#2 果ての果て、凍てついた基地で僕は「彼女」に恋をした。
最果ての基地へと向かう、準々光速ロケット。
「大丈夫です。生命は保証されます」
とだけ繰り返す、無表情な
これで、僕はレミの影響下から救われるはずだった。どんな未練も、この速度で何日もかかる距離にまでは持っていけないだろう。
ロケットの
冥王星軌道からさらに20天文単位以上も彼方を周回している準惑星「ライラ」。その衛星軌道上にある派出中継基地が、勤務先である「トリプルゼータ・ブランチ9by9」だった。
格付けは低いが、大型の外縁部用貨物船を収納できる大型ドックを二基も備えた、実は派出基地の中では最大規模に属する基地だ。
人類の暮らす場所として、これ以上地球から遠い所はない。これを「暮らし」と呼ぶならだが。
上官も言った通り、こんな辺境を通る船は、全て自動化された無人船ばかりだ。生身の人間と接する機会はまず生じない。
基地の管理のほとんどは、実際には
毎日の仕事は、以前の基地とさして変わるものではなかった。通関検査、外縁部由来病原体のチェック、船体の損傷個所修理や補給。
規則上、訪れた船の
これで、全てを忘れられる。そう思った。しかし、彼女と二人で聴いたたくさんの歌だけは、どうしても記憶から消すことが出来なかった。どんなに遠い距離でも断ち切ることのできないものが、やはり存在するのだと、僕は思い知らされていた。
統合システムへのアクセス用ツールである、耐衝撃メインタブレットの可聴域音波発生機能でメロディーを再現しながら、私はそれらの歌詞をくりかえし口ずさんだ。今でもレミは、ワイシャツ野郎とこの曲を聴いているのだろうか。
いくら号泣しようとも、ここでは誰にも見られることもない。「凍れる鋼の男・ハイウェル」であり続ける必要など、どこにもなかった。
[こんなに遠く 光さえも届きはしないのに
からみつく細いつながりは どこまでも私の胸を貫いて
あの星座がほんものの鋏なら 走れこの宇宙を 二つに切りわけてと 細い腕を伸ばすだろう、今のわたしは]
「二つの宇宙」という、一番好きな歌を絶唱していたその時、無粋な
「ハイウェル基地長、
「理由は? 危険度スケールを示せ」
珍しく緊張感を感じながら、僕は訊き返す。
「それが……どうやら、
無感情なはずの
「ということは、その
「はい。ドック内、発進指示室に。彼女自身を載せるのをうっかり忘れたまま、進宙許可を出したようです」
「せっかくだ、基地長として、そのキャプテンとやらに謁見させていただこう。帰還要請は、OKでよろしい。可哀そうだから、他の船を待たせてでも、最優先で入れてやれ」
「アイアイ、サー!」
その声は、どうもおどけた調子のように思えてならなかった。
しょんぼりと、発進指示室内のパイプ椅子に腰かけている彼女――と呼ばせてもらおう――は、まさに良く見かける、量産型の
一応女性型ということで、セミロングの髪形を模した、ショック吸収線維のカバーが頭部を覆っている。そのグレー・グリーンの色に見覚えがあった。レミの髪。同じ色だ。
「ええと、ゴホン、基地長ハイウェルです。あなたが、『リグレット・オブ・ユース』の?」
ドギマギしながらも、どうにか威厳を保って話しかける。たかが相手は、感情のない機械人形じゃないか。ほんのちょっとレミと似てるからって、それがなんだ。
「はい、船長の『RMI77Σ』です。この度は、私の不注意により、基地長様には大変なご迷惑をおかけましまして」
それに普通、補助ロボットはこんな風に謝ったりしない。感情を持たないのだから、事実を単に告げるだけだ。
「君は……。変だな、どうもこの子は」
つぶやくような僕のこの言葉に、彼女ははにかむ様に答えた。
「実は私は本来、
動揺を示す、疑似フェロモンのフレーバーが流れる。なるほど、愛玩用としての機能は残っているようだ。そしてその香りは、懐かしいあのヴァニラ・アイスにそっくりだった。一瞬にして、僕の心は彗星のように宇宙を駆けた。
大丈夫だよ! と僕は叫びそうになった。それどころか、抱きしめそうになった。全然大したことじゃない。心配はいらない。ドックなんて、僕がどうにでもしてあげる! だって基地長なんだから!
――2087年5月24日。
もちろん宇宙基地日誌にはそんなこと書かなかったが、この瞬間僕の身に起こったのは、つまりそういうことだった。人ならざる彼女、RMI77Σに恋をしたのだ。
(第3話・最終回へ続く)
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