第4話 憐れみと悲しみの狭間

 アスファルトの照り返しにうんざりすること十分、オレと幽霊少女は木々が生い茂った農道に差し掛かっていた。木陰に自分の影が入り込んだ瞬間、清涼感が体を包み込む。


 ――さながら砂漠の中のオアシスだな。


「涼しい〜最高!」


 隣から満足そうな声が聞こえてくる。田舎とはいえ、人がよく通る道は大体舗装されており、照り返しの暑さは都市部とそこまで変わらない。木陰を見つけて、嬉しくならないやつはいないだろう。


「あの辺にクヌギがたくさん生えててさ、小学生の頃よくカブト虫を採りに来てた」

「カブト虫? ゴキブリと似てるからなんか嫌だなー」

「ゴキブリと一緒にするなよ。カブト虫はあんな気持ちの悪い動き方はしねーし」


 カブト虫は少年のロマンだ。深みのある黒と鈍く光る体表は戦国武将の甲冑かっちゅうを彷彿させる。幹の上で他の昆虫を易々と投げ飛ばすその姿は雄々しさを感じさせ、子ども達の心を鷲掴みにする。


「木の幹を蹴飛ばすとボタボタ雨みたいに虫が落ちてくるんだ。カブト虫は早い時間に起きないといなくて、ちょっと遅めだとクワガタしか採れないんだよな。一緒に落ちてくるカナブンが煩わしかったりする――」

「ボタボタ雨みたいに落ちてくるの? なんか想像したら鳥肌が……」


 ――幽霊が鳥肌って……むしろ鳥肌を立たせるのはお前ら側だろ。


 くだらないことをぼんやり考えながら、ふと何年か前の情景を思い浮かべる。自分と同じ年頃の小学生と暑い中、汗を流して走り回った夏休みの記憶――。


「この辺は土地勘ないからさ、どこで虫が取れるかとか、一切わからなかったんだけど地元のやつと仲良くなれて教えてもらったんだ」

「へえー。仲良くしてもらえたんだね。慣れない土地で知り合い作るのって難しくない?」

「小学生の頃だしな。難しくなんかなかったよ。気づいたら遊び仲間の一員だった」


 子ども同士だと不思議なもので、特別なことをしなくても少しばかりの時間があれば打ち解けてしまう。生きた経験が少ない分、興味を持つものや話題の種類が限られ、お互いに共感しやすいのだろうか。見るもの全てが新鮮に感じられ、輝いて見える時期。成長するにつれ、そういったものを失っていくのは、なんとも寂しいものだ。


「ずっと歩いてたからなんだか喉が渇いてきちゃったー。凛くんコンビニ行こうー」

「幽霊のくせに生命力溢れる発言だな……オレもアイスが食べたくなってたところだ。行くか」


 小さな橋を二人並んで歩いていく。川のせせらぎを耳にして、喉の渇きが少し和らいだような気がした。


 ――自転車があれば楽なんだけどな。


 オニヤンマが一匹、下流から上流に颯爽と飛び去っていくのを視界の端で捉えながら、とりあえず足を進めるのであった。





「こういう日差しの強い日はやっぱアイスだよねー」

「あーわかる。氷菓系のやつなんかたまらないよな。一口かじって飲み込んだ時の体に染み渡っていく感じが癖になる」


 コンビニでの買い物を終え、オレと幽霊少女は帰路に就いていた。隣でご満悦な表情をしながらアイスを頬張っている少女を一瞥しつつ、棒状のアイスを口にする。喉を通り過ぎたあたりで頭に痛みが走り、悶えながらも奇妙な光景に想いを巡らした。二本のアイスを視界に捉えているわけだが、二本買ったわけではなく、あくまで買ったのはオレの一本分。麦茶の時と同様に、オレの脳みそが都合のいいように処理をしているわけである。一人分の負担で倍の幸せを得られるとは、なんともコスパの良い現象だ。ただ、対象がこの幽霊だけというのがとても残念である。


「真夏に田舎の農道で二人並んでアイス食べながら家に帰るのってなんかエモいね〜」

「えもい? なんだそれ。どういう意味だ」

「エモいが通じないかー。んーとね……趣があるってこと!」

「あー趣か――うん。エモいかもな」

「夏って他の季節と違って特別感ない? 風景写真一枚見ただけでもノスタルジックというか感傷的な気分になるよねー」

「長期休暇の時期だけあって、イベントとか多いからな。その分、思い出が蓄積されて、夏というものが特別感のある季節へと昇華されるんじゃないか?」

「なるほどねー。あ〜暑かった……早く部屋に入ってゴロゴロしよー」


 幽霊少女はくたびれた顔をしながら目の前の家に向かって小さく呟いた。


 ――もう着いたのか。


 夏談義をしているうちに家に着いていたようだった。以前同じ道を歩いた時はもっと長く感じた道であったが、話し相手のおかげで幾分か退屈は紛らわせたようだ。


「ただいま」

「おかえりぃ。凛、思ったより早く帰ってきたねぇ」

「ああ。外暑くてさ。ぷらっと散歩して終わりって感じ」

「田舎だからねぇ。行くとこ限られるからつまらんだろう。まぁ、部屋に篭るよりかは外出たほうが少しは気晴らしになるかねぇ――」

「そそ。気晴らし、気晴らし。婆ちゃんがもらってきたマンガやゲームでもして時間潰してるわ」

「自由に使ってくれて構わないからねぇ」

「はーい! 勝手に使わせてもらいます〜!」


 ――お前はおとなしくしていろ。


 オレの体を後ろからすり抜けるように幽霊少女は階段を駆け上がっていった。ヒラヒラ蝶のように動く小さい背中を眺めている時にふと自分の口角が少し上がっていることに気づく。幽霊に振り回されるのは疲れるけれど、オレも心のどこかで楽しんでいたのだろうか。


 ――退屈凌ぎにはなるし、悪い気はしない。


 やれやれと肩をすくめて、後に続くように階段を登っていく。心なしか足取りは軽かった。





「あ〜くそっ! このコントローラー壊れてやがる!」

「またそうやって言い訳して〜。凛くんが下手くそなだけだよー」

「ちげーよ! ここのボタンの効きが悪いんだ。肝心な時に押しても反応しないんだよ」


 部屋の隅で埃を被った一昔前のゲーム機を見つけたのでオレ達は暇つぶしに遊んでいた。幽霊少女と交互にプレイし進めていたが、ここに来てコントローラーにガタがきたようだ。旧世代機なので大して期待はなかったものの、思ったより楽しむことができたので良しとする。幽霊少女の方に視線を向けると本棚を何やら漁っていた。何かめぼしいものでも探しているのだろうか。


「凛くーん。歴史の本見つけたー。問題出してあげる!」


 ――問題って……幽霊に試されるのか。


「簡単なやつで頼むなー」

「中大兄皇子、中臣鎌足が主導し、蘇我入鹿を謀殺――」

「645年、大化の改新」

「えぇー、早いよ〜。まだ問題読み終わ――って合ってるし! 凛くん、実は頭いい人……?」

「こんなの小学生レベルだ。舐めんな」

「でも……私わからなかった……」

「お前が馬鹿なだけなんじゃないか?」

「んー! 凛くんひどい〜」

「今度はオレが問題出してやるよ」

「え……結構です――」

「いやいや遠慮すんなよ〜」


 嫌がる幽霊少女を無理やり机に向かわせ、スパルタ鬼教師ばりに問題責めをする。最初は歴史だけだったが、やりとりをしているうちに気分が乗ってきて、数学や理科など他教科にまで範囲は及び、幽霊少女がもう勘弁してくれと泣きを入れてきたところでオレの臨時レッスンは終了した。


「凛くんは鬼だよ……軽はずみな気持ちで試すんじゃなかった」

「幽霊に勉強教えるとかなかなか貴重な体験だったなー。またやろうぜ」

「……お断りします。はぁ……もうこんな時間。夕飯だよ? 下行こうよー」

「ははは! 行くかー」





「スーパーの寿司といえどもやはり寿司は寿司だな。うまかった」

「美味しかったよね〜。トロも入ってたし、私は大満足!」


 布団に入りながら晩飯のメインディッシュを反芻する。もうすでに死んでいる存在と食事について語るのはなんともシュールだ。


 ――幽霊感ないしな。生きてるやつと変わらん。


 最初に遭遇した時は幽霊ということで慎重に接していたが、蓋を開けてみたら実に無害なやつであった。マンガを読んだり、ゲームをしたり、美味しいものを食べれば太陽みたいに笑う陽気な少女。


 ――いつかは消えてしまうのだろうか。


 唐突に湧き出た感情。胸にぽっかり穴が空くような気持ちになり、ふと視線を少女に向けると少女もこちらを神妙な顔で見つめていた。急に目があったので気まずくなり、反対側の窓へ思わず顔を向ける。夜にも関わらず、月が辺りをまばゆく照らしており、外の景色がよく見えた。ざわつく気持ちをごまかすため、自分のてのひらと月を重ねるように腕を伸ばしたところでオレは異変に気づく。


 ――オレの……オレの手が透けてる。


「どうしてオレの体――」

「気づいちゃったか」


 震える声で呟くオレの背後から凛とした声が聞こえてきた。振り返ると憐れみと悲しみが混ざったような瞳で少女がオレを静かに見つめていた。

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