第74話:口論




「っ! 痛ってぇ……」

「もうっ! 我慢しなさい、これくらい……」


 コウとの試合が終わり、控室にて俺は幼馴染でもあるフォルナに手当をして貰っていた。アイツから受けた最後の一撃も痛むが……、一番大変なのは身体全体が筋肉痛に襲われているような感じで、少し動かすだけでもキツい。……憧憬の幻の後遺症とでもいうべきか、正直今日は一人で歩く事も出来ないだろう。


「へへっ、参ったな……。アイツに勝つつもりで臨んだってのに……」

「……だから言ったでしょう? 今の状態でコウさんに勝ちきるのは難しいって……。貴方の能力スキルについて話は聞いていたけど、単純にあの人を身体能力で上回っただけでそれならば勝てるって相手でないのは見てきた貴方が一番よくわかっているじゃないの……」


 そう呆れたように言いながら俺の腕に包帯を巻くフォルナ。別にそんな風に言わなくてもいいだろう……、一筋縄ではいかねえってのはわかってたよ。

 憧憬の幻……。自分が心の底から尊敬した対象の相手と同等の身体能力や実際に使用したのを確認した技や特性などの能力スキル、そして魔法などを自身も放てるようになる秘技術能力シークレットスキルだ。しかしその代償として、憧憬の幻を使用した時間に応じて俺は碌に身体も動かせなくなる……。憧憬の幻スキル自体も当然使用できなくなり……、対象とした人物をもう一度この憧憬の幻にて使用しようと思ったら、まあ5日くらいは待たなければならないだろう。あくまで自分の感覚ではある、が……。


「……これで一通りは大丈夫かな? 本当は神聖魔法を掛けられたらいいのだけど……。ごめんなさい……」

「謝るなよ、フォルナ。いや、謝るのはこっちの方だな。俺がお前に『余剰増幅サープラスブースター』を頼んだんだ。僧侶が神聖魔法を使えない状態にさせてるのは俺のせいだ……」


 こちらこそ悪い……、そう謝る俺にフォルナは首を振る。……そう、実はフォルナにも秘技術能力シークレットスキルが備わっていた。俺と同じ、二度目に神湯泉に浸かったタイミングだ。……幼馴染であるフォルナとウォートル、そして俺の3人が3人とも秘技術能力シークレットスキルに目覚めるなんざ……一体どんな確率なんだか。


「しっかし……本当に秘技術能力シークレットスキルっつうのは国々で見ても数えるほどしかいないってのは本当なんかね? ま、ガチガチに国で管理されてるから、公表されてないって事らしいが……」

「……なんにせよ、貴方は後でユイリさんから大目玉を喰らう事になると思うわよ? 既に治療がひと段落した時点ですぐに連れてきなさい……と怒っていたから。今だって控室の外でユイリさんの部下という方が待機してるもの……。まぁ、護衛って部分もあるんでしょうけど……」


 ……それが実情って事か。公衆の面前で『憧憬の幻』を披露したから、わかる奴にはわかっちまっただろう……。明らかに普通の能力スキルじゃないって事が……。


「……ん? じゃあ、お前の『余剰増幅サープラスブースター』についても伝えたのか?」

「ええ……、私もその時に『何故すぐに報告しないのっ!?』って怒られたわ。あと、心配されたわね。私達以外に知られていないわねって……。やっぱり秘技術能力シークレットスキル持ちの人は厳重に管理されてるのね。他国に知られたら拉致誘拐される事もある……って話よ」

「うへぇ……マジかよ……」


 たかが能力スキルだろうが……と思うも心の中で納得もしている。俺の『憧憬の幻』は、使いどころを間違えなければある意味最強の能力スキルだ。自分より格上の相手であっても勝てる可能性が生まれる……。コウとの戦いで実践したように、相手をリスペクトする気持ちが強ければ強い程、『憧憬の幻』の効果はより強力になるのだ。

 ウォートルの『ソウル.トランス.フィールド』はどんな相手であっても展開すれば自分の生命が尽きない限り何者にも侵されぬ結界を作り出せるし、フォルナの『余剰増幅サープラスブースター』は上限を超えて効果を残す能力スキルである。……簡単に言ってしまえば、能力名の通りに効果を余剰に高める事が出来るのだ。例えば『癒しの奇跡ヒールウォーター』を掛ければ失われた体力が使う者の魔力に応じて回復させるが……、『余剰増幅サープラスブースター』を発動させて『癒しの奇跡ヒールウォーター』を使用すると体力の最大値を超えて回復させる……いわばその過剰に回復した分をブースターとして扱う事になる。そして今回フォルナが使用した『攻撃強化魔法オフェンスパワー』や『集中力増強魔法コンセントレーション』といった強化魔法を掛けて貰っていた事で、普段よりも数段上の戦闘力を維持できたいた訳だ。


「……再び回復魔法や強化魔法を使えるようになるにはどれだけかかるんだ?」

「体力回復系の神聖魔法は……、多分1日休めば使えるようになるんじゃないかしら? ただ、強化魔法は……数日は無理かもね。それ以前に、効果時間を延長してずーっと掛け続けていた事になっているみたいで、他の魔法も使えるような状態じゃないわ。……魔力切れ寸前って感じね」


 やっぱりフォルナの『余剰増幅サープラスブースター』にもデメリットがあるみたいだな……。まぁ、能力スキルの検証についてはこの後行われるみたいだが……はぁ、憂鬱になってきたぜ。


「ま、漸く俺達への過剰な待遇に応えられるってところか。普通、有り得んだろ? 新米の俺達に今までの待遇がおかしかったんだ。……最初はお前の親父さんが手を回してるのかとも思ったがな」

「……冒険者として出る事をお父さんは快く思っていなかったもの。それはないわね。貴方の想像通り、恐らくユイリさんが手を回して下さったんだと思うわ。コウさんの関係で、という事なのでしょう。……本当は公爵令嬢である方に『さん付け』にする事なんて許されない、本来雲の上の人なんだから……」


 フォルナの言う通り、俺達平民が貴族……それも最高位に近い公爵家の人と付き合う事など有り得ない。普通の平民よりは多少付き合いのあるフォルナの実家であっても、下位貴族……せいぜいのところ子爵くらいまでだろうな。実質勇者を助ける少数精鋭のギルド、『王宮の饗宴ロイヤルガーデン』……。そのメンバーの殆どがストレンベルク王国の中でも指折りの重要人物だ。新米のアルフィーはコウが面倒をみるという事で入ったみたいだが、色々水面下で何やらあったみたいだし……。ま、考えていても仕方がない。今言える事は……、


「……コウに勝てなかったか。この憧憬の幻スキルに加え、お前の力まで借りたってのにな……」

「コウさんも言ってたじゃない。正直この試合はどちらに転ぶかわからなかったって……。それでいいじゃない」

「……そうだな。でもよ、俺は……勝ちたかったんだよ。あのコウに……。勇者云々は関係ない……、切磋琢磨してここまで一緒にやってきたあのコウに……真剣勝負して、勝ちたかったんだ……」

「ジーニス……」


 手ごたえはあった。あの一瞬、コウの言う通り『峰打ち・極』を使用して攻撃する部位を変更しなければ……もしかしたら結果は逆だったかもしれない。だけど、次に戦ったらコウは今よりもっと成長している。俺の知らない技も習得し、またひっくり返されるかもしれない。だけど……、


「いつか、いつの日か……ちゃんとコウに勝ちてえなぁ。出来れば憧憬の幻こんな力を使わないでよ……」

「……いつか敵う日がくるわよ。安心しなさい、その時も私が協力してあげるから……」

「ありがとよ。それに……今だったらお前の親父さんも、俺達の事認めてくれっかな?」

「どうだかね……、もっと有名にならないと駄目なんじゃない?」


 言ってくれるぜ……、フォルナの言葉に苦笑しながらも心地よさを覚えていた。漸く、自分がかつて思い描いたような人物に近づけている……。そんな実感も感じられていたからだ。本来なら何年も冒険者として経験を積まなければ到達しなかったであろう境地に……、ある意味コウのお陰で近づけている訳だ。それについては……感謝しているぜ、本当によ……。恐らくはフォルナもそう思っているだろう。当然ウォートルも……。お互いに何も言葉にしなくても、居心地のいいこの瞬間を満喫する。……何時まで待たせるんだとユイリさんの部下が踏み込んでくるまで、俺はフォルナとそんな穏やかな時間を過ごしていたのだった……。











「今日の試合、危なかったらしいな」

「……何だよ、いきなり……。まぁ、危なかったというより負けたかと思ったよ。実際の所はさ……」


 現在、僕は同じく試合の終わったレンに連れられて、先日食事した『リレーション・チアーズ』に来ていた。尤も、今日はあの時のメンバーはいない。所謂、レンと差しで飲み食いしようとしている……という訳だ。


「なんだ、油断でもしたか? あんなにみっちり俺や隊長達から鍛えられてんだ。如何にジーニスが相手だろうがやられる相手じゃねえだろ?」

「……まさか。僕がジーニスをそんなに甘く見てる訳ないじゃないか。彼とはこの世界に来て、まだ戦う力が無かった頃からの付き合いなんだ。……第一に僕が油断できる程、余裕があるとでも思ってるのかい?」


 もしかして……、レンには僕が油断するような人間だと思われているという事なのだろうか……? そうだとしたら、心外なんだけど……。


「……一緒に訓練もする仲だったし、死線だって何度か共に乗り越えてきてるんだ。ただ、今日のジーニスは僕の知る彼の動きじゃなかったし……、実際僕よりも身体能力や何もかもが上だった……。勝てたのは……正直なところたまたま、さ……。10回戦えば9回は負けていたかもしれない……そんな戦いだった」

「ああ、なんでも『秘技術能力シークレットスキル』を使ってきたって言うしな。お前の話を総合すると……、自分の戦闘力をお前を上回るように増加させたって訳か。……となれば、そんな相手に初見でよく勝てたな、お前?」


 ……それは僕が一番驚いている事だよ。先程も言っているように、相手は僕の戦闘力や技、魔法に……能力スキルまでも自分の力に変えてきたんだ。言うならば、僕の力をジーニスのそれに単純に加算させて戦う羽目になっていた。……僕の力が仮に100だとして、ジーニスも100だとすると、あの戦闘に限りジーニスの力が200になっていた計算だ。100対200がぶつかったらどちらが有利か……子供でもわかる。


「ウォートルだけでなく、ジーニスまでも『秘技術能力シークレットスキル』に目覚めるたぁな……。だけど、あんな公衆の面前で使うとは……、アイツ、これからが大変だぞ? まぁ、大変なのはユイリ辺りになるんだろうがな……」

「……因みに聞くけど、『秘技術能力シークレットスキル』って力を持つ者ってやっぱり珍しいの?」


 僕の疑問にレンが手にした麦酒エールをグイッと煽ってじろりとこちらを見る。この店に来てまだそんなに経っていないというのに、レンのそれは既に5杯目だ。心なしか、顔が少し赤みが増しているような気もする。……君、一応僕のお目付け役も兼ねてるんだろ……? なんか、逆に僕が彼の介護役になりそうな気がするんだけど……。僕のそんな不安に応えるようにレンが、


「なんだその目は? 心配すんなって! 俺がこれくらいの酒で参っちまう訳ねえだろ~!? ああ、『秘技術能力シークレットスキル』だったな。『秘技術能力シークレットスキル』とはまさしくその人物だけが使える、あらゆる状況をも引っ繰り返しちまうくらい強力なヤツが多い……謂わば『切り札』」ってヤツだな。他の奴でも習得したりする『固有技』とは違い、先天的に親から引き継ぐタイプと今回のジーニスのように後天的に目覚めるタイプとあるな。お前も、これまで色々経験してきてんだろ? 例えば……グランの奴が使う『絶対空間』も『秘技術能力シークレットスキル』のひとつだぜ?」

「……ああ、あの屑ダグラスとの戦闘時に使っていたアレ? そういえば初めて彼と模擬戦した時も使われて……気が付いたら負けていたっけ。あれも、グラン以外は使えない……特別な技、という事なのか……」


 僕のそんな問いかけにレンが頷き、


「あんなチートな技を誰も彼も使えたら色々持たねえよっ! あれはストレンベルク王国が誇る、グランが代々より受け継いできている『秘技術能力シークレットスキル』さ。さっき言った先天的に引き継ぐ類の……血統能力ペディグリースキルとも呼ばれているがな。まぁ、あれは他国にも周知されている技だからよ、それ故にストレンベルクに英雄グランあり……と言われてる訳だ」

「じゃあ、他の国でも名の知られている人達って言うのは一様にしてその『秘技術能力シークレットスキル』を持っているって事?」


 まあ……言ってしまえば『切り札』って事なのだろう。そういえば、大会初日に戦った……この国で有名な戦士と謳われていたシームラとかいう奴が使っていた能力スキルも特別なものでもあった。


「一概には言えねえがな。ま、そんな連中は何かしらの『奥の手』を持っているものと考えた方がいいと思うぜ? 話を戻すが、『秘技術能力シークレットスキル』に目覚める奴は極めて稀だ。大体1000人に一人……って話だったか? 尤も、『秘技術能力シークレットスキル』を後天的に得た者は、国の財産と判断されてそれぞれで厳重に管理される為、単に知られてねえだけって事もある……。だから、今回のジーニスの件はあれで皆の知られるところになっちまったから、恐らく今頃ユイリ辺りから大目玉を喰らっていると思うぞ? ……水面下でアイツに接触を図ってくる国もあるかもしれねえし、な……」

「……それは大変だ。でも、その理屈で言うと……、レンも『秘技術能力シークレットスキル』を持っているって事?」

「さて……な。お前はどう思う?」


 何気なく聞いた僕の問いに肩を竦めてはぐらかすレン。……あ、これ教えてくれる気はないな。そう感じた僕にレンが苦笑しつつ、


「……正味な話、ああいう類の技は知られてねえ方がいいんだよ。グランが使う血統能力ペディグリースキルのように象徴となっているものは別として、な……。知られちまうと対策されるだろ? するといざって時に警戒される事になるし、使われる前に処理される……って事にも繋がる。例えばよ、先日お前が名家の罠に落ちてカオスマンティスのところに送られちまったろう? あの時点でウォートルの能力スキルが知られていれば、発動前にアイツは外されていたと思うぜ。そうしたら……俺達がお前のところに着く頃には全滅してただろ?」

「…………そうだね。ウォートルが居なかったらどうにもならなかった。彼がいわゆる安全地帯を作ってくれなければ、入れ替わりで戦うといった戦法もとれなかったし、ね……」


 レンの話を聞き納得する僕。確かにどんな強力な力を持っていても、そうと知っていれば対策されてしまう……。現に僕だってシームラがあの風の力を使えると知っていたから……、最終的には精神を攻撃して突破するという作戦に切り替えたんだ。相手の油断を利用しつつ挑発し、相手が通常の状態で戦えないように思考を誘導して……。これは全てにおいて言える事だけど、相手の土俵で戦ったらどんな勝負だって勝つのは難しい。此度のジーニスとの勝負は、ほぼ彼のペースで戦う事となってしまった。最後は彼が僕を殺さないように戦っていた僅かな躊躇、それが決め手となって試合に勝つ事が出来たけど……、何でもありの勝負だったら僕が負けていただろう……。だから、そうならないように上手く自分のペースに持っていかなければならないんだ。少しでも相手の優位性を崩し、自分の展開に持ち込む……。その時点で相手の『切り札』がわかっていれば、確かにいくらでも対策は出来る。要はその『切り札』を使わせないように持っていけばいいのだから……。


「ってそれを言ったらお前こそある意味最強の『秘技術能力シークレットスキル』を持ってるんだぜ? それこそ、お前がこの世界に呼ばれた最大の理由……ともなってるがな」

「…………『自然体』、の事?」

「それだけじゃねえ。そもそも……転移者がこっちの世界にやって来ると、殆どの奴が『秘技術能力シークレットスキル』に目覚めるって聞いてるぞ? 転移者自体が『秘技術能力シークレットスキル』に目覚める奴以上に稀だからよ、転移者もある意味最優先で保護されるんだ。……お前みてえに邪魔だと判断されると真っ先に狙われるが、な」


 ……それはまた、何とも言えない話だ。でも、僕が『自然体』以外でそんな特別な能力スキルを持っていたかな……?


「うーん……、『零公魔断剣』あたりも一応『秘技術能力シークレットスキル』になるのかな……?」

「それは魔法なんかを斬り裂く技だったか? まぁ、あれは形式なんかは違うが『魔法殺しマジックブレイカー』っつう類似の能力スキルがあるな。お前の場合はこれから目覚めるかもしれねえし……、もしかしたら魔法を作り出す才能自体が『秘技術能力シークレットスキル』なのかもしれねえぜ? 一応言っとくが……、独創魔法はそんなに簡単に作り出せる訳じゃねえんだ。お前の使う『重力魔法グラヴィティ』然り……、あのカオスマンティスを打倒する事になった魔法といい……。一流の魔術師であっても魔法をひとつ生み出すのにどれくらい歳月を掛けるかわかんねえんだ。ロレインも驚いてたろ? お前の魔法を聞いてよ」


 そう言われれば……確かに彼女も驚いていたな。魔法を創造するにはしっかりとしたイメージを構築する事が必要だと言う……。向こうの世界にはマンガやゲーム、アニメといった二次元の作品があり、それによって様々な魔法が存在したからイメージは比較的出来ているというのも大きいのだろう。正直、僕もどういう理屈で魔法が発動しているのかなんてわからないし、源となっている魔力素粒子マナがイメージ通りに作用してくれている……と解釈している。


「それに……お前にはアレがあんだろ? 俺に『らーめん』といった旨い物を取り出す能力スキルがよ……。あれが『秘技術能力シークレットスキル』でなくて何なんだよ?」

「あれは、僕の能力スキルという訳じゃない……。あくまで借り受けているだけだ。本来、人の持てる能力スキルじゃないみたいだし、僕がトウヤの件を片付けたら恐らく没収される事になると思うよ」

「な、何ーっ!? じ、じゃあその後……『らーめん』とかはどうなんだ!? 一度アレを知ったら、もうそれが無い生活には戻れねえぞ!?」

「そんな事を言われても……。そもそも、『神々の調整取引ゴッドトランザクション』は君に食べ物を供給する為の能力スキルじゃないし、一応対価も僕が払ってるんだけど……」


 最近、何日かおきの間隔で食べ物や飲み物を要求してきていたレンに若干呆れつつ、レシピについては手に入れておくので、それまでには材料をこの世界で入手できる体制を整える必要性は伝えておく。


「まぁ、それが大変なんだけどね……。僕が米のご飯をこの世界に実装した時の大変さはユイリから聞いてるだろ? 麺自体は……何とかなるだろうけど、その他の材料等はその時までに揃えておかなければならない……。まして、僕だって何時までのこの世界に留まる訳じゃないんだ。やる事は結構あるんだよ?」

「……そうだ。ちょっと今日はその話もしたかったんだがよ……」

「レン……? ん、ちょっと待って……」


 何やらレンが先程までと雰囲気が変わり、何だろうと思ったところで、僕の空間能力スペーススキル、『趣味部屋休憩処コレクションレストスペース』内にいたぴーちゃんが外に出たいと訴えるようにバサバサと騒ぎ出した事を感じ取る。最近は『五色の卵』を温める為に大人しくしているぴーちゃんが騒ぎ出すとは珍しい……。


「ぴーちゃん? どうし……うわっ!?」

「ピィ~ッ!」


 『趣味部屋休憩処コレクションレストスペース』の入口を外に繋ぐと……、ぴーちゃんが勢いよく飛び出し一目散に店の厨房の方に……! ま、まずい……!


「な、なんだ……っ!?」

「こ、小鳥が厨房に……!!」


 や、やばいぞ! 厨房内がパニックに……! 慌てて厨房を覗いてみると……、


「……どうしたんだい? いきなり、吃驚するじゃないか……」

「ピィー……」


 どうやらぴーちゃんはある一箇所で蹲っているようだけど、その付近にあるのは……卵、か……?


「ああ、驚いた。何なんだ一体……」

「その小鳥、君のペットかい? 駄目じゃないか、ちゃんと管理してないと……」


 厨房に居たコックさんに謝りぴーちゃんのところに駆けつけるも、全く微動だにしない。抱き上げようとすると羽根を広げて抵抗する。どうしたものかと戸惑っていると、自分の心と繋がった存在であるニャーニャーが語り掛けてきた。


『なんかそのトリ、卵を守ってるみたいだニャ』

(ニャーニャー? ぴーちゃんが何言ってるのかわかるの?)


 卵を守ってる? 確かによく見ると他の卵には目をくれず、少し形の違う卵があるみたいだけど……。もしかして、それを温めているのか……?


『正確にはわからないけどニャ……、なんか助けを呼ぶ声が聴こえたとか言ってるようだニャ!』

(……何はともあれ、それなら……)


 僕は一先ずこの場を収める為に、この厨房を取り仕切る人に話をつける事にする。すぐに店長らしき人が出てきて、


「……このコがすみませんでした。これは卵の費用と厨房を騒がせた迷惑料です。ぜひお納め下さい……」

「なっ……! これは払い過ぎだ。卵だってその数個分の費用でいいっ!」


 金貨を10枚程……元の世界の価値に還元すると大体30万円といったところだろうか、それを『貨幣出納魔法コインバンキング』から取り出し慰謝料として包もうとしたら店の店長さんが困惑したようにそう話す。


「こちらとしては使えなくなった卵分だけでいい。騒がせ賃としても破格すぎる。そんなには貰えないよ」

「ですが……、衛生面的にもまずいでしょう? 今日の分の食材として使えるかどうかも……」


 ここイーブルシュタインでの食べ物の価値はストレンベルク王国よりは高い。まして、ここはそのイーブルシュタインでも比較的高級店と思われる場所だ。正直、この金額でも足りないかと思っていたんだけど……。


「衛生……? 何を言ってるのかわからないが、破損したもの以外は食材は使うよ。折角の食材を高々小鳥が侵入しただけで破棄してたら勿体ないからね。仮に魔物が入ってきて食材が猛毒に侵されたともなれば別だが……」

「そう、ですか……。でも、それは是非受け取って下さい。卵代以外は僕達の食事の分と考えて頂ければ……」

「君……、連れはもう一人だけだろう? 二人でどれだけ食べるつもりだ……?」


 ここは異世界……、僕の基準で考えてはいけなかったか。もし食中毒にでもなったら……、と言おうとも思ったが魔法の発達するこの世界では脅威でも何でもないのかもしれない……。ジーニスに聞いた、この世界に生きる者は誰でも持っているという『魔導障壁』……。彼からその話を聞いた時、道理で……と色々納得もしたが、火傷じゃすまない大火球を受けたり、致死量を超えそうな雷撃を受けても衝撃やダメージですむのと同様、もしかしたら食中毒や簡単な病くらいはそもそも『魔導障壁』が自動的に防いでしまっていてもおかしくはない。

 いずれにしても、僕は最低でもこの金額は店に払う事を決める。お金はある……。まぁ先日、闇商人であるニックに以前から頼んで探して貰っていた件でそこそこお金を使う機会はあったが……、それでもこれくらいの金額なら問題なく払える……。お金を支払い、ぴーちゃんを固執している卵と一緒に『趣味部屋休憩処コレクションレストスペース』に戻して厨房を出ようとした時、ウェイターの男性が戻ってきて、


「店長っ! 彼女の婚約者の男性が……っ!」

「……そうか、わかった」


 厨房内の雰囲気が変わった……? どこか緊迫感のある機微の変化に何事かと思っていると、やってきた男性が店長さんに縋りつくようにすると、


「パルプンティースは……っ! 彼女がここにいませんかっ!?」

「……残念だが、今朝伝えた通りだ。先日から彼女はこちらには来ていない……。てっきり、婚姻関係の手続等で時間が押しているのかと思っていたが……」


 ままならぬ様子を遠巻きに眺めつつ、レンの待つ席へと戻ってくる。


「……小鳥そいつの件は穏便にすんだか?」

「ああ、何とかね……。それで、これはどういう……」

「聞いてる通りだ。先日ここに来た際に一際目立ってる可愛い子がいただろ? ここの看板娘だったらしいんだが、結婚間際に失踪したみたいだな。あそこに来ているのがその娘の婚約者って話だ」


 ……ああ、確かに明るく笑顔が似合っている女性がいたような気がする……。ガックリと項垂れる婚約者だという男性を痛ましく思いつつ、


「パルプンティース……、一体どうして……。もしかしてオレとの結婚が嫌になったのか……?」

「いや……彼女はずっと君と一緒になるのを心待ちにしていたよ。手続きに向かう日も朝こちらに顔を出して……、嬉しそうに出かけて行ったのは覚えている……」


 婚約者が突然いなくなる……か。考えただけで背中がゾクっとする。僕の世界でもマリッジブルーという言葉はあったけれど……、何の連絡もなく突然いなくなるという事はあまり聞く話ではない。彼らのそんなやり取りを痛ましく聞きながら、僕は小声でレンに話しかける。


「結婚間近の婚約者が失踪する……、そんな事ってこの世界ではよくあるの?」

「さあな……、まあストレンベルクではあまり聞かない話だ。尤も、この国では知らんがな……」

「…………お恥ずかしながら、我が国では珍しい話……という訳ではありません」


 こそこそやり取りしていた僕らの会話に割って入ってきた声に驚き、僕らはそちらを見やると……、


「貴方は確か……アストレアさんの父君、でしたか?」

「コウ殿、先日お目にかかった時以来で御座いますな。そしてそちらは……ストレンベルク王国でも名の知れた冒険者でもあられた……レン殿でしたか。私はこの国での評議会にて議長を務めさせて頂いておりますパラスティン・リオネヌームと申します。以後お見知りおきを……。お二人の間に割って入り申し訳御座いませぬ」

「……別に構わねえよ。聞かれて困る話はしてねえ。それにしても……俺の事はよく分かったな? 一応、変装してるつもりだったんだが……」


 大会でも偽名で出ているレンは、シェリルにも使用されている『認識阻害魔法コグニティブインヴィテイション』によって簡単にではあるが見た目を変えている。尤も、今は髪色等は煩わしいと元に戻してはいるが……。するとパラスティンさんは笑いながら答える。


「ほっほっ……、立場上他国の情勢には気を配っておるのです。かの有名な『獅子の黎明』の先代の団長であられた貴方を見間違えはしませんよ。その服装から察するに、『リンロート』という名で大会にも出場しておられるのですかな?」

「…………ノーコメントだ」

「……ほら、だから言ったのに……。『認識阻害魔法コグニティブインヴィテイション』を解くなら、せめて服装も変えた方がいいって……」

五月蠅うるさいっ! ……で、どうするつもりだ? 大会管理者に言って俺を失格にするか?」


 レンが無表情になりながらパラスティンさんにそう尋ねると、


「まさか! 先日もコウ殿達にはお伝えしてましたが、国としましても私個人としても貴方方と事を構える考えはありません。第一、レン殿は別に偽名にて出場していなくとも、参加はできた筈ですよ。……尤も、秘密裏にストレンベルク王家に仕えている……とでもなれば別かもしれませんが、ね……」

「……まあいい。それで……そっちの奴は誰だ?」

「挨拶が遅れたでおじゃるな……。麻呂もパラスティンと同じく評議会の一員であるゲラハ・オポテュニーと申す。……ここな者とは古き付き合いで志を同じくする……と理解すればいいでおじゃる」


 これはまた、何とも古臭い言葉を使うな……。まぁ、それに関しては僕の翻訳のイヤリングコレが伝えてくるだけで、あくまで自分の印象に当て嵌まりやすい……というだけなんだろうけど。挨拶する為に一歩出てきたその男性は、いかにも上流階級の人間ですという出で立ちをした若干小太りで……パラスティンさんと比べるとその……権力者特有の随分偉そうな印象を受ける。それにこの人、何と言えばいいのか……。僕がそう考えている間にも、彼は続ける……。


「麻呂も是非、そちとは会ってみたいと思っていたのでおじゃるよ。何と言っても、英雄と呼ばれていたあのシームラを倒したのでおじゃるし……、まぐれだったとしても凄いでおじゃる」

「…………それはどうも。それよりパラスティンさん、先程の話ですが……珍しい話でないというのは……?」


 褒められているのかどうかもわからないゲラハとかいう人の話を軽く聞き流して、僕はパラスティンさんに話を聞くことにした。するとパラスティンさんは苦笑しつつ、


「すみません、コウ殿……。ゲラハは少々口が悪いところがありますので……、悪く思わないで頂きたい。それで話を戻しますが……、この国では結婚間近の女性が失踪し行方がわからなくなるという事が往々にしてあるのです。尤も、まれに男性も被害に遭う事もあるようなのですが……」

「それはつまり……、本人の意思とは別に何者かが失踪に関与しているという事ですか?」

「……ええ。国の調査によると、闇の組織が関わっているとの事ですが、ね……。場所は様々なところで起こるようですが、中には国の施設内で行方がわからなくなるケースもあるようです。ですので国の威信にかけても全貌を解明しようとしているようですが……」


 闇の組織、か……。そう言えばイーブルシュタインに向かう前に闇商人のニックもそんな事を話していたか。だけど……、気になるところもある。


「あの、闇の組織とか以前に……施設内でいなくなるっておかしくないですか? 向こうの彼らの話を聞く限り、ドレス試着時云々とか聴こえてきますけど、要はこの国の市役所……言ってしまえば婚姻届け等を受け付けている場所で失踪したってことですよね? ……それ、この国自体が関わっているって事はないんですか?」

「……それはアレでおじゃるか? 国ぐるみで事件に関与しておるのじゃと……そちは宣っているでおじゃるか? であるならば……麻呂たちに対する侮辱でおじゃるぞ!」

「侮辱している訳ではありませんが……、そうでなければ国の公共施設で悠然と犯罪行為が行われていると、貴国の管理体制は節穴であると認めているようなものですけど……そう言う事ですか? そちらの方がこの国にとっては拙い事だと思いますけど……」

「ぐっ、うぬぬぬぬ……っ」


 小太りの男性が顔を真っ赤にさせて呻いている。……この人、やっぱり……。僕は自分の感覚が正しかったんだと確信を深めていると、パラスティンさんがすまなさそうに割って入ってくる。


「すみません、コウ殿……。ゲラハもやめんか。我が国の恥部を突かれたからと言って頭に血が上ったのだろうが、時と場所を考えろ!」

「そちは、プライドが無いのでおじゃるか!? 国を貶されたのでおじゃるぞ! 何故黙って受け入れておる!? 勇者候補じゃろうが何でおじゃろうが……最高評議会の人間として言わねばならぬ事を何故やめよと宣う!? それでも評議会議長でおじゃるか!?」

「……それとこれとは話が別だろうよ。この国で結婚間近の女が行方不明になってるっつーのは事実なんだろうが。んな話、少なくともストレンベルクでは聞いた事ねえぜ。コイツが言ったように、国の管理態勢が疑われてもしょうがねえだろ」


 何やら盛り上がっているのを尻目に……、婚約者がいなくなったと嘆いていた青年が肩を落としながらトボトボと店を後にするのが見えた。その姿を痛ましく思いながら僕はひとつ息をつくと、


「……すみません、ゲラハ殿。僕が軽率でした。決して貴国を貶す意図があった訳ではありません。日々、評議会という場で少しでも国を良くしようと奮闘されているであろう貴方がたを侮辱するつもりもありません。……言葉足らずで申し訳御座いませんでした」

「ふ、ふん……。わかればいいのでおじゃる。……麻呂も些か血が上っていたようである。許されよ」


 ここで事を構えるつもりはなかったのだろう……。こちらが折れれば、相手も矛を納めた。僕としてもどうでもいい人相手に絡んでもいい事はない。ホッとした様子でパラスティンさんが、


「……まぁ、国の中枢に闇の組織の人間が入り込んでいるのは事実です。その者らの手引きもあって、拉致誘拐行為が行われているのでしょう……。ゲラハの言葉ではありませぬが、国ぐるみの犯行ではない……、と思っております。被害に遭っているのは我が国の者達だけではありません。この国に嫁いできた他国の女性をはじめ、偶々イーブルシュタインで式を挙げた者……。貴族、平民問わず被害に遭っております。場合によっては男女とも、と言った話まで……。お分かりの通り、万が一国主導でこんな事が行われていたとなれば……国際問題となります。国の信用が損なわれ、下手をすれば国として体を為さなくなる場合もあるのです。それが分からぬ愚か者は、流石におらぬ……そう思っております」

「……パラスティンさん」


 苦渋の表情を浮かべつつ、パラスティンさんが続ける……。


「それに、もしも……仮にもしも国が主導となり花嫁が目的でこのような蛮行をするくらいなら、今は形骸化している『初夜権』を行使すればいいだけの話です。……わざわざ発覚すれば最悪の状況に陥りかねないリスクを負うとも思えません」

「初夜権、とは……?」

「ああ……、コウ殿はご存じありませんでしたか。尤も、先程申し上げました通り、ほぼ形骸化したものですが、国内で婚姻を結んだ初夜にそこの権力者が新郎に先立って新婦と同衾する権利の事を指します」


 ……最悪の権利だな。僕のいた世界では考えられない……と言いたいところだけど、外国では略奪婚なんて風習もあったりしたようだし一概には有り得ない事とは言えないか。過去に遡ればそんな事もあったのかもしれない……。そうして考えれば、ファーレルここも向こうの世界も人の醜悪さは変わらない……という事かも。

 僕の拒否反応を見て、パラスティンさんがコホンと一息つき、


「まぁ、今ではその者の状況に応じた税を支払う事で免除されているので、結婚税と言った方がいいでしょうか。国が花嫁に婚姻の衣装を提供している事もあり、その代金といっても差し支えはないでしょう。ですから……、私としてもこれはあくまで闇の組織の者達が起こした蛮行であり、国はそれを突き詰める事が出来ていない状況にある……。私はそのように考えております。解決できていない事については、国の者としてお恥ずかしい限りですが、ね……」

「…………そうでしたか」


 パラスティンさんの言葉に思うところはあるものの、僕はとりあえずそのように返事をする。本当はこの国の者達ならばやりかねない……と思っているけれど、ここで追及する事もない。パラスティンさん自身、どこまでそれを信じているかはわからないし、ね……。ユイリの話では、先日シェリルや僕を襲って処刑されたダグラスの一族はお家取り潰しの方向で進んでいるらしいけど、僕にはあれが奴の単独行動だったとも思っていない。目の前のゲラハとかいう男といい……、この国の人間は一部を除いて全く信用できない。


(第一、結婚を機に女性に身分を問わずにドレスを贈る……ってのも怪しい。こんな選民意識の塊のような人達が、そこそこ値が張るであろうウェディングドレスを贈るか……? むしろそれを餌に女性を物色してる……っていうのは流石に考えすぎかな……。例のホムンクルスの件もあるし、何が起こっても驚かないけど……)


 まあ、ここでアレコレ考えていても始まらないか。僕は話を切り上げるべく席を立ち、


「それでは僕達はこの辺で……。ほら、レン! 行こうよ」

「もう出られるのでおじゃるか? 折角の機会でおじゃる、ここは麻呂たちが振る舞うゆえ……交流を深めようぞ?」

「お気持ちは有難いのですけど、生憎先約がありまして……。それはまたの機会にして頂ければ幸いです」


 僕がそこまで言うとレンも話を合わせてくれるように立ち上がる。代金は既に迷惑料と共に包んでいるし問題もない。なおも引き留めようとするゲラハを制し、パラスティンさんに挨拶して僕達はそのまま『リレーション・チアーズ』を後にする。






「……お前の言う先約なんてなかった筈だが?」

「そう言わないでよ、レン……。君だってあの空気の中で食事を続ける気はなかっただろう?」


 店を出るやいなや咎めるように言ってきたレンに僕は苦笑しながらもそのように返す。


「そうだけどよ……。あんな店で食べる機会なんて中々ねえんだぜ? 確かに面倒くせえ奴らだと思ったが、権力者なんてのは大体あんなもんだぞ? あんなの無視してやりたいようにやりゃいいんだ」

「君の言う事もわかるけど……。そうだ、レンは前に冒険者としてここに来た事もあるんだろ? その時のお勧めの店とかないの? 付き合わせたお詫びに僕が奢るから、さ……」


 仕方ねえなと言いつつこっちだと言わんばかりに案内してくれるレン。そんな彼に現金だなぁと苦笑しつつ、僕は自分の感覚が間違っていないと改めて確信していた。


(この世界にやって来てから自分に宿ったこの感覚……。多分、その人の本質を見抜く直感みたいなものだろうけど、それによればあの人は……)


 パラスティンさんの同志とか言っていたけれど、その本性は恐らくあのダグラスとかいう奴と同じ、下衆ゲス野郎だ。そして僕の感覚によると一番ヤバいのはあの……。そんな風に物思いに耽っているとレンから声を掛けられる。


「着いたぜ。俺が前に冒険者としてやって来た時に、使っていた酒場だ。『銀雫の涼亭』……とか言ったっけな」

「……ああ、もう……着いたのかい」


 『リレーション・チアーズ』のあった通りから一本別の通りに入ると、近代的だった印象から一気に変化し……、本当に同じ場所かと錯覚するくらい雰囲気が違う。裏通り、という訳ではないが、建物の造りや材質も異なり庶民的な感じで、連れられた店も大衆食堂といったようなところだった。


「はいっ、いらっしゃー……ってアンタ、レンじゃないのっ! 何だい、この国に来ていたのかい!」

「暫くぶりだな、女将さん。また寄らせて貰ったぜ」


 こじんまりとした店内に入ると、切り盛りしていた女将さんがレンに気付くと気さくな様子で声を掛けてくる。さらにはそんなやり取りに店内にいた人たちまで、


「おおっ、レン! ホントに久しぶりじゃねーか!」

「何だ? ついにこの国に根を下ろす事にしたのか? だったら歓迎するぜ」

「ははっ、そんなんじゃねえよ。国の任務でこっちに来ただけさ。全く、おめえらも変わんねえな」


 彼の来訪を知り席を立って集まってきた冒険者らしき人たちに苦笑しながらそう返すレン。レンが他国の人間だって知っているようだけど……、この歓迎ぶりは凄いな。


「コイツは俺の同僚でな? 今日はコイツの奢りだってんで酒も食べ物もジャンジャン持ってきてくれっ!」

「へえ……アンタ、大食漢で知られるレンにそんな事を言うなんてね……。どうなっても知らないよ」

「レンはな、この店の食材全てを喰らい尽くした事もあるんだぜ? ……悪い事は言わねえから取り下げときな」

「心遣い感謝しますが……彼の大食いは把握してます。約束と言っちゃ約束ですので……」


 僕の言葉に溜息をついて厨房に戻っていく女将さん……。イメージ的には居酒屋さん、かな? 店の外観から想像した以上に席数もあって、そこそこ賑わっているようだ。僕達は案内されるがままに通され……、店の中央のテーブル席に腰かけるとレンが顔なじみの人達と談笑を始めた。ふと壁を見ると、何やらレンの姿絵がある。写真……のように精巧な絵だ。『静止絵抽出魔法ピクチャーズ』の魔法か『形象想定魔法イメージシミュレーション』の応用のような技法が使われているのかは分からないが、そこには大量の空になった皿や酒瓶が散乱している様子が映っている。……成程、レンの大食いはここイーブルシュタインでも異質なもの、という事か。


「お待たせ。取り合えず何時ものを持ってきたよ。後は酒とグラスを置いておくから適当にやっちゃっておくれ」

「おお、悪いな! コウ、今日はちゃんと付き合えよ? お前、酒が飲めねえ訳じゃねえのに、あんまり付き合わねえからよ」

「はいはい……、わかったよ。……あんまりお酒は得意って訳じゃないんだけどな」


 尤も、こっちの世界に来てからというもの、酔いつぶれたり二日酔いを味わう、といった事はなくなったが……。お酒は恐らく麦酒エール……、そして一緒に出されたのは麺料理、か……?


「ほら、食ってみろよコウ。美味いぜ?」

「う、うん……それじゃあ早速……」


 恐る恐るという感じで自分用の箸を取り出して麺をとってみる。ラーメンとは違って麺は幅広いな……。そのまま口に持っていき一口食べてみると……、


「……滑らかでもっちりとした食感だ。うどん……とも違うけど、何処かで食べた事があるような味なんだけどな……」

「女将さん特性の麺料理だ。サーシャのパスタやお前のらーめんとも違うだろ? この国に来た時は最低でも一度はここに来ることにしてんだ。本当はストレンベルクに戻る前日に顔を出そうと思ってたんだがな……」


 そう言ってレンはフォークで器用に食べつつお酒をあおる……。そうだ、思い出した。これ……𰻞𰻞麺ビャンビャンめんだ。確か中国の郷土料理だっけ……。そして、世界一画数のある漢字で表記される料理という記憶が……。


「タレも用意してるからこれに絡めて食べるのもお勧めしてるよ」

「……有難く頂きます」


 なんかレンが周りにも声を掛けてるな……。まぁ、お金なら大丈夫……だと思うけど。明らかに超過した分は後で『神々の調整取引ゴッドトランザクション』で依頼された時に上乗せしてやろう……。こうしてまだ空も明るい内から酒を飲み交わしていくのだった……。






「ところでよ、実のところお前……、どうする気だ?」

「……どうする気って、何が?」


 酒の進むペースが速く、周りの人が次々に酔いつぶれていき、ほぼ僕と指しで呑んでいる状況になったところで、レンが唐突にそんな事を聞いている。主語が無く何のことか分かりかねている僕にレンが、


「勿論、シェリルさんの事だ。決まってんだろ……」

「シェリル? いや、意味が分からないよ。レン、最初からちゃんと説明してくれ」


 いきなりレンからシェリルの事を聞かれ、思わずそう問い返すと、


「だから言ってんだろ? シェリルさんの事をどうする気だってよ」

「どうする気って言われても……」


 急にシェリルの話をされて言葉が詰まる。どうするも何も……。


「最近の彼女がお前の事をどんな風に見てるのか……、お前気付いているのか?」

「それは…………」


 言われてみると、ストレンベルクを出てきて以来シェリルとあまり向き合えていないような……。最後に見た彼女の顔は……何か言いたげで、でもそれを押し殺しているような、そんな表情だった……。


「……俺はよ、ここんとこ結構近くで彼女を見てきたからな。お前よぉ……何でシェリルさんにあんな顔させてんだよ……!」

「あ、あんな顔って……! それに何でレンがそんな事を言ってくるんだよ……。君には話した筈だろ? 僕の、事情を……」


 僕は戸惑いながらもそうレンに返す。……僕が彼女を自分の世界に連れて行けない事情を彼に伝えている筈だ。正直な話、僕だって既にシェリルが傍にいてくれる事が当たり前になってきている。部屋も一緒で、どんな時でも寄り添ってくれていた彼女……。この国に来て以来、様々な事情からしっかりと話せていない事をもどかしく思っている自分もいる。……ああ、そうさ。僕にとって彼女は既に手放せない大切な存在になってしまっているんだ! でも、だからこそ……、


「…………彼女を僕の世界に連れて行けば、絶対に不幸になる。この前話した通りだよ。僕の世界に、エルフ族はいない。魔法も存在しない。重力の問題もあるし、空気や環境の問題、病気になればこちらみたいに治療する事も出来ないだろう……。加えて、僕は向こうでは何の力も持たないただの一市民だ。誰も彼も惹きつける絶世の美貌を誇るシェリルを守れるとは……とても思えない……」

「ああ、そいつは前に聞いたさ。だが……それとこれとは別問題だ。お前の事情とやらで、あそこまで苦しそうにさせていい理由になるか! 先日の、お前が例の名家の連中に嵌められて死神のところへ転移させられた時の様子なんざ……正直見てられなかったぜ。自分もアイツらに狙われてるってのに、必死にお前の為によお……」

「……っ」

「そもそも、お前が彼女に上手く話をつけてさえいれば、こんな危険な状況になってなかったんじゃねえか? シェリルさんが納得していれば、危険のでけえこの旅に加わらず、ストレンベルクに残っていた筈だ。少なくとも、先のシュライクテーペでは騒ぎにはなってなかったろうよ……。お前が名家の連中に目の敵にされる事もなかったかもしれねえ……」


 ……それについては正直ぐうの音も出ない。既に同じような内容をユイリからも聞いている。まぁ、面倒ごとには巻き込まれていたかもしれないが、今とはまた状況は違っていただろう……。流石に、現在の大会出場から刺客に狙われている問題までは関係ないと思いたいが……、どんな見地から判断してもシェリルを説得してストレンベルクに残っていて貰った方が良かったのは間違いない。もっと早い話、お互い離れがたいと思うような状況になる前に手を打っておければ……!


(……今更そんな事を考えても仕方ない。今は先送りしてしまっているけど、いずれは向き合わなきゃいけない問題だ。はっきりさせなきゃいけない……。でも、じゃあどうする? 彼女を連れて行く? みすみす不幸にしてしまうのがわかっているのに? だけど、じゃあ『さよなら』と突き放せるか? ユイリの言葉じゃないけど、シェリルが納得するとでも? そもそも、今の僕は本当に別離という選択が……果たして出来るのか……?)


 そんな苦悩している僕を睨みながらグイッと手にした酒を呷ると、レンはポツリと呟くように言う……。


「……コウ、お前がこのまま手をこまねいている状況を続けるのなら……彼女は俺が貰うぞ」


 一瞬、レンの言葉に自分の耳を疑った。…………は? レンは、一体何を……。


「……まさか、酔っているのか?」

「俺がこんなんで酔う訳がねえだろうが……。俺は、本気だぜ……?」


 ……いや、本気だったらたちが悪いだろ。出会った時ならいざ知らず……、サーシャさんとかレンの現況を知る今となってはそれは……。


「……酔っているんだよ、レン。君は冷静に物事を考えられていない。……自分の心をちゃんと見定めて、それでも同じことが言えるのか? 仮に君がシェリルを娶ったとして、レンの心の中に悲しむ人がいないと、本当に言い切れるのか……?」

「何を言いてえのかわからねえが……、俺はお前のように女を悲しませる趣味はねえ。言っておくが……俺は平民だが、国から複数人嫁を迎えられる資格は貰ってる。シェリルさんの他に嫁をとる事が出来るんだ」


 君……、本当にサーシャさんの事がわかっていないのか……!? そもそも、どうしてレンに女性関係の事で云々言われなきゃいけないんだと苛立つ気持ちが徐々に生まれてくる。それに、レンは勘違いしている。僕が言いたいのは、そんな事じゃない。


「君は何もわかっていないね。仮に、シェリルが君を選んだとして、さらに嫁を迎える……? 悪いけどそれは無理だと思うよ。シェリルを愛してしまったら、他の人に目が向くとは思えない……。良くも悪くも、彼女はそういうタイプの魅力を持つ女性だ。これは君に限った話ではなく僕も同じだろうけど……、シェリルを愛して他の女性も愛するなんて器用な真似、残念だけど出来ないと思うよ……」


 よく男の夢として一夫多妻、いわば『ハーレム』として複数の女性を侍らす……という話もあるが、それを実際に行おうとしたらとても現実的な事ではないとわかる。国のトップたる男の王族や貴族がその血筋を残す為に王妃や側室、愛妾といった女性を囲うというのはまだ理解できる。周りがそれを認め、囲われる女性たちも納得してその座に納まる事を納得しなければ到底成立しないもの……、それが『ハーレム』だ。基本的には大切に想う一人の異性に自分だけを愛して欲しいと感じる人の本能に鑑みても、ハーレムの女性たちは家の為だったり強制的に求められたりで、自らの意思で決めてその事を選択する……というのは僕にはちょっと考えられない。

 ……ハーレムが成立するには、仮に一人の男がいたとして囲われる女性たちがその事に了承しているばかりか、むしろ彼女らが率先して交流を図りハーレム自体を運営するくらいの事をしなければ……多分何処かで問題が出るだろう。男の方だって不公平にならぬよう女性たちを均等に愛さなければならないのだ。もし一時的には出来たとしても……、それをずっと繰り返す事が果たして出来るのか……?


(それが出来ないから僕の世界では……世間で浮気が横行しては離婚騒ぎが起こっているんだ。例え重婚が禁止されていなくとも、必ず問題が起こる……。僕がもしシェリルを受け入れて、他の人も娶れと言われても……恐らくはその人の事までは思い至れない。……ハーレムを形成するにしても、才能が必要なんだろうな……。残念ながら、僕はおろかレンにもハーレムは無理だと思う……)


 そういう意味なら、トウヤはハーレムの才能を持っていると言えるかもしれない。尤も、魅了の力を使って婚約者のいる侯爵令嬢を手籠めにし、その人の権力と手腕も利用してハーレムを形成しているみたいではあるが……。まぁ、ハーレムを運営していくなら理想的なやり方かもしれない。……強引に心を奪った事で、魅了を解除した際の副作用が未知数な為、聖女様にも解呪については様子を見て貰っている事で落ち着いているけど……。話が脱線してしまったが、いずれにせよ通常のやり方ではハーレムは成立しない。


「……お前が何を考えてるかは知らねえが、今の状況を変える気はねえって事だな? それならば仕方ねえ、いい機会だしこの大会でハッキリさせようじゃねえか」

「ハッキリって……、今度は何を……?」


 考え込んでいる僕を一瞥して、レンはそんな事を言ってくる。今度は何を言い出すつもりだと彼の様子を窺っていると、


「簡単な事だ、このままいけば決勝で俺と当たるだろ? ……そこで今回の件にケリをつけようじゃねえか。もしお前が勝てば……俺はもう何も言わん。だがお前が負けたら……シェリルさんはお前に任せてはおけねえ……。つまりはそういう事だ」

「そんな無茶苦茶な……」


 人を賭けの対象にしようとするなんて正気か……? シェリルの意思を無視して従わせようなんて……ってレンがそういう事をするような奴だろうか? これまでの付き合いでレンの人間性は掴めていると思うけど……。なら……、このように聞けばいいか。


「…………ひとつだけ、約束して貰えないか? シェリルを苦しめる事だけは……避けて貰いたいんだ」

「今もなお彼女を苦しめているお前が……それを言うのか?」


 ……僕が現在進行形でシェリルを苦しめているというのは、確かにそうかもしれない……。ここ最近、シェリルの笑顔を見てない気がする……。でも、これだけはハッキリさせておきたい。レンの返答に詰まりながらも、僕は彼をジッと見続ける……。


「……わあったよ、俺だって彼女を苦しませるのは本意じゃねえんだ。こんな提案をしてるのだって、そもそもお前が……ってそいつはいいか。で、どうなんだ? 受けるのか? 言っておくが、手加減はしねえ……。ジーニスのように、致命傷を避けるなんて真似は多分出来ねえぞ。言ってみりゃあ……気を抜いたらマジで死ぬぞ? ……それでも、受けるか?」

「…………ああ、受けるよ。君の言いたい事はわかったし、確かにいい機会だ。この短期間でディアス隊長にみっちり扱かれた……、その成果を試す為にも本気で君と立ち会ってみたいと思っていた」


 レンの言葉に僕はその挑戦を受ける決意を固める。少なくとも、レンがシェリルを強引にモノにする……というような暴挙に、私利私欲の為にシェリルを手に入れたいというトウヤやこの国のクソ名家の連中とは違う事がわかった。恐らくはユイリのように、レンにはレンの考えがあるんだろう。それならば……受けて立たないといけない。

 それに、僕としてもレンとは一度本気で戦ってみたいと思っていた。決して戦闘狂ではないと自負しているが……、血反吐を吐きながら身に着けた技や能力スキルをぶつけてみたいという感情も確かにある。……そんな新しい自分の発見に驚きつつも、それらも受け入れてレンを見返す。


「へっ……、じゃあこの話は終いだ。今日はとことん呑むから……お前も付き合えよ?」

「……さっきまで咎めるような話をしていたのに、今度は付き合えって?」

「ああ、そうだ。勿論、試合は本気で戦うぜ? だが、話がついた以上それについてウダウダ言ってても始まらねえだろ? 折角のメシも不味くなっちまう。今日は俺に付き合う約束だろうが。いいから呑め!」


 そう言って僕の空いたグラスに並々と麦酒エールを注ぐ……。全く、僕はあまり麦酒エールは好きじゃないってのに……。まぁ、こうなった以上付き合うしかない、か……。諦めて僕は注がれた麦酒エールを呷ろうとしたその時……!


『――コウッ!! 緊急事態よっ!!』

「っ……ユイリ? 一体どうし……」

『貴方のメイドが……、モニカが襲われたわっ!!』

「!? な、何だって!? モニカちゃんが……っ!?」


 ユイリから緊急の『通信魔法コンスポンデンス』が送られてきて、その内容に僕は思わず固まる。ユイリからの報告に呆然としているとそれを怪訝に思ったレンが訊ねてくる。


「…………どうした、コウ?」

「……い、行かない、と……」


 レンの言葉に条件反射気味にふらっとしながら立ち上がると、


「お、おいっ! 何処に行くつもりだっ!?」

「ここの食事代は、後で僕が払うから……レンが払えるくらいに納めてね……」

「そ、そういう話じゃねえ! 一応俺はお前のお守りなんだぞ!?」

「……ユイリが近くに影を迎えによこしたみたいだから大丈夫。行くのは、僕一人でいい……」


 コウッと叫ぶレンをそのままに僕は店を駆け出す……。正直頭が真っ白でどうなっているかもわからない。辛うじて聞き取れた事は何とか未遂で助け出せたとの事だったが、何か重大な問題が発生しているらしい……。


(もうこれ以上、自分の知っている人が……、ましてやモニカちゃんは名前を知っているだけの知人という訳じゃない……! どうか、無事でいてくれ……!)


 そう願いつつ、焦燥感に身を包まれながら、僕はユイリに指定された場所へとひたすら走るのだった……。



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勇者になりたくない主人コウ~故郷への帰還を夢見て~ 時斗 @tokito7

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