第5話 星

 煌々こうこうと辺りを照らしていた月がたなびく雲に隠れ、部屋の中が暗くなる。震える手の輪郭が曖昧になっていく中、この二日間の出来事が凄まじい勢いで脳内を駆け巡っていた。


「オレは……――」

「そう。御堂みどう凛太郎りんたろうくん、君は……」

「幽霊だったのは俺の方――なのか」

「ごめんね。教えたら消えちゃいそうで怖かったから……なかなか言えなかった。でも、とうとうタイムリミットが迫ってきちゃったみたいだね」


 少女の言葉を耳にしながら、半透明の手をしばらく見つめる。自分が何者であったかを思い出したように生前の映像が脳裏に浮かんだ。


 ――中学三年の秋。俺、御堂凛太郎は交通事故で死んだ。


 一瞬の出来事。自分の体が発泡スチロールみたいに衝撃で飛ばされていく感覚が俺の持つ最後の記憶である。


「はは……。馬鹿なやつだな、俺って。死んでるのはお前だっつーの。幽霊っぽくないとかいろいろ文句つけてた自分がバカらしい――」

「凛くん……」


 先程まで自分が幽霊だと思いもしなかったが、不思議と心は早々に落ち着いた。生前の記憶が戻ったおかげだろう。


「なあ、一つ聞かせてくれ。婆ちゃんの家にお前が問題なくいるってことは俺の親戚か何かか? 種明かしも済んだことだし、そろそろ自己紹介してくれよ」

「うん――そうだね。今まで、のらりくらりとごまかしていたけれど、いいかげん私のことを話さないとね」


 うつむきかげんだった少女は俺の方をまっすぐ見つめると小さな口をゆっくり開いた。


「私の名前は――御堂みどうりん。君の妹だよ」

「あ〜妹ね――って妹!?」

「そう。妹。凛くんが亡くなって、二年後に生まれたのが私」


 ――知らぬ間に俺は兄になっていたのか。名前、凛ってことは俺から取ったんだろう。


「凛くんは私のお兄ちゃんなんだよ。とは言っても生まれた時には既に亡くなってるし、お盆のおかげか幽霊の姿でこうして会えたわけだけれど、同級生になっちゃってるから、あまり実感が湧かないんだよねー」

「ああ、俺もだ。自分が死んでるって自覚した直後の発覚だからな。状況の把握と整理で手一杯だ」

「だよねー。あ、そうそう! 私の名前は凛くんにちなんでつけられたんだよ。気づいた?」

「太郎がないだけだからな。いやでも気づいた」




 俺と少女は寝転びながら雑談にふけった。俺の生前、凛が歩んできた日々の話、とにかく話題は尽きなかった。俺が死んだ時、両親は深く落ち込んだそうだが、家を売り払い、凛が生まれたりと、とりまく環境が変わったことでなんとか持ち直すことができたらしい。元気に過ごしているみたいで何よりだ。


「凛くんいつ消えるかわからないからさ。漫画だらだら読んでる時にもったいなく感じちゃって急かしちゃったんだよね」

「確かにめっちゃ出かけようって急かしてたな」

「うん。でも凛くんが次いつ読めるかわからないって言い返してきた時、ハッとしてさ。凛くんの限られた時間なんだから好きにさせてあげなきゃって反省したの。ごめんね」

「気にすんな。あの時はただ単に続きを一気に読みたくてごねただけ。深くは考えてなかったよ」


 半透明の手を窓から覗く月にかざしてみる。柔らかい光が透けて見えるが意識を集中すると手の像が濃くなり遮ることができた。俺に残された時間はあまりないようだが、気持ちを強く保つことでまだ現世にいられるようだ。俺の動きを横目で見てきた凛が心配そうな声色で問いかけてくる。


「凛くん、いつまでこっちにいられるの? もしかしてすぐ消えちゃいそうなのを抗っていたりする?」

「今日いっぱいまではいられそうだ。何も考えていないと体が消えていきそうな感覚はあるが、意識を保つことで抵抗できる」

「そっかー。今日までなんだ。何かやりたいこと……やり残したこととかある?」

「やり残したことか。正直ないんだよな――スイカ……花火……この辺はしときたいな。夏の締めくくりとして」

「花火ね。わかった! 暗くなるまで消えないように頑張ってね」

「どうしてもやりたいわけじゃないからな。消えても気にするな」

「もう! どうしてそういうこと言うかなー。頑張るって言ってよ」

「はいはい。頑張ります」




 薄暗くなり始めた西の空を眺めていた。横に置いてある皿からスイカを手に取り、口に運ぶ。水々しさが口の中を一気に広がっていった。


「美味し〜」


 横から間延びした声が聞こえてきた。


 ――俺の感覚はあるけれども、実際に食べているのは凛なんだよな。


「滑稽な話だ。感覚の共有なんて思っていたけれど、俺が借りてるだけ。所謂いわゆる、憑依ってやつなんだろう」

「私は最初から取り憑かれてるなーって感じだったけどね! 齟齬が起きないように凛くんの中で上手く処理されていたんだろうねー」

「お前……数時間前まで重苦しい感じだったけど、えらく元気だな」

「見送りだからね! 最後くらいは明るくしないと。暗いとなんか辛気臭いじゃん?」

「なるほどな。お前らしいよ」

「さて、そろそろ始めようか!」


 縁側で足をプラプラ揺らしていたのをやめて、満面の笑顔で花火の入った袋を凛は掲げていた。




「メインの手持ち花火は大体終わったな。あとは線香花火くらいか」

「そうだね。私、線香花火長く続けるの苦手なんだよねー。すぐポトっと落ちちゃう」

「動きがガサツだから落としてしまうんだよ。ジッとしてろ」

「それが難しいんだよな〜。あっ、そうだ。凛くん、勝負しよ! どちらが長く続けていられるか」

「勝負? お前が一人でやっていることだから勝負も何もないんじゃないか? 俺幽霊だし。一人で二本持ってやるのか?」

「確かにねー。よし、じゃあそれで行こう。左が凛くん。右が私ね!」


 あまり意味のない勝負が始まった。俺はただ見ているだけで、頑張るのは一人だけ。


 ――無駄なことでもこいつは一生懸命楽しむんだよな。いや、少し違うか。楽しくないものを楽しくさせる。そんな魅力を持っているんだ。


「ねぇ、消えるのって怖い?」


 暗闇の中に暖かい色で浮かぶ顔がふと口を開いた。


「怖くはないな。不思議と気持ちは落ち着いている」

「三日間、短かったけれど楽しかった?」

「悪くなかった。俺は生前、一人っ子だったからな。妹がいたらこんな感じだったのかなっていろいろ思わせてくれるような三日間だった」

「そこは楽しかったって素直に言ってほしいな。だらだらマンガ一緒に読んだり、ゲームしたり……勉強教えてもらったり。一見すると大して中身のない時間の過ごし方だけど、そこがまた何気ない兄妹の日常みたいで私は楽しかったよ?」

「ああ。そうだな。楽しかったよ」

「んふふ。素直でよろしい……あのさ……消えた後ってどうなるんだろうね」

「消えるというか、元から死んでるからな。元いた場所に戻る? そんな感じじゃないか」

「マンガみたいに異世界転生とかしないのかな? 魔王を倒すみたいなやつ」

「おいおい、やめてくれよ。そんな過酷な世界に行きたくねぇ……」

「今のでフラグ立ったらごめんね〜」

「本当にやめろ」

「ごめんって」


 会話が途絶え、線香花火がパチパチと燃えている音だけが辺りに響く。俺はこの三日間ですっかり慣れ親しんだ少女の顔をジッと見つめて、口を開いた。


「凛。ありがとうな」


 少女の右手から小さなあかりが暗闇に吸い込まれていった。


「ああ! 急にデレ出すから動揺して落ちちゃったよ。もう〜!」


 左手からも続くように灯りが消えた後、少女は上を見上げてしばらく佇む。


「勝ち逃げはずるいよ――お兄ちゃん」


 満天の星がどこまでも広がり、輝いていた。



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隣の幽霊少女X 妄限界 @Mogenkai

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