暗い室内に3人の男女がいた。一人はこの部屋の主であることを主張するように最奥に置かれた椅子に座り、肘を机に乗せて手を組んでいる。そんな男の側に控える女が手にした報告書を元に話し始めた。


「札幌支部からの報告です。遺跡から彼らの存在が確認されたそうです。目下、情報の収集に取り組んでいるとのことで、報告は取り急ぎ、とのことです」

「ははあ、読めたぞ。あっちは確か戦力整ってないんだろ? だから俺が呼ばれたわけだ」


 この部屋に呼び出されたらしい男は面倒そうに頭をボリボリとかきながらそう言った。


「理解が早くて助かるよ、北村(きたむら)君。君には札幌に行ってもらう」

「大崎(おおざき)さん、人手が足りないからっていくらなんでもこき使いすぎじゃないですかねえ。早いところ適合者見つけて戦力の増加を図ってくださいよ」

「我々も捜索はしているが、いかんせん数が少ないからな。君もそれは理解しているだろう?」


「そりゃそうですがね。もう少し後進の育成に力を入れるとかやりようはあるでしょう」

「ぜひ君自らの手で実行してくれ。ちょうど札幌には原石がたくさんいると聞いている」

「ダメだこりゃ」

 北村は大仰に肩をすくめて見せた。


「そう言うな、多少の便宜は図ってやる」

「ほどほどに期待しておきます」

「ああ、もう下がってくれていいぞ。出発は今日の午後を予定している」

 北村は後ろ手にひらひらと手を振って退室していった。それを確認した女が口を開く。


「よかったんですか、例の情報、北村さんに言わなくて」

「言ったところでどうにかなるものではない。遺物との絆は偶発的なものが多い。もし藻岩山遺跡の遺物と共鳴する者がいるとすれば、時がくれば自然と現れるさ。それよりも、例の計画はどうなっている?」


「依然進捗は停滞しています。やはり大きな動きがないと……」

「そうか。鬼の器については?」

「隠れ蓑のみ存在が確認されていますが、残り2つは未だ発見に至っていません」

「何においても急がせろ。あれがなければ話にならない」

 女が頷くと同時に室内に電子音が響いた。どうやら札幌支部からの連絡のようだった。


「私だ。どうした?」

 電話口から告げられる情報に、段々と男の眉間にシワが寄っていく。告げられた内容が当初の予定と食い違っている証拠だった。


 受話器を元に戻した男が口から小さく息を漏らした。

「芹沢(せりざわ)君、灰皿を持ってきてくれるかな」

 芹沢は言われた通りに灰皿を机の上に持ってきた。先に煙草に火をつけていた男は数度煙を肺に入れると、それを灰皿に押し付けた。


「支部長が煙草を吸われるなんて、珍しいですね」

「私とて人間だ。先が見えない状況になれば煙草の一つも吸いたくなるさ」

「というと?」

「遺物を運んでいたトラックが何者かに襲われたそうだ。操作不能に陥ったトラックは今大学構内にあるそうだ。マスコミの押さえつけを考えると頭が痛くなる」

「でも、概ね計画通りですよね?」


「当初の予定よりもだいぶ早まったがね。それに、北村君の到着よりも先に事が起こってしまうと状況がこちらの制御を離れてしまう可能性がある。まったく、嫌になるよ」

「発見された遺物、化生(けしょう)すると思いますか?」

「するだろうね。だからこそ彼らは奪いにきた。おそらくもう、反応しているんだろう」


「札幌支部から救援を出さなくていいんですか?」

「これで壊れてしまうのであればその程度の遺物だったということだ」

「そうですか」女は一拍間を置く。「ところで英(えい)一郎(いちろう)さん、この後時間はありますか……?」

 そう言った彼女の瞳は、先までのキャリアウーマンじみたものから女のそれに変わっていた。


   ○


 退屈な講義をあくびを噛み殺しながら過ごしていると、唐突に教室内に凄まじい衝撃と爆音が響き渡った。


「な、なに!?」


 眠る寸前だったらしい薫がよだれを垂らしながら跳ね起きた。相当に大きな声だったが注目を浴びることはなかった。周囲の人間が薫以上の叫び声を上げていたからだ。

 音の方向を振り向くと教室内に大型トラックが侵入していた。

突っ込んでくる途中でタイヤがスリップしたのか、トラックの荷台部分が隣の教室との敷居を半ばまで破壊してしまっていた。そのせいで、隣の教室の様子がある程度伺えてしまった。

 つまり、人が挽き肉になった光景が見えてしまったのだ。


「見るな!」

 慌てて薫の視線を遮るが、一歩遅かったらしく薫の目にしっかりとその光景が映ってしまったようだ。

「あ、あれって人……!」

「違う。大丈夫、大丈夫だ」


 薫の肩を抱きながら、再度トラックに視線を向けると、荷台のサイドパネルが歪に引き裂かれているのがわかった。何か、鋭い爪のようなもので力任せに引き裂いたようだった。

 空いた穴から、全身が漆黒に覆われた日本刀が見えた。その瞬間、俺の脳裏にあるイメージが叩きつけられた。

 漆黒の甲冑を身にまとった人物が鬼の大群相手に大立ち回りをしているイメージ。


「なんだ……? 今の……」

「ね、ねえ……どうしよう?」

 こんな時は通常であれば大人が率先して行動を起こすべきだ。なのに、教室内で一番の大人である教師が狼狽えてるんじゃ話しにならない。

「とりあえずここを出よう。もう授業どころじゃない」

 下手に長居して警察が来てしまったら事情聴取やなんかで拘束されてしまう可能性がある。ただでさえメンタルにダメージを負ってる薫を疲弊させるわけにはいかない。

 そう思って立ち上がった瞬間、ひときわ大きな悲鳴上がった。


「今度はなんだ?」

 ギギギと鉄がねじ切れる嫌な音と共に、荷台から2メートルはあるだろう巨漢がサイドパネルをこじ開けて出てきた。いや、よく見ると人間ではなかった。緑色の体色に鋭く尖った下顎の犬歯、そして何よりも人とそれを隔てる大きな一本角が頭部から生えていた。

「鬼……?」

 黒の腰巻き。一度鬼だと思ってしまうとそれすらも絵物語にある鬼の腰巻きにしか見えなくなってしまった。


「なんだか知らんがまずい雰囲気だ。とっととずらかるぞ!」

 とは言ったものの俺たちと同じ考えに至った人間がたくさんいるせいで、2つしかない出入り口に向かって人が群れをなしている。これではまともに身動きがとれない。受講人数が多い講義の弊害だ。

「きょ、恭弥……あれ……」


 薫が指差した方向では鬼が周囲の人間を襲い始めていた。恐ろしい膂力でもって人の手足が虫のそれと同じような手軽さで引きちぎられている。

 俺の目に、鬼が荷台から出てきた際に一緒に落ちただろう漆黒の刀が映る。そして、再度俺の脳裏に漆黒の戦士のイメージが叩きつけられる。

「っ!」


 人が、人の命の灯火が、俺の目の前でどんどんと消えていく。


 ――ドクン。


 昔の俺はこんな場面をよく想像していたはずだ。学校にテロリストが侵入してきて、ヒーローの俺はそれを格好良く退治するんだ。


 ――ドクン。


 かつてヒーローだった人間の目の前で、人が塵芥のように殺されてるんだぞ? こんな状況、許されるのか?


 ――ドクン。


 俺の心臓がカッと熱くなるのがわかった。


「……薫、先に逃げてろ!」

 言った時にはすでに俺は刀に向かって駆け出していた。

「なに!? どーするつもり!?」

「やるだけやってみる! 俺は……ヒーローだから!」

漆黒の日本刀に触れた瞬間、まばゆい光が周囲を包み込んだ。


   ○


「嘘……刀が、恭弥の身体の中に吸い込まれた……」

 薫の言葉通り、恭弥が漆黒の日本刀に触れた瞬間刀は恭弥の身体の中に吸い込まれた。その証拠に、刀に触れた右手から始まって肩口までの服が消え去っていた。


「ぐああああああ!」

 恭弥の叫びが響き渡る。恭弥の身体に吸い込まれた刀が、今まさに恭弥の身体を戦うための身体へと変化させている痛みだった。

 それまで無差別に殺戮を行っていた鬼が、途端に標的を恭弥へと変えた。まるでこの時を待っていたと言わんばかりに激痛で動けない恭弥の腕を掴み、外へと放り投げる。


「うううっ……くうううう!」

 鬼は恭弥の首を掴み、壁へと何度も何度も身体を叩きつける。そして再び硬いアスファルトへと放り投げる。

「クソ! このままじゃ、死ぬ! うあああ!」

 やけくそ混じりのテレフォンパンチ。非力な人間の一撃かに思えたそれはしかし、鬼に確かなダメージを与えた。それもそのはず、今の一撃は恭弥の身体に変化を与えていた。

「変わった!?」恭弥の右腕が灰色の甲冑に包まれていた。「おうら!」

 左腕、右足。恭弥の戦うという意思に反応するかのように、鬼を殴れば殴るほど恭弥の身体は変貌していった。


 やがて乱打の最後の一撃が鬼の腹部へと吸い込まれる頃には、恭弥の身体は完全に灰色の甲冑をまとっていた。

 顔を完全に隠す鬼を模した面頬に、大切な臓器を守るための分厚い一枚の胸板、やや短めの大袖に草摺(くさずり)。そして、鬼のそれを彷彿とさせる2本の短い鍬形(くわがた)。

 なにかが足りていない、そう思わせるフォルムだったが、今の恭弥には鬼と戦うための力として十分に感じられた。


「ヨウヤクコワセル」

 恭弥が何もかもが変わってしまった自身の身体を確認していると、これまで一言も声を発さなかった鬼が人語を話した。

「鬼が、喋った……? うわ!」

 呑気に疑問を抱いている場合ではなかった。恭弥がボウっと立っているその時にも、すでに鬼は攻撃準備を整えていたのだ。力任せの一撃が恭弥の胸を穿つ。


「クソ! やってやる……やってやるぞ!」

 幼い頃に習っていた格闘技の基本を思い出す。左足を前に、重心は真下に落とし右手を突き出すと同時に腰をひねる。

 基本中の基本、正拳突きだ。拳は寸分違わず鬼のみぞおちに吸い込まれた。

「効いてる! これならやれる!」

 直突き、前蹴り、左正拳突き、肘打ち、手刀、回し蹴り。

 まるで自分の身体が自分のものではないかのように軽やかに動けた。恭弥がイメージした姿通りに身体が動く。

 打つ、打つ、打つ。そのたびに鬼は確かに弱っていった。


「これで……トドメだ!」

 膝をついた鬼の頭を掴み、その顔面に思い切り膝蹴りを入れると、スイカでも割るように鬼の頭が弾けた。バチャリ、と辺り一面に鬼の脳漿が飛び散った。

「終わ……った、のか?」

 何もかも慣れない出来事を終えた恭弥は、疲れのあまりその場に倒れ伏してしまった。それと同時に、役目を終えたとばかりにそれまで恭弥の身にまとっていた灰色の甲冑が何事もなかったかのように霧散した。そこにあるのはただ、疲れ果て、地に伏した狭間恭弥だった。


「恭弥!」

 陰ながら恭弥の戦いを見ていた薫が駆け寄る。ピクリとも動かないその姿に、死の一文字が横切るが、やがて呼吸をしているのを確認すると、今度は彼をどうするのかに思考を巡らせた。

(救急車? でも、こんなわけもわからない状況で呼んでいいのかな)

 脳裏をよぎるのは人体実験の4文字。常識的に考えて人が変身するなんてことはありえない。それに、身体に吸い込まれていった刀のことも気になる。そんな状況で公的機関に運んで検査されてしまったら……。嫌なことばかりが頭に浮かんでくる。

「うぅーーどうしたら……」


「田井中! ボウっとしてるな、運ぶぞ!」

「飯田!」

 悩む薫の前に現れたのは飯田健(けん)介(すけ)だった。共通の友人である彼は、事の顛末を遠くから見届けていたのだ。

恭弥が外に放り出されてすぐに駆けつけたかったが、逸る心とは裏腹に、異形の生物に対する恐怖が彼をその場に繋ぎ止めていた。

 しかしそれも、恭弥が鬼を倒したことで恐怖という鎖はちぎれた。自分の足が動くことを確認した飯田はすぐに二人の元に駆けつけていた。


「足持て! 早く離れないとまずい」

 言われるままに恭弥の足を持った薫と、上半身を持った飯田は精一杯の速さで大学構内からの脱出を図った。そして、公道に出てすぐにタクシーを捕まえた。

「いらっしゃい、とどうしたの? 酔っぱらいかい?」

「そうです。だから早く出してください!」

「行き先は?」

「あたしの家にしよう。住所は――」

先の見えない不安を抱えながら、3人を乗せたタクシーは走り出した。


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かつてヒーローだった貴方に贈る物語 山城京(yamasiro kei) @yamasiro

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