暮夜に

 焚火から火の粉が爆ぜて、森の暗闇へと消えていった。


より一層燃え上がる炎から目が離せず、瞬きすら忘れて見つめる。


その揺らめきと食後の満腹感も相まってなのか、心の荒波がいつしか凪いでいた。


不思議だ。


焚火って、こんなにも人を落ち着かせるものだったんだ。


炭になった薪が必死に熱を発して、新たな薪へと輝きを紡いでいく。


眺めていると気付いた。


炎の輝きというのは、命の輝きと言い換えても良いような気がする。


だからこんなにも目が離せなくなってしまうのではないだろうか。


「あんたがこんな所まで来るなんて、珍しいね。そろそろ言ってごらんよ。どうしたの?」


 焚火を囲んで隣に座っていた親友が静かな口調で言葉をこぼした。


「うん。ちょっと人間関係に疲れちゃってね」


 もう疲れ切ってしまった。


上司はもちろんのこと同僚、部下にも常に気を使って。


私は何のために仕事をしているのだろう。


周りの人に気に入られるため? 


仕事を円滑に進めるため? 


分からない。


分からなくなってしまった。


私は何が欲しくて。


何を実現したくて。


何に認められたくて。


何をしたらもっと成長できて。


何をしたらより幸せになれるのか。


もう嫌だ。


考えたく、ない。


気を遣わない数少ない人たちとしか、もう関わりたくないよ。


現実からずっと逃げ続けたい。


 だめだ。


一度考え始めると、感情の抑えがきかなくなってしまう。


深呼吸をして、焚火を見つめる――再び凪が訪れる。


焚火が私を落ち着かせてくれた。ありがとう。


「そんなに酷いの? あっちの支店は」


 どうやら様子を伺われていたようで、親友が心配そうに私の顔を覗き込んできた。


「あ、いや。そんなことない。全ては私の努力次第なんだよ。そっちはどう?」


「あたしの所は別に何もないよ。緩くやらせてもらってる。ほら、周りには山と森しかない田舎だしね」


「正直それがうらやましいよ」


 きっと関わる同僚や上司は圧倒的に少ないだろう。


私も都会の喧騒とは無縁の緑豊かな田舎の勤務になって、静かに仕事をしていきたい。


お客さんは常連さんばかりだろうし、気兼ねなくお話もできそうだ。


「あんまりいいものでもないよ。こっちは買い物にも一苦労だし、大きなところに行きたかったら片道何時間かかけないといけないし。あたしは都会が良いなぁと思うよ。ま、隣の芝生は青いっていうやつね」


 それもそうか。


ないものねだりをしても仕方がない。


私は、現状でできることをするしかないのだから。


夜も更けてきて、焚火の炎が静かにその輝きを失っていく。


「まっ何かしら落ち込むことはあるけどさ。気分転換して自分自身前向きに考えていくしか解決しないんだろうなと思う。それに、あたしとこうやってキャンプできてる間は、まだまだ大丈夫だよ」


 親友は屈託のない笑顔を見せてくれてから、スマホを触る。


直後に私の着信音が鳴る。


「明日時間があったら、今送った所走ってみなよ。あたしも落ち込んだ時とか、よくドライブに行くんだ。心が洗濯されるよ」


「うん。分かった。行ってみる」


 昔から変わらず、無理に聞かずに最大限の手助けをしてくれる。


私もちゃんと返していかないと。


「佳夏」


「ん?」


「ありがと」


「なに改まってるの。なんか恥ずかしくなっちゃうじゃん。さ、もう寝るよ!」


 本人が言った通り恥ずかしくなったようで、親友――佳夏はそそくさと自分のテントに潜っていった。


「――何かあったら、何でも言いなよ。あんたはあたしの親友なんだからさ」


 テントの中から優しさを纏った声が聞こえた。


嬉しくなって自然と口角が上がった。


「うん」


 一言答えて、立ち上がって伸びをする。


焚火は既に燃え尽きていて、辺りはすっかり暗くなってしまった。


夜空を見上げると満天の星空なんてものは広がっていなくて、ただぽつぽつと小さな星が見えるだけだった。


 まるで今の私の心を映し出しているかのようだった。

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