その6

 俺が読んでいたのは、白石氏の著作の中ではベストセラーになり、映画化もされたものだった。


(狼と聖女)という題名で、SFや冒険小説が主だった彼としては珍しい、ある種の時代小説だった。


 第二次世界大戦が終結して、まだ十年も経たない、荒れ果てた頃、仲間達と徒党を組んで無頼の生き方を貫く一人の若者が、ある日教会を守りながら孤児院を営む美しき尼僧と出会う。


 情愛というものを全く知らずに育った彼にとっては、その尼僧の存在は、非常に新鮮なものであったが、不器用な生き方しか出来ない彼には本当の気持ちを打ち明けることが出来ない。


 やがてその孤児院が悪徳ヤクザや強欲な役人たちの毒牙にかかろうとしていることを知り、仲間たちと、何の見返りも求めない戦いに挑んでゆく。

当り前だが、尼僧である彼女と男は結ばれることはない。ラストは今流の言葉で表すならば、バッド・エンドであった。


 この小説は彼の作品では初めて雑誌に連載となり、そして某出版社のメディアミックスに乗っかって映画化もされたが、お世辞にも世間の評判はあまりよくなかった。


 俺は頁を繰っていて、あることに気付いた。


 他の作品には入れられている朱が、この本には全く入っていなかったが、他の本以上に読みこんだ形跡が見受けられた。


『これを』


 俺は最後の頁に、便せんのようなものが挟んであるのを目に留め、白石氏に渡した。


 そこには彼女の文字でこうしたためられてあった。


”なるほどこの小説はごくありきたりな悲恋ものであるが、少なくとも彼の作品の中では、最も素晴らしい出来だったと思っている。”


『ああ、それですか』


 住職氏が本を見て口を開いた。


『他人の作品の話なんか滅多にしなかった叔母が、ここを訪れた時、珍しくその小説の話をしましてね。小説だけじゃない。映画も素敵だったわよなんて褒めてました』


 白石氏は何も言わずに本を閉じ、住職氏に手渡した。


 それから、俺達は住職氏に別れを言って山門を出て、駐車場で煙草をふかしながら待っていたジョージの元に戻るまで、一言も口を聞かなかった。


『生きていたら、”ざまあみろ。俺は立派な小説家になってやったぜ”生きていたらあの人にそう言ってやろうと意気込んでいたんですがね』


 車の中で白石氏は、ポツリと一言だけそう呟いた。


 あれから半月経つ。


 世間では相変わらず新型何とかの騒ぎで世の中は賑わっている。


 お陰で俺は暇で仕方がない。


 やることがないので、もっぱらグラスを片手に読書三昧で時間を潰している。


 読んでいるのは大林五月と白石隆介の小説だ。


 どちらの小説も甲乙つけがたい。


 勝ち目のない戦いを、未だに繰り広げているようだ。


 こんな時間ときも、たまにはいいものだ。


                              終り

*)この作品はフィクションです。登場人物その他すべては作者の想像の産物で

あります。

 

 

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『私と彼女』の戦い 冷門 風之助  @yamato2673nippon

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