第8話 ダ・カーポ

 入道雲が、嫌という程に大きく夏の空に浮かんでいる。

その、入道雲が作り出す影に恐怖心すら湧いて来た。

その入道雲の影をなるべく避けながら、事務所に向かった。

事務所は、いつもエアコンが効いて快適だった。

奥の衝立に仕切られたソファに腰をかけた。

暫くして、佐田さんが来た。

「田口くん、来年のフェスも決まった事やし、あのフェスに出ると一気に知名度が広がるやんか?」

「はい」

「で、夕方のステージっていうのも田口くんのスタイルに合ってて、田口くんの歌に味が出る演出になると思うねん!

そこでやねんけど、勿論事務所内でも賛否両論の声はあるんやけど、それでも反対意見を社長が押し切ってくれて来年のフェス終わりに、田口くんの曲のリリースを考えてるねん」

「本間ですか?」

「うん!ただ、それは確実じゃないし田口くんはまだ、実績が無いから今日から一年間ずっと曲を作りを続けて行くっていう作業をしなあかんねん!

それに、こないだの時よりかなり大変になってくるのは、確実や!

リリースの話も確実なものじゃないから、この話を受けるかどうかは田口くんの判断に任せようと思うねんけど、どうする?」

僕は、素直にお願いしますと言えなかった。

何故なら、亜美に今後はなるべく自宅で作業すると約束したからだ。

「もし、リリース出来へんかった時にしんどいのは、田口くんやし

リリースが確実な時期になってからでもいいよ?」

佐田さんのこの気遣いの言葉の裏に、「プロの意識は持ってるよな?」という言葉が、隠れている気がした。

以前、金田さんが言っていたように真鍋社長は、本当に仕事が出来て僕にとってもおいしい話をたくさん持ってきてくれるのは、有難い事だが、その真鍋社長の気遣いが、僕を雁字搦めにする。

「・・・やります!

もし、リリース出来へんくてもこれからの一年の経験は絶対に武器になると思うので、やらせて下さい!」

僕は、返答するまでの短い時間の間に色々と頭を動かして考えた。

確かに、この話を受ければ亜美と過ごせる時間は極端に減ってしまう。

しかし、自分の昔からの夢を叶える為でもあり、断る訳にはいかない。

それに、亜美と過ごす時間が、減ると言っても三六五日、四六時中、亜美に会えない訳ではない。

一緒に過ごせる貴重な時間を大切に使えば良い。

そして、何より亜美は、何度も僕の音楽活動を応援してくれていると言ってくれれていたのだからきっと、この話も納得してくれる筈だ。

僕は、そう思いこの話に対して縦に首を振った。

「よし!じゃあ、大変やろうけど事務所側も全力でサポートするから頑張っていこう!」

「はい、ありがとうございます!」

帰りの電車の中で、今後の僕の人生が怖くなってきた。

亜美の事は、勿論だったが、こんなにも音楽活動がとんとん拍子に進んでいる事が怖かった。

亜美の自宅の最寄りの駅に着いた。

お祭りの日、亜美と歩いた道が途中で途切れているように見えてきて、この先には全く違う道が広がっているのではないかと、際限のように感じた。

汗でTシャツが背中にくっついて気持ちが悪かった。

時折、背中のTシャツを摘んで、背中からTシャツを浮かばせてみたりしたが、手が届かない部分は、依然として気持ち悪さが残っていた。

そんな事をしながら歩いているうちに、亜美の自宅に着いた。

玄関を開けると、下駄箱の上のアリクイの親子が出迎えてくれた。

「おかえり」

亜美の声が、部屋の奥から聞こえた。

「ただいま!」

「事務所行ってたんやろ?」

「はい、行ってました」

「何の話やったん?」

「来年のフェスに出たら知名度が上がるかもしれへんくて、まだ確実ではないんですけど、一年後に曲のリリースする予定になった話でした」

「曲リリースするん?凄いな!確実に夢に近づいてるな」

「はい!

・・・・でも、その代わりこの一年はかなり忙しくなって、大変な一年になると思うんですよ」

「じゃあ、今よりも一緒に過ごせる時間は減るん?」

「そうなってしまいます・・・

でも、全然帰って来れへん訳じゃないですし、時間作って色んな所に遊びに行きましょう!」

「・・・うん。じゃあ、花火大会はいつ行くん?」

「亜美さんは、再来週から仕事が夏休みに入るんですよね?」

「うん」

「こないだ、花火大会の事色々調べてたんですけど、再来週に琵琶湖花火大会があるんで、それ行きませんか?」

「いいよ。でも、遠いけど大丈夫なん?」

「その日は、僕が車出すんで大丈夫です!」

「本間に?ありがとう」

この日は、久しぶりに亜美と一日を過ごした。

最近は、お互いが別々の時間を過ごしていたから本当なら話す事がたくさんあった筈なのに、以前のように会話が弾む事は無かった。

夕食の少し前に、亜美が食材が無いので一緒に買いに行こうと声を掛けてきたので、二人で近所のスーパーに向かった。

昼間の入道雲に抱いた感情が的中したかのように、昼間のギラギラとした日差しに焼かれたアスファルトから雨の匂いが立ち上っていた。

「雨降りそうですけど、傘持って行った方がいいですかね?」

「直ぐ近くやし、買い物だけさっと済ませたら大丈夫ちゃう?

傘も荷物なるし、パッと買い物行ってしまおう!」

僕達は、早歩きでスーパーに向かった。

早歩きをしていても僕と亜美の歩幅は同じで、ずっと並んで歩けた事に少し安堵した。

スーパーに入ると、僕はカゴを持って食材を選ぶ亜美の後ろをついて歩いた。

亜美は、生姜焼きの材料を淡々と僕の持つカゴに入れていった。

僕と亜美は、夕立に合わない様に終始忙しなく動いていた。

会計を済ませスーパーを出て少し歩いた所で、夏の薄暮の曇天が唸り声を上げたと同時に、空が光り大粒の雨が僕達を叩きつけた。

亜美は、曇天の唸り声に怯えて僕の腕を痛いほど、強く掴んだ。

亜美が怯えた事により、その場に立ち竦んでしまった僕達は、一瞬のうちに雨に濡れた。

「亜美さん、大丈夫ですよ!風邪引いたらアカンから早く帰りましょう!」

「うん。」

亜美が過去のトラウマで、前触れも無く大きい音が鳴る事が苦手なのを知っていたのだから自宅を出た時に、雷が鳴る事を予想して、亜美が怯える事の無い様に一人でお使いに行けば良かったと後悔した。

いや、自宅で急な雷鳴に怯えている亜美の姿を想像するのも何だか嫌だ。

僕達は、自宅まで走った。

帰り道は、二人の歩幅が合う事はなく、僕が亜美の前を走っていた。

自宅に着くと、僕達は交代でシャワーを浴びてから夕食を食べた。

亜美が、作ってくれた生姜焼きは美味しかったが、その生姜焼きの横の味噌汁には、じゃがいもは入っていなかった。

「あ!涼太くんごめん。味噌汁にじゃがいも入れるの忘れてた」

「全然大丈夫ですよ。じゃがいも無くても美味しいんで!」

「本間?ごめんな。明日は、涼太くん事務所行くん?」

「明日は、行かないです。一日家に居てますよ」

「そうなんや。私は明日出掛けるからご飯自分でやってな」

「分かりました。朝から出掛けるんですか?」

「うん!もしかしたらまた、夜ご飯も涼太くん一人になるかも」

「それやったらまた、夜ご飯は外で食べるって決まったら連絡下さい」

「分かった」

「明日は、何処行くんですか?」

「明日は、知り合いに話聞いて欲しいって言われたから多分、カフェとかちゃうかな?」

「亜美さんに話聞いてもらったら何か元気出るから、その人も亜美さんに話聞いてもらいたいんですよ!」

「私は、別にそんな立派な人間じゃないよ」

夕食を食べ終えて僕は、亜美との限られた時間を一緒に過ごす為に、この日はゆっくりとしていた。

翌日、僕が目を覚ますと亜美は既に出掛けていた。

顔を洗い、食パンにバターを塗り、トーストにして食べた。

亜美の居ない部屋の中は、驚く程静かで「シーン」という音が聞こえてきた。

朝食後からは、Martin 0-18を手に取り片手にペンを持ちテーブルにはルーズリーフを広げて、歌詞を書きながらコードを付けていくという作業を永遠としていた。

僕は、タバコを吸おうと思いベランダに出ようとしたが、台所の換気扇の下でタバコを吸う事にした。

本当は、亜美から室内では、タバコを吸わないで欲しいと言われていたが、ここ最近は、せっかく二人で過ごせる数少ない貴重な時間であってもご飯を食べてる時間以外は然程、会話が無かった。

だから、亜美が帰宅した時にアメスピの苦い匂いが、部屋に残っていたらきっと怒られるだろうが、そこから何かの会話が生まれるのではないだろうかと思った。

換気扇のスイッチを入れた。

弱だとアメスピの匂いが残り過ぎてしまうし、強だと匂いが消されてしまってはいけないと思い僕は、換気扇を中で回した。

換気扇が、回る音に僕は吸い込まれた。

僕が小学生低学年の頃の夏休みに石田達とよく市民プールに行っていた。

ある日、いつものように市民プールの帰りに入り組んだ住宅街を家路へと向かって自転車を走らせていた。

当時、僕達が乗っている自転車は六段変速が主流だったにも関わらず、石田の自転車は七段変速の自転車だった。

僕達は石田の七段変速に憧れていたが、石田がその七段変速に乗せてくれる事は無かった。

今思うと、当時、六段変速でギアを六にしてもペダルを回すのがきつかったのに、石田は実際にギアを七に入れて走った事はあったのだろうか。

だが、この日、市民プールからの帰り道に僕たちはギア六で走ったが、誰一人として石田には追いつけなかった。

入り組んだ住宅街を走っていると、醤油の匂いが煙に混ざって鼻の奥まで届き、何故か母親の顔が浮かんだ。

僕達は、石田に追いつこうと懸命に自転車のペダルを回した。

住宅街を抜けると、たこ焼き屋があり、醤油の匂いとはまた違って、今度は油が鉄板の上でソースを焼く匂いがした。

僕達は、自転車を停めて一生懸命つま先立ちをして、たこ焼き屋を除いた。

すると、金髪の活気のあるお姉さんが「一つずつあげるわ!」と言って鉄板の落とし穴に落ちているたこ焼きを慣れた手付きで、爪楊枝に刺して僕達にくれた。

敬語というものをまだ、知らなかった僕達はお姉さんに「ありがとう」と言った。

お姉さんは見た目とは、似つかわしくない優しい笑顔を見せてくれた後に「今日の夕日凄いなぁ」と言った。

僕達が、振り返って空を見上げると真っ赤で大きな夕焼けが燃えていた。

僕達の顔も赤くなっていた。

あの時の僕達は、夕日に照らされた事が原因で顔が赤くなっていたのだろうか。

この日、新曲の歌詞は書けたが、曲は出来なかった。

そして、亜美から連絡が来た。

「やっぱり、今日は夜ご飯も食べて帰るわ」

「分かりました。お知り合いの話ゆっくり聞いてあげて下さい

それと、帰ってくる時は気をつけて帰って来てくださいね!

もし、あれやったら駅まで迎えに行くんで連絡下さい」

しかし、亜美から連絡が来る事はなく、亜美はこの日帰って来なかった。

翌日、佐田さんに呼ばれて僕は事務所に向かう事になったが、自宅を出る時もまだ、亜美は帰って来ていなかった。

事務所のいつものソファで佐田さんが待っていた。

「お疲れ様!」

「お疲れ様です」

「来月やねんけど、京都のライブハウスでシンガーソングライターだけを集めたライブがあんねんけど、それに田口くんも声掛かったから出てくれへんかな?」

「はい!勿論出させてもらいます!」

「そこで新曲やってもらいたいねんけどいけるかな?」

「はい!来月やったら時間もまだ、何とかありますし大丈夫やと思います」

「分かった!とりあえず、来月までの一ヶ月は新曲を一曲作るのに力を注いで行こう!」

「了解です!」

佐田さんに挨拶を済ませて事務所を後にしようとした時に、金田さんと会った。

「おぉ!お疲れ!打ち合わせ?」

「はい、そうです!今、終わりましたけど、金田さんは今日は一人ですか?」

「うん!ギターとかベースやったら家で練習出来るけど、ドラムはなかなか家では練習出来ひんから事務所に叩きに来てん!」

「成る程!」

「この後何かあるん?時間あるんやったら一人で練習するのもあれやし

喋り相手になってくれよ!」

「全然良いですよ!」

僕と金田さんはスタジオに向かった。

スタジオに入ると、金田さんはport&portのデモ音源を流して、その曲に合わせてメトロノームを鳴らし、直ぐにドラムを叩き出した。

金田さんは一時間の間、一度も手を止めて休む事なくドラムを叩き続けた。

最後にシンバルを細かく叩き、徐々に小さな音にして行き静寂にした。

「よし!一旦休憩にするわ!今からお前の出番や!喋ろう!」

そう言うと金田さんは、僕の横に腰かけた。

「何か、順調に色んな話来てるらしいやんか!」

「はい、有難い事に色んな話頂いてます」

「だって、来年に曲リリースするかもしれへんのやろ?凄いな!」

「いえいえ、決定してる訳じゃないんで」

「でも、前に言うた通りやろ?切っ掛けさえあれば、お前は絶対売れるって!」

「はい!でも、その切っ掛けは金田さん達に作ってもらったようなもんなんで、

本間に感謝してます」

「でも、ここ最近は前よりも忙しそうにしてるけど、亜美さんとはどうなん?

ちゃんと、改めて告白したんか?」

「それが、まだ出来てないんですよ」

「まだしてないん?早よしろて!」

「それが、こないだ金田さんに言われてから相手も言うて欲しそうにしてるんかなと思って、何回か言おうと思ったんですけど、その度に音楽活動応援してるって言うてくれて、そっちを大切にして欲しいって言うから僕も相手の気持ち尊重した方が、良いのかなと思って中々言うタイミングが分からないんですよね」

「まぁ、二人にしか分からん空気感とかもあるからあんまり、偉そうな事言われへんけど、それでもちゃんと告白された方が、相手も田口の気持ちを分からん状態でずっと過ごすよりは、気持ち楽なんちゃう?」

「そうですよね・・・

昨日、亜美さん朝から出掛けてたんですけど、結局今日、僕が朝家出る時もまだ、帰って来てなかったんですよ」

僕は、この日ずっと、心の中で悶々としていながらそれを無理矢理考えないようにしていた事を金田さんに話した。

「・・・誰と出掛けるんか聞かんかったん?」

「聞きました。知り合いに話聞いて欲しいって言われたって言うてました」

「知り合いって言い方が広過ぎやなぁ・・・」

金田さんは、独り言のように呟いた。

「それさ、初めての事?」

「帰ってこうへんかったんは、初めてですけど、こないだのライブの次の日も知り合いとランチ行くって言うて行ってたんですけど、夜ご飯も食べて帰るって連絡ありました」

「その日は、夜ご飯食うて帰って来たんやんな?」

「はい」

「何時頃帰って来たん?」

「終電間際くらいやったと思います

でも、ライブの日に本間は二人で夜ご飯食べる予定やったんですけど、僕が打ち上げに出ないとアカンくなって、ちょっと空気悪くなってたんですけど、知り合いとご飯から帰ってきてからいつもの表情やったから気分転換出来て良かったなと思ったんです」

「・・・・・それってさぁ・・・やっぱりええわ!

付き合わせて悪かったな!とりあえず、今日は直ぐに帰れ!

ほんで、今日中にちゃんと告白しろ!分かったな?」

「はい・・・・」

僕は、金田さんに半無理矢理にスタジオを追い出されて事務所を後にした。

僕は、帰りの電車の中で外を眺めていた。

車窓に映る大阪の街は壮観としていて、大きな赤い夕日は、脆弱な人間を街ごと飲み込もうとしていた。

僕は、この壮観とした大阪の街で茫洋とし寂寥感を肩に乗せて、重たい心身を引きずり歩く一人の敗北者のように感じた。

最寄り駅から亜美の自宅までを歩いている時、金田さんが言いかけた言葉をずっと考えていた。

本当は、考えなくても何を言おうとしていたのかは、分かっていた。

しかし、自分に嘘をついて分かっていないフリをしておきたかった。

そうやって、惚けている方が楽だと思った。

僕は、幼い頃からずっとそうだった。

学校の教室や公園で、不器用な性格から嫌な事を言われてもその言葉の意味を理解していないフリを決め込み惚けたフリをして、家に帰って一人布団に包まっていた。

音楽活動を始め出してもそうだ。

port&portと仲が良いだけだと、周囲のミュージシャンから陰口を叩かれていても聞こえていないフリをしていた。

そんな、僕に対して初めて真剣に向き合ってくれた女性が、亜美だった。

だから、僕は亜美との事に関しては、今までのように惚けたフリをしてやり過ごし、何となく時間が過ぎ去って行くのを待っている訳にはいかない。

亜美に改めて告白をして、今までどれだけ迷惑を掛けても僕に寄り添ってくれた事を謝り、僕の気持ちを伝えて、もう一度二人の時間の過ごし方について話そうと決意を固めて、玄関の扉を開けた。

玄関を開けると、アリクイの親子の子供が反抗期に入り親子関係に亀裂が入っているような雰囲気を醸し出しているように見えた。

玄関から部屋に向かうと、亜美がテレビを見ていた。

「おかえり」

亜美は、テレビの画面を見たまま言った。

「ただいま」

僕も亜美の方は見ずに、洗面所に向かいながら返事をした。

僕は、洗面所で手を洗い、顔も洗って気合を入れた。

鏡には、以前見た売れていないミュージシャンの顔つきの僕はいなかった。

リビングに戻り亜美に声を掛けようとした時、亜美がこちらに体を向けて話掛けてきた。

「涼太くん!話したい事あるからテーブルの方に座って!」

亜美の声は、無駄に大きく感じた。

「分かりました」

僕は、言われた通りにいつも亜美と一緒にご飯を食べるテーブルに腰を掛けた。

「・・・・・・」

亜美は暫くの間、俯いたままだった。

部屋には、時計が時間を刻む音だけが響いた。

「話ってなんですか?」

僕が、問いかけた。

「・・・・私らって付き合ってるん?付き合ってないん?どっちなん?」

僕が、想像していたよりも複雑で目には見えない心の様々な感情の糸が、絡まったまま口から飛び出した亜美の質問に、何と答えれば良いのか分からなかった。

何と答えるのが正解なのだろうか。

変な駆け引きなど、到底出来ない僕には、自分が思っている事を嘘偽りなく正直に話す事しか出来ない。

「付き合ってないと、僕は思います・・・・」

「じゃあ、何なん?この関係って変やんな?」

「変です。でも、僕は亜美さんの事好きですよ!」

「じゃあ、なんで告白してくれへんの?

いつになったらちゃんと、言うてくれるんか待ってたけどもう待たれへん!」

「・・・・この話されてから言うのは、後出しで卑怯やと思われるかもしれないですけど、本間は今日ちゃんと改めて告白しようて決めてたんです」

「・・・遅いよ・・・涼太くんは、さっき私の事好きって言うてくれたけど私はもう分からん!最近の涼太くん見てたら涼太くんの事が本間に好きなんか分からんくなってきた!

音楽活動が良い感じになってきてから本間はもっと頑張らないとアカン時期やのに、家におる時は音楽の事何もしてないやん!

前やったらどれだけ時間無くても絶対に時間作って、音楽の事頑張ってたやん!

私は、どれだけ周りから批判されても自分の夢を叶える為に、努力して頑張ってる涼太くんが、好きやった!」

僕は、事務所に所属をして、音楽活動が少し軌道に乗ってからも以前と変わりなく努力をして頑張っているつもりだった。

事務所に所属してから、一日の中で音楽と向き合う時間が以前より極端に増えた事もあり、休める日にしっかり休んでいた。

また、それは僕自身の中では、中々二人の時間を作る事が出来ない中で、亜美と一緒に時間を過ごす為にもそうしていた。

しかし、それは付き合ってからする事であり、そもそも付き合っていない人間がこんなにも自分勝手な気遣いをしている事が、間違っていたのかもしれない。

「それに、この前のライブでも見に来てくれてた女の子に酷い言い方して暴言吐いてたのも、自分が売れたと勘違いしてちょっと天狗になってる気もする!」

亜美から見ると、亜美と出会った頃の環境に僕は居ないようだった。

僕は、無意識の内に新しい環境に居るようだった。

だとしたら僕が今居る環境は一体何処なのだろうか。

「亜美さん、確かに暴言吐いたのは反省してます。

けど、天狗になってるとかは、絶対にないです・・・」

僕の言葉は、初声を上げた雛のように弱々しかった。

その声量は、あまりにも小さ過ぎてミュージシャンの喉から出たものとは、思えなかった。

「天狗になってないんやったら何で急に曲調変わったん?

自分のやりたい事妥協したんちゃうん?」

「あれは、妥協とかじゃなくて、プロとしやっていくには、今までの曲では全然世間に出せる物じゃないから追求した結果、あの曲調になったんです」

「でも、私は何も心動かされへんかった。

初めてライブで聞いた歌の方が、心動かされた」

僕は、音楽で、歌で人の心を動かしたい。

新曲は、亜美との楽しかった思い出をイメージして作り、今までとは違う曲調のものが完成した。

しかし、その曲で亜美の心が微塵も動く事はなかった。

ましてや、亜美は僕の好きな人だから余計に辛い。

「・・・それと、彼氏が出来たからもう、涼太くんと一緒に住まれへんねん」

「・・・・・はい、分かりました。

荷物もそんなに無いんで、直ぐ出て行きますね」

金田さんが言いかけた事、僕が考えないように惚けていた事、戦々恐々としていた事が亜美の口から出た。

「・・・・涼太くん勝手な事ばっかり言うてごめん・・・・」

亜美は少し冷静さを取り戻した。

「全然、大丈夫ですよ。

寧ろ亜美さんの方こそ僕に嫌っていう程、迷惑掛けられたと思いますし、その度に僕の事を肯定してくれて、寄り添ってくれて、僕みたいなどうしようも無い奴の歩幅に合わせて歩いてくれてありがとうございました」

「・・・本間にごめん・・・

涼太くんと一緒に住み出して暫くして、元カレからより戻したいって連絡来て、

ずっと無視しててんけど、この前のライブの後に涼太くんが打ち上げに行って、一人で家におった時に電話掛かってきて、次の日会っちゃってん・・・」

「何で謝るんですか?

別に僕ら付き合ってなかったから、亜美さん何も悪い事してないですよ!

約束破って打ち上げ行ったんも僕が悪いですし、亜美さんは何も悪く無いですよ!」

僕は、涙が止まらなかった。

「昨日も駅まで迎えに来てくれるって連絡くれたのに、私は既読無視して結局朝帰りして・・・涼太くんの事を応援するって言うたのに・・・

多分本間は、どんどん有名になって行く涼太くんに自分が相応しく無いと思って私では、支きれへんと思って怖くなってきてん・・・・本間にごめんなぁ」

亜美は、呼吸をするのもやっとな程に泣いていた。

「もう、謝らんといて下さい!!何で、そんなに謝るんですか?

誰も悪くないでしょう?謝るの辞めましょう」

本当は、全て僕が悪い事は気づいていたが、この時、僕がそれを亜美に伝えると返って亜美は自分自身を責めるのでは無いかと思い嘘をついた。

亜美との関係は悠久のものだと思っていた。

僕は、亜美と出会ってからの新しい環境に順応する事が、亜美にとって一番幸せな事で、自分も強くなれる事だと考えていたが、僕達は最初からすれ違っていた。

人は、言葉で伝えないと伝わらない。

伝えたとしても、言葉の意図が何処まで相手に伝わっているかなんて分からない。

僕は、三日後に荷物も全て出し終えて亜美の自宅を出た。

レコードプレーヤーを一緒に買いに行く事はなかった。

もう、二度とここに来る事はないだろう。

亜美の自宅を出た事を知った金田さんが、心配して連絡をくれた。

「田口大丈夫かぁ〜?今日、暇やったら飲みに行かへん?」

一人で居る時間が、暗鬱で仕方が無かったので金田さんからの連絡が嬉しかった。

「是非、お願いします」

この日は、金田さんと久しぶりに地元の居酒屋で飲む事になった。

金田さんがport&port以前のバンド時代で、僕が音楽活動を初めて間もない頃によく連れて行ってもらっていた居酒屋に行った。

居酒屋の暖簾を潜ると、店主が喜んだ。

「おぉ!久しぶりやな二人共!

金ちゃん偉い有名人なって、涼ちゃんも最近よく名前聞くで!」

店主だけでなく、他のお客さん達も金田さんに騒ついていた。

中には、僕の事を知ってくれている人も居た。

「全然まだまだやで!おっちゃん、個室使っても良い?」

「なんや、金ちゃん有名人なったらやっぱり個室なんか?」

「そんなんちゃうねん!ちょっとプライベートの話したいから」

「冗談や!全然勝手に使って!」

「おっちゃんありがとう!」

そう言ってカウンター席を抜けて、一番奥の個室で飲む事になった。

この日は、生中ではなくハイボールを注文した。

「で、家出る事になった理由ってやっぱりお互い口には出さんかったけど、俺らが思ってた通り?」

「一番の大きな理由はそれですね。元カレとより戻したみたいです」

「きついな・・・だから結局知り合いっていうのが、その元カレやったんやな」

「そういう事ですね。

それと、亜美さんは最近の僕が音楽活動を前より疎かにしてる風に見えてみたいで、事務所に入る前の頑張ってる僕が好きやったって言うてました」

「何やそれ!まぁ、でも俺らの職業って裏の部分は評価されへんからな!

作り上げた物に評価がついて、それだけが世間には見えるから仕方ないとは言え近くに居てる人間には、裏の部分もちゃんと見て欲しいって思うよな」

「それに、僕は自分の都合で亜美さんと一緒におれる時間が、少なくなってしまったから自宅におる時はなるべくその時間を大切にする事が、亜美さんの為やと思ってたんですよ」

「小ちゃいすれ違いやねんけど、気がついた時には自分の思念と相手の気持ちが大きく広がってて取り返しのつかへん事になる時あるもんな。

前にも言うたけど、受け取り側がそう捉えてたらこっちが何言うても相手はそれが全てやからな」

「ほんで、本間は自分が悪い事も分かってるんですよ。

亜美さんの優しさにずっと甘えてたし、気持ちを伝える事もどっかで音楽が忙しいからって理由にしてんのも、本間は自分で全部気づいてたんですよ」

「それは、確かにそうやけどちょっと自分の事責め過ぎちゃうかな?

結果としてはすれ違ってしまったけど、お互いが、お互いの事を好きでちゃんと考えてたからこそのすれ違いやと思うし、俺は別に田口も亜美さんも誰も悪くないと思うけどな」

「そうですかね?」

「うん。

これ言うてしまったら元も子もないけど、今回の事はマジで仕方ないと思う!

それに、別に田口だけが良い思いした訳じゃないと思うし!

亜美さんだってお前と過ごした時間は楽しかったと思うで、それこそさっき言うた裏を見ようて話じゃないけど、結果辛い終わり方したけど、そこまでの日常は楽しい事も一杯あったやろ?

どんなバッドエンドも過程が大事やねん!

俺は、人間は最後皆んな死ぬから人生ってバッドエンドやと思ってんねん!

でも、その死ぬまでの人生でどれだけ楽しめるか、残された人達の記憶の中にどれだけ死んだ人間との楽しい思い出が残ってるかが大切やと思うねん!

だからお前も亜美さんも本間にお互いが純粋に好きで、無垢過ぎただけやと思う!」

「ありがとうございます・・・」

この日、金田さんは僕を励まそうと熱い話を色々としてくれていたが、途中から記憶が無かった。

目を覚ますと、金田さんの自宅に居た。

「あ!優樹!田口くん起きたよ!」

金田さんの彼女の夏奈さんが、酩酊して死にかけていた僕が生還した事を金田さんに伝えた。

「田口おはよう!お前昨日の事覚えてる?」

「んー・・・・

金田さんが、皆んなバッドエンドやって話してたとこまでは、思い出せます」

「まぁまぁ序盤やな!昨日ペース異常やったもんな!

なっちゃん、ちょっと水持ってきたって!」

「分かったー!」

夏奈さんが、コップに水を入れて持って来てくれた。

「ありがとうございます」

「田口くんの分も朝ご飯あるねんけど、食べれる?

食べれそうになかったら全然無理せんでも大丈夫やけど」

「せっかく作ってもらったんで頂きます」

夏奈さんが、作ってくれた味噌汁を飲むと、色んな思い出が蘇ってきて胃の底に溜まっていたアルコールが、一気に融解された。

朝食を頂いて僕は、金田さんの自宅を後にした。

そこからは、来月のライブの曲作りに追われる日々だけが、過ぎ去って行く毎日だった。

ふと、カレンダーを見ると琵琶湖花火大会の前日だった。

僕は、亜美と花火大会に行く約束をした事を思い出した。

自分勝手な行動だとは、分かっていたが最後に亜美との約束を守りたいと思い亜美に連絡をした。

「明日の花火大会なんですけど、最後に行きませんか?」

直ぐに亜美から返信が来た。

「私から行きたいって言ったし約束したから最後に行こう」

翌日、亜美に僕の自宅の最寄り駅まで出て来てもらい、そこから亜美を車で拾ってから琵琶湖まで向かった。

花火大会の会場には、多くの浴衣を来たカップルが集っていた。

花火がよく見える場所を確保する為に、何時間も前からレジャーシートの上に居たのか、異常な程に発汗しているカップルも少なくなかった。

開催時間になり、花火が打ち上がった。

花火の音がお腹の底にまで、響いて来た。

花火の音に亜美が怯えないか少し心配になった。

花火大会は、いよいよ佳境に入り数十発もの様々な色の花火が打ち上がり、一瞬夜空の花が、枯れた後、大きな花火が一発打ち上がって花火大会は幕を閉じた。

先程まで、色鮮やかに様々な色が彩っていた夜空が嘘みたいだった。

夏の夜空の筈なのに、寒空の澄んだ雲一つ無い空のように何処までも広がり、深く覆い被さるような漆黒のキャンバスに夏の大三角形が、僕たちの今までの日常が全て伏線になっていた事を回収するように点と点が結ばれている。

そして、耳を澄ませば昼間の暑さの青臭い草いきれが残り香として音を立てていて、その中に僅かな秋を感じて、僕はまた、亜美の横で焦燥としていた。

この心の空虚感を誰かが埋めてくれると思っていた。

それが、亜美だと信じていた。

帰りの車の中で僕は、亜美に質問した。

「もう、彼氏さんと住んでるんですか?」

「・・・ううん。」

「そうなんですね・・・ていうか、今日来ても大丈夫やったんですか?」

「・・・うん。大丈夫。・・・・・私、遊ばれてたみたいやし」

「・・・どいう事ですか?」

「何か、私と別れてから直ぐに新しい彼女出来たみたいやねんけど、今も付き合ってるみたい・・・」

「・・・・何でそれ、分かったんですか?」

「一緒に住もうって言うたら彼女おるから無理って言われた・・・」

「・・・ショックですよね・・・・」

何と声を掛けるべきなのかが、分からなかった。

花火会場に来ていた人達が一斉に駐車場から出たので、信号が青になっても道は渋滞して一向に前に進めなかった。

その時間が異常に長く感じた。

「亜美さん!」

僕は、頬を膨らまして白目を向いて亜美がよくしていた変な顔をした。

この行動が正しいとは、思わなかったが、この時は、これが僕に出来る精一杯の事だった。

亜美は、少し笑った。

「涼太くんちょっと、違うで!こうやで」

そう言って亜美は、同じように変な顔をした。

僕達は渋滞で進むことの無い車内で、お互いの顔を見て大袈裟な程にわざと大きい声を出して、笑った。

夜半過ぎにようやく亜美の自宅に着いた。

「涼太くん約束守ってくれてありがとう」

「こちらこそ、今日はありがとうございました。じゃあ、おやすみなさい」

「ちょっと、待ってて!」

そう言うと、亜美は階段を駆け上がり自宅へと何かを取りに向かった。

息を切らして戻って来た。

「これ、アリクイ!」

僕がお使いの序でに勝手に買って帰り、亜美に叱られたアリクイの親子のオブジェだった。

「すみません!亜美さんの家出る時に持って出るの忘れてました」

「これ、私が年上やからお母さんの方持っとくから涼太くん子供の方持って帰って」

僕はこのアリクイの親子が、記憶の何処かで亜美との日常が幻では無かった事を証明してくれるのではないかと思いアリクイの親子を購入した事を思い出した。

「分かりました。子供の方は僕が持っときます」

「本間は、親子は、一緒におらなアカンねんで!じゃあ、気をつけてね!」

「はい、気をつけて帰ります」

帰りの車の中で、「本間は、親子は、一緒におらなアカンねんで」この言葉の意図は何だったのか、気になったが多分意図なんて無いと思う。

言葉のままだと思い、考える事を辞めた。

 一月が経ちライブ当日になった。

僕は、関西で活動するシンガーソングライターだけが集められたライブのトリを任せられた。

ライブ当日までの一ヶ月間、色んな事があったが、その中で作り上げた新曲の

『慢性的惰性』という歌を歌った。


冬の空のように澄んだキャンパスに

すみれの花が散らばり夏が終わるんだ

湖畔の波紋みたいに君に愛が広がって

夜の熱風に吹かれた臆病な僕はアホ


格好つけてみても経験不足の僕は

君に緑茶一本を買ってあげられるくらいで

ネットに載ってる見知らぬ奴の情報で

君を人混みからリードしようとして失敗する


昼間の草いきれが残る茂みで

君の前を歩いている僕は手を握れないから

手首を掴んで引っ張って歩いた

本当の2人ならば浴衣を着て歩いている

精一杯のいつも通りの中で今日は

一番おしゃれをした2人なんだ


歌い終わると、声援と拍手の中に亜美の姿が見えた。

直ぐに、観客席に向かって亜美を探したが、亜美は見つからなかった。

 人間は、弱すぎる生き物で、その弱さが人それぞれ違っていて、自分は何てないと思っている部分が、他人にとってはどうしようも無い程、弱い部分だったりする。

しかし、僕達、人間は中々他人の弱い部分を理解してあげる事が難しい。

理解をしようとする事自体が、傲慢な事なのかもしれない。

僕達は、日々を惰性の中で生きている。

いくら環境が変わろうとも惰性は悠久として続いて行く。

この世の中の全員が心の中に、情けなさや弱さを抱えて生きている。

ライブハウスから出た夜風に秋の匂いが混ざっていた。

過去の情けなさや弱さや失敗なんて、この先さらに塗り替えられて行く。

その度に、膝が地面に着く事もあるだろう。

しかし、誰かを心の底から好きになり愛したという事は、この先どれだけ塗り替えられても色褪せる事は無い。

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変わらない惰性 橋本龍太郎 @HashimotoRyutaro

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