第35話 終章・魔俠ここに誕生す(その4)
やがて雪華は立ち止った。
雪華の冷え切ったまなざしの先には、竜宮寺大助がいた。
両太腿を撃たれて歩けない竜宮寺大助は、股間をぐっしょり小便で濡らしており、それでもなお、薄ら笑いを浮かべているのだった。
「こ、これを見ろ」竜宮寺大助は右手を上げて云った。「これはな、スイッチだ。そして、あっちを見てみろ」
その右手の指し示す方向を、雪華は見上げた。
ライトアップされた大観覧車が、そこにあった。
「あそこの天辺のあたりを、よく見てみるんだな」
よく見ると、その天辺あたりに至っている観覧車のゴンドラの正面に…中にではなく、扉の前にだ…人の姿があった。
「アッ…雪緒さん! それに、雪仁君!」
そう叫んだのは、平之助だった。
そう。
その、天辺近くの上下二つのゴンドラのそれぞれの扉の前に、まるでキリストの磔刑図のように十字の形にされている人の姿とは、確かに雪緒と、雪仁の親子なのだった。
「あのゴンドラには、爆弾が仕掛けてある」竜宮寺大助はさらに高々と右手を掲げる。「そしてこれはそのスイッチ…ギャッ」
竜宮寺大助の叫びと、その右腕が肩から切断されたのが同時だった。
右腕は雪華の前に落ち、竜宮寺大助の、腕を失った右肩からは、おびただしい量の血が噴き出すのだった。
「ああああっ。右腕、右腕斬りやがった」竜宮寺大助はおいおい泣きながら叫ぶ。「おまえ、実の父を手に掛ける気か」
「実の父だと。笑わせるな」雪華は冷え切った声と表情で云う。「私の父は花澄無常。おまえ如きじゃない」
そして雪華は竜宮寺大助の左腕も切断した。
「ぎゃああああああッ」竜宮寺大助は絶叫する。「命、命だけはお助けを。り、竜宮寺製薬のひ、秘密を教えるよ。筆頭株主になってもらったっていいんだ」
「興味ないわ」雪華は竜宮寺大助の右肩に右手を置いて、凄艶な笑顔を浮かべて云う。「あんたには、じっくりと苦しんで死んでもらう。それが、あんたが虫ケラのように殺していった人たちへの、せめてもの供養ってもんだ。フフッ、そうそう、まずはここを斬ってあげないとね」
そう云って雪華は、竜宮寺大助の小便に濡れた股間に右手を閃かす。
赤黒いものがボロリと落ちて、血が噴き出る。
しかしもはや竜宮寺大助は息も絶え絶えで、叫ぶことも出来ないようだった。
「ああもう」雪華は薄笑いのまま云うのだった。「そんなにラクに死なれちゃ困るのよ」
雪華は改めて、竜宮寺大助の右肩に右手を置くと、グイと力を込めて、斬り下ろした。
骨が切れ、血管や肉を引きちぎる感触が、生温かい体温と共に伝わって来る。
おびただしい量の鮮血が、まるでポンプ仕掛けのように雪華に噴き掛かり、その肢体を紅に染めて行く。
雪華はゆっくりと、竜宮寺大助の下腹部まで斬り下ろすと、今度は左肩に向かって斬り上げた。
まだ鼓動を打つ心臓の所で一旦止めて、改めて力を込めて、それを真っ二つに斬り裂き、肩まで一気に斬り上げた。
そして、竜宮寺大助の顔面を思い切り右足で踏みにじるように押し蹴ると、メリメリッという音と共に、ちょうどVの字型に斬れて、その首とその下に三角に残った胴だけが、後ろにズン! と倒れた。
Vの字にえぐられて残った胴体からは、血だけがピチャピチャと噴き出ていたが、やがてそれも収まってしまった。
と、不意に背後に殺気を感じ、雪華は飛び上がって宙でクルリと一回転して、そいつの背後に着地した。
そいつもクルリと向き直り、青龍刀をブンブン振り回す。
ヒヒ蔵だった。
雪華はバク転につぐバク転で後ろに下がったが、ヒヒ蔵はブン! ブン! と青龍刀を雪華に向けて振り下ろし続ける。
いい加減、体力の限界に近付きつつある雪華には、こいつとこれから改めて戦うのは、かなりキツイものがある。
しかも、こいつは…。
観覧車に磔になっている雪緒が、何かを叫んでいる。
雪華にはそれが聞こえるのだが、あえて無視している。
雪緒の云っていることは、雪華にはとっくにわかっていることだったからだ。
「私を」雪緒は叫んでいる。「私を殺さないと、その男は死なないわ。その男を蘇らせたのは、私なんですもの」
だから、そんなことはわかっているって!
雪華は心の中で叫ぶ。
でもそうしたら、お母さんはもちろん、丹波さんだって、本当に、死んでしまうじゃないの。
月下の廃村の湯船の中で、雪華を抱きすくめた丹波が告白したのは、そのことだった。
「俺は、実はもう、とっくに死んでいるのだ。十七年前、俺は軍の内偵者として、この山奥に足を踏み入れた。だが俺は、村に入る前に、結界に引っ掛かって雪崩に呑まれ、死んだのだ。その雪に埋まった俺を掘り出し、蘇らせたのが、おまえの母親、雪緒だった。この村が抱えていた驚天動地の術とは、死者を蘇らせる術のことに他ならない…。ただその術で蘇った者は、その術を掛けたものが死ねば、共にまた死なねばならない。つまり、おまえの母親、雪緒が死ねば俺もまた死ぬのだ。逆に、俺が生きているということは、雪緒もまた生きているということなのだ。…ついでに云っておくと、雪緒が村の結界の外に出て行ったのは、自分の好奇心のためなんかじゃない。まだ蘇生して間もなくてボウッとしている俺を気遣って、俺に付き添って下界まで送り届けてくれたんだ。俺はその時もう軍人であることにウンザリしていて、この任務を終えたら退役するつもりだったのだが、これを幸い、そのまま任務を放棄したのだ。だが、町まで送ってくれた雪緒はそこで悪い男…すなわち、竜宮寺大助に襲われ、犯されたのだ。俺とほんの少しはぐれてしまった隙の出来事だった。俺は一旦は雪緒と一緒に逃げた。雪緒は孕んでいた。俺と雪緒は別の地方で、ほんの短い間だが、一緒に暮らした。正直、その生活は愉しかったし、俺は雪緒を愛してもいた。俺はそのまま雪緒と添い遂げたいと思っていた。だが雪緒は、故郷の村の長…すなわち、自分の父親ときちんと話をする、だから故郷に戻ると云って聞かなかった。俺は一緒に付いて行った。雪の深い冬だった。雪緒は村長とは一人で会う、と云ったので俺は結界の外で待っていた。この時俺は、万が一のことを考え、無常さんにも助っ人で来てもらっていた。ところが、竜宮寺のヤツらは俺たちを尾行していた。マモノの女が息子大助の子を孕んだと知った親父の竜宮寺大造が刺客を放って、雪緒を消そうとしたのだ。滝の際に追いつめられた雪緒を、俺が助けた。俺は無常さんの待つ炭焼き小屋に雪緒を運び込んだ。そしておまえが生まれた。だが雪緒はおまえを残して行方をくらました。俺はすぐ行方を追ったが、見つけられなかった。そして数年前、ようやく消息をつかんだ。だがその時雪緒はすでに大江先生と幸せな家庭を築き、男の子まで儲けていたのだ…」
「でも今の話だと」震える声で雪華は訊いた。「丹波さんは一旦はお母さんと暮らしたんでしょう? つまりその…例えばその時に…」
「俺と雪緒の間におまえが出来たんじゃないかって云うのか」丹波は深い溜息をついた。「残念ながら、それはない。その時も、俺は男として駄目だった。何故なら、俺を蘇生させた時、雪緒は俺の心臓をはじめ、身体の隅々まで念入りに手を触れ、蘇らせたのだが、たった一か所、俺の股間にだけは、触れることが出来なかったのだ。まだ今のおまえと同じ、十七の娘だから、無理もない。だがそのために、俺の男としての機能は、俺の本来の寿命と共に、失われたのだ」
(ごめんなさい、丹波さん。あの頃の私は、そんなことまで思い至らなかったの。今だったら、真っ先に考えたのに…)
寒風吹きすさぶ夜空高くに磔にされながら、雪緒は思った。
(私は一度も丹波さんとは契れなかった。でも、確かに愛していた、その時は。そして、もしかしたら、今でも…)雪緒は深く、深く溜息をつく。(これが…死者を愛した者の受ける、報いなのか…)
雪崩に呑まれた丹波を掘り起こした時、彼はすでに死んでいた。
その丹波の死顔を雪緒は美しいと思い、一瞬で恋をした。
その一瞬に燃え上がった恋の一念だけで、雪緒は丹波を蘇らせた。
確かにそれは、究極の背徳であったかも知れない。
以後どれだけ懸命に、真剣に生きようと、神はその根本の背徳を、お許しにならなかったのかも知れない…。
雪緒は足下はるか下を見下ろした。
そこに、その死者、丹波の姿があった。
そう、結末は、つけねばならぬ。
「撃って、丹波さん!」声を限りに雪緒は叫ぶ。「私を撃つのよ。そしてもうこの馬鹿馬鹿しい茶番を、終わりにしましょう!」
パアアアーンンンッッッ…。
夜空に、銃声が響いた。
ハッとして、雪華はその方を見る。
丹波が、観覧車に向けて、拳銃を放っていた。
雪華は慌てて観覧車の方を見る。
観覧車のゴンドラに磔になっている雪緒は、微笑んでいた…。
が、その胸にたちまち赤い染みが広がり、雪緒がガクリと、首を垂れた。
「お母さああああーんんんんッッッ」
思わず雪華は絶叫していた。
すると、とたんに目の前で青龍刀を振り上げていたヒヒ蔵の首が勝手にズルリとその足元に落ち、たちまち腐り始めた。
そして丹波は…。
丹波は観覧車に拳銃を向けたまま、動かない。
チラリと、雪華の方を見て、微笑んだ。
雪華は、絶句したまま、丹波を見つめている。
丹波はみるみるしぼんで、ひからびて、
完膚なきまでに丹波は崩壊し、拳銃が乾いた音を立てて地に転がった。
「アッ、大江先生」
あちらでは平之助の叫びが聞こえる。
呆然と手に拳銃を持って突っ立っていた大江医師の額に小さな丸い穴が開き、その場にどっと倒れた。
雪華は呆然として、死屍累々の荒涼たる光景の中に佇んでいる。
丹波の拳銃を拾って、こちらに近付いて来る者がある。
橘藤だった。
雪華がキッと、そちらを見る。
橘藤は細巻葉巻を取り出し、口にくわえたが、ライターがないのに気付いた。
「まあいい」橘藤は呟き、そして雪華に云った。「…それにしても、凄まじい破壊力だな。…私は東部第七憲兵隊隊長、橘藤伊周中佐だ。…どうだ、俺と組まないか。おまえのこの破壊力と、俺のこの頭脳があれば、我が国ばかりじゃない。全世界だって征服できる」
雪華は無表情に橘藤の顔を見据えているが、その視界の隅で、ようやく地上に降りて来た観覧車から、彫鉄が雪仁を解放するのを見ていた。
それを見極めたとたん、雪華は橘藤の前でバク転した。
その際に、雪華の足の指はピッ! と橘藤がくわえた葉巻を飛ばした。
屍体の山の間を巧みに何度もバク転して大階段の下まで行った雪華は、そこで一息に跳躍して、とんぼを切って階段の最上段にタン! と軽やかに立った。
そして橘藤に云った。
「あんたの話に興味はないわ」そして呆然と雪華を見やる平之助に云った。「平之助さん、あの子…雪仁を、お願いね。あの子は私のたった一人の弟よ。よろしくね。じゃ、元気で。ごきげんよう!」
「あっ、雪ちゃん、どこへ…」
そう叫んだ平之助に向かって、雪華はそれまで見たことがないほどのとびっきりの笑顔を向けると、また一つバク転して、大階段の向こうに、その姿が消えた。
「ま、待てッ…」
橘藤は大急ぎで大階段を駆け上がり、最上段のへりまで駆け寄った。
闇の中、白いものが駆けてゆくのが見える。
駆けてゆくその先にあるのは…海だ。
「おうい、お嬢、ここですよう」
とっぱずれた声がそう呼ぶのが海から聞こえる。
橘藤は拳銃を抜き、闇に向かって撃った。
手応えがあったように思えた。
しかし同時に、何かが水に飛び込む音が聞こえた。
そしてそれっきり、すべての音は深い夜の闇の中に呑み込まれた。
「魔俠、ここに誕生す…か」
橘藤は闇の奥を凝視したまま、呟いた。
あとには深遠なる静寂だけが残った。
魔俠伝 了
魔俠伝 自嘲亭 @jicyou
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます