死闘の果てに

最終話

 深い眠りの中から、少女は目を覚ます。


 見慣れた天井だが、北条沙希は決して自宅ではない、それでいて懐かしさがある場所にいることを知った。


「私、助かったんだ」


 そう呟くと自分がパジャマ姿で、布団で寝かせられていたことを知る。全てが夢であったのではないか思い、自分の髪を目の前に引き寄せる。


 そして、引き寄せた髪が紫水晶アメシストであることに、あの夢のような出来事が現実であったことを沙希に認識させた。


「やっぱり現実だったんだ」


 両親の死、自分が実の子ではない、蛇の一族ナーガという化け物であった現実が彼女の心に鋭い棘の如く突き刺さる。


 刺さった棘は沙希の悲しみを増幅させ、沙希は布団にもぐり込み、うつ伏せになりながら声を出して泣き始めた。


「私助かった、助かったけど、全部なくなっちゃった。お父さんもお母さんも」


 悲しみが一気に沙希の心を穿つ。


 自分は確かに助かったが、それ以外のものは全て失ってしまったという事実に気づかされた。


「私だけ生き残っても意味ない」


 そう呟くと不意にふすまが開く。そこには一条蓮司の姿があった。布団の中で泣いている自分に気まずさを感じているのか、顔が赤くなっている。


「……ごめん、出直すわ」


「待って!」


 出ていこうとする蓮司を沙希は止めようとした。


「蓮司、ここにいて」


「俺邪魔にならない?」


「今は傍にいて」


 涙目になっている沙希に気まずさを感じながら、蓮司は沙希の傍に座る。


「助けてくれてありがとう」


 沙希がそう言うと同時に、彼女は蓮司に抱き着いた。


「む、無理すんなよ。まだ本調子じゃないだろ」


 若干の照れと、嬉しさと不謹慎さを感じながら蓮司は冷静さを取り繕う。


「本調子じゃないから、こうしたいの。それとも、今の私……嫌?」


 涙目になっている紅の瞳を向けられ、蓮司は必死に首を振る。


「蓮司、私何にも無くなっちゃった。お父さんもお母さんも殺されて、私、こんな姿になって、全部なくなっちゃったよ」


「おじさんとおばさんのことは残念だったよ。だけど、俺の兄貴分が仇打ったから」


「でも、お父さんもお母さんも戻ってこないよ」


 抱きしめる力と嗚咽を強めながら、沙希は蓮司にそう言った。


「私、さっきまで人間に戻れるかもしれないって思ってたし、蓮司に助けられてうれしかった。だけど、今こうやって現実に戻ってくると、すごい悲しいの。私が原因なのに助けられて、大好きだったお父さんもお母さんは死んじゃって。私、二人に何も恩返しもできていないのに」


「……まだ本調子じゃないんだから、ゆっくり寝た方がいいんじゃないか?」


「寝たら全部がリセットされるの?」


 正論をぶつけてくる沙希に、蓮司は絶句してしまうが、彼女の気持ちは痛いほどに分かる。自分も幼い頃に両親を失っているのだから。


「……お前の気持ちは分かるよ。俺もそうだったから。俺も、父さんと母さんを無くしている」


「そうだったよね」


 やや気まずそうに沙希はそう答えた。


「今でも思い出すと、胸が痛くなる時もあるし悲しくなる。俺はなんだかんだで両親のこと好きだったし尊敬していたからな」


 優しく、自分になんでもいろんなことを教えてくれた父。悪いことをするとすぐに躾をかますが、誰よりも愛情深く優しい母。


 その思い出は、今も蓮司の中にある。


「正直、思い出すのは悲しい。だけど悲しいことばかりじゃない。ふとした時に思い出が渦を巻いてくるんだ。それに、俺が沙希を助けようとした時、力に目覚めた時に限って二人のことを思い出す。それが俺に力をくれた。いつまでも、悲しいと引きずるわけにはいかないんだよ」


「それは蓮司が強いからできるんだよ」


「俺は全然強くないよ。だから、俺は父さんと母さんの記憶を消した」


 あれだけ好きだった両親のことを、つい先日まで忘れてしまったのには理由があった。


「覚えていれば、いつまでも悲しいままだ。だから俺は二人のことを考えないようにしたんだ。それに、いつまでも泣いてればじいちゃんも悲しむ。だから考えないようにしたんだよ。本当に強いなら、そういうことはしない」


「そうだったの?」


 沙希が涙目で尋ねてくるが、蓮司は黙って頷いた。


「だけど、ずっと忘れたままだったら、俺は沙希を助けることはできなかったと思う。父さんや母さんの教えがあったから、俺はなんとか戦えたし、頑張れたんだ」


 自分が何を果たすべきか、それを再認識させる決断をさせたのは両親の教えだろう。兄貴分たちの力もあるが、自分にそれを気づかせてくれたことを考えると、あの思い出が力をくれたと蓮司は思っていた。


「おじさんとおばさんは沙希とは血がつながっていないけど、愛情まで無くなったわけじゃないだろ。俺はずっと羨ましかったよ」


 両親が亡くなり、祖父と共に引っ越しをした時に真っ先に友達になったのは沙希だった。そこから交流が始まり、蓮司は両親に愛されている沙希が羨ましく思っていた。


「でも、私のせいで二人とも……」


「それは違う!」


 蓮司は沙希を強く抱きしめて否定する。


「俺、二人の遺言聞いたよ。沙希のこと助けてくれって、守って欲しいって言われた。死に際まで、二人は沙希のこと心配していたよ」


 両親の遺言を伝えると、沙希は嗚咽が止まらなくなった。


「だから沙希には絶対に二人のことを忘れてほしくない。俺は思い出したくないから忘れたし、忘れたから、今の今になって思いだしてこんなことになった」


 両親の死が悲しいからこそ、蓮司はその記憶を自分で封印した。


 だからこそ、かろうじて日常生活を送れるようになったが、思い出した瞬間に自分がくだらないことをやってしまったのかを今は反省している。


「悲しいのは悲しいんだ。悲しくない方がどうかしているんだ。今はどうにもできないと思う。悲しいと思うのは、沙希の心が真っすぐだからだ」


 沙希はザッハーク達とは違う。それは、血がつながっていないという事実を知っても、自分を愛して育ててくれた両親に感謝し、愛情をもっているからだ。


「蓮司……」


「ごめん、俺無力だよな。本当は沙希の悲しさとか、そういうの全部取っ払ってやりたい。ひっぺがせるならそうしたいし、剥がせるなら剥がしたい。だけど、そんなことできやしないと無理なんだ。頭ではわかる」


 いろいろといい事を口にしたつもりだが、涙目になり落ち込んでいる沙希を見ると、否応なく自分の無力さに気づかされる。


 沙希の悲しみを取り除くどころか、傷ついた心を慰めることも、癒すこともできやしないことに落ち込んでしまいたくなる。


 そう思っている中で、沙希は蓮司にしがみつき、そのまま押し倒す。


「おい、ダメだろこの恰好」


「私のこと嫌い?」


「嫌いとかそう言うことじゃない。いろんな意味でまずいというか……」


「私は気にしないよ。私、いつもこうやって蓮司に甘えてばっかりだ。いつだって蓮司に助けられて、甘えて、でも、私は蓮司に何もできていない。あの日だって、結局蓮司に酷いことばっかり言って、蓮司を傷つけた」


「いや、あれは俺も言い過ぎたし」


 照れくさそうに蓮司はそう答えるが、ふとあの日に自分がヴェスペに襲われた理由を思い出す。


「あの日の後、俺沙希に謝りに行こうとしたんだよな」


「そうなの?」


「そこでヴェスペに襲われて死にそうな目に遭ったけど……」


 失言したと思った時にはもう遅く、沙希は蓮司の胸の中で再び泣き始めてしまう。そんなつもりで言ったわけではないのだが、蓮司はつくづく自分は愚かであることを突きつけられているような気がした。


「だから、その、死にそうになったのは別に沙希のせいじゃないって。それは結果だからな。俺はただ、言い過ぎたし、悪いと思ったから謝りに行くことが目的だったからで」


「なんでそういう風に言うの?」


「だから、俺が沙希の家の途中でヴェスペに襲われたからで……」


「私、嬉しくて泣いたんだけど」


「は?」


 予想もしない答えと微妙な空気に、思わず蓮司は間抜けな声を出してしまった。


「私も悪いと思った、そして、蓮司も悪いと思ったから来てくれたんでしょ。そういう所で私たち、気持ちがつながっているんだって思って嬉しくなったの。私たち、いろいろすれ違っていたっていうか、チグハグになってたし。だから、昔みたいな仲良しになれないんじゃないかって思ってた」


 沙希もどうやら、自分と同じ悩みを抱えていたらしい。それを思うと、ふと蓮司は笑ってしまう。


「なんだよ結局そういうことになるんだな」


 互いにすれ違っていても、必ずどこかでつながってしまう。どんな状態であっても、結局はこうなるのはもはや運命というしかない。


「沙希、悪いけど俺、物凄い不謹慎なこと言うけど怒らないで欲しい」


「どうしたの?」


「俺たち、幼馴染から関係ランクアップしないか?」


「そ、それって……夫婦ってこと?」


 顔を真っ赤にした沙希の予想を超えた回答に、蓮司は思わず頭をかいた。


「違う! 行き過ぎだよ! 俺たちまだ未成年だから。俺結婚できるまでに後二年かかるから」


「え、じゃ婚約者?」


「それもまだ行きすぎだから! 恋人だよ! 彼氏彼女の関係だよ!」


 沙希の自分の予想以上の返答に、蓮司は自分の本音を口にしてしまったが、言った瞬間に恥ずかしさが襲ってくるのを感じた。


 だが、一度口にしたことを否定するわけにもいかず、気まずそうに、だが本音を言うために沙希と目線を合わせた。


「俺たちがすれ違ってたのって、今思うとさ、もう単なる幼馴染じゃいられないからなんだよな」


「そう……だね」


「いつまでもさ、小学生の時の服が着れないのと同じで、俺たちの関係もそういう感じでグレードアップさせないとダメだったんだよ。だから、俺たち滅茶苦茶になったんじゃないかなって思う」


「うん」


「ちなみに、そういう関係嫌か?」


 その言葉に沙希は生唾を飲んだが、当の蓮司は気づけば手のひらが汗まみれになっていた。


 血迷ったことを言っているのは分かっている。だが、決して下心だけがあるわけではないことを心の中で囁き続けることで、蓮司は心の平行を取り戻そうとした。


「嫌じゃないよ。むしろ、そういうのをすごく憧れていたから」


 沙希の返事に蓮司は思わず両手を力強く握りしめそうになったが、あえて平静を保った。


「ありがとう沙希、これからは俺がお前を守るから」


 必死に下心と邪な感情を抑えながら、蓮司は沙希への答えをかろうじて話すことに成功した。


 そのおかげなのか、沙希は再び涙を流しながらもほほ笑んでいた。


「蓮司ありがとう。大好きだよ」


 沙希の悪意のない本心から出た言葉。それは全てを吹っ飛ばすほどの強烈な言葉だった。蓮司は自分を縛り付けている理性という名の鎖が、全て断ち切れたように感じた。


 その鎖が無くなった時、蓮司は猛禽の如く沙希の唇を奪った。奪った瞬間に自分がとんでもないことをしていることを思い出すが、沙希はそれを一切拒まなかった。


 自分たちはもう、単なる幼馴染などではない。


 蓮司自身が言った言葉ではあるが、互いにそれを自覚できたことが蓮司は嬉しくなった。


 なんとしても、沙希を守りたい。彼女を幸せにしたい。


 その為の覚悟を蓮司は決めた。

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