にこちらのことは大抵見透かされてしまうのだ。


「この後友人が来る予定なんです。初めてここに呼ぶので緊張しちゃって」

「ふーん、友人ねぇ……」

「友人です」


 そんな他愛のないやり取りをしていると、入り口のベルがチリンとなった。

 ドアの方に目をやると、金色の光の粒子を纏った人型が入ってくるのが見えた。いや、正確には光を纏っているのではなく、の持つ長い金髪が陽光に照らされて煌めいているのだが。それでも彼女が光に包まれているように見えるのはその美貌にもよるのだろう。


 整った目鼻立ちにシミ皺一つないきめ細やかな純白の肌。アーモンド型の、碧色の双眸には穏やかな自然を思わせる深みがある。唇は色白な肌に映える鮮やかな紅に輝いていて不思議な色香を放っている。あの唇で形作られる微笑みに今まで何人もの男どもが虜になってきたのであろうか。


 人間離れした美貌、と評論家は評すだろう。

 それもその筈、


 彼女の姿を見た人は真っ先に目が行くであろう、横に細く長く伸びた耳。

 この特徴を持ち、類稀なる美貌を持つ種族───そう、彼女はエルフ。隣の世界からやって来た、新たな隣人の一人である。


 彼女は不似合いなスーツに身を包み、パンプスをツカツカと鳴らしながらこちらに歩み寄りカウンター席にどっかと腰かけた。そのまま腕を組みカウンターに突っ伏してしまった。


「ちょ、ちょっとリズさん起きてくださいよ」

「んぅ……やだぁ……」


 瞬間、おばあさんの瞳が光を放った(ように見えた)。

 今までのゆったりとした雰囲気はどこへやら、カップの半分近く残っているコーヒーを一息で飲み干したかと思うと傍らのコートとハンドバッグを素早く手に取り立ち上がって、


「そういえばペットのポチの様子をみないといけないからそろそろ帰るわね。代金はまた明日払うからツケといて頂戴。そうだわもうこの後にお客も来ないだろうし入口のサインも『CLOSED』に変えておくわね。それじゃあまた明日。美味しかったわ」


 そう一方的に言い放ったかというとそのまま風のように去って行った。ドアを抜ける際にこちらに見せた『あなたも隅に置けないわね』と言いたげな顔はなんだったのだろうか。


 僕は一つ溜息を吐いて、とりあえず目の前で伏せたままの女性───リズさんに声を掛けることにした。


「あのー、リズさん?大丈夫ですか?」

「……ぶじゃない」

「え?」

「全然大丈夫じゃない……っ!」


そう言って顔を上げたリズさんの瞳は潤んでおり、頬は紅潮している。口から漏れる息も荒くとても苦しそうだが、それがまたいやに扇情的なのだ。額から垂れた汗がカウンターに落ちて湿らせる。


 普段と違う様子に戸惑うが、何かあったのかと尋ねてみる。

 すると彼女はこちらを鋭く睨みつけ叫んだ。


「なんなのよもう!ずっと鼻もズルズルするし目は痒いし苦しいし!」

「あぁ、花粉症……」


 さて、先ほど僕は彼女の美貌を褒め称えたのだが、それは平時の彼女のことである。今の彼女はその美しい容貌の下半分をマスクで覆っており、キャンキャンと泣きわめく様子にかの美しいエルフの面影などなく、代わりに少女的な可愛さを持っている。


「向こうの森にもここまで悪質な花粉は無かったわよ……何故か浄化できないし」

「エルフの身体にはある程度の毒物を浄化できる免疫があるんでしたか」

「そうよ、しかも私の家系は先祖代々その作用が強いはずなのに」


 リズさんはそうぶつぶつと呟いているが、花粉症は異物を排除しようとする際に起るアレルギー反応だから、その体質が仇になっているということを伝えたらどんな顔をするだろうか。


「医者に診てもらえば良いでしょうに」

「嫌よ、なんか負けた気がするじゃない」

「そういうものですか」

「そういうものなの」


 こんなやり取りを交わしながら僕は既にドリップコーヒーを用意している。厳格な師匠仕込みのコーヒーは我ながら美味しい方だと自負している。


「どうぞ、お口に合うと良いですが」

「あら、ごめんね花粉症の話に夢中になっちゃって。これ目当てで来たんだから味あわないと」


 ソーサーにカップを乗せ、リズさんの前に差し出す。ついでに小皿を取り出し、お手製のクッキーを数枚乗せて隣りに並べた。

 リズさんはマスクを外し、両手で持ったコーヒーの表面にひゅうひゅうと息を吹きかけて冷ましている。少し口をつけて適切な温度になったことを確認すると中身を少し口に含んだ。神妙な顔をして小さく頷きながら味合われているのを見ると、まるで審査されているような気分がして自然と身が引き締まる。


 こくん、という音と共に飲み込んだリズさんは目を閉じて腕を組んだ。何やら難しい顔をしているので口に合わなかったのかと不安になる。


 そして、リズ開眼。ゆっくりと口を開く。

「鼻が詰まってるから味がよく分からなかったわ」


 杞憂だった。何にそんなに迷ってたんだ。

 気が抜けて脱力してしまう。その反動か自然と笑いが込み上げてきた。

 リズさんが慌てたように手を動かしながらこちらを見るが、その様子が小動物を思わせてまた笑ってしまう。いつしかリズさんも釣られて笑みをこぼし、しばらく店の中には二人の二重奏デュエットが響いていた。


 ひとしきり笑った後は隣に座って一緒にコーヒーを飲み、クッキーを食べた。こちらのクッキーは美味しいといってくれた。


 それから二人で様々な話をした。淹れたコーヒーはとっくに冷め切っていた。

 お互いの近況。昨日食べた料理が美味しかったこと。近所の野良猫に子どもが生まれたこと。そして、話題は二人の出会いへ。


「それにしても、あの時あなたが私に声をかけてくれなかったら今頃私はどうなってたんでしょうね」

「出会った頃のリズさん、とても引っ込み思案でしたからね」

「ほんとに。しかもいかにも異世界からやってきましたみたいなナリしてちゃ、変なのに声かけられるのなんて当たり前なのに」

「あの頃は丁度異世界人をターゲットにした風俗業への勧誘が問題視されていた時でしたから。僕が声を掛けてキャッチの二人から助けてあげてなきゃ今頃大変なことになってましたよ」

「もう、私だって怖かったんだからね。文字通り、右も左もわからなかったんだから。でも、そうね。だからこそあなたには感謝してるわ。それこそ言葉では言い表せないくらい」

「……」

「まさに命の恩人だもの。まるで私のための白騎士みたいだと思ったわ」

「『夢喰殺しの騎士』、ですか。そちらの伝説の」


 リズはふっと口元を緩める。


「そう……本当に物知りね、あなた。えぇ、お姫様の幸せな夢を喰い潰してしまう怪物を殺す英雄。まさにあなたのことだと思った」

「僕は別に、目の前で騙されている人がいたらその日夢見が悪そうでしたから」

「それだけじゃないわ、あの二人から助けてくれたあと、住む場所も手配してくれたし働く場所も提案してくれた」

「どちらも僕のお客さんのツテですよ。僕が何かしたわけじゃない」

「でもどちらもあなたがいなければ叶わなかった───ねぇ、私はあなたにとても感謝しているのよ?あなたに何か返してあげたいの」


 こちらの目を真っ直ぐに見つめる瞳に吸い込まれそうになる。どこか気まずく思った僕はつい目をそらしてしまう。そんな僕の様子に彼女は悲しそうに俯いた。


「私じゃ、だめ?あなたの力にはなれないの?」

「そういう、わけじゃ」

「……いえ、無理はしなくていいわ。私は感謝を伝えれたからそれで十分だもの。」

 自分に言い聞かすように呟く声は、震えていた。


 そうじゃない、そうじゃないんだ。自分の気持ちを伝えるだけなのに、口が思ったように動いてくれない。

 そんな僕の様子を彼女はどう思っただろうか。失望しただろうか。そうだったら嫌だな。


 「……私、そろそろ帰るわね。ご馳走様」

 「あっ……」


 リズは力なく呟いて立ち上がり、ふらふらと扉に向かって歩いて行く。

 僕は引き止めるように腕を伸ばすが彼女は振り返らなかった。

 悔しさに下唇を噛み締める。ここで終わりにしていいのか?いいや、いいわけないだろう!

 

「待っ……!」


 そんな最後の想いに突き動かされたのか、口から静止の言葉が飛び出た。

 リズが振り返る。顔が赤いのは今は花粉のせいではないのだろう。目が潤んでいるのも花粉のせいではないのだろう。全ては僕が引き起こしたことだ。ならば、責任を取らなければ!


「望みなら……一つある」


 その言葉にリズが瞳を大きく見開く。そして突き動かされるかのように再び僕の前まで戻ってきてくれた。

 僕の胸元までしかない、意外と小柄な体から精一杯見上げて来る瞳から溢れる感情が多過ぎて読み取り切れない。それでも僕は自分の気持ちをぶつけるだけだ。


「いや、望みなんてものじゃない。これは逆に、君へのお願いみたいなものだ」

「えぇ、えぇ!いいわ!ぜひ聞かせて!」


 さあ、ここまで来たらもう引き返せない。持てるありったけの勇気を振り絞れ!

 ふと、視界の端に、先程まで飲んでいたコーヒーカップが並んでいるのが目に入った。


「これからも、僕のコーヒーを飲んでくれないか!」


 間違えた。すっと顔から熱が引く。ついコーヒーカップに意識を持って行かれてしまった。僕が伝えたかった想いとは乖離してしまっている。思わず頭を抱えてしまう。

 彼女はどんな反応をしているだろうか。訳がわからないという顔をしているだろうか。気味悪がっているだろうか。怖くて見れない。


 それでも、好奇心が勝ってしまった。恐る恐る顔を上げると、リズが頬を真っ赤に紅潮させ、口元を抑えていた。


「そ、それは……」


先程と同じように震えた声。しかしそこに含まれる感情は先程とは違って聞こえた。


「それは、私に毎朝コーヒーを飲んでほしいっていうことかしら……!?」

「えっ……あ、そ、そうさ!」

「あ、あらら、ちょっと待ってね。心の整理がついてないの」


 そう言うと彼女はその場に蹲ってしまう。

 僕は少なからず安堵によって脱力してしまう。ワードチョイスは完全に間違えたが、本来の意図は汲み取ってくれたようだ。


「あ、あの、リズさん?」

「えぇ、えぇ、大丈夫よ。今落ち着くわ」


 彼女はそう言ってその場で深呼吸をして、ゆっくりと立ち上がった。

 こちらをちらりと見るが、すぐに恥ずかしそうに目を逸らしてしまった。そんな反応をされるとこちらも恥ずかしくなってしまうのだけれど。


「ふぅ……えぇ、もう大丈夫よ。そ、それでさっきの言葉は、プ、プロポーズって受け取っていいのよね?」

「はい、そうです。僕はリズさんのことがずっと好きだったんです!」


 僕の大胆な告白によってリズの顔が再び真っ赤に染まる。今度はすぐ立ちなおしたが。


「えっと、その、私も……好き、だから……。はい、お受けします」

 そう言って彼女は花のように微笑んだ。その笑顔はとても愛らしかったので、僕の身体は勝手に動き彼女を抱きしめていた。


「ねぇ、一つ聞いてもいいかしら。あなたはいつから私のことを好いていてくれたの?」

「一目惚れです。あなたの姿を見た瞬間に恋に落ちていました」

「そう、ならこれは運命なのね」

「はい、きっと」

「あぁ、なら私はきっと、お姫様よりも幸せ者なんだわ」


 二人は抱き合ったまま、その夜は更けていった。



 そんな二人の様子を窓から眺める人影が一つ。

「さてさて、一時はどうなることかと思ったけれど……老婆の心配で済んで良かったわねぇ」

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人外の居る日常 ペテロ @PETERO0515

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