第2話

 私はたまに無性にラーメンが食べたくなる時がある。その欲望というものは昼夜問わず突発的に来るものであり、なかなかに抗えないものでもある。 

 今日はわりと遅めの時間に始まった単発の派遣の仕事があったが、終わった後にまたこの食欲の虫が急激に沸き始めてきた。おかげで終電を乗り過ごして徒歩で帰宅する羽目となってしまった。

 できればタクシーを呼んで優雅に帰りたかったものだが、定職につかず風来坊のようなことをしている私の財政事情的にその選択肢は選べなかった。

 腹を括って3駅程度の距離を歩くことにした私はタバコに火をつけて線路沿いを歩き始めた。

「相変わらずこの街の空は汚いな。」

 立ち止まって空へと登っていく煙を見ていたら思わず、きざな独り言が出てしまった。どうも夜というものはいつも以上に自分に酔ってしまうものだ。

 しばらくしてから私はハッとして、即座に周りを見回した。かっこつけた独り言を誰かが聞いていたんじゃないかと。だが時間が時間なだけに周りに人っ子一人おらず、私はちょっとした恥をかかずに済んだようだ。

 そして再び歩き始めた。

  

 15分程度歩いただろうか。もう少しで自宅だというところでやけにガードレールが凹んでいる箇所が視界に入ってきた。

「こいつはひどい凹み具合だな・・・。」

 近づいてさらによく見てみる。赤く錆びているガードレールは1メートル程度の大きな凹みができており、黒の塗装のようなものがこびりついていた。おそらく黒い車が派手に突っ込んでしまったのだろう。そしてその凹みがある部分のちょうど真下に花束が添えられていた。花が枯れてないことから見るに最近のものであろう。

 私は無言で花束の前にしゃがんで、ゆっくりとまぶたを閉じて手を合わせた。なんとなくそうしたくなったのだ。


「優しいんだね、お兄さんは。」


 背後から若い女の声が聞こえてきた。私は驚いてとっさに振り返った。

 そこには少し長い黒髪をなびかせているどこかの学校の制服を身に纏っている女がいた。私は呆気にとられて死んだ魚のように口を開けていると、そんな私の阿保面を見た女はクスリと少し笑い、再び私に話しかけた。


「ここはね、私のお姉ちゃんが死んじゃった場所なの。」


「君のお姉さんが?」


「うん、ドジでおっちょこちょいなんだけど困っている人をほっとけない本当に優しい人だったんだよ。妹の私からしてもそれはもう尊敬できるお姉ちゃんだったね!」


「そうか、そいつは悲しい話だな・・・。でもよ、お前さんにそんだけ愛されてれば今は天国にいるお姉ちゃんも幸せだったんじゃないかな。」


 それを聞いた女、というより女の子は少し涙ぐんでうんうんと言いながら何度も何度も頷いた。そして涙まじりの声でつぶやく。


「お兄さんありがと、私なんだか心配で何度も出てきちゃってるけどもう大丈夫そう。」


「そいつはよかったな。」


「うん! それよりお兄さん、ちょっとお話でもしない? なかなか私に構ってくれる人いなくて暇なんだよねー!」


「もう深夜の1時過ぎだ、子供は帰って寝る時間だ。」


「私15だよ! 昔の武士は15歳くらいで元服して大人だったもん!」


 元気いっぱいといった言葉が似合う女の子だな。というか、15だとこの時間出歩いているとそもそも補導されるような気がするが、大丈夫なのだろうか。


「ねー、お兄さん聞いてる?」


「ああ、すまない少し考え事をしてた。」


「じゃあ、とりあえず女子会スタートね!」


 満面の笑みで言ってきた。何だか私も付き合ってやらんこともないという気持ちがどこからともなく湧いてきたので話を合わせることにした。


「まあ色々と言いたいことはあるが、その女子会とやらに参加してやるよ。その代わり終わったらすぐ帰れよ、親御さんも心配するぞ。」


「はいはーい!」


「で、何を話せばいいんだ? 年金問題についてとかでいいのか?」


「そんなしょーもないことは今時の女子高生は話しませーん。」


「じゃあ何について話すんだ?」


「えーと、プッチンプリンをそのまま食べちゃうか、それともプッチンしてお皿にのっけてから食べるか、どっちがいいかについてとか。」


「余計しょーもないわ、ちなみに私はいつもプッチンしてから食べる。あのプリンは名称的にもそう食べることを指定しているような気がしてな。」


「あー、お兄さんはプッチンする感じかー。」


「なるほど、その反応から見るにお前さんはプッチンしない派閥か。」


「当たりー!」


「その理由は如何に?」


「プッチンすると食べ終わった後にお皿洗うのめんどくさいじゃん。」


「皿くらい洗えや。」


「テヘヘー。」

 女の子は髪をかきながら照れ臭そうに笑う。

 そしてその後もショートケーキの苺はいつ食べるかだとか、告白は男がするべきか女がするべきかといった他愛もない話を一時間ばかり続けた。


「で、今度は何について話すのか?」

 私は女の子に聞いた。


「うーん、寂しいけどもう大丈夫かな・・・。」


「もういいのか?」


「うん・・・。時間が止まっている私が時間が動いているお兄さんをあんまり引き留めちゃうのも可哀想だしね・・・。」

 そう言った女の子は俯いて寂しそうな顔をした。

 

「そいつはどういう意味なんだ?」


「お兄さんごめんね、私そろそろ帰るね。でも・・・、最後に一個だけ聞いていい?」


「構わない。」


「どうして、花束に手を合わせようと思ってくれたの?」


「私がそうしたいと思ったからだ。」

 それを聞くと、女の子は口持ちに片手をおいて微笑んだ。

 

「お兄さんらしいね、でも嬉しかったよ。私の知っている人以外で手を合わせてくれたのはお兄さんだけだったから。」

 そう言うと女の子は私に背をむけ歩いて行った。そして小さな声でありがとう、さよならとだけ言って私の前から消え去ってしまった。


 私はその後家に帰ると疲れが溜まっていたのか風呂にも入らずに寝てしまった。

 目が覚めると太陽はかなり高い位置にまで昇っていた。スマホで現在の時刻を確認してみると既に正午を回っていた。

「寝過ぎたな・・・。」

 そうぼやきながら横になっていた体を起こす。

 まだ完全には覚醒していない意識の中でふと先程の女の子との情景が思いうかんだ。

「そういえば結局どんな事件だったんだ。」

 私はちょっとした好奇心からスマホに自分の区の名前と事故という単語を打ち込む。一番上部に出てきた。事件の概要はこうだ、六月二十二日午後三時頃に黒色の普通乗用車による信号無視を原因とする交通事故が発生した。青信号を渡っていた二名の女性を轢いたまま、アクセルを踏み続けそのまま近くのガードレールに衝突。一人はその場で即死、もう一人は病院に搬送された後に死亡が確認された。

「じゃあ、あいつも・・・。」

 私はすぐに財布を持ち、そのまま家の近くのコンビニへと向かった。なんとなくそうしたかったからだ。

 そして買い物を済ませてからコンビニを出てあのガードレールへと走って行った。私の片手はしっかりとコンビニの袋を握っている。中身は3個入りのプッチンプリンだ。一個は私が食べるために、もう一個は会った事はないが困っている人をほっとけない優しい人のために、最後の一個は姉思いの元気すぎる私の友人のために買ってきたものだ。

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少しだけ霊感が強い男のお話 太宰 ソクラテス @ratesu

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