第3話 レッテル
自分の恋人にじつの親がいないとわかったらどう思うか。
「くわしく、聞かせてもらえますか」
「……わたし、養女なんです。戸籍上はじつの子どもとして記載されてますけど」
「特別養子縁組ですね」
普通養子縁組は戸籍上『養子、養女』と記載されるが、特別養子縁組は戸籍上も『長男、長女』となり、育ての親とじつの親子関係を結ぶことができる制度だ。年齢制限のあるなしや、生みの親との関係を存続させるか否か等、いろいろと条件がちがう。
「そうです。よく知ってますね。学校の先生ってそういう勉強もするんですか?」
「いえ、学生時代、教育実習生として受け持ったクラスに児童養護施設で暮らしていた生徒がいまして、そのときいろいろと調べたんですよ」
そして、知ったのだ。自分がどれほどかたよった目を持っていたのか。
なんらかの不幸に見舞われ親と死に別れてしまった子もいれば、親の病気などで一緒に暮らせない子もいる。そして、置きざりにされた子、虐待されていた子も多い。ひとりひとりの事情を知ったなら、とてもひとくくりに幸不幸を語ることなどできない。
葉太の説明に、桜子は納得したようにうなずいた。
「わたしが春川になったのは五歳のときです」
それ以前の記憶は断片的ながら、いつもお腹がすいていたということだけは、はっきりおぼえているという。
「道ばたで行き倒れてたらしいんですよ、わたし。そのとき最初に保護してくれたのが今の母なんですって」
救急車を呼んで、病院にもつきそってくれたのだという。おぼえてないんですけどね。と、桜子は葉太から視線をはずして正面に顔を向けた。はじめてここで会ったとき、彼女が抱きついていた桜の木がある。
若葉の緑と花を落とした桜しべの紅色。そのコントラストに目を細めているようで、ここではない、もっと遠くを見ているようでもある。
「部屋に置きざりにされて、たべものもなくて、お腹がすいて外に出たんだろうって。外に出てくれてよかったって、父も母もいってました。おかげでみつけることができたって」
じつの両親は逮捕され、桜子は児童相談所に保護された。その後、長年不妊に悩んでいた春川夫婦にひきとられたのだという。面倒でむずかしいさまざまな手続きを経てまでも、自分を娘として迎えてくれた夫婦には返しきれない恩があるのだと桜子はいう。
「たくさん、迷惑かけました」
彼女が健全すぎるほどに健全な理由のいったんが見えたような気がした。しかし桜子はそれ以上語らなかった。葉太もあえて聞かなかった。親子のことだ。それに、本題はきっとそこではない。
「わたしの親は今の両親だけだと思ってます。だけどわたしには、わたしを生んだ人たちの記憶も残ってます。まだ、生んでもらったことに感謝なんてできないし、この先できる気もしません。でも……」
桜子には、大学生の恋人がいるのだという。彼の名前は
両親とふたりの兄弟にかこまれて育った、家族思いのやさしい青年なのだという。だからこそ、桜子は迷っていた。自分の生い立ちを彼に話すべきかどうか。
「ときどき、すごく遠くに感じてしまうんです」
――ヨウちゃんも、そっち側の人なんだね。
「彼に同情されるのが怖いですか」
桜子はハッと葉太の顔を見た。図星だったのだろう。まばたきひとつせずにジッと凝視され、内心たじろぎながらも、葉太は平静をよそおってみつめかえした。
五秒か十秒か、桜子の肩からフッと力が抜ける。
「先生、すごいね。なんでもお見とおしだ」
その言葉にイヤミはなく、皮肉もなく、とても素直な響きをもって葉太の耳に届いた。
そうじゃない。ほんとうにすごいのは、このめぐりあわせだ。
咲と桜子は、たしかにつながっていた。血縁でなくても、面識がなくても、まちがいなく彼女たちはつながっている。
「わたしはきっと、たくさんの同情にたすけられてきたんです。だから、それを否定するつもりはないんです」
だけど、じつの親がいない。両親と血がつながっていない。そういう人間をまえにしたとき、世間では多くの人が『かわいそう』というレッテルをはる。
たとえ桜子が、自分を不幸だと思ったことがなくても、現在の両親と出会えてしあわせだと思っていても、勝手に『かわいそうな子』にされてしまう。
「好きな人にそういう目で見られたらって思うと、やっぱり怖いです」
きっと、咲もそうだった。葉太に打ちあけるまで、かなり悩んだのだろうと思う。当時の自分には後悔しかないけれど、それほどなにも『知らなかった』葉太だからこそ、いえることがあるかもしれない。
そうして葉太が口をひらこうとしたまさにその瞬間、狙いすましたかのように、ピピピピ……と、電子音が鳴った。
桜子はスマートフォンをとり出しながら、パッとベンチから立ちあがった。アラーム音が止まる。
「こんなこと親にはいいにくいし、家の事情を知られたくないから友だちにも話せなくて。でもなんか、先生なら、変な同情しないで聞いてくれそうな気がしたんです」
「春川さん」
「正解でした。聞いてくれてありがと、先生。また学校でね」
ニコッと笑ってきびすを返した桜子は、ひきとめるまもなく走り去った。その華奢な背中を見送って、葉太は細く息を吐き出した。
桜子の話は、まるっきり過去の自分と咲の話みたいで、無意識に息をつめていたらしい。手のひらもじっとり汗ばんでいる。
自分もそろそろ帰らないと出勤時間にまにあわなくなる。そう思いながら、葉太はなかなか立ちあがることができなかった。
葉桜がさわさわと風に揺れていた。
❀
咲は養女ではなく『里子』だった。
里親制度は養子縁組とちがい、行政からの委託により、期間限定で子どもをあずかる制度だ。必要な場合には二十歳まで延長できるが、基本的には子どもが十八歳になるまでの関係である。つまり、最長でも子どもが成人するまでで、法的にはそれ以降『赤の他人』ということになるのだ。
あずかっているだけだから、里親と里子は苗字もちがう。そのため咲の里親は、学校など『親』としておもてに出る必要があるときは、咲にあわせて
借りものの家族体験。それが咲にとっての日常だった。
たいていの人間は、正義も悪も、幸福も不幸も、自分が生きてきた世界を基準に判断している。そうして、人は人にレッテルをはる。意識的にやる場合もあれば無意識の場合もあるだろう。いずれにせよ、人は人を勝手によりわけるのだ。ときに、ひとりひとりちがう事情を抱えているという基本的なことを忘れて。ときに、自分の価値観が人を傷つけてしまうことがあるのだという現実にも気づかずに。
葉太にとって、親は血がつながっていてあたりまえ。生まれたときから『いるのがあたりまえ』の存在だった。
しかし咲にとって、じつの親は『いないほうがいい』存在だった。それは、本人の言葉だ。七歳のときに児童養護施設にはいって『救われた』ともいっていた。そして、八歳で里親の家に迎えられて『運がよかった』と。
具体的なことは聞いていない。聞く機会を失ったのは、葉太自身のせいだ。
施設にいた。親がいない。そう聞いただけで、葉太は反射的に、かわいそうだな、大変だなと思った。そうして出てきた言葉が『ぼくは気にしない』だった。
理解があるつもりの言葉は、いろんな意味で最悪な言葉だった。
自分とはちがうけど気にしない。自分とは関係ないから気にしない。『気にしない』という言葉のなかにそんな気持ちがなかったとはいいきれない。
あの場面でつかうには、あまりにも無神経で、あまりにもつめたかった。
真剣につきあおうと思うなら、咲の事情はけっして無視してはいけない、一緒に考えなくてはならないことだったのに。
(つづく)
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