21

 

 学校からずっと走りぬいて、ぼくは家に帰った。その勢いのまま、二階にある自分の部屋に駆けあがる。乱れたままのベッドにダイブした。


 失恋、した。


 思い出すのは、大塚さんの笑った顔や、揺れるポニーテールだ。それから、少ない会話の場面。真面目な性格とか、几帳面きちょうめんな字とか、富田太郎の本に、人目もはばからずに笑ったり泣いたりするところとか、この短期間に、大塚さんの新たな一面を垣間かいま見て、ぼくはますます大塚さんが好きになっていた。

 同じ教室で過ごすこれから先も、きっと、どんどん好きになっていく。そういう、確信めいた予感がある。


 だけど、どれだけぼくが大塚さんを好きでも、彼女がぼくの彼女になる未来はない。

 あのぷるっとした唇も、柔らかそうな頬も、さらさらの髪も、熱い視線も、ぜんぶは佐々木先生のものになるのだ。


 ───悔しい。

 ただただ悔しい。


 くそ、くそ……!


 まくらをたたき、ぼくは泣いた。子どもっぽく、声まであげて。


「あさひ」


 呼ばれ、ハッと振り返る。ばあちゃんが戸口に立っていた。


「いたのかよ、ばあちゃん」


 慌てて涙を拭う。恥ずかしい。無防備な顔をさらしてしまった。


 これ、と渡されたのは水晶だった。ばあちゃんに預けていたぼくの水晶。真っ黒く色が変わっていたそれは、透明に戻っていた。

 ぼくの力が戻ったんだ。

 てことは、大塚さんは佐々木先生に告白して、無事カップルになれたんだろう。


 これで、ぼくは死なずに済む。

 なのに、ぜんぜん嬉しくない。死にたいとすら、思う。


 前に、ぼくが水晶で見た光景がフラッシュバックする。

 赤く上気した大塚さんの頬。うるんだ瞳で佐々木先生を見上げてる。先生の手は、大塚さんの肩に置かれていて、二人はまるで、今からキスをするかのように見えて───


 と、透明な水晶が白く濁り、モヤが渦を巻いた。やがてモヤが晴れ、ぼくがあのとき見た場面が映し出される。

 佐々木先生の顔が大塚さんの顔に近づいていって、そうそう、二人はここでキスするんだ。

 しっかり、ぽっきり、失恋するために、その光景を目に焼きつけよう。

 だらだら涙を流しながら、唇を噛み締めながら、かっこ悪く水晶にしがみつく。


 二人はキスを───しなかった。


 え?

 どういうこと?


 わけがわからず水晶を凝視する。

 と、その時。

 ざざっと砂嵐のような音がして、ぼくの耳がこの場にいない者の声を拾った。


『顔赤いぞ? 熱か?』


 佐々木先生の声だった。驚いたことに、その声は水晶から聞こえてくる。


『保健室行くか? 親御さんに連絡して、迎えに来てもらおうか』

 大塚さんの肩に手を乗せて、彼女の顔をのぞきこみながら言う。

『いいえ、大丈夫です。顔が赤いのは、いま、ちょっと良いことがあったからで』

 頬を上気させた大塚さんが、うるんだ瞳で佐々木先生を見上げる。

『ははーん、告白でもされたか?』

『えと、まぁ、はい』

『両想いなんだ?』

 こく、と大塚さんが恥ずかしそうに頷く。

『先生、信じられます? その人、3年以上も私のことが好きだったんだって。一目惚れだって。実は、私も同じなんです。ずっと、好きあってたんですよ、私たち。なのに、絶対ふられるって、勝手に諦めて』

『あるある、そういうこと。いいなぁ、青春だなぁ』

『私、行かないと。まだ、私の気持ち、伝えてないんです』

『おう、行って来い。相手はなんとなく予想つくよ。あーあー、羨ましいやつだ』

 大塚さんはいたずらっぽく笑う。

『先生も、早く桑原先生に思いを伝えたほうがいいですよ。桑原先生可愛いから、すぐ誰かに取られちゃいますよ』

 佐々木先生は赤面して、『バレてたか』と笑った。

『バレバレです。じゃ、先生、さようなら』

 大塚さんが教室を飛び出していく。


「水晶の声が聞こえるようになったか?」

 ばあちゃんが聞く。ぼくは信じられない思いで頷いた。

「よかったね、あさひ。これで一歩、占い師として成長した」


「あの、ばあちゃん」

「なんだい」

「大塚さんと佐々木先生はうまくいかないっていうぼくの占い、嘘じゃなかった」

「そうだね」

「だったらなんで、ぼくは力を失ったんだ?」

「そりゃあさひ。あんたが嘘をついたからだよ」


 まったくわからない。

 ぼくの頭の中は混乱の極みだ。


「先生とその子の様子にショックを受けたかなんだか知らないけどね、占いを最後までみないからわからないんだよ」


 水晶の映像は続く。

 大塚さんはぼくの家にやってきた。息をきらして、チャイムを押す。

 プチトマトみたいに顔を真っ赤にさせたぼくが玄関から出てくる。

 私も、好き!

 大塚さんが言う。その視線は、言葉は、ぼくだけに向いている。


「その子の質問は、『好きな人とうまくいきますか?』だったね。ああ、うまくいく。その子の好きな人はあさひ、あんただからね。二人は両想いさ。なのに、お前はうまくいかないと嘘をついた。だから、力を失ったんだよ」


 ぱくぱくと、ぼくの口は金魚みたいに開閉するだけで、何の言葉も出てこなかった。


 なんだよ、それ。

 そんなことって、ある?


 大塚さんがぼくを好きで、ぼくも大塚さんが好きで。大好きで。

 大塚さんが佐々木先生を好きだと思ったのは、ぼくの早とちりで。


 じわじわと、胸が温かくなる。

 また、涙がでてきた。ただし、さっきとは真逆の意味の涙だ。


「いいこと、巡ってきたね、あさひ」

 にっと、ばあちゃんが笑う。


 ピンポ──ン

 間延びしたチャイムの音が、ぼくを呼ぶ。


《完》

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君の好きな人 灰羽アリス @nyamoko0916

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