黒猫ジョーカー
ぜろ
黒猫ジョーカー
さて、まあ唐突だが僕の話を始めようと思う。日常は連続しているものだけど、この話はその断片なんで、始まりが唐突なのもまた必然なのだと勘弁して欲しい。
まず、奴はこう言った。買い物の往路で。
「黒猫言うんは何や不吉なモンを運ぶ存在やて、欧州なんかの西洋世界では言われとるらしいな。猫は魔を追っ払うもんやけど、黒いんは別ってことらしい。カラスかて黒や無かったら嫌われへんかもな。退魔生物の異端がどんな生活しとるか見たいモンやなー、見たいよなー、つーワケで行くで」
「…何処にさ」
「あの猫のストーキングや」
胸を張って答えた奴に、僕は盛大な溜息を吐いた。
†
無駄だと判っている抗議は口から出ることはなく、喉に収まる。無駄はしないに限る、ただの酸素の消費だ。当面の目的は昼食購入だけだから付き合おう。僕ってなんて良い奴。
歩道を行く目標の黒猫は、右の前足が妙に短くて地面に付いていなかった。故にそいつはピョコピョコと跳ねるように歩く。車にでも轢かれたのだろうか? その考えを読んだように、僕の手を引いて歩いていた奴は振り向く。ドングリ型、色素の少ない双眸。
「アレは人工的に切断されとるな、左前足」
「…何でそう言い切るのさ」
「ブチ、やのうてスパ、やからな。昨今虐待が流行やと思てるアホが多すぎや」
傷口のことだろう。僕には見えないけれど奴の視力は並以上だ、スクランブル交差点の真ん中で百円玉を拾ったことが自慢らしいから。(与太としか思えないが)
吐き捨てるように呟いた奴は前を向く。猫は当てがあるのか無いのか、歩き続けていた。信号が点滅する横断歩道で小走りになる。
「なぁ、ジョーカーって知っとるよな?」
「トランプの? ピエロのやつ?」
「せや。最高で最低、唯一無二の異端カードやな。アレって絶対笑っとるやろ?あいつらは不幸を運ぶから感情無く笑っとるのか、不幸に当たったこっちを嘲笑っとるのか、不幸は持って行ってやるからって笑い掛けとんのか。考えたことがあるねん」
「…で?何だと思ったんだよ」
「判らん」
「だろうな」
「せやから不幸を運ぶ同類を追ってんねん」
黒猫は道を曲がった。僕達も続いた。
†
跳ね歩きのまま、猫は進んでいく。幸いまだ町内だから、迷子の心配は無い。僕には。
前方を行く奴はここで手を離したら確実に迷子になるだろう。まぁ、僕に離せる訳は無いんだけれど。
「キミはどう思う?」
「え?」
「ジョーカーってのは何やと思う?」
今時二人称に「キミ」なんて遣うんだから、コイツも変人―――変わった人物―――だ。表記はカタカナで良いと思う、直感だけれど。
「とりあえず、さっきの分類には割れるものが1つあるよな。それが気になるか」
「ほ?何や」
チラ、とだけ振り向いて、また目線が前に戻る。僕はもう猫なんか見ずに、奴の背中に向かって話す。
「不幸を運ぶために無感情なのか、不幸を運ぶから無感情なのか。無感情の所以だよ」
一瞬奴の足が止まって、僕は前のめりに転びかける。だけどすぐに、奴のペースは戻った。
「卵と鶏か。面白いな」
「そうか?」
「うん、考えつかんかったから」
自分が考え付かない物はすべて面白がり、興味を持つ。コイツは一生退屈しないな、と、僕は思う。自分勝手なことだけれど。
「黒猫は表情無いからなー、感情が判らん。せやけど、大前提の不幸を運ぶのか、ってのをまず考えなな。魔を呼ぶか追っ払うか…お、接触者発見や」
前方に視線を遣る。
第一印象は「お約束」。
バス停の汚れた白いベンチに腰掛けて泣いている女性の前に、黒猫は差掛かろうとしている。
ドングリ型の眼が、僕を振り向く。
「黒猫ジョーカーのお手並み拝見や」
†
後をつけている僕達に気を遣うように、黒猫はベンチの前で歩みを止める。僕達もまた、少し離れた場所で立ち止まった。そして何気なく立ち話をしているように見せ掛ける。
猫はちょこん、と、行儀良く座った。
アスファルトに落ちる影と身体を合わせて。
首を僅かに、上方に向けながら。
そいつに気付いたのか、女性の首が動いた。
二十代ぐらいだろう、この距離では顔は見えない。パステルピンクのツーピースに、膝の上に白いハンドバッグを乗せている。同じく白のハイヒールを履いた足は、綺麗に揃えられて猫の前にあった。
いや、猫がヒールの前に座ったのか。
この場合目標を主語にするか人間様を主語にするか迷うな。
不意に隣で吐かれた溜息に、僕は焦点をずらす。が、視線は合わない。
「えらい面やなー、涙でグチャグチャや。しっかりメイクする方やから尚更ヒサン。一生絶対化粧はしとうない」
「見たくもねぇよ」
「うるせ。アイライナーとかマスカラがすっごいで、無事なん口紅だけちゃう?」
「見えねえってそんなの―――」
「何よ」
掠れ気味できついイメージのアルトは僕達の声じゃない。聞こえたか、と懸念しつつ再び焦点を移動させる。
彼女はこちらなど見ずに、爪先の向こうの猫を見据えていた。
猫は黙って座っている。
猫に八つ当たりとは、相当堪り兼ねているな。
「何よ気持ち悪いわね、あっち行ってよ。エサなんか持ってないの、お生憎。何見てるのよ、行けって言ってるでしょ、行きなさいよ、うざったいのよ、邪魔なの、…何であたしなのよ!?」
突然荒げられた声に、僕は思わず肩を跳ねさせた。
「向こうと別れるって言ったじゃない、子供が出来たって何よ!? 馬鹿にしないでよ、何が手切れ金よ、こんなのいらないわよ!!なんであたしなのよ!?」
彼女は突然自分の手(どっちだか見えなかったけれど多分左手、それも薬指だな)から指輪を抜いて、猫に投げ付けた。
礫を受けた猫は微動だにしなければ鳴きもしない。一瞬僕の足は前に出そうになったけれど、結局止まった。心臓が跳ねる、猫の足のように。
女性は暫く猫に向かって怒鳴り散らしていた。猫は変わらずに彼女を見上げ、動かず、目線を逸らすことも無く、そこに居た。
アスファルトに落ちていた影はいつの間にか黒から赤銅色に変わっていた。
「えらいわ、ほんま」
「何が」
僕はまた、焦点をずらす。長らく無口だった口唇は一度大きく開いた。欠伸だ。
それから口の端がつり上がる。片方だけ。不適な表情、とでも言うのか。ドングリ茶色眼は蛇のように細められる。蛇悪な笑顔だ、我ながら変な造語だけれど。
「あの人の涙止めよった、猫」
…なるほど。
怒らせた、としか思えないけれど、そういう見方もまた事実か。一応泣き止ませてるな。
ウチに溜め込むよりに外側に爆発させた方が心の整理が付く。床屋で読んだ雑誌のコラムと経験から僕はソレを知っていた。
やがて女性は冷静になったのか、ハンドバッグから鏡を出して悲鳴を上げた。同時に猫は歩き出す。
追うのか?
目顔の問い掛けに、首を横に振る否定が返される。
奴は僕の手を引いて、今まで歩いてきた道を辿った。どうやら一応判る道だったらしい。道を覚えられないコイツにしては珍しいことだ。
「さ、昼飯買いに行くで」
「時計見て喋れよお前」
「持ってへん。ケータイ見してや」
午後4時。
部屋を出た時間がギリギリの昼間だっただけに、もう昼食の時間ではなくなっていた。
†
数日後。
奴に手を引かれながら夕飯を買いに行く往路で、僕達は黒猫に再会した。
間違いなくあの猫だろう。
右前足の傷だけが古いのだから。
車道にあると邪魔だからか、歩道に寄せられたそれには、目玉が無かった。肛門も抉られている。カラスが柔らかい部分から啄ばんだのだろう。血液は車道で流出しきったらしく、車に踏みつけられる赤い染みが見えた。赤と言うより赤銅。あの日の影の色が焼きついたような色。
「げろ」
僕達はソレだけを呟き、死体の横を通り過ぎた。
†
で、コンビニ夕飯を食いながら僕は奴に尋ねた。すっかり忘れていた質問を。
「結局結論は出たのか?」
「は?なんのや」
「ジョーカーだの黒猫だの」
「出るわけないやろ、たったの一例やで。おまけに相手は動物や、問い質しも出来へんわ。御託並べてみただけやで? あんなん。それに量子物理学の観察者問題っつーのもあるしな、物体の真の行動は観察してへん時にしか見れへんもんや。梅干しくれ、嫌いやろ?」
にゃろう。
「じゃあ何でわざわざ猫のストーキングなんかしたんだよ」
「キミが家に引き篭もりっぱなしだからに決まっとるやろ」
割り箸が僕の梅干しを攫った。
「ま、あの猫に限って私見を言わせて貰うんやったらな」
「なに?」
「あいつオートマだったんやろ。人の傍で悲しみ吸うて身体で代わって繰り返し。案外あの右前足?アレも誰かの八つ当たりにやられたんや無いのかな。ほんで悲しみのキャパ超えて、身体がぶっ壊れた」
「………」
「私見ちゅーかファンタジーやな。でも不幸なモン運んでた、って大前提は、あいつに限っては成立しそうや」
黒猫ジョーカー。
オートマ。
自動。
「なんや、親近感でも感じたか? 自動症」
「日本語の使い方間違ってるぞ編集者。ついでに変な代名詞つけんな」
「へーへ、文筆家は煩いな」
自動的に不幸を運ばされて、代償に身体を失う。あの猫だけだったとしてもイラつく。
長い溜息を吐き、僕は奴を見た。
ドングリ型の茶色い眼が細められ、僕もついでに仕方なく笑った。
黒猫ジョーカー。
随分笑っていなかった僕の「不幸」も吸われて、あの猫を殺したんだろうか。
不幸は集めるよりも個人所有が良い。
ちっぽけなままだから。
なぁ、オートマ。
黒猫ジョーカー ぜろ @illness24
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます