#3(最終話)僕の失敗と後悔。だけど幸せになれた「二人」。

 彼女の船を入港させるため、先行の「たから丸」が出港して行く様子を、僕と彼女はコントロール・ルームから眺めていた。

「こいつには、オールト雲で採取された、希少金属が積み込まれているらしい。ほら、君の疑似頭脳の有機素子にも使われてるやつだよ。まさに『おたから』だ」

「すごいですねえ」

 彼女はヴァニラの香りがするため息をついた。

「でも良かった、そんな大事な船なんか、私とても管理できません。そもそも、向いてないんです、こんな仕事。有機素子の調子もよくない気がするし……。どこかで見てもらおうかと思っていて」

 両目の可変瞳孔が、悲しみに翳る。

「……良ければ、ちょっと、調子を見てあげようか? 実は、疑似頭脳検査准技師の資格があるんだ、僕には」

 渡りに船とはこのことだった。彼女ともっとお近づきになれるチャンスではないか。


「ええっ!? そんな資格まで……さすが基地長さんですね。お願いしていいのですか?」

 もちろんだとも、とか言いながら、爆発しそうにドキドキする心臓を抑えて、RMI77Σ彼女をドック・チェンバーに横たえてロックし、まずは素体ボディ機能からチェックをかける。こいつは異常なしだ。しかし、確かに外見は作業用だが、パートナー用としての機能も簡易カバーリングの下に新品同様の状態で残されていた。初々しいのも当たり前かもしれなかった。

 続いてこちらが重要な、疑似頭脳内の各機能をチェックにかける。しかし准技師クラスの僕から見ても、これはいい加減な作りなのがすぐに分かった。素人同然のプログラマーによって、とりあえず動けばいい、というレベルの最低限の書き換えしか受けていない。

 つまり彼女の心は、ほぼパートナー用のままだった。これでよくも、数千時間にも渡る孤独な宇宙の旅を続けて来られたものだ。

 さすがに、元のオーナーへの愛情をコントロールするコアレジスタのIDコードは、ゼロ埋めして消されていた。そんなものが残っていたら、元オーナーへの強い思慕の念で、とっくに疑似精神系は破綻していただろう。

 しかし、もしもここに、コアレジスタに僕のIDを書き込んでやれば……。


「あの」

 チェンバー上に横たわったRMI77Σが、不意にこちらを向いて言葉を発した。

「いいのですよ。あなたのIDをセットしてくださって、そのコアレジスタに。私は貴方を愛することになります。いつまでも、ずっと」

 僕がのぞき込んでいるモジュールエクスプローラーの意味を、彼女は理解しているらしかった。

「馬鹿なことを言うんじゃない。そんなのは、許されることじゃない」

「だって……。私、そこまで馬鹿じゃありません。基地長さん、あなたが悲しい歌を歌っておられるのを聞きました。あなたは私に過去の誰かを投影している。だからそんなにお優しいのでしょう?」

 彼女の瞳は澄んで、まっすぐだった。これはその可変瞳孔系が……いや、そんなことじゃない。

「私、嬉しいんです。そんな風に、誰かに必要とされることが。だって、この数千時間ずっと独りで……。だから、いいのです。あなたのIDが、私は欲しいのです」

 そのまま立っていることなど、できなかった。コントロール・デスクの上に、僕は突っ伏して、声を出さすに泣いた。

 愛。孤独。何が本当で、何が作りものなのか。僕には分からない。ただ、一つだけはっきりと言えることがあった。僕はあまりにも孤独で、愛を求めていた。


 しかしそれでもなお僕は、RMI77Σ彼女のコアレジスタにはやはり手をつけなかった。自らの手で、自分への愛を作り出す、そんなまがい物に、僕は耐えることができなかったのだ。

 この基地で彼女に会えるのは、船が寄港する約半年に一度。

 約五年間、あと九回に渡って彼女の気持ちが変わらなければ、コアレジスタ書き換えプロシージャを実行させる物理キーを、二人の合意の元に渡す。そんな設計仕様をロジックに組み込むことを、僕は提案した。

 彼女は、言葉少なにその条件に同意し、書き換えを受け入れた。そして、再入港した「リグレット・オブ・ユース」に乗って、カイパーベルトの内側へと旅立っていった。淋し気な背中を見せながら。

 その船尾で輝く三重水素トリチウムトルネードノズルの青い輝きを見つめながら、僕は激しい後悔に苛まれていた。

 バカだ、僕は。あそこで我慢する理由がどこにあったのだ。彼女だって、それを望んでいたのに。


「二つの宇宙」を、僕は全く聴くことがなくなってしまった。レミとの宇宙は、もう別になっても構わない。あれからの毎日は、ただ待ち続ける日々へと変化していた。そして、待ちに待った予定の半年が経過した。しかし、彼女の船は姿を見せなかった。

「『リグレット・オブ・ユース』ですか。あれ廃航になったんじゃないですかね。大した積荷を運んでなかったんでしょう?」

 システムのそんな無神経な言葉に、僕は思わずメインタブレットを床に投げつけた。もっとも、この程度のことでは、耐衝撃タブレットはびくともしない。

 おや、どうかされましたかという人工人格A・Pのとぼけた声。しかし僕が腹を立てていたのは、彼に対してじゃない。自分自身に対してだった。


 それから毎日僕は、目がおかしくなるくらいにフライトトラッカーを眺め続けた。

 そしてある日。「リグレット・オブ・ユース」の識別信号がついに点灯した。僕は安堵と嬉しさのあまり「無重力マンボ」を踊り出し、そしてその場で気を失って倒れた。本来の予定から、230宇宙時間U・Tが経過していた。

 到着した船から、ボーディング・ブリッジを渡って姿を現したRMI77Σ彼女。当たり前ながら七か月前と全く同じ姿をしていた。

「お帰り、船長。待っていたよ」

「ありがとうございます。こうして無事に戻って来られたことを嬉しく思います」

「それで、実はなんだけど……」

 おずおずと、僕は彼女に、青いびろうどの小箱を手渡した。不思議そうな瞳をして、彼女は小箱を開く。その中には、エメラルド・グリーンに光るクリスタル光学素子チップ、つまり彼女のコアレジスタ書き換えプロシージャを起動させる物理キーのセットされたリングが入っていた。非接触型インターフェイスの内蔵された彼女の指に、これをはめてあげれば……。

「あの……まだ基地長さんにお会いするのは二回目なのですが。確かお約束では、十回目にと」

「……すまない」

 僕はその場に膝をつき、彼女の手を取って、不思議そうな色を浮かべているその瞳を見上げた。

「許してほしい。僕には。あなたがどうしても必要なのです」


 彼女は僕と同じように、ブリッジの上にしゃがみ込んだ。そして、同じ目線の高さから、僕の情けない顔を覗き込む。

「永い永いあと八回分が、必要なくなった。それが私にとってどんなに大きなことか……。私の、笑ったり泣いたりする機能はまだ許可アンロックされていません。でも、『とても嬉しい』そんな言葉だけでは、足りませんから」

 RMI77Σかのじょは僕を抱きしめて、唇を合わせてくれた。不思議なことに硬質セラミックのはずであるその素材は――いや、そんなことどうだっていい。それは柔らかくて、暖かな口づけだった。凍り付いていた、僕の心の芯にある鋼を、溶かすくらいに。


         *       *      *


「な、なんだって? 任期を延長してほしい? それも、この先何年も?」

 コヒーレント光映話の立体スクリーン上で、上官は目を剥いた。

「はい、できれば」

 僕はそう言って、隣のRMI77Σかのじょにちらりと目を遣った。この言葉が届くのも、実際は何日も先のことになる。

「リグレット・オブ・ユース」号については、代わりの船長を勤める補助ロボットヘルパーを、この半年の間にパーツを集めてこつこつと作ってあった。本来は違法なのだが、こんな果ての果てまで摘発しに来るような、もの好きな役人はいない。従って、彼女はもうどこにも行かなくても良い。


「うーむ。まあ、よかろう。さすがは『凍れる鋼の男・ハイウェル』だ。よろしく頼むぞ」

「アイアイ、サー」

 僕は、右手で敬礼して見せる。

 しかし、画面の死角に当たる左手で、僕はRMI77Σかのじょの手をじっと握っていた。二度と離すことのないだろう、その暖かな手を。

(了)

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【完結】失恋の宇宙《そら》の果て/僕を救ってくれた「愛」 天野橋立 @hashidateamano

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