第3話 SとM
あと二駅で解散、というところで彼女は僕に耳打ちをした。
「ねえ、今日泊まってもいい?」
「いいよ」
僕は彼女の頭を撫でた。新宿駅で降りると僕らは、西武新宿線に乗り換えて僕の家まで運ばれていく。強く手を繋いで。何度も見つめあって。何も語らず。
付き合い始めて半年が経ち、方向音痴の彼女もすっかり駅から僕の家までの近道を覚えた。途中のコンビニでお酒とおつまみを買う。彼女は家に着くのを待てず、先に缶チューハイを開けた。
家に着くと、僕は彼女を抱き締めてキスをする。彼女の華奢な体がお酒のせいか熱く火照っている。綺麗な髪の毛からはほのかに甘い香りがした。
彼女は笑いながら僕の手から離れる。僕の許可も取らず、踊るようにいたずらっ子の顔で勝手にタオルを取ってシャワーを浴びた。部屋着に着替えると、ベッドを背もたれにして床に座り、スマートフォンで好きな動画を観始めた。僕もシャワーを浴び、髪の毛を乾かすと冷蔵庫からお酒を取り出して彼女の隣に座った。彼女は気にせず、動画を観続けている。
僕はお酒を口に含むと、彼女の顎を掴んで無理やり口移しで飲ませた。彼女は受け取るのが下手くそで、口の右端から少し零れてしまった。彼女が恥ずかしそうに口を隠す。僕が彼女の耳を愛撫すると、彼女は僕に夢中になってキスをした。
僕たちはベッドに移り、いつものように抱擁し、互いの体を弄った。彼女は感じやすく、指のお腹でつつつーっと体を撫でるとひくひくと反応を示す。胸に触れると嬌声を上げて喜んだ。
それまで優しく彼女の体を愛でていた僕は突如、彼女の乳房を強く鷲掴みにした。殴打した。痛みに耐えるように彼女の声は大きくなる。艶を帯びて憐れだ。たまらなくなり、首過ぎに噛み付く。彼女はより、可愛い声で鳴く。
出会ったときは控えめで大人しい素朴な娘であったが、僕との交わりの中でどんどんと淫らに自分の欲望をさらけ出すようになった。僕のおかげではない、彼女は自らの秘めた才能に気付いただけだ。それに僕たちは相性が良かった。彼女には被虐趣味があった。そして僕は女が苦痛に歪む顔が好きだった。
僕の体の下でただ鳴いているだけの彼女が、珍しく何かを訴えるようにこちらの目を見つめる。
「なに」
「あのね、」
彼女がもじもじと布団で顔を隠す。
「ほら、はっきり言って」
乳首を強く摘まむと、キャッと彼女は叫んだ。
「あの、首を、絞めてほしいの」
「ちゃんと言って」
「私の首を絞めてください」
媚びる甘ったるい声だ。彼女はわざわざ顎を上げて首を絞めやすいように体勢を整えた。
「変態」
僕は彼女の細い首に両手を置いた。どくどくと血が流れるのを指に感じる。
「……」
「……」
「……?」
「あれ、絞めないの?」
僕が手に力を込めないので、訝しげに僕の顔を覗き込んだ。僕はいつもと同じことをしてはつまらないと思って、首を絞めるのをやめた。彼女の首から手を離し、彼女の隣に寝転んだ。
「そんなに首絞めてほしいなら、どうやってほしいのか僕にやってみせてよ」
僕の言葉に驚く彼女はそんなことできないよと顔を横に振って狼狽える。戸惑ってあわあわと何か言うばかりで、何もしてこない。無理やり彼女の体を抱き起こして自分の体の上に乗せた。
「はい、やってごらーん」
僕はさっき、彼女がやってみせたように顎を上げて首を相手に向ける。
「えー、そんな!やったことないもん、できないよ」
彼女のお尻を何度か叩き、顔を掴んで言う。
「僕の言うことが聞けないの?聞けるよね?」
彼女は僕の視線から目を逸らそうとする。きょろきょろと落ち着かない。
「聞けるよね?」
「はい……」
観念したように彼女は僕の目をそっと見た。怒られることを怯える子犬のような表情をしていた。震える小さな手で僕の首に触れる。体が強張っている。緊張しているのが伝わってきた。
「じゃあ、……やるよ?嫌だったらすぐやめるから言ってね」
そう言うと、ふーっと息を吐いて、指に力を込めた。
「ンン!?」
華奢な体のどこにそんな力があったのか、彼女がこんなに力があったとは思わなかった、などと考える余裕さえないほどに彼女の細い指が僕の首にぎちぎちと食い込んで痛く、呼吸が一切できず苦しい。苦しい。頭がぼーっとしてくる。もう息が限界だ。呼吸がしたい。苦しい。早く手を退けてほしい。彼女は目を開いて、僕の表情を食い入るように見つめている。
彼女の腕を強めに掴んだ。しかし彼女は全く僕の意思を理解せず、首を絞める手を弱めることなかった。手でベッドを叩く、声にならない声で喚いてみる、足をばたばたとさせる、体をよじる。全く彼女は止めてくれない。絞め続ける。
ああ、もう駄目だ。意識が飛んでしまいそうだ。目から涙が自然に落ちてきた。女にこんなことさせられるのは初めてだ。つらい、きつい、恥ずかしい。それなのに僕の体はやけに興奮を覚え、これまでにないほど膨張している。これは一体なんだ。この感覚はなんだ。彼女が僕の苦しそうな顔に欲情しているのがぼんやり見えた。これまでにない恍惚の表情で僕を見ていた。僕の心臓は胸を突き抜けそうなほどに鼓動している。僕は彼女に屈してしまったのか。そんな、まさか。
あと一歩で「落ちる」瞬間に、パッと彼女は手を放した。
ぜえぜえと息を吸って、呼吸を整える僕を無視して、彼女は噛み付くように僕にキスをする。何度も、激しく、本当に噛み付きやがった。僕の唇から血が出ている。
「いって……」血を拭う。
「ああ!ごめんね!痛かったよね、痛かったよね」
彼女は本当に申し訳なさそうに僕の頬を撫でたが、すぐに目の色を変えて同じところを噛み付いた。まるで餌を目の前にしたライオンのように獰猛な顔をしていた。僕はシマウマだったのか。そんなわけ、ありえない。
彼女は我慢できないとばかりにもう一度僕の首を絞めた。
今度はなんとか息を吸うことができた。
「くる、苦しい……まみ……やだ…」
なんとか発することのできた自分の声の惨めったらしさと言ったらない。耳に聞こえてきた自分の声を否定したかった。これは僕の声なんかじゃない。
「や、やだじゃないよね?きょうくん、さっき、喜んでたもんね?」
彼女はぐっと力を込めた。口を僕の耳元に寄せて、まみは言った。
「ちんちん、おっきくなってたよ……。こういうの好きなんでしょ」
僕は抵抗するように身を大きく揺する。それなのに、僕の体はさっきから何かが零れ落ちている。
「ねえ、認めちゃお……、まみにこうされたいでしょ」
また目から涙が落ちてきた。魚のようにパクパクと口を動かすも、もう声が出せず呼吸ができないでいる。頭が真っ白で何も考えられない。酸欠で、苦しいのに、なぜかすごく気持ちがいい。
彼女は手を放した。僕が必死に酸素を全身に吸い込もうとして咳きこむのを頭を撫でて見守ってくれた。僕の顔を彼女の胸で抱き締めた。
「きもちよかったでしょ?」
僕はもう嘘をつけなかった。
「すごく……きもちよかった」
よだれが唇の端から零れるのを感じる。
彼女は満足気に僕の頭を撫でて言った。
「また、やろうね」
僕はその言葉を聞くだけで体が熱くなる。僕たちは昨日までの僕たちと全く違う関係になってしまった。もう二度と戻れないだろう。
春、家に籠りて。 清水優輝 @shimizu_yuuki7
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